「激動スクエア・2」
どうにかこうにか自転車を乗り回して家に帰って、頭ん中はほとんどパンク状態で風呂に入りながら考えたこと。
何はともあれ、優先順位をつけろってことだ。
俺の場合、なんでもかんでも全部ひっくるめてやろうとするから駄目なんだって、この間須川に言われたのだ。勉強でもなんでも、どれを一番に片付けたらいいのか、どれが一番大切なのか、”選別”しないといけないんだと。でも、お前の場合はそれがはっきりぱっきりマズイのな、死亡寸前、手がつけられん……とかも、その時須川から言われたんだけど!
思い出すとむかつくな……… あー、むかつく。ちくしょー。
俺はばしっとお湯に腕を叩きつけた。そうすると、当然のコトながらお湯が飛び跳ねて顔にびしゃっと撥ねた。
くぅうううううううう……!!!!!
だらだら水滴が顔を伝う。
決めた! そうだ、決めたんだぞぅ!
俺は湯船をザバザバいわせて立ちあがった。一回、大きく震えて身体に付いてた水分を飛ばすと、風呂の扉を乱暴に開いて脱衣所に出た。適当にタオルで身体を拭うとTシャツにトランクスだけで自分の部屋に戻った。
思い立ったが吉日って、それの”吉時”バージョン。だって、ぐずぐずしてたらまた悩んじゃうし。
決めたったら、決めたんだ!
高原――は、ホントは一番最初に約束した先約なんだけど、ある意味一番後回しにしていいし……だから、今度!
そんでもって御崎。―――もったいぶっておいてつまんない話だったら眼鏡を取って逃げてやる!
お前なんか道にでも迷って困ってしまえ!
で、須川なんか、アイツから勝手に言ってきただけなんだから、俺が悩む必要なんかないもんね、だ!
そ、そりゃ……イロイロ、思うところってヤツは無きにしも有らず……いや、あるのかもなんだけど、それはそれこれはこれ。俺から、「この間の礼したい」って言ったわけじゃないし………い、今まで言ってなかったコトのがいけないのかもしんないけど、明日はとりあえず駄目なの。俺もう決めたの!
やっぱ御崎の「話」って気になるし、気になる言い方するし………須川にはいつだってお礼できるんだし。
まだぼたぼた水を垂れる頭にタオルをおっ被せて、そして制服のポケットに入れていた携帯を取り出した。
この間、須川がムリヤリ俺の携帯に自分の番号を登録したのである。「なんかあったら電話入れろ」って言ってたけど、その「なんか」ってなんなのかわかんなくて、「なんか」がないから電話はまだしたことが無かったけど………
「………こーゆーのが、『なんか』でイイのかな?」
半信半疑だったけど、一番手っ取り早い手段だし、善は急げって言うし。
俺は須川の番号を呼び出して、受話ボタンを押そうとした。
ちょうどその時――――家の電話が鳴る音がして、
「ゆーたー! あんたに電話。須川って子よ!」
1階から母親のご近所迷惑すれすれの大声が聞こえてきた。
「………ん?」
うわ、以心伝心?
ビックリして、でも、なんで携帯じゃなくて家電の方なんだよとかなんとなく頭に来たりした。だって、須川、自分の携帯にもちゃっかり俺の番号入れてたくせに。俺には携帯に電話しろ、とか言っといて。
なんかむかつくよな〜!
肩透かしされたみたいで、癪だ。携帯をベッドに投げ捨てて、「今行く!」って怒鳴ると、俺は部屋を出て階段を降りた。両親が居間に居るのを確認して、台所の方の子機で取った。
「なんだよ須川?」
いきなり不機嫌モードで切り出す。
ホントなら、コトのついでに明日のお断りもしないとだから、もっと下手に出ないといけないんだろうけど。その時はあんまりそういうコトが念頭に無くて、ただ単純にむかつきのまま舌が動いてて、そして、次の瞬間、その舌がかちんかちんに固まってしまっていた。
「………かすが、君?」
己の鼓膜を一瞬疑う。
………
え?
ええええええっ?!
この、鈴を転がすような、電話線を伝って滲み出てくる気品溢れるような、それでいて理知的な響きも内包された、可愛らしい声の持ち主は………そりゃ当然、須川なんかじゃなくて。
「うぅええええええええええええ!!」
心臓が、その途端飛び上がった。たぶん、今、一瞬、血圧がメーター振りきったはず。
脳みそに血がのぼって、目の前がチカチカする。
お、落ち着け、俺。
これはなんというか、なんでなのか、なんかの間違いなのか。
………
息をどうにか吸い込む。
電話の相手は、こちらの様子を窺っている感じで。それが無音なのに、痛いぐらい鼓膜を刺激する。
「………とうこ、ちゃん?」
声がめちゃくちゃに震えながらも、ようやく確認の言葉を口に出せた。確認―――しなくても、声だけでわかったんだけど。でも、確認しないと俺の脳みそがうまく現実を認識できそうに無かったから。
「そう、だけど………突然、ごめんなさい」
電話越しでも、桐子ちゃんがホントに謝っている様子がわかった。
「えっ……あっ、あ! ごごごごごめんはこっちの方っす!」
って、俺叫ぶし。
喚くし。
とうこちゃん、とか親しげに呼んじゃったし。
ああああああああ、パニクりそー。脳みそ回んない。息できないし、足がくがくするし……
受話器を持つ手なんか、風呂入ったばっかりなのに緊張で先端が青白く血色を失って………
正確に自分が何を受け答えたかなんて、ほとんど覚えていない。
ただ、ひたすら、「そんなことないっす」「いや、大丈夫っす」「平気っす」とか繰り返しているうちに、桐子ちゃんは最後にこう言って電話を終わらせていた。
―――「じゃあ春日君、明日の4時に駅前で。ホントに突然でごめんね」
はあぁあああああ。
ため息とかじゃなくて、ただもう肺にたまりに溜まった息を長々と吐き出す。
母親が居間の方から、「お夕食は自分で温めて食べなさい〜」とか言う声が聞こえてきたけど、そんなの無理。飯なんか喉通るハズない。てか、胸いっぱいで、なんにも食べられません。
………あああああ、ううううう!!!!
手も足もじたばたしてしまう。
だって、あの、桐子ちゃんが!
俺と!
わざわざ電話までかけてくれて!
俺と、この俺と!
「お、お話したいって………!!!!!!」
嘘じゃないよな? ユメ幻とかじゃないよな?!
とりあえずお約束で自分の頬を叩いてみて、痛くて、その痛みが更にドキドキを高めまくる。有頂天?
うん、そうかも。だって、桐子ちゃんが俺とお話したいって言ったんだぞぉおおおおおお!!!!
家から飛び出して、近所中に走って触れ回りたいぞ、ちくしょー!
「……めっちゃカワイイ声だったよなぁあああああ」
それを、この3分間ぐらいは俺が独り占めしてたのだ。
これはものすごいことだ。その上、明日には電話じゃなくて直接会って、イロイロお話しちゃうのだ。
「うっ…ぎゃああああああああ!」
すげえ、すげえドキドキするぅ!!!!
なんか、雲の上を歩いてる感覚で、フラフラしながらどうにか俺は自分の部屋のベッドまで歩いた。倒れこんだ時も、あんまり幸せ過ぎて、そのまま意識が飛びそうだった。頭の中で、さっきの桐子ちゃんのセリフがじわじわ蘇ってくる。
電話を介してるとは思えないぐらい、すごく綺麗なカワイイ声で。
―――突然ごめんなさい、でも、ちょっと春日君とお話したくて。
ああああ、こーえーっす!
―――ホント、いきなりだよね。でも、春日君のこともっと知りたくて。
ぶっちゃけどこでもなんでも全身全霊お教えしまっす!
―――電話番号、鷹也のクラス名簿を勝手に調べちゃった。
言っていただけたら、住所に生年月日に血液型も戸籍謄本でもなんでも提出したのに。あーもー、「ちゃった」なんて、すっげえカワイイ言い方だぜぇえええ――――!!!!!!
―――鷹也が言ってたんだけど、明日の部活2時で終わるんだよね? できたら、私、その前にちょっと用事があったりするから、4時ぐらいから会えないかな?
4時4時4時! 完璧に余裕で全然最高に、大丈――――――ぶ………
………、………、
………大丈夫?
そこで、脳みその妄想モードが突然パシっと切り替わった。視覚がやたらとくっきりなる。
「…じゃ、ねぇええええええええええ!!!!!!!!」
今日何度目かわかんないけど、多分一番顔が青ざめたと思う。ベッドから飛び起きる。が、今更口から出した言葉は戻ってこない。電話ではっきりくっきり大丈夫と言ってしまった。その時は無我夢中だったけど。
でも。
大丈夫って、大丈夫なわけないじゃんかぁあああ!!!
ああああ、桐子ちゃんに舞い上がって脳みそグルグルで、俺、更にとんでもないことになってない?
ほとんどおんなじ時刻に、ついさっきまで3つの約束がバッティングのはずが、4っつになった………その上、そのうち1つは俺としては絶対に優先したいワケで。
「あ〜〜〜〜〜〜〜どどど、どうしよぅ〜???」
頭をかきむしる。自分の頭の悪さがこの時ほど、心底、呆れたことなんかなかった。須川が言ってたとおりで、入ってきた情報を整理整頓できてないから、後からワケわかんなくなってくるって。だから最初からきっちりまとめておけ、出来ないならこれだけは重要っていう優先順位をつけて対応しろって………
でも、でもでもっ!
優先順位………って、俺が、そんなの俺がつけていいの?
だって、俺が悪いのと違う?
ち、違うくないよなぁ。俺が、その場でちゃんと断ったり、説明したりしないで、とりあえず全部OKしたようなもんだし。
あああああああ。うううううううう。
俺はその場に居ない4人に向かって、でも気持ちを落ち着かせるために、手を合わせてみた。
俺のあんまり皺がない脳みそじゃ、考えられることなんかたかが知れてて。一番イイ手があるのかもしれないけど、そういうの全然思い浮かばないから。
ごめん、俺、ワガママになる。
その内の、何人かに特に念入りに謝ってみる。
ごめん、俺、イロイロ優先させる。
ごめん。ホント、ごめん。
「ああああああああああああん?!」
めっちゃくちゃ尻上がりの須川の返答に、俺はびくりと肩を揺らした。俯いた視線が、更に下へ下がる。とても須川の顔を直視なんて出来なかった。
「……あ、だから、その、埋め合わせ、するし………その、いづれ必ず」
もごもご口の中で言うから、ただでさえ小さな声が更に聞きにくくなる。須川の気配がますます怒り模様に渦巻いて、俺の首根っこを押さえつける感じ。部活が終わったばかりの部室で、普通ならわいわいがやがやなるはずなのに、みんな俺たちを避けるようにさっさか帰ってしまい、ああああ、誰も助けてくれそうにない。残ってる奴らも遠巻きに不干渉を決めこんでる。壁際に追い詰められて、俺は途方にくれていた。
「どーゆーことだよ?」
赤いのじゃなくて、青い方の炎を連想させる須川の声。あっちの方が実は温度高いっていうけど、ホントそんな感じで。
「あ………その、先約あったの思い出して」
先約―――の高原に時間を割くつもりはないんだけど、一番まともないい訳だし。
が、須川の怒りはそんなコトでは全く解けてくれなくて。
「ああぁん?? じゃ、何か、先約とやらを優先して、俺との約束は無視か?」
壁に俺の肩を押し当ててそういう須川は、噂どおりの「あの須川」って感じで………そう思ってしまった自分にむかついて、俺はごにょごにょ口の中で悪態ついた。
だって、須川が勝手に言ってきたんじゃん。
その言葉は、はっきり口に出してなんかいないのに須川の耳には聞こえたみたいで、舌打ちをされる。途端、肩を掴む腕の力が本気のモノになった。ぐっと背筋までクる須川の握力に、俺は小さくうめいた。
「お前、むかつくな」
低い声。
「頭キた」
耳元近くで、言われて、ぞっと冷たいのが全身に走る。
び、びびってなんか!
雷みたいのが頭の中で軌跡を描く。
俺は火事場のくそ力を発揮して、俺よりかガタイがはるかにイイ須川を押しのけた。ギッと睨みを入れる―――入れようとして………
え?
声で判断した須川は、めちゃくちゃ怒ってそうに思えたのに。絶対、眉間とか額のいろんなトコロに怒りマークを浮き上がらせてるって思ったのに。
その、引き絞られた眉が、怒っているっていうより辛そうで、キつそうで。それは、怒ってるよりもずっと心にぐさりと突き刺さる、そういう表情で。
なんだか、すごく激しく動揺してる自分がいて。
何か考えるよりも先に、押しのけた須川を更に両手で跳ね飛ばして、部室から走り逃げていた。
その背に、須川の声が突き刺さったけど、振り向けなかった。
おいっ、とか、くそっ、とか。そういう言葉の最後の最後で、可聴距離ギリギリで耳に届いた須川のセリフ。
―――待ってるからな!
優先順位とか、勝手につけた俺が耳にしたらいけなそうな気になって。
必死になって、走った。
闇雲に校舎とか校庭とか走り過ぎて、息切れしながら校門にたどりついた。
そこには、待ち合わせた通りにちゃんと御崎がいて、「やぁ、早かったね」とか爽やかに言われて、俺は何も返す言葉なんて持ってなかった。
俺は多分、今、世界中で一番ヤなヤツだ。
そういう確信が頭を占めてて、苦しかった。
(02 11.15)
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