夏の終わり 11 - 12
(11)
鼓動が跳ねる。
僕は髪の生え際に噴出した汗を拭いたがったが、進藤の瞳に囚われて、腕を動かすこともままならなかった。
疼きが血を呼び集める。
―――――見ないで欲しい!
強く思った。
彼の視線が、いつだって僕をおかしくするんだ。
幽かな変化の兆しに、気が遠くなる。
僕は目を瞑った。進藤の瞳からほんの少しの間でいい、逃れたかった。
僕は舌先で鬼灯に触れた。
今のいままで、それは鬼灯でしかなかったのに、目を閉じて振れるそれは、進藤の舌のように思えた。
「ぎゅぷっ」
滑稽な音が大きく響く。
「塔矢、上手だな」
感心したような、進藤の声。
「なあ、これでいい?」
僕は目を開けざるをえなかった。
信じられないほど近くに進藤の顔があった。
いまにも鼻と鼻がくっつきそうだ。
「見てて」
進藤の言葉は、僕を縛る呪文だ。
僕は動けない。
進藤の唇と舌が、鬼灯を弄ぶ図に、僕の頭の芯は熔けていきそうだ。
舌が引きこまれ、鬼灯が口のなかに消える。
淡い色の唇が目の前にある。
僕は知っている。
この唇の感触を。
この唇が、僕に触れる感触を。
進藤の口元から、ぎゅぷっという音が漏れたのと、母が声をかけてきたのはほとんど同時だった。
「アキラさん!」
僕たちは、慌てて体を離した。
(12)
「いま、お父さんから電話で、忘れ物を届けに行くことになったの」
さっきと同じワンピースだったが、首もとに涼しげな水色のスカーフを垂らしただけで、母は既に外出の装いだった。
「出たついでに、お父さんと食事してくるから、後は任せていいかしら?」
どうして嫌だと言えるだろう。
「わかりました」
「進藤君、ごめんなさいね。なんのお構いもできなくて、ゆっくりしてらしてね」
門扉のほうから、車のクラクションが聞こえてきた。
「あら、車、もうきたみたい。アキラさん、おかしくないかしら?」
母は、つば広の帽子をかぶり、僕に尋ねる。
「おばさん、キレイ」
短い感想は進藤のものだった。
母は、嬉しそうに笑うと、「お上手ね」とまんざらではない口調を聞かせ、小さな包みと白いハンドバックを手に、パタパタと忙しない足音を残して出かけていった。
そのつむじ風のような顛末に、僕と進藤は、思わず顔を見合わせていた。
進藤に向かって、僕は苦笑を零していた。
だが、進藤はそれに応えてはくれなかった。
前にもまして真剣な瞳が、僕を見つめている。
「破けた」
彼が吐き出した鬼灯は、確かに大きく裂けていた。
「塔矢の貸して」
「え?」
進藤は、僕の肩を両手でつかみ、顔を近づけてきた。
思いがけない事の展開に、ただ呆然としている僕の唇に、進藤のそれが重なる。
「え」と呟いた形で開いていた唇に舌が侵入する。
それは強引に歯列をこじ開け、奥まで入りこむと、すぐに去っていった。
僕と進藤は目を閉じることさえ忘れていた。
進藤の瞳が遠ざかる。
彼は僕の肩に手を置いたまま、少し顔を離すと、ふっと小さく笑った。
濡れた唇が開かれ、僕から奪い取った鬼灯が、顔を覗かせる。
それをまた、口のなかに含み、進藤は言った。
「塔矢の……甘い………」
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