約束の
地
へ
さあ行こう。木漏れ日さすその場所に。
第二章
〜マイ・エヴリシング〜
『…分かった。無事に、帰るよう努力するよ』
『努力じゃダメです。絶対です』
ピ・ピピ…。遠く、遠くに電子音が聞こえた。ザァ…という砂嵐のノイズの間に、時折波打って低い声が聞こえる。小さくなったり、大きくなったり……。
「……ぅ体に…いぃ…状は………ません。………の為…ぅる検査を……」
「…………ですか?」
「…………で……………すから」
「……だ………って……どうして倒れたんです?」
段々と、明快に聞こえてきた。周りを支配していたような、砂嵐の音も、それと共に消えていく。
「……いえ。倒れたのは、激しい光の所為でしょう。緊張状態の時に眩しい光を浴びると、人はショック状態に陥る事があるんです。一時的な呼吸困難、頭痛、目眩…。一般的に子供におきやすい症例なんですが、今回は半端ではないと聞きましたからねぇ……」
「じゃあ、室井さんは……」
「ええ、大丈夫ですよ。今は少し熱が出ていますが、今日中に退院も可能です。……ああ、それとこの方は体を酷使しすぎの傾向があります。この点滴は、栄養補給の為に行っているんです。だからそんなに心配しなくても、もうすぐ意識も取り戻しになりますよ……ああ、ホラ」
うっすらと瞼を開けた事に、誰かがそう言った。滲んでいる視界が、ゆっくりとクリアになっていく。白い物体が動いているようにしかみえない(それ以前に、視界全体が白で驚いたが)それが、医者である事に気づいたのは、数分たってからだった。
「……どうです?気分は??これが見えますか?」
天井を背景に、少し無骨な手が目の前で左右に動かされる。私は微かに頷いた。声や音が聞こえているし、意識も段々しっかりとしているが、それでもぼぅっとした感覚は否めない。
頷いたが、医者は気づかなかった様子で、まだ手を振っている。
だから私は、必死に声をだした。
「……見えます」
「じゃあ、貴方のお名前は?」
「室井……室井慎次です」
「ご職業は」
「警察官を」
「ご住所………」
そうして、寝たままの私に医者は個人情報を尋ねてきた。おそらく記憶障害がないかどうかを調べているのだろう。
「……大丈夫の様ですね。CTスキャンでも異常はありませんでしたから、脳への心配はありません。……どうしますか、貴方は事件当日から約半日程度意識を失っていたんです……。今日中に帰れますが、私としては安静をとって、もう一日入院していく事をおすすめしますよ」
「………帰れるんですか」
「ええ。少々熱があるようですが…何処か特別痛い所は?」
「ありません」
そう言って、私は体を起こした。大丈夫だった、本当に少し熱っぽい事を除けば、体に異常はない。
「ああ、点滴はそのまま。それだけ打ち終わったら、ご帰宅してもよろしいですから。―――奥さんもご心配されてましたよ」
「――――――奥さん?!」
医者のその言葉に、私は心底驚いて声を張り上げた。医者はにたにたしたまま、視線をずらす。
そこには、湾岸署の恩田すみれ刑事が立っていたのだ。
「はぁい♪」
「はぁい……って……なんで……」
「アナタってホントシャイよね〜っ。確かに私たち式はあげてないけどさ、ちゃんと届けはだしたんだから、夫婦でしょおぉ〜??」
「ふ。夫婦………」
絶句したが、彼女の行動は少し可笑しかった。目で尋ねると、そのまま演技しろと促される。
「……悪かった……少し混乱しているんだ」
「でしょうね〜。最愛の妻の顔忘れるんですもの――っ。失礼しちゃう〜!!」
「………っ」
「結婚指輪くれる前に死ぬのだけはやめてよ〜!?縁起でもない」
「………結婚指輪が目的なのか」
「やだっ!違うわよっそんな言い方……」
「―――じゃ、さしずめこの間言っていたあのレストランの…フルコースが??」
「……え。覚えててくれたの??うわ〜♪じゃ退院したら行きましょうよ♪」
「すみれ……あのな……」
すみれ、と呼び捨てにするのには、相当の精神力が必要だった。だが、ここで恩田クンとは言えない。
「おや。私は邪魔のようですね。…では室井さん、準備が整い次第、隣の診察室に来て下さい。とりあえずもう一度検査して、退院届けを書きますから」
「はい。ありがとうございました、先生」
私が頭を下げると、恩田くんもしずしずと頭をさげた。肩上で切りそろえられた髪がさらりと揺れる。
ばたん!と医師が扉を閉めると、彼女の笑顔がすっと消えた。
「………………ちょっと、演技へたすぎよ室井さん」
「……病人に演技力を求める方が酷いんじゃないのか、恩田君。それになんでいきなり私たちが夫婦だなんて事になってるんだ??」
薄い青のトレーナーを着て、下はシックなベージュのスカート。上品なスカーフに、高いヒール。煌めくプラチナのネックレスにお揃いのイヤリング。いつもの彼女の格好ではない。
「所轄の人間がここに入るのに、他にどんな手を使えって!?周りはマスコミだらけ。更に警備が厳しくて、泣き落としでもしなきゃ相手にもされなかったわよ」
「…………??」
「分かる??どれだけ私たちが大変だったか!!ここになぐり込み掛けようとした青島くんなだめて、警備員相手に泣き落としして……!」
「青島が…?………青島はっ??!」
心配を掛けてしまった…!それが電光石火のことく駆けめぐり、心をはやらせる。
「無事にあなた達のスィートホームお届けしました。もう、すごかったんだから!貴方が病人じゃなかったら、私殴りたい気分よ?心配かけるんじゃないの!他人けとばしても助かりなさいよ、全く」
「それはちょっと……」
「分かってるわよ!警官としてそれが間違ってる事くらい!!でもね!貴方も一人の人間でしょう?心配してる人がたくさんいるの、それを自覚しなさいよ!!」
さっきまでの戯けた様子は欠片もなかった。髪を振り乱して、そして唇を噛みしめ……。
「もう……やめてよ。青島君も室井さんも…なんでそういう……っ」
「…………すまない」
大切な人が倒れるという悲しみを、私も一度味わっている。……二度と味わいたくない。それを、恩田君には味わせてしまったのだ。
「謝らなくていい。早く帰る準備して。私が送るから……青島君早くなだめてきて」
「……そんなに……暴れてるのか??」
「半端じゃない。…家に帰る時は大人しくしてたけど……きっと苦しんでるから」
「分かった……ありがとう、来てくれて」
「いいわよ、もう」
くすり、と笑って恩田君は「車だしてくる」と言って部屋を出ていった。
私は点滴の針を動かさないよう、空いた手で帰り支度を始めた。
(早く帰りたい……)
じわり、と懐かしい思いが。切望が。
ふと、博士達の事が気になった。携帯で本庁に連絡し、他の者はもう退院し、予定も一日遅れながら順調に行われている事を知った。
局長から君は休みたまえ、という言葉をありがたくもらい、二・三日の有給を貰った。
その会話が終わる頃には点滴も終わっていたので、着替えて荷物を持ち、隣の診察室に行く。
「大丈夫ですね、一応熱冷ましの薬をだしますから、受付でもらって下さい」
「ありがとうございました」
「いえいえ。お大事に。奥さんに心配かけないで」
「………はい」
心配…か。
苦笑して退室し、恩田君に甘えて車で自宅まで送ってもらった。
辺りはもう日がくれて、赤い空がじんわりと群青に塗り替えられていく途中だった。家に付いた頃はすっかり真っ暗になった。
「じゃ、よろしくね。青島君」
「……本当に助かった、ありがとう」
「いえいえ。三回程本庁の昼食ランチ奢ってくれればい〜わよ♪」
これは覚悟しなくては、と笑いながら別れ、私は家のドアを開けた。
「………ただいま……」
キィっという音がして玄関を開けると、家の中は真っ暗だった。電気がことごとく付けていない。荷物をその場に置き、私は慌てて靴を脱いで家にあがった。
「青島……?いるのか……??」
リビング、書室、キッチン…バスルーム。電気をつけながら青島を呼ぶ。
いない…何処にも。
「……青島……?いないのか……??」
『お願い』を破った私に呆れて、出ていってしまったのだろうか……。
最後、二階のベットルーム。
「………あお……しま……??」
ひゅっと喉が鳴った。そこに青島がいた。冥い眼差しで。ベットに腰掛けていた。帰ってきたままの格好なのだろう、グリーンのコートを着たままで…所々傷を付けて。
一体何時間、そうやって座っていたんだろう。
「あおしま………」
「……………………………………」
視線が確かにあったのに、ふいっと青島は反らしてしまった。ずきんっと胸が痛む。
「すまない、心配を掛けてしまって……。このとおり、大丈夫だから…」
「…………………」
「検査でも異常なしだ。ちょっとしたショックで気を失っただけで……」
「………………です……」
「…だから………え?」
ぼそり、と呟かれたそれが聞き取れなくて、私は聞き直した。
「死ぬかと、思ったんです……」
きゅ、と膝を抱えて。
「気がおかしくなるかと思った…。変な事いっぱい考えちゃった。怒られそうな事とかたくさん」
「あおしま……」
「でもね…いっちゃんおかしいのは俺なの。俺なんか変なんだ……」
一歩踏み出すと、ぎしっと床がなった。
「室井さん……」
「…………ん?」
膝を抱えて、顔をうずめる青島の髪を、おそるおそる撫でた。拒否されなかったので、次第にしっかりと。
「………俺、泣いてます??」
「………どれ……。泣いてない、青島」
「……泣きたいんです、俺は」
「………………………っ!」
「泣きたいの、貴方が事故に巻き込まれたって聞いた瞬間に、泣きたかったのに泣けなかった」
「それは………」
「泣けなかったから、暴れてみたんだけどね。貴方の顔見れば泣けると思った。でもちょっと色々あって行けなかったからやっぱり泣けなくて。」
「…………あお……」
「家ん中歩いてれば泣けるかなと思ったけど泣けなくて。貴方の匂いするベットに一日いたけどね、全然泣けないや…俺って、薄情なのかな……」
「………ちがう…青島……ッ」
ぎゅ、と膝を抱えてまるくなった彼を抱きしめて。私は言った。
「それは違う…青島……」
「ちがう…?こんなに愛している貴方が倒れた時、なんで涙が出ないの?普通泣くもんなんじゃないの??」
「ありがとう」
「……室井さん……?」
ふっと顔を上げて、不思議そうな顔をした青島に、私は精一杯笑って言った。
「お前は泣いてる。胸の中で」
「……………え……」
「これは私の自惚れかもしれないが、涙なんかで拭えない程、悲しいから出ないんじゃないのか?」
「悲しすぎるから……?」
「そう……」
親しい友人が亡くなった時、葬式では涙がでなかったのに、ふいに一週間たってから涙が溢れた事があった。……悲しすぎて、心に痛みが強すぎて。ショックが大きすぎて。
泣けない。
ふっと青島の唇に、キスをした。
「私も、君が倒れた時……死ぬかと思った。」
「泣いた……?」
「…………泣けなかった」
くしゃっと泣きそうな顔をして、青島が笑った。
「じゃ、一緒だ。俺も自惚れよ…っ」
「お互いに自惚れるか……」
「……うん」
ぽろ、と一つ涙を流しながら青島が優しく口づけてきた。
「愛してる………心配、したんだからね…っ」
「………すまない」
抱き合おう、なんて言葉、必要はなかった。
「……室井さん」
「――――ん……?」
―――それは酷く優しい、どこか哀しい位の声で。
「室井さん……室井さん」
「……うん」
言葉を忘れたように、ただ抱きしめて自分を呼ぶ青島の声に。
室井はただその少し癖のある彼の髪を撫でて答えた。
首筋、頬、額、鎖骨。溶け合えとばかりに摺り寄せる。
「…………何やってんだろうね、俺達」
「………全くだな」
ほぼ1日逢えなかっただけなのに、互いの身体を重ねて。体温を分け合って。鼓動を確かめて。
互いの存在がただ愛しい。そんな感覚に二人で陥ってるような。
「……っ……!」
不意に肩甲冑の辺りを這う指に、室井が反応する。
「室井さん―――俺を呼んでくれた?」
「……………叫びに近い………かな………あれは………」
突然の強い光と、爆音の中で。
「―――あのまま………死ねないと………ただ思ったんだ………」
「………ん………」
「君に何も残してやれないまま―――約束を破って死にたくない、そう強く叫んでた」
「………………うん」
その言葉に。
不意に青島が泣きそうな顔で苦笑する。
「―――何にも、要らない。・・・何一つ残してくれなくたっていいよ」
そうしてまた、額や瞼、頬に口付けて。
「………あんたが側で生きていてくれれば、なぁんにもいらないから。俺」
「…………ぁ……っ!!」
悪戯な指先が立ち上がりかけた胸の飾りに触れて、答える事も出来ずに吐息で答えて。
重なった唇をどちらとも無く求め合って。熱い時間を共有している幸福に目が眩む。
「―――ごめんね?」
「…………な、に………」
約束した時、黙ってたんだけど、と青島が囁く。
「全ての人間犠牲にしても生きてなんて事、思っちゃったから罰則食らっちゃったんだね、俺」
ともすれば消えそうになるほどの声に胸が締め付けられて。
じれったい程の緩慢な動きの先を強請るように、腰が揺れた。
「もしかして………誘ってます?」
「飢えてるのが君だけと思うな………っ」
体温が。吐息が。唇が。欲しかったのは青島ばかりではない、と言外に室井は告げてくれる。
普段の彼なら、羞恥の余りに舌を噛んでしまうくらいそれは意外な台詞。
現に、その首筋は心なしか赤くなっているのに気づいてしまったけれど。
「うん………一緒に行こう?」
待ち望んでいたもので満たされて。その脈動に、律動に、激しい快感と共に。
室井はあの強い光を瞼の裏に感じて、意識を手放した。
『……大切にしなさい。貴方のその全てを賭して守りなさい』
『何も残せなかったと、二人は私に詫びながら逝ってしまった……私をただ一人を残して』
『しかし―――その夢を、約束がやっと叶う』
―――失っていく意識の中で、孤独な老人は哀しく微笑んでいた。
アナタニナニカヲノコシタイ。
出来うるものならば、私の全てを。
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2000/11/25 真皓拝