若手棋士による塔矢アキラ研究会 51 - 54
(51)
「オレ達は今日の事は誰にも言わない…オレ達は…塔矢君の事を守る…
何かあったら…命を賭けて…必ず…」
虚しいばかりの謝罪の言葉がアキラに伝えられていた。アキラは何の反応もしなかった。
車で来ていたフェラの男がアキラを送っていった。ふらつくように歩くアキラを
フライングの男と前歯の男が支えるようにして一緒に送って行った。
アキラが出て行った後、眼鏡の男が気がついて跳び起き周りを見回した。
「と、塔矢くんは…!?塔矢くん…」
「祭りは終わったんだよ。ワキ。」
「そ、そんな、…じゃ、じゃあ、今度は?いつ?今日の事をバラすって脅かせば
きっとまた…」
そう言う眼鏡の男の襟首を掴むと、長髪の男は一気に締め上げた。
「く、苦しい…っ!な、何を…」
「いいか、ワキ、二度と塔矢アキラに近付くな。今日の事はオレ達が墓まで持って行く
内緒の事なんだ。もし誰かに漏らしたり塔矢アキラにしつこくするようなことをしたら
…オレがお前をぶっ殺す…!わかったか…!」
あまりの長髪の男の剣幕に眼鏡の男は訳がわからずとりあえず真っ青になって
うんうん頷いた。
程なくフェラ男達が戻って来た。
「随分早かったじゃないか。何があったんだ。」
「それが…途中の場所で、塔矢くんが急に降りると言い出して…」
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アキラは、途中まで黙ってフェラ男の車に乗っていた。助手席で、無表情に
前方を見つめていた。運転していたフェラ男も、後ろのシートのフライング男も
前歯の男も緊張した面持ちでいた。
だが何かを思い出したようにアキラが突然方向を指示しだしたらしい。
「…止めて!」
住宅街の中、アキラの叫ぶような声に歩道脇に停止すると同時に、アキラは
ドアを開けると出て行ってしまった。
「と、塔矢くん…?」
後ろのシートから男達が降りようとすると振り返って「ついてくるな」という意の
アキラの厳しい視線を投げ付けられ、全員その場を動けなくなった。
時刻は夜の9時近くだった。住宅地の闇の向こうにアキラの姿は消えて行った。
その地区の場所を聞いて長髪の男は納得した。
「…進藤か。」
バスタオルでアキラの体を包んで抱き締め謝った時、アキラの唇がくり返していた。
「ボクを…するのは、進藤しかいない」
そう言っていた気がする。
ヒカルは夜の突然の思わぬ訪問者に当惑していた。今まで何度か自宅に遊びに来るよう
誘ったがどこか、どこか遠慮がちに曖昧な返事しかしてくれなかった相手が、その相手に
してみれば常識的とはあまり言えない時間に玄関の前に立っている。
「何の用だよ、こんな時間に。…塔矢。」
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つっけんどんな言い方をしてしまった。碁会所で塔矢に対し皆の前でタンカをきった
手前、顔を合わした早々笑顔を見せるわけにはいかないと意地になっていた。
しかも当の本人のアキラは母親に呼ばれて顔を出したこちらをただ黙って見つめるだけで
なにも喋ろうとしない。ただじっと恐い目でこちらを見つめる。
そうやって玄関の中で互いに睨み合う形になった。
その睨むような目付きだったアキラだったが、まるで時間がたってようやく目の前に
居るのがヒカルだと認識したように、ハッと驚いた表情になって見る見る今にも
泣き出しそうな悲しい表情に変わっていった。
「…塔矢?」
それまで真直ぐに立っていたアキラの体が揺れ、肩を玄関の壁にぶつけて自分の体重を
壁に預けて立つような感じになり、ヒカルが慌ててそんなアキラの腕に手を添えた。
「とにかく上がれよ。な。…どっか具合悪いのか?」
アキラは首を横に振るが、顔色は悪かった。そうしてやはりヒカルの目を見つめて来る。
ヒカルはアキラの肩を抱くようにして階段を上がらせ、自分の部屋に入れた。
棋譜並べの途中の碁盤が部屋の中央にあり、それを目にしたとたん何故か少しアキラが
ビクッと体を震わせた気がした。
ヒカルはアキラを適当な場所に座らせると一度階下に降りていき、飲み物を母親から
受け取って部屋に戻って来た。
「和谷とか伊角さんとかも…知ってるだろ、オレの院生仲間でプロになった…時々
来て朝まで検討したりするんだ。だから、別にいいんだ、ホントは。」
「こんな時間に」と言ってしまった事を撤回するためにアキラにそう話す。
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アキラはフッと小さく笑んだ。それでもやはり黙ってただヒカルを見つめて来る。
ベッドにもたれて床に座り、落ち着かない様子で髪をいじったりしていたヒカルだったが、
やがてヒカルもアキラの方を見、そのまま黙って二人で見つめ合った。
ヒカルはようやくアキラの身に何か深刻な事態が起こった事を察知し始めた。
何かがあった。だがその事を話す気はない。それでも会いたいと思って、それで来た。
アキラの目はそう訴えていた。
「…隣に座っていいかな、進藤…」
「…うん。」
自分が座っていた位置から床に手をついて這うようにこちらに近付き、ゆっくりした動作で
隣に座り直す。普段のアキラだったらスクッと立ち上がって移動するはずだ。それだけでも
心持ち億劫だったように、僅かに呼吸が荒くなっているような気がする。
「…ごめん、ちょっと疲れているんだ」
ヒカルの右肩にアキラの体重がかかってくる。アキラは頭もヒカルの右肩に乗せてきた。
ヒカルが少しそのアキラの顎を手で持ち上げると唇をそっと重ねていった。
アキラはようやく安心しきったように体の力を抜いた。
碁盤の上に列んだ7個の黒石を長髪の男は見つめる。その一つ一つがアキラのその瞬間の
吐息や声、表情をまざまざと思い起こさせる。そのために残しておいた石だ。
「…普通の恋愛は出来ないな、もう、オレは…」
宴は、終わったのだ。
―終―
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