「後ろの正面X−エックス」 中編
マジでイイ。おい、どうするよ。この俺がこんなササヤカなことでこうも心踊らせるなんてなあ!
人間変われば変わるもんだな、おい!
いや、しかしだ。
我ながらホントに良くやったと、タイムマシンでも発明してあの時の自分を盛大に誉めてやりたいところだ。
マジで俺の丸儲けだな。
振り向けば斜め後ろに悠太がいる。でもって、一日中、ずっとそんな風にコイツが俺の後付いて来る。まるで忠犬チワワみてぇに。
あああああ、悪くねぇ!!!
悪くねぇぞ!!
飯を終らせて、ちょうどイイ時間だったんで予定の映画を見ることになった。
一昨年に結構ハヤった超大作の続編という、いかにも金かけてドカバタ大立ち回りしてくれそうな映画。最初と最後と派手なところだけ押さえとけば、ほぼ内容も映画的面白さも味わえるという―――要は頭を使わないで楽しめる、実に悠太向きの映画ってことだ。
俺としては映画なんかで貴重な時間をツブすのははっきり言わなくても嫌だ。だがまぁ、どちらかというと本日のメインイベントに近い映画鑑賞をヤメにすることも出来ねーし、ま、何より、横でコイツがこんなにワクワクしているってのに、それを無下にも出来ねぇしな。あー、相変わらず優しい俺。
隣の席の悠太にチラリと視線を送る。
「―――何、そんな楽しみなワケ?」
密かにパンフまで買って―――でも内容わかっちゃうと嫌だからとそれを抱き締めてにこにこしてる悠太にやや呆れ声で言った。
「ええっ、だって、前の話で主人公があんななって……世界はもっと危なくなったカンジで……気になるじゃん!」
あいかわらずのピントのボケ方で、何を言いたいんだか不明瞭極まる悠太の回答。「あんななって」と「危なくなった」という悠太的解釈がどれだけ製作側の意図と合致しているのか問い質してみたくなる。
ま、んなツマんねーことでコイツのご機嫌ににへらにへらしてるのを壊したくもないな。
その横顔に視線を固定しながら、俺は身体を心持ち悠太に向けて、違う質問を投げた。
「……前作はオマエ映画館で観たのか?」
「第1作? ―――ううん。ビデオ。なんで?」
「―――べっつにー……」
存外に狭い―――狭すぎる映画館の座席に深々と身体を倒しながらつぶやく。少し顔を横に傾けただけで、悠太がこんなにも近い。今日であるならそれは絶好のシチュエーションだけど、過去のあらゆる時点でそういう座席構造が気に食わなくなっただけだ。俺以外がこんな近いところでコイツの隣にいるなんて、当然ムカツクに決まってる。
あー、クソ、調子狂うな。
髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。時間を確認すると、もう、上映時間になっていた。
ふと思い立って、手を伸ばす。その瞬間、館内の照明が落とされて近日放映予定映画のCMが流れ始める。
「あ……」
そう小さな声が聞こえたのは、館内でもきっと俺だけだっただろう。もうすでに両サイドの特大スピーカーからの大音量が館内を満たしていたワケだし、でもってこの俺が悠太のそんな声を聞き損じるワケもまたないのだから。
俺は悠太の横の空席に放っておいた財布を取る手を止めた。
声に振り向くと、悠太の座席を覆うようにして取ろうとしていたせいか、やたら悠太が近い。近いが、近すぎてスクリーンからの反射まで自分の身体で遮っていて、悠太の表情が一切見えなかった。
「―――何?」
訊ねたのは、だから事務的な口調。けれど答えたのは、すごく慌てた風の悠太のわめき声で、
「なっ、なんでもないっ!!」
何でもあること請け合いの断言をするなというのだ。
財布に指だけ掛けて、俺は全体的に悠太に向き直った。そうすると、悠太の座席を完全に覆うような体勢になる。
「何? 俺が近すぎて緊張した?」
にやにやと、悠太の視界を自分で覆い尽くす。今更だけど、コイツって俺の顔が”大好き”なんだよなぁ!
「……んなワケあるかよっ!!」
声震えてんだけど。
「顔赤いし」
「み、見えてないくせに言うな! 須川なんかめちゃくちゃ邪魔なの!! 全然スクリーン見えないだけ!!」
さらに喚きちらす悠太。その姿にニヤリと口角が上がってしまう。
「ほう。そんな口を利いてイイと。今日のホストは誰で誰を歓待しなけりゃなんないんだっけ?」
「ううううう〜〜」
「しかもだ。情け深い俺が、ジュースぐらい奢ってやろうと思ったのに邪魔だと」
「……うっ」
座席に縮み込まった悠太が詰まったようにびくんと震えた。それがまたあんまりカワイクて、思わずその頬に手を伸ばす。
で。
「へぇ……」
見えはしなかったけれど、確かに指先に感じ取れたのは、体温が高めっていうのでは説明がつかないぐらいの頬の熱。
「……なるほどねぇ」
そう囁いた時には、すでに座席から立ちあがっている。「勝手に触んなーっ!!」な〜んてあたふた慌てる悠太などその場に捨て置いて、俺は自販までのんびりと歩を進めた。ま、あとしばらくはCMだろうし……。
ホールで通常の自販より割増のコーラのボタンを押す。その横を時間ギリギリで慌てた風の男女が急いでいた。それを横目に、自販に寄り掛かりながら俺はゆっくりと息を吐き出した。
その体温を思い返しながら、右手がしっかりと拳を作る。口角はさっきから緩みっぱなしだ。
先日からの疑いめいたモノが一気に自分の中で形を為していっている。
それがたとえ、俺の強引な決着だとしても。―――いや、この俺サマが、んな弱気になってどうするよ!! モトからわかりきった、そうなるべくした展開ってヤツじゃねーか。
これはどうやら、とんでもなく”悪くない”状況になってきているようだった。
さて……と、映画なんか全く上の空で俺が考えたのは、いわゆる今後の戦略構想。
はっきり言って悠太に期待なんか出来ない。
この俺が「女の子に優しくしてあげるイイ人」だからモテるなんて考えている時点でダメ過ぎる。そんな面倒なこと、今まで一度だってしたことあるか。俺にそんなことをさせるのは悠太、お前だけなんだと、肝心のそこに全く気付いてない。頬を赤めるだけ赤めて、たぶん絶対にアイツの事だから、その理由にだって気付いてねーんだろうし。思い付きもしてねぇんだろう。
どうしてやろう。そんな、けっこう横暴な気持ちと――― 一個ずつ教えてやりたくなるような、そんな生温い感情が交互に入れ替わる。
まー、この俺も自分の気持ちってのを持て余してるってことだ。
だから――――と、映画監督の思うがままに笑ったり驚いたりと忙しい悠太に視線を流した。
お前があんな風に少しでもなびく素振りを見せたなら。
いや、それどころじゃねえな。
そうだ、それこそお前が俺の前で少しでも油断したんなら。
――――まぁ、その時はその時。覚悟をしとけと、そういうことだ。
そして機会は、思ってもみない素早いドライブで俺の方に切り込んでくる。
本日夕暮れ抜けた宵の口真っ只中。俺の家俺の部屋俺のベッドのその上に。
手を伸ばせばそこに宝がある。
据え膳を食うか、食わざるべきか。
男にとっての究極の二択が、その時、俺の目の前に到来していた。
映画も観終え、なんだかんだで俺の部屋に落ち着いた―――のは確か、コイツが7時からのBS・NBAマッチを一緒に見ようだとか言い出したのがキッカケだった気がするんだけど!
「……あのなぁ」
抱えたアクエリの1.5リットルボトルを脱力のあまり落としそうになる。それと両手にそれぞれ握っていたグラスをとりあえずは足元に転がして、俺はいま一歩悠太に近づいた。
ま、確かに疲れた顔はしてたし、俺も一日中サマザマ連れ回した覚えが無きにしも有らず。
しっかしまぁ、こーいうのはいかがでしょうねぇ。不意打たれまくり。フェイクを3本まともにキめられた気分だ。ホント、マジで脳天にダメージがクるって、おい!!
「悠太!」
声掛けと同時に軽く肩を揺さぶる。それでもコイツは起きる気配すらみせねぇ!
それどころか、俺のベッドの上で掛け布団に半ば沈みながら、ほんの少し口が開かせて。そこからすやすやすやすや規則正しい呼吸音まで立てて。まるっきり平和な顔しやがって。
ホント……なんてまぁ、罪深い寝顔だよ、クソっ!!
「……寝てんなよ」
呟いたのは、どこか攻撃的な声だった。
そうだよ、ったく、これが罪のない顔のはずがない。ないなー。ないよなぁ!
俺の部屋の俺のベッドで俺の前で寝てる。狙ってるとしか思えねー。
昼間にあんな反応見せて、で、そういうことするか?
あ?
「誘ってんだろ?」
ベッドに腰掛けて訊いてみる。いや、そんな生易しくはねーな。どっちかっていうと、威嚇してるレベルの低い声。探るように腹から出す。なのに返事はぐーぐー寝息だけ!
おいおい、これはどうやら間違いねーのか?
ドシンとベッドを揺らすほどに体重を掛けて、悠太の顔の両脇に手をついた。もう一度、はっきりと区切るように訊ねる。
「おい、オマエ誘ってるようにしか見えねーんだけど?」
囁くどころか、目を覚ませと言わんばかりにデカイ声をだしてみる。
飲み物持って来てやるから待てとは言った。確かに言った。でも、寝ろとは言ってない。言ってないな。だってのに、人の部屋の人のベッドでムジャキに寝息を立てるとは何事だ、ったく。
「おい、どーすんだよ」
ペチペチ指の腹で頬をたたいてみる。
「オヤジもオフクロも桐子もいねーんだぞ、今日は」
そうだ。それも俺はちゃんとコイツに言ったはずだ。
BS見るってコトで帰ってみりゃ、家ん中はもぬけのカラ。部屋に置きっぱなしにしていたケータイを確認してみたら、案の定、オヤジ達と外で食べてくるって桐子からのメールが入っていた。そのメールも、見せたな。
つまりだ。状況的に完璧な状態であることは、互いに了承済みだということになるワケだ。
「しかも、明日は日曜だし」
そんな状況下で、いかにもヤっちゃって下さいとばかりに据え膳よろしく寝てる悠太。薄く開かれた口が、妙にエロい。
ごくりと喉が鳴った。
そっと、今までの荒い仕草が嘘みてぇに恐る恐る悠太の頬に指先を触れさせた。
「……ん」
その途端、ちいさく声を漏らした悠太に、俺の中の最後の防波堤が決壊してしまっていた。理性がマッ切れる。
そうだ。
どうやらこの状況は、そういうことだ。
すべての事象が俺にヤれといっている、そういうことだ。
それがたとえ俺の曲解だとしても、補完の余地ならいくらでもある。
「……そ、だな」
そうだ。
俺は元々お前のモンなんだから、いくらだって期待する。お前が少しでも素振りを見せたなら、限度なんか振り切って拡大解釈してしまう。俺の部屋の俺のベッドで俺を前にして、んな顔して寝られたら―――都合良く考えちまう。
愛してるとか、好きって言葉なら、いくらだって望むほどにくれてやる。
アツク染まった頬、今んトコロ、あの感触だけが俺の手がかりなんだけど。
それでも、しっかりとその体温は俺の指先に残っている。
俺はお前のモンだけど、お前も俺のモノになる。そんなとんでもねーぐらい強力な誘惑に逆らえるはずがない。
お前のその熱も、指だけじゃなく身体全体で感じたいって。
躊躇みたいなのは、そんな気持ちの前にあっさりと吹き飛んでしまった。
「悠太……」
頬に触れさせた指を、包みこむような形に変える。指先がかすめた睫毛の先がさわさわと揺れた。
次にその目が開けられた時―――そう、次にお前が目を覚ました時、そばにいるのはこの俺だ。
他の誰でもない、この俺だ。
今からする。 今、そう決めた。
切れた理性のわりに冴え渡った頭でそう考えて――――俺は、ほんのり開かれたその唇に口付けを降らせた。
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