若手棋士による塔矢アキラ研究会 53 - 54
(53)
つっけんどんな言い方をしてしまった。碁会所で塔矢に対し皆の前でタンカをきった
手前、顔を合わした早々笑顔を見せるわけにはいかないと意地になっていた。
しかも当の本人のアキラは母親に呼ばれて顔を出したこちらをただ黙って見つめるだけで
なにも喋ろうとしない。ただじっと恐い目でこちらを見つめる。
そうやって玄関の中で互いに睨み合う形になった。
その睨むような目付きだったアキラだったが、まるで時間がたってようやく目の前に
居るのがヒカルだと認識したように、ハッと驚いた表情になって見る見る今にも
泣き出しそうな悲しい表情に変わっていった。
「…塔矢?」
それまで真直ぐに立っていたアキラの体が揺れ、肩を玄関の壁にぶつけて自分の体重を
壁に預けて立つような感じになり、ヒカルが慌ててそんなアキラの腕に手を添えた。
「とにかく上がれよ。な。…どっか具合悪いのか?」
アキラは首を横に振るが、顔色は悪かった。そうしてやはりヒカルの目を見つめて来る。
ヒカルはアキラの肩を抱くようにして階段を上がらせ、自分の部屋に入れた。
棋譜並べの途中の碁盤が部屋の中央にあり、それを目にしたとたん何故か少しアキラが
ビクッと体を震わせた気がした。
ヒカルはアキラを適当な場所に座らせると一度階下に降りていき、飲み物を母親から
受け取って部屋に戻って来た。
「和谷とか伊角さんとかも…知ってるだろ、オレの院生仲間でプロになった…時々
来て朝まで検討したりするんだ。だから、別にいいんだ、ホントは。」
「こんな時間に」と言ってしまった事を撤回するためにアキラにそう話す。
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アキラはフッと小さく笑んだ。それでもやはり黙ってただヒカルを見つめて来る。
ベッドにもたれて床に座り、落ち着かない様子で髪をいじったりしていたヒカルだったが、
やがてヒカルもアキラの方を見、そのまま黙って二人で見つめ合った。
ヒカルはようやくアキラの身に何か深刻な事態が起こった事を察知し始めた。
何かがあった。だがその事を話す気はない。それでも会いたいと思って、それで来た。
アキラの目はそう訴えていた。
「…隣に座っていいかな、進藤…」
「…うん。」
自分が座っていた位置から床に手をついて這うようにこちらに近付き、ゆっくりした動作で
隣に座り直す。普段のアキラだったらスクッと立ち上がって移動するはずだ。それだけでも
心持ち億劫だったように、僅かに呼吸が荒くなっているような気がする。
「…ごめん、ちょっと疲れているんだ」
ヒカルの右肩にアキラの体重がかかってくる。アキラは頭もヒカルの右肩に乗せてきた。
ヒカルが少しそのアキラの顎を手で持ち上げると唇をそっと重ねていった。
アキラはようやく安心しきったように体の力を抜いた。
碁盤の上に列んだ7個の黒石を長髪の男は見つめる。その一つ一つがアキラのその瞬間の
吐息や声、表情をまざまざと思い起こさせる。そのために残しておいた石だ。
「…普通の恋愛は出来ないな、もう、オレは…」
宴は、終わったのだ。
―終―
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