断点-3 1 - 5


(1)
昼飯なんか食べる気にならなくて、用意されたお弁当もかなり残してしまった。
中々進まない上に、途中で箸を置いてしまったオレを見て、和谷が不思議そうに言う。
「なんだ?進藤。具合でも悪いのか?」
「ん……」
悪いっちゃ、悪い。身体の具合よりも精神的なもんのほうが大きいんだろうけど。
「おまえがメシ残すなんて、風邪でもひいたか?」
「オレだって食欲ないときぐらいあるよ!」
ムッとして苛ついた声で返したら、
「ふーん、」
と、和谷は何か言いたそうな感じでじろっとオレを見た。
「ま、いいけどさ。何があったんだかは聞かねーけど、とりあえず午後はしっかりやってくれよ。」
「なんだよ、午後は、ってその言い方。午前中だってちゃんとやってたろ!」
「ちゃんと?あれが?」
人の言葉尻を捕らえたような和谷の言い方にオレはますます苛つく。
「朝からずっと誰かさんの方ばっかりちらちら気にして、気もそぞろだったじゃん。
でもってアイツの方はさっぱりだし。喧嘩でもした?」

……誰かさんって、やっぱ塔矢の事か?
自分じゃそんなつもりなかったけど、そんなにオレは塔矢の事を気にしてたのか?
そうかもしれない。だってあの時以来、塔矢に会うのは初めてだったんだから。
和谷って結構鋭いんだ。ちょっとびびった。
「まあ、そんなとこかな……」
たいした事じゃないってふうにオレは言った。
喧嘩、なんかならまだよかったんだ。

「全く、おまえと塔矢って仲がいいんだか悪いんだかわかんね―よな。」
そう言って和谷はお弁当を片付けて、先行くよ、と言って部屋を出て行った。


(2)
公開対局やら指導碁やらのイベントも随分慣れてきたけど、やっぱり疲れる。
プロって手合いだけじゃなくてこういうイベントも多いんだって、最近やっと実感してきた。
でもオレはやっぱ敬語とか得意じゃないし、オジサン達相手にも、ついついフツーの喋り方をしてしまっ
たりして、棋院の人には失礼だとか言われて怒られるし、和谷には馬鹿にされるし、でも、お客さんだっ
て喜んでるんだからいいじゃねーか、と言ったら、ちっとは塔矢を見習え、なんて言われてしまった。
塔矢はこういう場にも慣れてるみたいで、いつもみたいに涼しい顔で多面打ちの指導碁をこなしていた。
そう言えば囲碁サロンでも指導碁とかしてたし、大人相手の指導とかも慣れてるんだろうな。
塔矢の指導碁は人気らしい。なんてったって「塔矢アキラ」は既に囲碁界のブランドみたいなもんだし。
強さはもちろんだけど、あのルックスも随分ものをいってるんだろうな。髪も眼も真っ黒で、すごく色白だから、
白と黒の碁石みたいだな、とかオレは思ってた。
そんなところまで塔矢は「若き日本囲碁界の象徴」そのものって感じだ。

こうやって塔矢を見ていると、忘れてしまいそうになる。
あんな事があったなんて、信じられないと思う。
他の誰に言ったって信じないと思う。

でも、あんな風に愛想よく、お人形みたいにキレイな、でもお人形みたいに冷たい笑顔をばら撒いてる
塔矢を見てたら、何だか無性に腹が立ってきた。
この大嘘つき。
いつもそうやって皆を騙くらかしてたんだよな
何が囲碁界の貴公子サマだ。
清廉潔白、汚いことなんか何も知りません、みたいな顔をして。
オレにあんなコトしたくせに。


(3)
ノックもせず、物音を立てないようにしてドアを開けたら、やはりそこに彼がいた。
「……塔矢、」
ヒカルが低い声で呼びかけると、アキラは一瞬動作をとめ、それから酷く緩慢な動作で振り返った。
「よくよく懲りない人間だな、キミも。学習能力というものがないのか。」
なんだかもう見慣れてしまったような無表情なアキラを見て、ヒカルの怒りは急速にしぼんでいった。
アキラを責めてやりたいとか、詰ってやりたいとか思っていたのは只の口実にすぎなくて、何とかして
近寄りたいと、話をしたいと思っていた事に気付いてしまった。
なんて情けないんだろう、と思いながら、それでも口を開く。
「話がしたくて……」
「ボクはキミと話すことなんてないね。」
冷たく切って捨てるアキラを上目遣いに睨みつけてヒカルは問う。
「…塔矢はオレが嫌いなのか?」
「何を今更。」
当たり前の事を聞くな、と、アキラは鼻で笑って言う。
「でもっ…」
声を詰まらせながら、それでもヒカルは必死に食い下がる。
「それでも、塔矢、オレはおまえが…」
「言うなっ!」
言い出したヒカルを、アキラが鋭い声で遮った。
「…言わせない。そんな事。許さない。」
言われたヒカルは大きく目を見開き、次いで、アキラの言葉の理不尽さに噛み付くように言った。
「…許さないって、何だよ。オレが何言うかなんて、おまえの許可なんかいらねぇよ。
おまえが許さなくたって嫌だって言ってやるよ、おまえが、」
「やめろッ!!」
「おまえが、好きだッ!!」
叩き付けるように言ったヒカルを、アキラは息を飲んで見詰める。
「よくも…よくも、そんな事を、言ったな……」
「ああ、言ったよ。言ったがどうした。
何度でも言ってやる。おまえが好きだ。
好きだ好きだ好きだ好きだ好きだッ!
おまえが何て言おうと、何しようと好きだ!」
顔面を蒼白にし、怒りに拳を握り締めるアキラに向かって、ヒカルは悲痛な声で叫ぶ。
「なんで、なんでオレが好きだって言ったらおまえが怒るんだよ!?」
「なんでだって?よくもそんな事が言えたな。何も、何もわかってないくせに…!」


(4)
ヒカルを睨みつけていたアキラは、ようやく湧き上がる怒りを押さえ込んで、低い声で言った。
「…だから、だったらどうだって言うんだ。それで、どうするつもりだ。
キミがボクを好きだって、だからどうした。それがなんだ。
キミがどう思おうと、ボクはキミなんか好きじゃない。」
「ウソだ。」
間髪入れずにヒカルは言う。
「――何が、嘘だって?」
「オレを好きじゃないなんて、ウソだ。おまえだって、おまえだってオレを好きなくせに。」
まるで予想もしていない事を言われたように、アキラはまた大きく目を見開く。
そこに付けこむようにヒカルは続ける。
「だって、おかしいじゃないか。オレがおまえの事好きなのが気持ち悪いとかって言うんなら、まだ、
わかるよ。オレだって自分がヘンなんじゃないかとか思ったし、おまえ以外の男なんて絶対ヤだし、
絶対考えられないし。」
ギリギリと睨みあげる視線に怯みそうになるのを隠して、ヒカルは必死に言い募る。
「おまえだって言ったじゃないか。オレの事、好きだからゴーカンしたんだろ。
でなきゃ、あんなこと、するかよ。好きでもないのに。ヤりたいなんて、思うのかよ。しかも、男を。」
ヒカルがやっと言い終えて挑むようにアキラを見上げると、相対するアキラの目がすうっと細くなった。
「……馬鹿馬鹿しい。ボクがキミを好きだって?」
平静を取り戻したアキラは冷たく言い捨てる。
「おめでたいね。そんな事、考えてたのか。
ふ、キミの理論からすると世の強姦魔は皆被害者に好意を持っていたとでも言うのか。」
アキラがすっと手を伸ばしてヒカルの前髪に触れると、ヒカルがビクリと身を竦めた。
その様子にアキラは冷ややかな笑みを浮かべながら、身体を縮こまらせながらアキラを見上げるヒカル
の瞳を覗き込む。
「確かに、キミに欲情したのは事実だよ。
そうやって怯えた目でボクを見るキミは実にボクの劣情をそそるよ。
どうしたらもっとキミを痛めつけてやれるだろうって、考えるだけでゾクゾクするよ。
だがそれは好意なんかとは無関係だ。」
ヒカルの前髪をくるくると弄びながら、薄く笑んだまま、アキラは続ける。
「相手が男だろうと女だろうと挿れて出すことには変わりはない。
好意なんかなくたって、いくらだってできるさ。
嫌がらせだって、鬱憤晴らしだって、」
ヒカルを見ていた瞳にギッと力がこもる。
「憎しみからだって。」


(5)
「オレが…憎いのか…?」
「ああ。」
「そんなに、オレの事、キライなのか。」
「ああ、嫌いだね。」
「……どう…して。」
「理由なんて、ありすぎて並べてたらきりがない。」

「時々、殺してやりたいと思うくらい憎らしいよ。
でも、そこまで手を汚す気にはならないからしないだけだ。」
「こ、殺さなく、たって、でも、犯罪、だろ…」
「そうだね。でも強姦は親告罪だから、被害者が訴えて出ない限り犯罪にはならない。
それとも訴えるかい?」
微笑みを浮かべながら優しく甘い声で囁きかけるアキラの目は、けれど氷のようだ。
ヒカルの髪を弄っていたアキラの手は、次いで、ヒカルの頬に触れる。
ビクリとヒカルは顔を強張らせる。
アキラの手はそのまま顎のラインを伝い、首筋に軽く触れた。
緊張でヒカルの全身が強張る。
手のひらでヒカルの細い首を包むようにしながら、アキラは顔を近づけ、ヒカルの目を覗きこむ。
「威勢のいい事を言っていたわりには、ボクが怖いのか?」
頚動脈を撫で上げられるように手を動かされ、思わずヒカルがきゅっと目を瞑ると、その手は何事も
なかったかのように離れていった。
「首を締められるとでも思ったのか?殺しはしないって言っただろう。」
クス、とおかしそうに笑った後、アキラはキッと表情を引き締め、一転して冷たい声で言い放った。
「とっととボクの前から消え失せろ。目に入るだけで不愉快だ。」



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