夢の魚 11 - 13


(11)
「ここさ、北斗杯のあと、伊角さんタチと来たんだ。
中国の楽平、覚えてる?」
「ああ、あの和谷くんにそっくりな子だね?」
「そう、ディズニーランド行って、次の日ここで魚見てね」
「もしかして……、誘ってくれたとき?」
「覚えてた?」
進藤の表情が輝いた。
「覚えてるよ。君が初めて僕の家に電話くれたんだよね」
「そうだよ、俺緊張したんだぜ。もし塔矢先生が出たらなんて挨拶しようって」
母に呼ばれて電話にでた僕に、進藤は開口一番「携帯の電源いれとけよ」と喚いていたっけ。
普通、挨拶をするものじゃないかな。でも、それが進藤らしいと思うけどね。
「せっかく誘ってくれたのに、あの時は済まなかった」
「なに、誤ってんだよ。大事な対局があったのに、断るのが当たり前だろ。それに、そういうのちゃんと調べなかったこっちが悪いんだし……」
進藤が、すっと正面を向いた。僕もそれに倣う。
「おれさぁ……、そのときここで、このマグロ見てて、俺たちみたいだなって、思ったんだ」
「マグロが?」
「そう……」
ドーナツ状の水槽の中で、たくさんのマグロが鱗を煌かせて、休むことなく回遊している。
「一ヶ所に留まることがないんだ。立ち止まると死んじゃうんだ……」
「僕たちも?」
進藤は子供のようにこくりと頷いた。
「立ち止まると、碁打ちの俺は死んじゃうんだ」
僕はその瞬間、酷く自分が厳粛な空間にいるような気になった。
不思議な感動に、身の内がざわりと騒ぐ。
「あの、雨の日……、あの青い傘の下で、俺は青い魚を見たような気がしたんだ。
それからさ、おまえにも見せたいって思った。最初は一緒にこれなかったからさ、その分って思って。
その後……、このマグロをおまえにも見せたいって」
進藤はそれ以上、言葉にしようとはしなかった。でも、僕にはわかった。
進藤がなにをいいたいか、僕にはわかるような気がした。


(12)
「死ぬまで泳ぎつづけるんだ?」
僕がそう尋ねると、進藤は小さく「うん」と返してくれた。
「でも、マグロにとってそれが当たり前なんだ」
「うん」
「泳ぐことが……呼吸することなんだ」
「うん」
「泳ぐことが、生きることなんだ」
「うん」
「僕たちも?」
打つことが生きること――――――。

僕は言葉で確認する代わりに、隣に座る進藤を凝視した。
僕の視線に気づいたのか、進藤も再びこちらに顔を向ける。
僕たちは、お互いの瞳を覗き込んだ。
そこにどんな感情があるのかと、視線を結ぶ。

薄暗い海を、ひとりで泳ぐのは、どんなに寂しいことだろう。
でも、僕たちが、立ち止まることはないのだ。
まず始めに君を追ったのは、僕だ。
次に僕を追ったのは、進藤、君だ。
そしていま、僕たちは共に追っている。

――――神の一手という途方もない極みを求めて。

「君の哲学なんだね」
「哲学…なんて難しいことはわかんねーけど」
僕たちはそんなことを囁き交わしながら、マグロのブースを後にした。


(13)
世界の海を巡り、ペンギンをのんびり眺め、館内のレストランで昼食を取り、建物からでたのは3時ごろだった。
デッキテラスで、進籐はおやつタイムだと笑いながら、売店でクレープを頼んだ。
昼食を摂ってさほど経っていないのに、よく入るもんだと僕が目を丸くしていると、進籐は「甘いものは別腹だからな」と、女の子のようなことを言って笑った。
「塔矢は?」
僕は、アイスコーヒーを頼んだ。
先週あたりから、随分秋めいてきたけれど、気持ちよく晴れ渡った空の下、降り注ぐ陽射しはまだどこかに夏の面影を留めている。
年間を通して、もっとも紫外線が強いのは、意外なことに秋なのだ。
海からそよぐのは涼しい秋風だったけど、日向にいるとじわりと汗が浮かんでくる。
僕たちは、白いパラソルの下で、少しの間涼むことにした。
「まだ、時間大丈夫?」
バニラとチョコの香りを乗せて、進籐が尋ねる。
「大丈夫だよ」と軽く頷けば、進籐は目を細めて笑う。
「どこか行きたいところでもあるの?」
「いや、浜辺に行きたいかなって、でももう随分歩いたし……」
「歩いたって、君はあの程度歩いただけで疲れたの?」
からかうと、進籐は花の頭にしわを寄せて、「塔矢がへたばるんじゃないかと、心配してんのに」と、憎まれ口を返してきた。
「失敬だな。僕はこう見えても体力には自信があるんだからね」
「ふーん、どう見えるかは、自覚してんだ?」
進籐はそう言いながら、唇の端を片方だけ引き上げてみせた。それは、悪戯な笑みで、出会った頃の彼を彷彿とさせる。
「含みがあるな」
僕がわざと不機嫌な声を聞かせると、彼は声をあげて楽しそうに笑った。
「大あり。わかってんじゃん」
「まあね、よく言われるよ。スポーツしている姿を想像できないってね。でも、体育の成績は悪くないんだよ」
「意外」
「まったく、君は……」
「でもな、塔矢。人間の想像力には限界ってーもんがあってさ、おまえがドッジボールやサッカーやってるとこ考えてみたけど、なんか変な感じ。跳び箱、飛べるの? って、訊きたくなる」
「跳び箱なんて、コツを掴めば簡単じゃないか。6年の時、7段まで飛べたのは、僕を入れて3人しかいなかったんだからね」



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