夢の魚 5 - 7
(5)
「こんな立派なもの……、本当に貰っちゃっていいのか?」
「よかったら、使って欲しい」
僕が重ねて言うと、進藤ももう一度、ありがとうと言ってくれた。
そして、彼はくるりと僕に背を向けた。
「いつまでもこんなところで立ち話もなんだから、とにかく移動しよう」
「ああ、そうだね」
そのとき、進藤が少し早口で囁いた。
「塔矢には……、俺がいまどんなに嬉しいか、きっとわからないよ」
僕は進藤の背中を見つめ、戸惑った。
彼はいまの言葉を僕に聞かせたかったのだろうか?
わざわざ背中を向けて、囁かれた言葉。
照れている?
いや……、違う。照れてるんじゃない。進藤の少し落とした肩に、僕は思わず手を伸ばしていた。
「進藤!」
進藤が振りかえる。彼の表情に、僕は安堵する。
僕はなぜ、進藤が泣いていと、思ったんだろう。
「なに?」
僕は慌てて進藤の肩から手を外すと、苦笑いで言った。
「ところで、どこの水族館に行くのか、僕はまだ聞いていないんだけど」
「そうだったっけ?」
「そうだよ」
「でも、東京に水族館なんてそんなに何個もないだろう?」
進藤が悪戯を見つかった子供のように、瞳を輝かせる。
ああ、よかった。
進藤だ。進藤のこんな顔が僕は嫌いじゃない。
「品川にもあるし、池袋にもあるし……」
「ブッブ――――、どれもハズレです」
進藤は僕の手首を掴むと、地下鉄の入り口へと歩き出す。
「海の見えるとこだよ」
地下鉄を乗り継いで、僕と進藤が降り立った駅は、「葛西臨海公園」だった。
(6)
明るい水の中で、瑠璃色の魚は群れをなしていた。
「これがルリイロスズメダイ?」
「うーん」
進藤は、眉間にしわを寄せ、口を尖らせて唸っている。
「俺が、昔行った水族館では、こいつのことルリイロスズメダイっていっいてたんだけどな。
でもこれ見ると…」
進藤は水槽のガラスに貼ってあるシール状の説明書きを指でさしてから、あとを続けた。
「…ルリスズメダイってのが本当の名前みたいだな」
僕は、緒方さんにあらかじめ聞いてあった知識を、いま口にする気にはなれなかった。
そんな賢しら口は、いまの気分を台無しにするような気がしたんだ。
「コバルトスズメとも言うんだね?」
僕は、進藤の指差す解説文に目を走らせた。
「なんか…俺の知らない魚みてぇ……」
「名前が違うと?」
「うん、まあな」
そう言って、拗ねたように口をへの字にする進藤が子供っぽくて思わず噴出してしまいました。
「なんだよ、笑うなよ。こんなガキンチョの頃から、ルリイロスズメダイって信じてきたんだかんな。
それをいきなり間違ってたって言われてもな。気持がね、ついてかなねぇよ」
進藤はため息まじりに小さく笑った。
その笑みに、僕は笑った事を後悔していた。
だって……、それは最近進藤がよく見せる寂しそうに表情だったから。
「進藤…、すまない……」
僕が居たたまれない思いで謝ると、進藤は慌てて言い募った。
「な、なんだよ。なに謝ってんだよ。相変わらず、わけわかんねーな。それより!
それより、こいつら、綺麗だとおもわねえ?」
僕はその言葉に大きくうなずいて見せた。
名前がどうであろうと、青い魚は美しかった。
進藤はこの魚が、僕に似てると言っていた。
僕とどこが似ているのか問いただしたかった。そのつもりだった。
だけど、なんと切り出せばいいのかわからない。
それに確かめるのが、少しだけ怖かった。
(7)
進藤がルリイロスズメダイと長年呼んでいた魚は、本当に綺麗な青い色をしていた。
空や海を思わせる青じゃない。
それは宝石の青だ。
母の宝石箱にある青い石はなんといっただろう。エメラルド? サファイア? ルビーは確か赤い石だったと思う。
水槽の中で、珊瑚の枝を縫うようにして泳ぎ回る青い魚が、泳ぐ宝石のように思えた。
空のように、海のように、透明ではない。
もっとはっきりとした色、でも水の流れや光線の加減で、微妙に色見が変わる。
生きている青だ。息衝く青だ。
瑠璃の魚は、群れで動くのが習性らしい。
白とピンクの珊瑚の影に隠れている。でもなにかの弾みで、一遍に200前後がさあっと動き出す。
一瞬水槽の中が、青く染まったように思えるが、すぐにまた珊瑚の向こうに姿を隠す。
「綺麗だろ?」
「ああ」
「俺の一番好きな魚なんだ」
その言葉になにか特別な含みがあるようで、僕はなんと答えていいのかわからず、そっと進藤を盗み見た。が、すぐに視線を戻した。
なぜなら、進藤が見ていたのは、僕だったからだ。
胸が騒いだ。
落ち着かない。ひどく落ち着かない。
なにか言わなければと思うけど、なにを言えばいいのかわからない。
そんな僕を助けてくれたのは、一匹の魚だ。
「進藤、これはなんて言うのかな?」
「これ? どれ?」
「この魚、この黄色と黒の……」
「ええっと。これは、クマノミ……だね」
「これ……」
「いいよ、言わなくてもわかるよ。俺に似てんだろ?」
不貞腐れたような進藤の言葉に、僕は笑った。
クマノミは、金と黒の縞模様。進藤の髪のようだ。
|