マーブルブレスト



「激動スクエア・1」


 人生で一回はあるという。
 誰でも人生で一度はあるという。

 モテまくるっていう時期。

 ホントにそんなコトあるのかは知らないけど、でも、今のこれが”それ”なんだったら、なんでこんなに大変なワケ!?
 モテまくって首も回んないって実はこんなに大変なことなんだと、俺はその1日でもって、よっく、からだの隅々まで染み渡って実感したのだった。
 年がら年中モテまくりの須川って、実は相当すごいヤツなのかもしんない。


     


 追試を終えて、俺は無事部活への復帰を果たした。来週の末から始まる全国高校総合体育大会県予選会に向けた練習はかなり熱の入ったものになってる。今年はセンターがちょっと……なんだけど、やるところまではやるぞ!!っていう気合がみんなにはあった。もちろん俺だって、やる気なんかチョモランマよりも高くある。でも、こんなに俺がやる気いっぱいなのに、やる気が体の何処ら辺からも感じられない須川の方がバリバリにレギュラーの11番で、俺はギリギリセーフの15番で補欠なんだから、人生って不公平だ。
 何やっても様になるヤツは、ホント何やらせても水準以上をこなすというのの、模範のような男。
 それが須川、鷹也。
 むかつくより前に、カッコイイなーと思ってしまう。
 だって何より、その顔がすごく好きなのだ。すごく綺麗なんだ。ホント、ツボなんだ。
 男に綺麗って、変かもしんないけど、須川は別。須川のは、めちゃくちゃ綺麗な顔だと思う。
 奥二重が少しくっきりなった時とか、まつげが実は結構長いこととか、薄いけど赤みがすっと走った唇とか、顎のラインとかがやっぱり双子なんだよなーとか思うし、でも、桐子ちゃんをこんなにまじまじとこんなに近くから見つめることなんか絶対無理だから、須川が男でよかったな〜とか思う。うん。
 一人で勝手に納得してたら、その間俺にずぅ〜っと真正面から見つめられっぱなしだった須川が、ニヤって、めちゃくちゃ愛想の悪そうな笑顔を作った。部活が終わった直後で、普通なら汗だくのくたくたで顔の筋肉もしまりなんかどこにもない変な顔になるはずなのに、どうして、コイツだけはこんなにいつでも整った顔でいられるんだろう。
「そんなに俺の顔好きか?」
 自分のことを言うのに、須川は全く遠慮がない。さりげなく汗で濡れた前髪をかき上げる仕草もめちゃくちゃ様になってる。
「好きで悪いかよ?」
 投げやりに言う。もうみんな部室に引き上げた後で、体育館には何時の間にか俺と須川しかいなかった。だから、誰に聞かれて困るって事もないし。……べ、別に誰かに聞かれて困るような変なコトなんか言ってないけど。
 俺ははぁあああとため息をついた。それからなんだか、だんだんと眉根が寄ってくる。
 まったく、須川が桐子ちゃんに似てるのが悪い………って、双子が似てて悪いはずないんだけど、でも、ちょっとその顔でそーゆーこというのは卑怯くさい。しかも、須川は俺の気持ち知ってて言ってるんだろうし!
 むっかーっとなった俺の表情がわかったのか、須川は更にニヤニヤと笑いを深くした。
 そして、その顔で言ったのが、
「なら、やるよ。お前にあげる、この顔」
 欲しいだろ? そう言って、須川の顔が尋常でないぐらい近づいてきて、俺の心臓はなんかめちゃくちゃドタバタしてしまった。
「……わ、ちょっ!」
 思わずわたわたと両手を振り回す。
 だ、だって、ヤバい! 須川近すぎ!
 今この瞬間、地震が震度1でも起こっちゃったら、その振動で俺の顔と須川の顔がぶつかっちゃうぐらいの、そのぐらいの位置関係。後ろに頭を引こうと思っても、俺、元々壁に頭をもたらせてたわけだし。しかも、須川の、あの顔だし。どアップだし!………なんか、たまんない。
 ぎゅっと目を閉じた俺の頬に、指の感触――と思ったら、むにーっと両頬を抓んで引っ張られた。
「バーカ。何考えてんだよ、やるか、この武器をよ」
 笑いの波動が伝わってくる。くっそー。言い出しっぺはそっちの分際だろーが!!!
 ………そのうえ、武器とか言うし! 
 あーもう、桐子ちゃんのこととか、須川の顔が好きとか、よりによってコイツに言うんじゃなかったのかもぉおおお!!!
 俺が一人後悔の荒波にもまれているうちに、須川は俺の頬を今度はむぎゅーって真ん中に寄せた。
 相変わらずの勝手気ままっぷり。てか、須川は最近やたらと俺に触る。前は、触ろうとした俺をバシバシはたいたくせして!
 恨みがましく涙目で睨んでやったら、須川は声を上げて笑い出した。そうしてようやく俺の頬を離すと、やたらと清清しい口調で言った。
「そうそう、明日の午後はちゃんと空けとけよ」
 ………むかつくので無視。
「明日部活2時までだろ、だから、その後春日は俺とオデカケするの。わかった?」
 ………?
「はあ!?」
 無視はあっさり自分から終わらせてしまう。
 ちょっと、それ、今はじめて聞いたんですけど?
「わかんないんなら、このままここでイロイロするけど、イイ?」
 確認する須川の顔と声が、なんだか俺をぞわぞわさせる。微妙、声が上ずった。
「………イロイロって?」
「そりゃもう、イロイロ腕によりをかけて」
 ものすごく嬉しそうな須川の声。「イロイロ」の部分がすげーく怪しいニュアンス。俺の生存本能がアラーム音を鳴らしてる。
 よくわかんないけど危険っぽい? 誰も近くにいないのが特に危険度アップだし。何時の間にか肩捕まれてるし、壁際だし………別に、変なはずないんだけど………
 俺はとりあえずぶるぶる首を振ってみせた。
「じゃ、わかったんだな?」
 わかんないけど、ここは嘘も方便とか言うし。
「う、うん」
「よし、じゃーそういうコトで」
 須川は己のペースで話を終わらせてしまうと、さっさと部室方面へ消えてしまった。足取りがずいぶん軽い。俺はその後姿ををジーっと目で追ってしまっていた。
 くっそー、なんなんだよ、もう!
 その軽やかなステップを見ているうちに、だんだん頭に血が上ってくる。
 口車に乗せられたっていうか、脅迫みたいな感じくないか??
 ってか、どうして俺が、須川に合わせないといけないんだよっ! 俺にだって予定とかちゃんと……ん?………あ。
「ああああああっ――――!!!!」
 なんだか呆然としてた頭の中で、須川の言ったことがその時すとんと整理できて、俺はただでさえ反響する体育館の音響効果を最大限活用しちゃうぐらいでっかい声で叫んでいた。
「ああああぁしたの午後ぅ!?」
 明日―――土曜の午後は、大会前にリラックスしろってことで2時から部活は休みになっている。それはバスケ部の慣習らしいのだ。そして問題は、その時間、須川なんかに付き合ってやるひまは俺には全然ない!ってこと。
 実は今日の休み時間のことであるが、高原と打撃系格闘技、K‐1の話でやたらと盛り上がって、気をよくした高原が秘蔵のビデオを見せてくれると約束してくれた、その日時が土曜の午後なのである。
 K‐1と須川………比べるまでもない!
 俺は立ちあがって部室へ走って行った。が、時すでに遅く、ふんふん鼻歌を歌いながら「あの須川」がついさっき機嫌良く、その上お疲れ様でした〜とか挨拶までして出ていったとの皆の報告を聞いただけであった。
 そしてそれが、激動の24時間の幕開けだったとは、その時の俺が知る由は―――もちろん、全くなかったのだった。


     


 ま、いいか。
 結論ははそれ。どうせ、明日の部活で須川とは会うわけだし、その時に断ればイイや。
 そう思いきって、俺は帰宅の途についた。
 5月も下旬、夜の8時前。あたりはすっかり真っ暗で、結構寒い。一回ぶるんって震えて、校舎裏の自転車置き場に急いだ。1年の場所は一番遠いところだから、ここから結構歩く。歩きながら、須川の用ってなんだったんだ結局とかやっぱそこらへんに頭は行く。
 言うだけ言ってさっさと居なくなるし。ま、明日確かめればイイんだけど………
 でも。
 断るの前提で、「用事ってなんだよ」って聞いて、聞いたその口で、「でも俺は先約あるし無理」って言うのって、すっげーやなヤツじゃないか?
 それに。
「須川には借りがあるからなー」
 それも、かなりでっかい借りだ。須川が居なかったら、間違いなく部活辞めさせられてたんだから、それは明るい高校生活を救ってくれた恩義だ。そしてやっぱり、男たるもの義理には、人情でお返しするのが筋ってもんだ!
 高原だって、勉強教えてもらったお返しで御崎にずいぶん盛大に奢ったって言ってたし………俺、そういやお礼言っただけだったような………それって、かなりずーずーしいヤツかも〜〜〜〜〜!!!!
 俺はたらりと冷や汗を背中に感じた。
「断んの、高原の方にしよっかな………」
 ものものすごく未練たらたらだったけど、でも、ビデオはいつでも見れるだろうし。秘蔵で、かなり面白いって言ってたけど………けど、高原がそこまで言うのを重ね撮りするわけないから、すごく見たいけど、いつか見せてもらえばイイし。
 俺は思い切るために、「よし、決めた、決めたんだぞ俺は、決めたったら決めた! 男に二言があるか!」とかなんとか大声で宣言した。人影とかなくて、自分一人だけだと思ってたからそんなに大声を出したのに、言った途端、誰かが俺の肩をたたいた。
 うえー、恥ずかしいよなぁ、ちくしょー!!!
 顔が真っ赤になったけど、周りが暗い分、その赤みがバレないのがせめてもの救い。誰だかわかんないけど、とりあえず振り返った。もしかしたら須川かも知れないとか、根拠もないのにそういう風に考えて―――全然、予想もしない男が目の前に立っていたのでぱちぱち瞬きしてしまう。
「春日君はいつでもどこでも元気だよね」
 くすくす微笑いながら、大人びた話し方をする。しかもそれがしっくりくる。何度か、「君」はいらないって言ったんだけど、やっぱり「君」付けで呼ばれるのがちょっとだけ癪に障る、ヤツ。
 コイツ、ごめんなんだけど、苦手なんだよなぁ〜。
 俺はこっそり息を吐き出した。眼鏡の角度を微修正する御崎を、上目遣いで見つめる。
 うう、頭良くてキレ者で………俺とか、御崎から見たらホントただの「バカ」なんだろうなぁ。TOPクラスってだけで無条件降伏しちゃいそうなのに、御崎はその中でも指折りのダントツにできるって噂だし。須川がコイツの友達で、俺が須川の友達という繋がりがなかったら、俺とか視界に入れなそうなタイプだしなぁ………はあ。
 脱力しながらも身構えるっていう、器用な状態で、俺は御崎に相対した。
「えええと、俺に用?」
「そうだね。用……というか、話をしたくて待ってたつもりなんだけど」
 そう言うと、御崎はくすっと微笑む。でも、眼鏡の奥の目は―――俺にはわかるぞ、コイツ、絶対笑ってない!
 一瞬俺が顔を顰めたのを誤解したのか、御崎は付け足して言った。
「ああ、俺が勝手に待ってただけだよ。でも、だいぶ暗くなってしまった………」
 困ったように小首を傾げる御崎。端から見たら、俺のがワルモノって感じ。
 調子狂うなー。
 この場合、なんて受け答えするのが模範回答なんだろ。ってか、早く帰ってお風呂入って飯食って寝たいんだ、俺は! でも、御崎の”話”なんか、相当気になるじゃんか!! あーっもぉーおおお、
「御崎、別に俺は男だし、門限とかもないし、話があるんなら今でいいよ」
「………いや、あっさり済む話じゃないから」
 更に気にさせることを、伏せ目がちで言う御崎。
 コイツ、俺を試してんのか!?
 や、やっぱ、桐子ちゃん関連の話しなのか………??
 御崎っていったら、桐子ちゃんとお付き合いしたいと思っている男たちの関門の1つだ。最大の関門と第二の関門―――須川と高原と仲良くなってきたから、そーゆーコトあんまり考えなくなってたけど、そうなのだ。桐子ちゃんに近づく男は”容赦なく抹殺”されて来た歴史―――その、一番の立役者は他でもない、御崎っていう噂。しかも、超頭脳派だから、俺が敵うどころか、手も足も出るわけないじゃんかぁああ!!!!
 さああああって、顔の血液が下がる。
 俺、完全にターゲットにされてる?―――されてるのか? そうなんだろ? そういうコトなんだろ、御崎?
 血色を失った顔で御崎に目をやる。こういう時、御崎の眼鏡はやたらと効果的で、街灯に照り返って、キラリと光を放つ。その光に心臓を切り裂かれる、俺。眼球だけがあちこち逃げ場を探してるけど、肝心の身体は指一本動きそうになくて、「―――そうだな」と再び口を開いた御崎のその声に反応してびくりと肩を揺らしてしまう。
「なななななに?」
 完全に声がひっくり返る。のどが自分のものじゃないみたいに制御できない。
「春日君、明日時間取れるかな? 部活―――大会前だから、朝から晩までだったりとかする?」
 穏やかに尋ねてくる御崎。でも、警戒注意報が脳内で炸裂している俺には、その穏やかさだって嵐の前の静けさのように無気味に聞こえるのだ。つばを何度も飲み込んでつっかえながら答える。
「あ、ううん、明日は、部長がリラックスのためって言って、部活2時までなんだけど……」
 でも、その後は高原とか、もしくは須川とか、予定は埋まってるんだけど。
 そう続けようとした俺の言葉は、割り入ってきた御崎のセリフで塞がれてしまう。
「それなら好都合だ。じゃ、明日………そうだな、2時半ぐらいで大丈夫?」
「え………っ? あ、ぃや…」
 だから俺はその時間だとイロイロ用事があってだな……
 しかし、俺の舌は激しく反応速度が鈍くなっていて、頭で思っていることがうまく言葉として作れない。
 もたもたしているうちに、御崎が話を進めてしまう。
「じゃ、そうだな、校門の辺りで待ってるから、そこから場所を移そうか」
 っって、だーから!
「そんな身構えなくても……俺、そんなに怖い顔してる?」
 覗きこむ御崎。
 言われて気付いた。俺の体、めちゃくちゃ硬くなってて。
 怖くはない……けど、迫力はあるってか………眼鏡、が………なんか、冷たそうで――
 しどろもどろってこんな感じなのか??
 御崎の表情の乏しい顔を、じっと見つめて………言いたいことが頭の中で泡みたいにぶくぶく出来ては弾けて消える。両手だけが、俺の意思に反して変に前後左右に小刻みに揺れて。
 ここでなにか言わないと、俺、男として絶対情けない。
 だけど――――
 俺が一生懸命頭ん中で言いたいことをまとめて、でもうまくまとまんなくて、「明日は駄目」は絶対言わなきゃなんだけど、「あっさり済まない話ってなんなんだよ!」とかやっぱり思うし、「眼鏡やめてコンタクトにすれば?」なんていう今はどうでもイイ忠告とか、「御崎の顔は怖いってか、冷たい」ってことを言ったほうがいいのか悪いのかとか、でも、もう、そういうのをきちんと整理して言える自信なんか全然ちっともなくて。
 やっぱり一人でわたわたしている内に、ふぅって深いため息をついた御崎が「じゃ、また明日」と歩み去るのをてぐすねして見守ってしまったりなんかして………
「……ぅううううううう」
 歯軋り。
 はっきり自分のせいなんだけど、すごい困ったことになったんだよな?
 ど、しよ………
 ようやく動くようになった両手で頭を抱える。
 高原と、須川と、御崎。
 ほとんど同じ時間帯に、ちゃんと約束したのと、約束させられたのと、約束ってことになったのと。
 俺はたったの一人なんだけど………うう、ホント、どうしよ。
 両手で頭をかきむしる。
 困った。困ったぞ、ちくしょー!

 でも。
 この時の俺は、最後に最大級のでっかい爆弾が待ち構えていることなんて、もちろんそんな事、まだ予感すら脳みその片隅にもなかったのだった。


                                                       (02 11.13)
「五月病宣告」・後編<<     NOVEL    >>





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