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991230

スノーボードたのしー。春夏秋と引きこもり、冬に本領発揮する2月生まれの俺様です。しかし楽しくないこともあって、スキー場までの道のり往復4時間、ずっと浜崎あゆみとELTを聴き続けなければならない。何だよELTって。バカじゃねーの。EL&P聴けよ、エマーソン・レイク&パーマー。
ちゅうわけで2000年の僕の目標は、プログレの復権。来年あたりキングクリムゾンの新譜出そうだし。
2000年の幕開けと同時にピンクフロイドの『原子心母』をかけておごそかな気分って悪くないかも。

さてさて、今年も色々なことがありました。激動の99年。個人的にみても、サイト開設、サイト閉鎖、サイト復活、ホソキン効果、ホソキン効果終了、などなど。
しかし良かった事も悪かった事も、良い事をした人も非道の限りを尽したした人も、全ては2000年問題の下、平等に御破産。核爆弾が飛び交い原発がメルトダウンする中、ライフラインは途切れ、蓄えも尽き、不安に慄き右往左往する難民ども。ドラゴンヘッドまであと少しですね。最終回どうなったのかまだ知りません。単行本楽しみ。

それではまた来年お会いしましょう。よいお年を。



991228

オラ!誰だ、メールフレンド募集のとこに俺のメールアドレスとホームページのアドレスのせたやつは!
メール2通来たじゃないか。どーすんだよ。

というわけでyukiさんとちえさん、一応返事書きますがメル友は募集してません。ごめんなさいね。
それにしても誰が何の為に?愉快犯っていうのか。ていうか本物かコレ。



991227

全身筋肉痛。しかしそれは以前のように歩き過ぎに拠るものではなく、スノーボードをしたために起こった筋肉痛。よってその痛みも、精神的苦痛を伴う痛みではなく、生きていることを実感できる痛み。僕は今充実感で一杯です。生きる喜びを感じています。

そんな自己啓発後のキラキラした僕の目から見て、以前の日記の何と曇っていることよ。おぞましい限りです。友人の3人目の嘘彼女がまた飽和状態に近づいていようと、どーでもいいじゃないか。

そんなわけで今日からマイナーチェンジ。
タイトルは『にかたま日記』に変更。日々の、のほほんとした光景や微笑ましい出来事を書き記して行きたいと思っています。

第1回

 まな板を包丁がたたく音で目が覚める。義姉さんが朝ご飯の支度をしているようだ。兄が1ヶ月間出張に行っている間、僕は用心棒として義姉の家で生活している。義姉は精神的に弱く、人に依存していないと生きていけないみたいなところがあるので、兄も心配だったのだろう。丁度僕は暇を持て余していたので兄の頼みを快く引き受けた。報酬は仙台名物萩の月。僕はこれに目がないのだ。

*


 「義姉さん、今日のご飯は」まで言って僕は言葉を失った。まな板の上には何ものっていないではないか。義姉はただ包丁をまな板に叩きつけているだけだったのだ。
 「ちょっと義姉さん、やめなよ」
 僕はそう言って義姉の手を抑え付け包丁を奪った。僕を見た彼女の眼はドロリと濁っていた。
 包丁を奪い取った勢いで義姉は倒れこんだ。が、すぐにムクリと起き上がり、服を脱ぎ始めた。雪のように白い肌が露になった。クネクネと体をくねり、僕の足に絡み付いてきた。媚態をついているようだが顔は無表情のまま。その様子は、この世のものとは思えないほどグロテスクだった。
 僕の中に、ムカつきと同時に別の衝動が込み上げてきた。何かがハジけた音を、僕は聞いた。

*


 「ここはジョイ・ディビジョンではない!」
 僕はそう叫ぶと、横に転がっていた包丁で何度も何度も義姉を切り付けた。白い肌が、やがて真っ赤に染まっていった。足に絡み付いていた手も、力無く床に落ちていった。しかし義姉の表情には悦


あー、やっぱダメだ。


第2回

 小学生の時のこと、通学路とはやや離れたところに広場があった。そこで僕らは野球をしたりバカ話をしたり、時にはケンカをしたりした。すぐ仲直りしたけれど。
 その日も僕らは野球をしようと広場へ行った。昨日まで何も無かったその場所には、建築用資材が積んであった。入り口には柵が立てられていた。僕らの広場は立入禁止となってしまった。

*


 数ヶ月後、その場所に工場が出来た。しかし誰もそれが何の工場なのか知ることは無かった。親に聞くと、近づいてはいけないと言われた。
 ある日の通学途中に、一つ上の友達が得意気に僕に教えてくれた。
 「あれはお菓子を作る工場なのさ。俺は工場の人にアメとチョコを貰った」
 噂はすぐに広まった。学校中のやつらがお菓子欲しさにその工場の前に集まった。僕も、日が暮れてみんなが帰った後、親には犬の散歩と言ってその工場の前に行ったが、誰一人お菓子を貰う事は無かった。

*


 1ヶ月後、親の都合で僕は北海道に引越しをした。その後20数年間、工場のことを思い出すことはほとんど無かった。一度だけ、お菓子の噂の元となった友達がその工場に勤める事になったと年賀状の端に書いてあったのを見たが、別に気に留めることもなかった。

*


 先日、ニュース速報で核燃料加工施設が事故を起こしたことを知った。そこは僕が昔住んでいたところだった。重態の人が一人いると言っていた。その人は僕の一つ上の友達だった。結局彼は助からなかった。お菓子工場で人が死ん



ダメだー。しかも嘘だし。面白くもないし。



991225

今朝、録画しておいた明石家サンタを見ている時、虚言癖の知り合いから電話がかかってきた。その第一声
「あー頭痛ぇ」

お前それ中2並の嘘な。イタくて突っ込めないよ。
彼が「頭痛ぇ」で言いたかった事は「俺は昨晩看護婦の彼女と楽しいイブを送ってついつい飲みすぎちゃったよ。でもお前は家で寂しく過ごしてたんだろ」なんですよ。でもこいつ本当は彼女なんていないんですよ。こんな嘘ついて悲しくならないのでしょうか。困った事に、嘘ついた後自己嫌悪ではなくて勝ち誇るんです。キチガイなんでしょうか。

僕はこんな嘘を4年間聞き流し続けるという苦行を行っているが、今日のが一番こたえた。クリスマスネタは辛いわ。これに比べれば、「内田有紀と食事した」なんて笑って過ごせる。
僕のリアクションは4年間変わらず「へぇー」と聞き流すのみ。たとえ「おじさんから貰ったお年玉は、帯のついた20万円の札束」という報告を受けようと。



991224

物凄い勢いで受験勉強をして大学に合格するも、その後四年間を親の期待に背いてモラトリアム期間として過ごし、卒業を控えても就職が決まらず、合格した時はあれ程喜んでいた親が最近自分を金食い虫扱いしだし、もはや家に居場所は無く、そんな時に大掃除を頼まれても断れる筈は無く一日中風呂場で湯アカと格闘している皆さん、お元気ですか?

僕はクタクタです。

さて、クリスマスイブに更新なんて寂しいしバカらしいしでやってられませんが、「クリスマスイブに更新しないのは、本当は暇なのに色々予定が入ってると思わせるためじゃねーのか」とか思われたら嫌なので(被害妄想)更新します。

大掃除。1年の汚れを取り除きます。新しい年を清々しく迎えるためには欠かせないものですね。それにしてもまぁ、今年の汚れの頑固なこと。汗だくで擦ってるのに取れやしません。汗をぬぐいながら思いました。
「クイックブライトがあれば」
あ、そうだ。今日はクリスマスイブぢゃないか。プレゼントにクイックブライトを頼もう。丁度SEIYUで安売りしてるし。汚れが取れれば僕も親も大喜びの筈。ママー、クイックブライト買ってー、と親に頼んだら睨まれました。あ、僕に出す金は無いのですか。そうですか。オレンジグロスでもいいんですが。クレンザーで十分ですか。あ、はい、そうですね。わかりました。掃除続けます。いえ、とんでもないです。不満なんて有りませんよタダでご飯食べさせてもらってるんですから。

というわけで、これからタイルの目地のカビ取りです。21歳のクリスマスイブはカビキラーの香りとともに過ぎ去って行こうとしていますよ。それもまた良し。



991223

クリスマス前夜特別企画

■今日は僕の悩みに答えてもらうため、HotDogPress「試みの地平線」でお馴染み、ハードボイルド作家の北方謙三先生に来て頂いています。先生、よろしくお願いします。

さっそく相談なんですが、先日友人から「女の子紹介する」と言われたんです。彼女が出来る事はとても嬉しいんですよ。でもその子、僕の家からメチャクチャ遠くの田舎に住んでて、50分に1本とかの電車を2回乗り継いで会いに行かなくてはならないんです。面倒だし断ろうと思っても、何故か執拗にくっつけようとするんです。延べ5時間は説得されてます。そのくせ写真も見せてくれません。いくら聞いても「(顔は)普通だから大丈夫」「お前の幸せのためだ」しかいいません。僕はどうすればいいでしょう。先生の意見を聞かせて下さい。

▼一度会えばいいじゃねえか。その前に何人かの女とやって度胸をつけろ。ソープに100回行き、ナンパを100回し、SEXなんて握手程度のものだと思えるようになれ。とにかく変なこだわりを捨てて、まず一歩踏み出してみろ。金玉をギュっと締め上げろ。さもないとお前のクリスマス及び年末は地獄だぞ。

■全然真面目に答えてくれてないですね。ところでソープと売春の区別ってなんですか。国が認めてるか認めてないかって事ですか。

▼夢があってその実現の為に働いているのがソープ嬢、ただ金のためにやってるのが売春婦だ。

■どっちも同じって事ですか。夢って便利な言葉ですね。じゃ、ナンパと売春の違いって何ですか。

▼お前はすごく真面目な奴だよ。深く考えるな。SEXなんて虫でもするんだ。

■あ゛ーもういいです。今日はありがとうございました。



991217

早起きは三文の得とはよく言ったもので、いつもより4時間早く起床した僕は、『あすか』の本放送を見て辟易したり、絞ったレモン汁が顔にかかって「うおー、顔射ー」と言ったり、床屋へ行って肩を揉んでもらったら揉み返しがきて具合悪くなってそのまま風邪の症状に突入したり、その床屋でサラリーマン金太郎と本宮ひろしの魅力について熱く語られたり、姉がミレニアム婚を表明したりと、色々あったものの得は無く、明日からはまた昼過ぎまで寝ていようと思った。



991216

毎年この時期になると思い出す事があります。今から6年前の事ですので何分記憶の曖昧な部分もありますが、2000年を前に決着をつけておきたく、ペンをとった次第です。

年の瀬も押し迫った高校1年生の冬のことです。友人の武田君が、書籍2冊とビデオ2本を1,500円で買わないかという話を持ちかけてきました。僕は、確か即答で「買う買う!」と答えたと記憶しています。翌日、武田君が学校に書籍等を持ってきました。僕は友人数人に壁になってもらい、書籍等を武田君のカバンから、僕のカバンではなく何故か机に移しました。とりあえず移籍は成功、1,500円を渡しガッチリと握手を交わしました。高揚感に包まれてホクホク顔でいたのを覚えています。

友人達が自分の席に戻り、僕も何事も無かったかのように席に着こうとした瞬間、机の角にぶつかってしまい、机の中身が大きな音を立てて床にぶちまけられてしまいました。床に落ちていたものは、一目見てエロ本・エロビデオと分かるものでした。
多分僕は慌てて机に戻したと思います。多分というのは、それから少しの間の記憶が無いからです。女子が1ヶ所に集まって何か話しながらチラチラ僕の方を見ているという映像が脳裏に焼き付いて離れませんが、事件との関連について僕の理性は否定しているようです。

この時期をさかいに僕はエロビデオの発信基地として人気を博し、一部では『エロビ博士』とまで称されるようになりました。もちろん、モテとは逆ベクトルの人気です。その後の高校生活で女子と話したのは、学校際の時の
女「ちょっとぉ、ちゃんと仕事しなよー」
僕「ああ、うん」
くらいのものです。

今ではそこそこ回復しているようですが、調子の悪い時に笑顔で話しかけられると、「この笑いは、僕の過去を知って蔑んでいる笑いなのか?」と深読みしてしまい、あらぬ方角へ走り出したくなります。
僕は大丈夫でしょうか。



991214

誰もが思ってるだろうけど(ワイドショーの奴らも)、皇太子って不細工で童貞ヅラだよなー。高校の時、皇太子ってアダ名の奴がいて、イジメられてたよ。

昔の記者会見を見たけど、30過ぎのオッサンがニヤニヤ笑いながら「コウノトリのご機嫌が」とか言うのって、気持ち悪いどころかセクハラ。
生でガンガンやってますがまだデキません=コウノトリが来ません。トホホ。でも、実は皇太子だけ嘘の性教育を教わってて、本気で信じ込んでそう。指1本触れて来ない夫に、雅子さん欲求不満爆発で変な笑顔。

何気にベッドシーン想像してたら気分が悪くなった。
汗だくで腰を振る皇太子。
中出しで果てる皇太子。
白目をむいてグッタリする皇太子の醜さに嫌悪感。雅子さん、思わず鳥肌。
一部始終を見守る皇室の人々。
ご機嫌斜めのコウノトリ。

これ以上書いたら怒られる?



991211

今、インターナショナルスクールが注目を集めています。宇多田ヒカルやm−floなど個性豊かなミュージシャンが活躍している陰にインターナショナルスクールありといえるですか。

そんなことをラジオでいっていた。はーん、そーなんだーって聴いてたんですが、インターナショナルスクールと聞いて僕がイメージするのは、個性的とか自分の意見を持っているとかバイリンガルとか東野の娘とか。
そんなステレオタイプなイメージですが、それほど間違っていないらしく、ラジオのDJが言うには、
「インターナショナルスクールに通っている人達は、英語と日本語ゴチャマゼの言葉を話し、聴く音楽はローリン・ヒル、全員ディバックをしょい、80%は恋人がいる。そこらぢゅうでキスしたりハグしたりで、好きな食べ物はプリングルス」
と言い切っちゃってました。ものスゴい画一的なものの見方に、呆れるやら驚くやら。プリングルス好きっていうのはちょっと分かる気がするけど、でもそれって偏見っぽくないですか。
あと、東野の娘はかなり特例らしいという事がわかった。

こんな放送して、苦情は来ないのか心配になりましたる土曜の昼でした。でもインターナショナルスクールへの引け目は完全に吹っ飛びましたよ。ラジオ聴く限りではバカですから。



991210

いつまでも朴訥のイメージに束縛されている、じゅん君こと吉岡秀隆氏のために、シリーズで放送されているカクテルのCMの新バージョンを考えてみました。

吉岡「今僕はシンガポールにいます。
大好きなあなたの臭いがするドリアンの果実を持ってバスに乗ったら、逮捕されてしまいました。
パンツの履けない留置所は寒いです(C 遠藤ミチロウ)」
女「な〜に言ってんだか(笑)」

吉岡氏が留置所の隅でうつむき加減で体育座りっていうのが希望です。ドリアンってちょっと安易だったですかね。でもバスとか本当にダメらしいです。臭いがキツすぎて。

余談ですが、Doveっていう化粧水のCMで、「ダブならぁ、埴輪が有田焼」バージョンあるじゃないですか。あれって、意図的にダブとデブを掛けてるらしいですよ。
そう思って見ると少し笑えます。



991208

「ヒゲがとれる」 東重蔵(平成2年1月12日没)

 老衰のため寝たきりの生活が続いていた父がベッドで寝ている時、夢でも見ていたのでしょう、ニコニコ笑いながら「ヒゲがとれる、ヒゲがとれる」と寝言を言っていました。冬でしたがポカポカと暖かい午後のことだったと記憶しております。それが最期の言葉となりました。
 その日の夕方、父は亡くなりました。97歳、苦しむ事のない、まさに大往生でした。
 ただ一つ気掛かりなのは、ヒゲを伸ばした事の無い父が、一体どんな夢を見て笑っていたのか聞く術がもうないということです。

埼玉県 東真紀子



「ダンゴ虫が可哀想だからね」 高田宣夫(昭和52年6月21日没)

 私がまだ幼い頃、訳あって家族と別居して一人で暮していた祖父の家に弟と遊びに行き、昼ご飯を食べていた時のことです。弟は、ご飯を口に入れるたびに目を閉じる祖父の行動を不思議に感じたらしく、「どうしておじいちゃんは目を閉じて食べるの?」と尋ねました。祖父は冗談が好きで「おじいちゃんは普段、ご飯にダンゴ虫をかけて食べるんだ。目を開けたまま食べるとダンゴ虫が可哀想だからね」と言って笑いました。弟は泣き出しました。
 それから4日後に祖父は体調を崩し入院したそうですが、その時に癌が発見され、3日後に亡くなりました。
 なぜ目を閉じて食べるのか、本当のところは分かりませんが、優しくて楽しい人でした。家の裏などでダンゴ虫を見ると、あの日のことがまるで昨日のように思い出されます。弟は虫嫌いのままです。

千葉県 高田恵理子



「豚のように太ったな」 浅野保隆(平成7年11月27日没)

 口数の少ない昔堅きの夫は、私に対しても必要以外の事はめったに喋らない人でした。風邪をこじらせて入院した時もそれは変わることはなく、お見舞いに行った私を迷惑そうな顔で追い返そうとするのですが、それは照れ隠しだったような気がします。
 夫は、風邪も直りかけたころ、看護婦の医療ミスのため急死してしまいました。夜中の事でした。前の日の昼、夫の横でリンゴの皮を剥いていた私に、「豚のように太ったな」と言ったのが最期の言葉になってしまいました。
 多額の賠償金によって食事も豪華になった私は、以前より更に太りました。天国で、「豚のように太った」と苦々しい顔で夫が言っているような気がして、ふと笑ってしまうことがあります。

宮城県 浅野ミヨコ





上の文は、亡くなった人が最期に残した言葉を集めたものっぽく書いたデタラメです。『100人のさよなら』を読んでいるということで。



991206

僕は一応大学生ということになっているが、大学生というのは、実に乳幼児以来の何もしなくても良い時期であって、僕の場合も、最初こそバイトをしたり資格試験の勉強をしたりと努力したが、ここ2年程は、本当に何もしない、乳幼児にも劣る生活をしていた。人間というのはどんな苛酷な環境にも適応するものだ、と自分でも感心するほどで、僕は毎日、3食シュークリームを食べたり、食前にベビスターラーメンを食べて満腹になって叱られたり、突然鼻血をたらしてニヤニヤしたり、放火したりという日々を送っていた。

ところがというか、やはりというか、人間10代のうちは放っておいても壊れないが、21年目の今年、とうとう肺に穴が開き入院するという事態に陥った。といっても自覚症状など皆無、学校の検診で偶然発見されたもので、即入院・手術となったものの3日もすれば傷も回復し、僕は病室のベッドの上でプッカを食べたり、読書したり、院内を散歩したりして暇をつぶしていた。
院内を歩き回って思ったのだが、病院は当然ながら病人ばかりであり、中には死にそうな人もいて、仮に患者の健康状態をピラミッドで表した場合、僕はそのピラミッドの頂点に立っていることに気付いた。そう考えると何だか暇な入院生活も、変な優越感から充実したものに感じられるようになった。浮世から完全に隔絶した暖かく白い空間で、美人看護婦さんに至れり尽せりされて過ごす時間は永遠に続くかのようで、それはまるで天国のようだった。

だが、幸せな日々は長くは続かない。その2日後、医者から退院を宣告された僕は、目の前が真っ暗になった。退院→院内健康ピラミッドの頂点から現実世界の底辺の貧民窟へ。
僕は今までの生活を改める決意を広末似の看護婦さんに告げた。そして、入院を期に新しい人生を始めるのだ、という意志を固めた。そうだ、僕は変わるんだ。

それから約7ヶ月、僕は賞味期限が1年前のポッキーを食べたり、公務員試験に落ちたり、絶望したり、墨汁でグルの顔を描いたり、ホームページを作って日記を書いたりと、以前に増してダメなカンジの日々を送っている。



991205

日曜の朝、両親がテレビをみていた。NHKの『ようこそ先輩〜戦争と命を考える〜』という、エミー賞をとった番組。国境無き医師団の1人が母校に行って生徒といろいろ話し合うという内容で、小学生が討論しまくっていた。「戦場で、助かりそうも無い子供に残り少ない酸素を与えるか、その子は諦めて他の患者を救うべきか」や「国境無き医師団として働く私の行き方は損か得か」など、かなり不毛な議論だったが、両親は感涙していた。受信料白黒料金で払ってるくせに。

この人の生き方は、多くのの人にとっては明らかに損な行き方だ。でも、ある種のフェチ(戦場の危険な場で、死にそうな人達の傍に身を置いて、生きる実感を得るのが快楽であるとか)にとっては得だというのが僕の感想。“人類史上はじめて納豆を食べた人とかはじめてヨーグルトを食べた人というのは、そういう見るからに危険ぽいものを口にすることで快楽を得る種類の人だ”、という説を何かで読んだ気がする。要するに、この人は特殊だから、何もしらん小学生は真に受けなくてもよく、将来は社会の歯車として、キリキリとした日常を生きて、たまに偽善的にボランティアでもすればいいと思うという、乱暴な結論。
あと、死にかけの子供をどうするかという質問には、戦場で彼らが助けられるのはホンの一部で気休めみたいなもんだから、目の前で一人くらい死んだからって気にする必要は全然無いよ、それに疫病が無い現代じゃ、戦争でもないと人が減らないんだからね、と答えるのがベターかな。戦場じゃなくても、この瞬間たくさんの人が無残に殺されてるわけだし。自分はまだ生きてるわけだし。そんなの気にしてたらキリないじゃん。

などと書いてる時に、近所のオジさんが死んだという知らせがあり、家の近所が大騒ぎ。死って案外身近。



991203

タワーレコードへ行った。人間椅子のビデオを探したがみつからなかったので、インディーズコーナーとかブラブラ見ていた。最近はPOLYSICSがお気に入りだ。大音量で聴いて頭が空っぽになる感じが病み付きになっている。音もカッコいい。

突然「こんにちは」という声が聞こえた。横を向くと女がいた。年齢は僕とそうかわらないだろうが、なんかフケてるかんじの不細工サンだ。もちろん知らない人。
「こんにちは」
僕がどうしたものかと考えていると、その女はもう一度挨拶をしてきた。僕もとりあえず「こんにちは」と挨拶を返した。
「音楽やってる人?」と、馴れ馴れしくその女は僕に尋ねた。口が臭かった。
初対面の人にそう言われたのはこれで二度目だ。何故だろう。とにかく気持ち悪いので適当な事を言ってお引取り願おうと思った僕は、「うん、ギター弾いてるんだ。ギブソンをマーシャル直結」などと意味不明のことを言い、アホの振りをした。
女は「へー、スゴーい」と少しワザとらしく驚き、そして「君、大学生?」とか「君、服オシャレだね」(全然オシャレじゃない)とか一人で喋り出し、遂には、自分はOLだったがイベンターになりたいので辞めたとか夢を語り始めた。こいつ絶対ヤバイと思いつつ、僕は適当に相槌を打っていた。早く帰って欲しかったのだ。

女は徐々に目を輝かし出し、「わー、今日はイイ人に会えたー」とか喜び始めた。マズイ。なぜか気に入られてしまった。この醜女、なんのつもりだ。僕はなんとか嫌われようと、女の「どんな音楽聴くの?」という質問に「三上寛」と答えたが、この年代の女に三上寛がどんな人なのかわかるはずも無く、「へー、マニアックだね」と一蹴。とどめに女は「今日、これから予定ある?」

ここまで書いて、わかる人はわかると思います。これ、ナンパじゃありません。多分この女、自己啓発セミナーかその類です。これでついて行ったら大変です。こいつらの話が脳のA6神経に作用してノルアドレナリンを大量分泌し、人格を変えられてしまう。逃げなきゃ。逃げなきゃ。

僕は「あー、これから友達の家に行かねば」と残念そうに言い、明後日ならOKと嘘をつき、絶対行かないけども待ち合わせすることにして、嘘の電話番号を交換してソソクサと家路についた。手元に女の携帯番号あります。どうするかな、これ。


次回 『第2次遭遇・・・人格をヒドく否定される編』は、僕の心が深く傷ついているのでまだ語れません。



991202

たけしの万物創世記で、現代人はもっと歩かなければいけないって言ってた。その内容が、普段食卓と部屋の往復ばかりの僕にスマッシュヒット。強迫観念にとらわれた僕は昨日、貯蓄貯金魚万歩計を装着して歩きまくったのです。ツルツル滑る雪道を。その歩数24000歩。アホです。足がパンパン。
今朝、目を覚ますと、ハァ、足が筋肉痛。歩いただけで。そんな状態で学校に行けるはずも無く(行けるけど)、エスケイプして、結局のところ家でゴロゴロ。今日はまだ200歩も歩いていません。作用と反作用。スポーツは体に悪い。オリンピックなんてたかが筋肉の祭典じゃねぇか。と屁理屈で自分の不摂生を正当化。

けっこう前だけど、元X-JPANのヨシキが天皇の何かでピアノを弾いて東大教授が抗議してどーのこーのって話(適当)がありましたよね。確かにあの東大教授は思考が硬直化したアホです。ロックが反体制の象徴ってのはもう過去の話なんですね。そもそも、ヨシキがロックミュージシャンかっつーと違うわけだし。ヘッポコピアニストだし。それを公式に抗議するのは、バカじゃねーのって言わるわな、そりゃ。「天皇が、センズリ覚えて、ヤリだしたら、止まらない」みたいな歌(発禁)歌ってた遠藤ミチロウとかが参列してたら別だけど。

でも、ロックって何に対してかでも“反”であって欲しいなぁとは思うんですよ。形式だけでも。ここでロックの将来を案じててもしょうがないですけど。とりあえずキャノンのCMで醜態をさらしてるラルカンシェルはロックじゃないと。名前をちゃんと読まないと怒る彼らが、『青い鳥症候群』に曲を提供してるってことはその番組と自分達の示す方向性とが一致してるってことだろーなー、そんで君らはその番組ちゃんとチェックしてるんだろうなあ、て感じ。なんでもかんでもタイアップつけりゃいいのかよ。よりによって青い鳥って・・・ファンはそれでいいの?大槻ケンヂがコボちゃんの曲を歌ったときを思い出します。木魚のパクリ曲を堂々と。






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