近親相関




2.四男的怒涛の長谷川家事情。


 最初はアメリカ・西海岸はサンフランシスコだった。そして、次はカナダのトロント。二年前に、オーストラリア・シドニーに母の仕事の都合上居を移した。まあ、すべて英語圏だったから対応は容易かったけどね。
 それが、気がついたら今は日本。人生なんて、ホント一瞬先は闇だよね。

 最初に母さんが男を連れてきたとき、とうとう来たなーと思ったのだ。離婚して十年、仕事一筋にやってきた人だったから、歓迎してあげないといけないとも思った。が、連れてきた男は、なぜだが僕の記憶中枢を刺激する顔をしていて―――笑った時に目じりが下がるのが、瑞貴に似ている………って、父さんじゃんかとようやく気づいたのだ。
 そこからは、ある意味地獄だったように思う。
 だれが、己の父親が母親に求婚する様を見たいと思うだろうか。それも、父さんはやたらとしゃちほこばっていて、ギクシャクした手でポケットから小箱を取り出すわ、母さんは母さんでそれを見つめてぱああぁぁと頬を染めるのである。50を目前にした人が、少女のように!
 もちろん、母さんが父さんとやり直すのに否やはない。
 だがそれは、ようやく住み慣れたこの家からまた引越し、六歳までしか過ごしていない日本に帰ることを意味するのだ。なぜなら母さんは―――突然の再会で燃えあがった恋の帰結として父さんとの再婚を望んでいて、その思いは順風満帆の仕事を辞める決意をするほど大きなものであったのだ。それは、十年前の離婚のときと正反対の選択であった。
 仕事か、夫か。今度こそ、母さんは本心に沿った選択をしたのかもしれない。
「で、今やアフリカの空の下、かぁ」
 我が母親ながら、強烈な人である。なにせ、父さんが求婚の際、「実は私は今月末にも海外赴任が決まっているんだ。それが、言いにくいのだが、アフリカの支社なんだ。それを踏まえた上で返事がほしい。今すぐにとは言わないから」と言ったのを、即OKしたのである。
「アメリカじゃないんだよ、アフリカだよ!」何か勘違いしているかもしれないと思った僕は、傍観者の立場をかなぐり捨てて母さんに指摘したのだが、それの返事が「大自然ってあこがれてたのよね!」である。ついていけないものを感じて、僕は押し黙るしかなかった。
 もともと母さんは普通の考えで推し量ってはいけない人だ。僕ら兄弟の名前だって、普通どんなに女の子が欲しいからって、男が生まれたらそれらしい名をつけるだろう?それを、女の子待望論から、生まれる前に女の子の名を用意していたらしく、瑞貴の時は「瑞希」という名を考えていたという。しかし生まれたのが男の子だったので、漢字を代えてそのまま名前に使用したらしい。僕のときは、「あおい」という名が用意され、男の子だったので漢字の「葵」で始末をつけた。まだましかなあとも思う。一番最悪なのは末の弟で、「加奈」という女の子風な名を、そのまま名前にされたのだ。その理由曰く、「せめて名前でも女の子っぽかったら、雰囲気だけでも味わえるじゃない?」だから、もう、手におえない。
 そんな彼女が決めた事に、あれこれ僕が口出す事は出来なかった。
 逆に猛烈に反対したのは、すぐ上の―――ほんのちょっと前まで唯一人という形容詞がついていた感もある、瑞貴だった。今更日本に帰る気などないとか、てめー1人でアフリカでもなんでも行けと母さん相手に食ってかかった。その魂胆には、当然最近出来たばかりのミスイーストリヨンハイスクールの彼女との甘い高校生活があったのだから、怒りも心頭である。
 が、あの母に敵うはずなどない。
 容赦なくイーストリヨンハイスクールに退校手続きを済ませ、マンションを引き払った上でこう言ったのだ。
「日本とアフリカ、さあ、どっちにする?」、と。

 日本に着いたときは、まだかなり不服そうで、人より頭一つ高いタッパを活用して世間に睨みを効かせていた瑞貴だったが、その表情が変わったのを僕はしっかり目撃していた。
 二人のお兄さんたちと、末の弟が現れたときだ。
 僕自身も、あまりに懐かしい人たちに再会した感動でそんなに余裕はなかったんだけどね。だって、十年ぶりの兄弟だ。全然変わってて、それでも全然変わってないところが発見できるとめちゃくちゃに嬉しかった。
 一兄は、昔はすっごく大きかったように思ってたけど、それからあんまり背が伸びなかったようで、僕よりも少し小さいぐらいだった。顔立ちは昔とそう変わってなくて、二重の瞳が記憶と重なる。
 柴紀兄は、相変わらずの隙のなさで、なんというか、お美しい感じ。昔っから美人な人だったから、成長したらこうもなるだろうとい納得する。でも、ちょっと怖そうな感じ。
 加奈は―――別れのときがあんまりちびすぎて、一番成長したなあと思う。それでもまだまだ十分ちびだけど。確か、中学三年生なんだよねえと、ちょっと心配になってくるぐらい華奢な子だ。
 なんだか、めちゃくちゃに嬉しくなってくる。そうだよなあ、僕って、五人兄弟だったんだよなあ。
 母さんと父さんは二日間も離れ離れになって辛かったとか何とか、すばやく二人の世界を作ってラブラブモードに突っ走ってしまっていて、手がつけられない。こうなると、自分たちで再会の挨拶というか兄弟の語り合いを設定しないといけない。でも、なんとなく照れくさくて、僕はこの中で一番慣れている―――ていうか、他は兄弟とは言え十年も離れてそだった人たちだし………あんまり頼りにならないけど瑞貴を振り返った。
 しかし瑞貴はすでに僕の後方からついと移動していた。何事か話し始めようとした一兄の前に突っ立って、言い放ったのだ。
「随分とちっちゃくなったんだなあ、一哉」
 上から頭まで撫でつける始末だ。僕はあちゃーと目を閉じた。
 やってくれた。確かに僕も一兄を「小さい」って思ったんだけど、目の前で言うのは失礼なんじゃないか?それに、頭まで撫でられちゃムカツクもんだろう?更に、あっちじゃ普通だけど、日本では兄弟でも先に生まれた人のことをファーストネームで呼ぶ―――いわゆる呼び捨てはあんまりしないんじゃなかった?
 あああ、せっかくの大事な兄弟再会の場がボロボロ!
 そう思った僕の耳に次に飛びこんだのは、怒ったと思われた一兄の、穏やかな声だった。
「俺がちっちゃくなったんじゃなくて、お前が大きくなったんだよ、瑞貴」
 それは、ずっと記憶のそこにあった「お兄ちゃん」の声そのまんまで、僕はようやく帰って来たってことを実感していた。

 帰りの―――僕たちにとっては行きみたいなものなんだが―――車の中で、僕は加奈から一哉の事を「一兄」、柴紀のことを「柴紀兄」と呼ぶのだと教わった。僕も海外生活が長くて、上の兄弟のことをどう呼べばいいかわからなかったのだ。ま、でも今更瑞貴のことを「瑞貴兄」とか呼ぶ事は出来ないけどね。加奈はそのまんま加奈って呼んでもいいらしい。車中はやたらとはしゃぐ加奈の高い声で、随分と明るい雰囲気が保たれていた。母さんと父さんは別の車で前を走っていた。恋人どうし、睦まじくやってることだろう。
「部屋の事なんですが、しばらくは………父さんと母さんがアフリカに行くまでの間ってことなんですが、ちょっと我慢してもらいますよ」
 柴紀兄がきびきびと助手席から指示する。
「ま、俺が居間で寝起きするから、俺の部屋を瑞貴と葵で使っておくことにしたらいいだろ?」
 運転しながら一兄が言葉をさしはさむ。
「でも、それじゃ兄さんに悪いでしょ。―――前言った通り、とりあえず加奈を僕の部屋で預かりますよ。どうせ父さんたちがいなくなれば、加奈の部屋が兄さんに回るわけだし。加奈もそれで構わないですよね?」
「うん。オレ全然だいじょーぶ!」
 どうやら、今までのように部屋数にゆとりがなくなったため、部屋割りには相当苦労していたらしき様子が窺える。それもそうだろう。僕に、瑞貴に、母さん。一気に家族が三人も増加したんだ。
 部屋割りは、臨時措置として―――母さんたちが出発するまでは、ということで―――僕と瑞貴、柴紀兄と加奈が相部屋。一兄が元の加奈の部屋に一人で収まることになった。
 その後、三月末にとうとう母さんたちはアフリカに旅立った。少なくとも三年、長ければ五年以上は帰ってこれないという。その間も、あまりに距離がありすぎるため、一次帰宅だってそう頻繁には出来ないだろうと母さんは言った。それでも彼女はものすごく幸せそうだったから、僕も笑って送り出した。父さんの腕に絡み付いてる母さんは、十歳は若返ったように生き生きとしていたから。アフリカの大自然のもとでも、元気よく過ごしそうだ。
 そして、母さんたちを送り出した僕らは、もう一度部屋割りを編成しなおして、部屋の大引越しを行った。
 一階。書斎とその横の小部屋(もともと加奈の部屋)の間にドアを設置にして行き来がしやすくなった二部屋が一兄の部屋になった。あとは一階は居間に食堂、台所があるだけ。
 二階は他の兄弟の部屋オンリー。柴紀兄はもともとの部屋をそのまま使い、瑞貴がもとの一兄の部屋を受け継いだ。僕は加奈とこの家で一番デカイ部屋―――父さんと母さんの寝室だった部屋を二人で使うことになった。
 ずっと一人部屋だったから、ちょっと窮屈な気もするけど、加奈とだったからいいかな?
 僕はまだその頃はこの後勃発する”騒動”なんて知る由もなく、なんとも平和に日本のハイスクール―――僕が通う事になったのは、一兄の赴任先の尚学館高校という私立の高校だった―――の始まりを楽しみに待っていたのだった。

 + + + + + + + + +

 それからもう、二ヶ月が経った。
 僕は相変わらず元気だけど、なんだか、最近………ねえ。
「おい、二人とも。着いたぞ、起きろ」
 一兄が普段の声より一割増しで大きめで、ぴしりと一本線の入ったような―――いわゆる公の―――教師の声で僕らに言い遣る。
 もうとっくに起きていた僕は、となりで薄めを開けた兄を見つめた。
 サマになった金髪。我が兄ながら、すらっとした長身で母さん譲りの切れ長の眼。着崩した制服がまたかっこいいんだよね。
 でも。
 バックミラーで一兄の様子が見えた僕は、一兄の心情を思いやってため息をついた。
 う〜ん。そうなんだよね。ここって、”日本”なんだよね。
 一兄もまた、軽く肩を落としているようだった。

                                         
(02 09.04)
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