羽化 19 - 20
(19)
妄想が頭から離れない自分が情けなくて、芦原はコーヒーを一気に飲み干した。
「顔洗ってくる…」
そう言って立ち上がり、洗面所へ向かおうとした。
すれ違いざまにアキラの身体がびくっと震えたような気がした。何の気なしに振り返ると、アキラ
の顔が強ばっているように見える。芦原が怪訝な顔をすると、アキラは慌てたように目をそらし、
そのはずみで、彼の身体がぐらついた。
「おい、大丈夫…か…」
つまづきそうになったアキラの身体を支えようとして、芦原は言葉を失った。確かに身体が覚え
ている、この感覚。けれど身体を強ばらせたまま、アキラは芦原を見上げて、言った。
「大丈夫です。」
そしてゆっくりと芦原の手を押し退ける。
「どうか…しましたか…?」
ポーカーフェイスを装ったアキラが冷たい声で言う。
制服から覗く白い首筋に目が吸い寄せられる。変形の詰襟の襟元から見え隠れする紅い痕跡。
ではあれは夢ではなかったのか?
「いや…なんでもない。」
震える声でそう答えながら、芦原はアキラの視線から逃れるように彼から離れた。
急に激しい頭痛と胸のむかつきがよみがえる。
(20)
冷たい水でざぶざぶと顔を洗いながら、芦原は考える。
夢ではないと言う事を、本当は知っていた。だが現実だと思いたくなかった。認めたくなかった。
認めてしまったその先にあるものを直視したくなかった。けれど、どこまでが現実で、どこからが
夢だったのか。あれが全て現実のはずがない。そう思ったからこそ、全てを夢のせいにしてしま
おうと思った。
「ずっとあなたが好きでした。」
あの言葉も、では現実だったと言うのか?そんな、そんな筈がない。信じられない。
いっそ欲望のままに彼を蹂躙した、ただそれだけの方がまだマシだ。ただの肉欲と肉欲との結果。
そうであれば、まだ、現実だと認められる。
蛇口から勢いよく出る水を、頭から浴びる。けれど混乱は混乱のままだ。
混乱したままの芦原の背中にアキラの声が投げかけられた。
「芦原さん、」
彼の声に、芦原の身体が硬直する。
「ボクはもう行きますけど、どうぞ芦原さんはごゆっくりなさっていて下さい。留守番をさせて
しまうようで申し訳ありませんけど、もしお帰りになるのでしたら戸締りをお願いします。鍵は
お渡ししてありましたよね?」
突然、芦原は、アキラを掴まえて一体何が真実なのか問い正ししたい衝動に駆られた。
「アキラ!」
彼の名を呼びながら、玄関へ向かう。
玄関のドアに手をかけていたアキラが振り返った。
「行ってきます、芦原さん。」
有無を言わさない笑顔でにっこりと笑うと、芦原を玄関に置いたままアキラは出て行った。
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