夏の終わり 3 - 4


(3)
僕は奥の和室を覗き込み、柱時計で時間を確認した。
「二時過ぎにやってくる約束ですから、あと30分ぐらいできますよ」
「あら、30分しかないの? お通しするお部屋にクーラーは入れておいた? 今から入れても、すぐには涼しくならないのよ」
どうしようか一瞬迷ったが、僕の選択に間違いはないと思い、母に答えた。
「今日は風がいいから、縁側で打とうと思うんだけど……」
母が手元で水を止め、振りかえる。
「そうね、それがいいわ。体が冷えすぎるのねよくないものね。進藤君のお夕飯は?」
これは、言外に食べていくようにと促しているのだ。
僕は内心の苦笑を気取られないよう気をつけながら、夜は二人で出かけるつもりだと話した。
「つまらないわ」
母は、水撒きのホースをくるくるとまとめながら、可愛らしい文句を口にした。
「アキラさん、進藤君を一人占めしてずるいわ。お父さんは遅くなる予定だし、あなたたちまで外で食事するとなったら、私は一人っきりよ。こんなことなら、あと二人ぐらい、子供を産んでおくんだったわ」
母は、時たまこうして拗ねて見せる。普段のおっとりした口調が幸いして、なんだか微笑ましくなる。
「わかりました。進藤がきたら、聞いてみる」
「本当? 言ってみるものね」
おどけて笑う姿は、どこか少女めいている。
「進藤君が呼ばれてくれるなら、今日は奮発しましょうね。いいお肉をいただいたのよ。すき焼きなんて暑気払いにどうかしら」
「お母さん、献立は進藤がOKしてから考えてくださいね」
「ハイハイ、わかりました。アキラさん、あなたお父さんより口うるさいわ」
ホースの始末をすると、母は縁側に腰を下ろした。
「ねえ、アキラさん。あそこに咲いている白い花、わかる?」
僕も、母の隣に腰を下ろし、白く細い指が指し示す方向に目を凝らした。
「夾竹桃の隣、白い花が二つ咲いているでしょう」
「ああ、ええ、咲いてますね」
「あれね、何年も咲かなかったのに、ことし久しぶりに蕾をつけたのよ」
「なんていう名前ですか?」
「娑羅双樹。夏椿ともいうわね」
濃い緑の中に浮かぶ二つの白い花は、清楚で涼しげに見えた。


(4)
「あの花にはね。少しだけ因縁があるの。聞く?」
「伺いましょう」
僕がふざけた口調で頷くと、母は目を細めて笑った。
「先月、本因坊戦のあった旅館、わかるわよね。庭園で蛍の鑑賞ができる」
僕は、母の一言に心臓をざわめかせていた。
どうして忘れることができるだろう。
あの庭園で、僕は消えることのない炎を見つけたんだ。
「この娑羅双樹は、最初あのお庭にあったのよ」
「え……」
思い出す。
夜目にも艶やかな白い花を揺らして、僕の前に唐突に姿を現した進藤のことを。
「お父さんが、はじめてタイトルホルダーになった対局も、あの旅館だったのよ。
その記念にと、旅館の方からいただいたの」
「なぜ、あの木を?」
母は、含み笑いのあとでゆっくりと口を開いた。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す」
「平家物語ですね。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。
……お父さんらしいな」
僕は少しばかり自分を恥じた。
父が、娑羅双樹に奢ることなかれと自分を戒めたのに、この不肖の息子は………、まったく違う心映えで眺めていたんだ。
「でしょう、お父さんらしいでしょう。ちょっと気障よね。でも、改めて素敵な人だと思ったわ。
そんな思い出のある場所で、あなたがタイトルを手にしたことが、とても嬉しかったよ。
あなたからの電話を切ったあとで、お父さんとそんなことを話して……、そう言えばと思って娑羅双樹を見たら、花が咲いてるじゃない。
ただの偶然かもしれないけれど、ちょっと……感動してしまったわ。」
母は、時々手放しで惚気てくれる。
息子としては、辟易することも多々あるのだが、仲がいいにこした事はない。



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