「青天の霹靂的出会い」 前編
まさしくそれは、青天の霹靂だった。
艶やかな腰まで届く黒髪も、筋の通った鼻梁も、しゃっきりと姿勢の良い立ち姿も、何より意志の強さが現れるきりっとした瞳も………全てが俺の理想どおりの人だった。そして、見たこともないほど綺麗な女の子だった。
私立尚学館高校の入学式。それぞれの出身中学から集まった俺たちは、とりあえず仲間内で固まって一角を作っていた。その、わずか前方に見かけた綺麗な綺麗な女の子。名前なんて知らない。どこの中学の子かも知らない。
だけど俺は、その子に運命を感じていた。きっと、この子は俺に関わってくる。そんな予感。絶対あたってほしいと願いたくなる予感。それは、もしかしたら願望って言うのかもしれないけど。
俺は、とにかく彼女を知らないかと、周りの奴らに彼女を指差した。
そして、得られた彼女の名前。
―――須川桐子(すがわ とうこ)ちゃん。
透明感のある彼女にふさわしい、綺麗な響き。
「桐子ちゃん、か………」
俺、春日悠太(かすが ゆうた)15歳。今日本日、私立尚学館高校一年生になったばっかり。
母親なんかは、なんでこの俺がここら一体でけっこう「イイ」って評価を得ている尚学館に受かったのかってしきりに首をひねったり、奇跡だなんてほざいたりしていたけど、それはきっと、こういう運命だったのだ。
俺と桐子ちゃんは出会うべくしてであったに違いない!
人生15年、俺はようやくにして春の訪れを感じていた。
その頃の俺は、俺の人生を変える、本当の人物の存在なんて知る由もなかったのだ。
入学式を終えた俺は、回りの友人連が絡んでくるのもお構いなしに、一目散にクラス編成が発表されてあるという掲示板に走った。尚学館の新一年は全部で七クラス。その全クラスの編成を記した大幅用紙が掲示されていた。続々と人だかりが出来つつあるそこに、俺は人を掻き分けて真ん前に陣取り、一組からざっと目を通した。もちろん心にかけているのは、俺の名と―――桐子ちゃんの名。この二つが同じクラスにあることを祈りながら、一つずつ名を追っていく。
「あった………」
俺の名。四組にある。俺は少し興奮気味に、その後に連なった名簿を見つめる。………須川、桐子。
………??………な、い?
俺は、今度は丹念に、とくに女子のサ行を何度も往復して見なおした。それでも、穴があくほど見つめても、「篠塚美由紀」の次は「瀬田あずさ」で、その行間には小さな空白があるだけだ。そこに「須川桐子」の記述が入るスペースはない。
「ない〜〜〜〜〜っ!!!!!」
俺は絶望にまみれた叫びを上げた。
その声は、ちょうど真横に突っ立っていた男と偶然にもまったく同じタイミングでまったく同じ台詞で、打ち合わせていたかのようなハモリになっていた。俺の男にしては少し甲高い声と、そいつの割と低めの声で。
びっくりしてそいつに振りかえった。
けれど、振り返った先にはそいつの首しか見えなくて、顔を見るために俺は首を反らさないといけなかった。これってけっこう屈辱だ。身長にコンプレックスがある俺としたらなおさらだ。って、別に俺がめっちゃ低いってワケじゃないぞ。俺だって十分平均身長はあるし………でもそれじゃ、足りないだけだ。
目が合ったそいつは―――って、目が合うって事はそいつに俺は見下げられてるってところがまたむかつくんだけど、そいつは妙に迫力のある面をしていた。睨まれてるんじゃないんだろうけど………初対面でいきなり睨まれたら、まずそいつの人格を疑うけど………なんていうのか、じわっと腹にクる視線。後ろ暗いことなんてこれっぽっちもないのに、たぶん、本気で睨まれたら謝ってしまいたくなる感じ。
でもそれはほんの一瞬の出来事だった。そいつは俺に流し目を送ったレベルですぐさま後方に顔をそむけた。
「同じクラスじゃなくて残念だね」
そう言って、そいつの肩に親しげに手が置かれたから。細くてとても白い綺麗な手。その先を追って、俺の視線はびしっとアロンアルファーをつけられたみたいに固定されてしまった。
その、やたらと親しげな手の持ち主が、俺のヒトメボレ真っ最中の女の子―――須川、桐子ちゃんその人だったのだから。
「ちっ………うるせーよ」
そいつは肩におかれた手を振りはらうと、桐子ちゃんを捕まえてぎゅうぎゅう絞めつけた。首に手を回して締め付ける有り様は、男同士ならさしずめラリアート。やるかやられるかのデスマッチだ。だけど、男と女なら………しかも本気じゃなくて、どうみたってじゃれあってるようにしか見れないそれは………
俺はずぅううううーーーんと暗雲が背中から巻き起こるのを感じた。こいつらって、その、もしかしなくても………
しかし俺が断定を下す前に、その場にもう一人の男が現れた。眼鏡をかけた、頭が良さそうな男。そいつが桐子ちゃんの首にまわされた男の手をやんわりと―――でも、がっちりとその手首を捻り上げながら、桐子ちゃんの首から外して彼女を解放してあげたのだ。その、眼鏡の男は手首をさらに捻って言った。
「桐子にあたるな」
「ちっ………」
背の高い男が憎々しげに舌打ちをする。
「どいつもこいつもうるせーな。別に俺は桐子と一緒のクラスじゃないとかどうでもいいの!そうじゃなくて、俺と桐子が違うクラスで、なおかつ御崎、てめーが桐子と同じクラスなのが大問題なだけ! すげーむかつく。プライドずたぼろ」
「それはお前が悪いからだろ?」
「………手を抜いたつもりはない」
「違うよ、お前の欠席日数が多すぎる。生活態度の加点がお前の場合ゼロだからな。桜坂西中の先生方の最後の復讐だろう」
眼鏡の男―――多分、御崎っていう名前なんだろう―――はやたらとつんけんしたしゃべり方で、でもさりげなく桐子ちゃんに「大丈夫?」って言うときは、めちゃくちゃ優しい声だった。
「まあ、お前はせいぜい下の方であくせくやっていろ。それを俺は楽しく見物させてもらうよ」
「お前相当ムカツクな〜。くそっ、桐子の手を離せ」
背の高い男は御崎から桐子ちゃんの手を引いてさっと手近に寄せた。桐子ちゃんは二人の男の言い争いに、困った様に苦笑していた。苦笑した顔もまた、悩ましげでカワイイ………って!
おい、なんなんだよ、こいつら!?
落ち着いて見ている場合じゃないと、ようやく俺は気を取り直した。そして、思いつくところがあって、もう一度掲示板に目を走らせた。
下とか、加点でゼロとか、プライドとか………それは多分もしかしたら。
六組のところで桐子ちゃんの名前を見つけた。その上のほうには、御崎………御崎恭輔(みさき きょうすけ)の名前。そして―――俺はその組に見知った名を数人見つけた。掛井昇、真竹真治、布川美沙………全員、俺の中学で名の通った秀才どもだ。
なるほどね。
尚学館高校には、トップクラスというものが存在する。それは、入試選抜を優秀な成績で合格した者だけを数十名集めて、レベルの高い授業をやっていくってクラスで、一年にはたった1クラスだけ編成される。そいつらを土台にして、2年になったら理系文系それぞれに1クラスずつトップクラスが設けられるのだが、さすがに進学校だけあって、みんなそのクラスに入れるようにめちゃくちゃ頑張る。入ったら入ったで、他のクラスとは内容も進度もぜんぜん違うので、ついていくのに必死こいてさらに勉強しまくんないといけない。でもその分、他クラスに比べてその大学合格率は―――とくに国公立系への合格率はほとんど90%に近い数字なんだそうだ。………つまり、尚学館高校合格すら奇跡と呼び現された俺には、ものすごく無縁のシステムと、まあ、そういうことになる。
でも、こいつらは。
話の内容から察するに、3人が3人ともトップクラス入りを狙っていたのだろう。それが、桐子ちゃんと御崎って奴だけ選抜されて、この、背の高い男は一人漏れてしまったとそういうことだろう。んで、こいつはさっきからやたらと不機嫌なわけだ。
ふ〜ん。
ちょっと………かなり嫉妬かも。って、別にヤツらの頭がいいってことに嫉妬しているわけじゃない。もう、とっくに自分の学力には見切りをつけているから、そんな風には考えない。どころか、桐子ちゃんって綺麗な上に頭もいいんだなって惚れ直すぐらい。
だから、そうじゃなくて………嫉妬したくなるのは、ヤツらの態度で。
桐子ちゃんと一緒っていうのが当然っていう雰囲気で。
そのうえ、背の高い男も眼鏡の男も、妙に―――認めたくないけど、男からみてもカッコ良くて………桐子ちゃんと立ち並んだ姿がこれまたよく似合ってて。
でも、だ。でも!!
負けないぞぅうう〜ちくしょう!スタート地点で勝負を諦めるような性格じゃないんだぞ!!
俺は、おもいっきりそいつらを睨みつけてやった。その時にはすでに移動して人ごみにまぎれていたヤツらは、俺の視線なんかにまったく気づきはしなかった。だけど俺は、背が高いがゆえに人ごみから抜け出た頭をターゲットに、宣戦布告とばかりにギリギリ睨んでやった。
出会いが突然なら、再会もそんなタイミングで起こるもんだ。
入学式を終え、それぞれのクラス編成に従って、新一年生たちはあてがわれたクラスに入るよう言われた。
俺は2階にある4組の教室に入って、少しわくわくしながら回りを見まわした。だってさ、これが俺のクラスなわけじゃん。一年間、ずっと一緒に居るメンツじゃん。どんなヤツらなんだろーって、期待半分不安半分でいっぱいになる。多分、俺だけじゃなくて、こいつらもみんなそんなこと考えてるんだろうなーって思うし。ざわざわと仲間内で喋りながらも、ときたま周りを見まわしたりする仕草があちこちで見られて、なんか面白い。
そんな、ほのぼのしたクラスに一瞬の静寂が走ったのは――――それは、ガラガラとうるさく開いたドアの音のせいだけではなかった。
それだけなら、視線を一回向けるだけで、またすぐ仲間内のお喋りに気は移っていただろう。かくいう俺だって、クラスの人間ウォッチングなんか忘れるぐらいビックリしていて、そいつに目を奪われていたんだから。
そいつはそのぐらい、存在感がある男だった。偏見がある俺だけじゃなく、クラス中の注目を一瞬で集めてしまうぐらい。
背が高いから? けっこうカッコイイから? ――――いや、違うな。そうじゃない。雰囲気があるんだ。迫力? なんか、近くに居たら絶対わかるって自信がある。………って! なんで俺がそんな自信もたないといけないワケ!?
俺はそいつ―――ついさっき、桐子ちゃんと親しげにしていた憎っくき男にガンたれてやる。そいつが桐子ちゃんと同じクラスじゃない事は知ってたけど、まさか、まさかこんな偶然が起こるなんて!
俺のことなんて覚えてもいない………まあ、一回、目が合っただけだし忘れてて当然なんだけど、ライバルとして不手際なことだ。そいつは俺やそのほかのクラスの連中の視線を気にも留めず、ちょうど俺の斜め前に座っていた男に手招きされてそいつの前の席に収まった。俺が観察するには、ちょうど具合がいい席。ヤツは座る前に一旦周囲を見まわした。睥睨って言葉がぴんとくる感じで、視線を送られたクラスの連中は、慌てて余所へと視線を逃がしていた。皆、それでも好奇心は収まりがつかない様子で、仲間内でこそこそやり始めた。俺もヤツにばれない様に、こっそり観察を続けた。
「相変わらずの唯我独尊っぷりだな」
言ったのは、ヤツを手招きした男だった。ガタイの良さではヤツをも凌ぐ。しかし、ヤツはそいつにめちゃくちゃ不機嫌そうなツラと不機嫌そうな声を差し向けた。
「うるせー、タコ原」
「高原だ、バカ須川。テメーはそんなに桐子ちゃんと離れたのが悲しいのか」
え………?
今、ものすごく何かが引っかかった。
しかし、それを掴む前にヤツらはさらに会話を進めた。
「どいつもこいつも」
「けっ、『あの須川』がトップ落ちとは情けないなぁ〜」
まただ。
須川………?
なんか……なんだ?
………………こいつも須川っていうのか?
もやもやする。ヤツを睨むように見据えて、その感覚を研ぎ澄まそうとするが………
「桐子ちゃんもお前がトップ落ちじゃ、恥ずかしいだろ〜な〜」
「ちっ、貴様じゃまず合格したのが何かの間違いだからな、今からでも遅くないからカミングアウトしろ。んで、貴様に相応しいレベルの高校へ行け。なんなら中学からでもやり直せ、タコ原」
ヤツらの会話の次元はみるみる下がっていって、単なる罵り合いになっていく。クラス中が自分とこの会話なんて放って、こいつらの罵り合いに聞き耳を立てていた。
でも、俺は。
ぜんぜん、そんなことなんかどうでも良くて。
ってーか、そいつが「タコ」でもヤツが「バカ」でもどうでもいいから、聞きたいのはそんなことじゃなくて………!!!!!
気がついたら、自分の席からがばっと立ち上がっていた。
あまりの勢いの良さに、クラスみんなの視線が集まる中、俺はヤツに向かって言い放っていた。
「だから、お前と桐子ちゃんがなんだって!!」
ヤツはゆっくりと、俺のほうを振り向いた。その顔には、赤ちゃんでもわかるぐらいめちゃくちゃ不機嫌そうな表情が張りついていた。
(02 09.21改定)
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