羽化 3 - 4
(3)
応接間のキャビネットの中にはずらりと高級洋酒が並んでいた。とは言ってもそんな高級酒
を飲み慣れていない芦原にはどれが美味いのかもよく分からない。キャビネットの前で唸って
いると、背後から声をかけられた。
「どうせ貰い物ばっかりだし、好きなのを選んでくださいよ。」
グラスと氷をお盆に載せたアキラが背後に立っていた。お盆をテーブルに載せるとアキラは
また台所に向かって、今度は古そうな瓶を持って戻ってきた。
それは何だ?と芦原が首を傾げると、
「母の秘蔵の梅酒。何年物かなあ…なんか書いてあるんだけどよく読めないなあ…。」
と答えながら、アキラは眉を顰めながら手書きのラベルを睨んだ。
「…オレもそれがいいな。」
「これはダメ。そっちのと違って沢山飲んだらすぐバレるし。
芦原さんはボクと違って大人なんだから、こんな子供でも飲める甘いお酒じゃなくて高級な
ブランデーでもウィスキーでも好きなのを飲んでくださいよ。」
「おまえなあ、そりゃないだろう?」
結局オレをだしにしてるだけじゃないか、とぶつぶつ文句を言っていると、
「しょうがないなあ、じゃ、一口だけ味見してみます?」
と差し出されたグラスに口をつけてみた。とろりと濃厚な甘い液体を舌に転がして味わう。
「ん〜、さすがに美味いな。でもちょっと濃すぎるかなあ…?ソーダ割にしたら美味そうだな。」
「何言ってるんですか。緒方さんちじゃあるまいし、ソーダだのトニックウォーターだの、常備
してませんよ。大体これを割っちゃうなん発想がね。だから芦原さんになんか飲ませられな
いんですよ。勿体無い。」
「…ひでぇ。」
結局選びかねて、芦原は一番手前にあったウィスキーをキャビネットから取り出した。
(4)
「おいおい、ペース速いんじゃないか?梅酒っていったってアルコールはキツイんだぜぇ?
いくらおまえが中学生にしちゃ酒に慣れてるって言ったってさあ…」
「そうかな…」
「なんかさあ、最近おまえ、荒れ気味だから、ちょっと心配だぜ?」
「荒れてる…?そうかも知れませんね。」
小さく笑うと、グラスに目を落とした。そして、グラスを揺すりながら、低い声で言う。
「前にボクに…気負うなって、誰も追ってきやしないさって、そう言いましたよね。
今でも、そう思ってますか?」
やはり彼の事か。芦原はそう思った。
進藤ヒカル。
いくらにぶい自分でも、アキラがどれだけ彼を気にしているかはさすがにわかっていた。
目覚しいスピードで駆け上がってきた彼の存在は芦原にとっても脅威だった。
アキラは別格だ。だからずっと年下のアキラとほぼ同レベルであったとしてもそれは仕方のない
こと、そんな風に思っていた。何しろ塔矢先生に碁の指導を受けている年月はアキラの方が長い
のだ。だから、年齢こそ上であっても、自分とアキラは先輩後輩と言うよりは、同輩、同じ位置に
いる、そんな風に思っていた。だから「友達」と言われても、確かにその通りだな、と思っていた。
棋士―勝負師にしては自分は多分のんびりした性格なんだと思う。昔はそののんびりさ加減で
もアキラとは気が合うと思っていたものだが。
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