ストイック 6
(6)
その夜、僕は灯りを落した部屋の中で、彼を想いながら自分の身体を慰めた。
今まで言葉でしか知らなかった『恋』というものを、自分自身の身体で体感していた。
苦しいとかせつないとか…、愛しい、とか…
そういった感情は、こんなにも荒々しく身体を苛むものだったのか。
猛るような感情の底にあるのは静謐。そして僕の思考を痺れさせる、甘やかな露がそこにあった。
身の内におさまりきらない感情が、喘ぎとなって僕の口からこぼれていく。
自淫という行為は知っていたが、声をもらしたのは初めてだった。
涙さえ、滲んだ。
高まりの中で、僕は彼の名前を呼んでいた。
部屋の中には僕の他に誰もいないのに、僕はその言葉が音になるのを怖れて、枕に顔を押しつけていた。
そうしながらも僕は声をひそめ、彼の名前を呼んだ。
到達するその瞬間まで、何度も、何度も…
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264 :ストイック ◆xX1gXp10oE sage/カナーリ酔っ払い&前後不覚 :02/10/12 21:59 ID:???
父が倒れたのは早朝のことだった。
母の声で目を覚ました僕は、悲鳴のような母の切れぎれの言葉と、身体を丸めるように倒れている父の姿に、事の次第を理解した。
僕は救急車を呼び、母に着替えるように言った。母はまだ寝巻きのままであったから、そのままでは父に付き添えないと思ったからだ。
僕は父の傍らに跪き、父の身体に手をかけた。父の荒い呼吸に、僕は混乱した。
「アキラさん」
母が寝巻きのまま、僕を呼んだ。
「着替えて、お父さんについてあげて」
母は震えていた。僕を見る母の目が、どこかうつろだった。
僕はその場を母に任せて、部屋に戻って服をかえた。
父とともに救急車に乗り、問われるままに父の生年月日を答えた。
父の顔を正視できなかった。追い続け、目標としていた父は、おそらくは青ざめ、その大きな身体を横たえていたのだろう。
病院の廊下に設えられた椅子に座り…
「命に別状はありません」
という医師の言葉を聞いて緊張を解くまでの間…
僕はどんな表情をしていたのだろう。
僕は医師の言葉を一刻も早く母に伝えようと、公衆電話を探した。
僕がそのことを伝えると、電話の向こうで、母が息をつまらせた。母はその時、泣いていたのだろう。
母ト父ガ愛シアッテ、僕ガ生マレタ…
そのとき僕は、そんな単純な言葉を思い返していた。
そんな風に取り乱す母を見たのは初めてのことだったし、弱々しく処置を受ける父を見るのも初めてだった。
僕はそのときになって初めて、父と母がただ単純に僕の両親であるわけではなく、それ以前に個々の人間であり、男と女であるのだと思い至った。
医師の言葉に安心した僕は、倒れた父を目の前にして、気丈に振舞いながらも右往左往するしかなかった母に、これまでとは違う愛しさを感じていた。
だって、愛する者を失ってしまうかもしれない不安を、僕は知っていたから。
いままでぬるま湯のような周囲の好意を甘んじていた僕は、まるで目に見えない悪意に追いやられるように、開眼しはじめていた。
それとも大人になる道程というのは、こんなにも急激なものなのだろうか。
父と母をただの人と思った瞬間…
僕はそれまで僕を包んでいた世界が、次々に崩れ、形をかえて行くのを感じた。
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