夢の魚 1
(1)
僕は、目を閉じることさえ思いつかなかった。
だから、その瞬間僕が見ていたのは、金色の前髪の奥で幽かに震えている長い睫だった。
「あら、アキラさん、そのお洋服で出かけるの?」
玄関の鏡の前で襟を直していると、母が声をかけてきた。
「おかしいかな?」
「おかしくはないけれど、少しラフ過ぎるんじゃないかしら?」
ああ、と僕は微笑んだ。
「今日は、友達に誘われて水族館に行くんです」
「水族館? それならそうと言ってくれれば、お弁当ぐらい準備したのに」
僕は慌てて手を振った。さすがにね、この年になって母親の手弁当を持って出かけるっていうのは、気恥ずかしい。
「レストランがあるから、そこで食べようって。だから、気にしないで」
「あら」
母が肩を竦めて笑う。
「本当かしら?」
「え?」
「本当は、誰かさんがお弁当作ってくれることになってるんじゃないかしら?」
母の言葉に、僕は一瞬おにぎりを握っている進藤の姿を想像してしまった。
それは興味深い光景だったが、それよりも母の含むところを理解し、手を振って否定した。
「違うよ、一緒に行くのは進藤」
「シンドウ? あ、進藤ヒカル君? 棋士の……」
「そう。彼が僕のためにお弁当を作ってくれるとは思えないな」
「それは、そうね。でも、あなたたちそんなに仲が良かったかしら?
市河さんの話だと、お父様の碁会所でもしょっちゅう口喧嘩してるんでしょ」
「口喧嘩は、囲碁に関することで。それ以外は……」
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