夏の終わり 7 - 8
(7)
言葉は要らない。
それでも行き交うなにかが、ある。
ぎゅぷっ
鬼灯の音の向こうでからりと乾いた音がした。
続けて、砂利石を踏みしだく音。
「進藤君じゃない?」
母が口の中から、鬼灯を取り出すとはしゃいだ声で言った。
「進藤君!」
パタパタとサンダルが軽やかな音を立てる。
「進藤君、こっち、こっちよ。お庭に回って」
表と庭の仕切り戸のところで、手を振る母の後姿を眺めながら、僕は鬼灯の皮を舌に乗せた。
「お邪魔します」と、会釈しながら西瓜片手に進藤が仕切り戸をくぐり、夏の庭に姿を現した。。
「まあ、こんな気を使わなくてもいいのに。あら冷えてるのね」
「えへへ、自分が食べたくって。よく冷えてるのを買ってきました」
「いま切ってくるわね。少し早いけど、お三時にしましょう」
母は西瓜を受け取ると、表に回る。それと入れ替わるように、進藤が縁側にやってくる。
「よお」
片手を挙げて満面に笑みを浮かべた進藤は、夏の陽射しそのものだ。
僕も笑顔で応じる。
―――ぎゅぷっ
「塔矢…?」
「ぎゅぷっ」
「…………なんの音?」
「ぎゅぷっ」
「塔矢?」
僕は、舌先に鬼灯を乗せ、ぺろりと見せてやった。
「なに、それ?」
「鬼灯だよ」
「鬼灯って食えるの?」
思わず声をあげて笑っていた。進藤の問いがあまりに彼らしくて。
「知らない? 鬼灯笛」
「知らないよ。なんだよ、それ」
どさっと重い音を立てて、進藤が僕の隣に腰を下ろす。
「よく熟れた鬼灯をね。こういう風に揉んで……、そう、柔らかくなった?柔らかくなったら……、この爪楊枝で、ここから中味を掻き出して……。
あ、ダメだよ。力任せにしたらすぐ破けるから……気をつけて。そう……そんな感じ」
なぜか、僕たちは鬼灯に夢中になっていた。
(8)
「あなたたち、私の鬼灯を丸裸にしないでちょうだいね」
西瓜の載ったお盆を手に、台所のほうからやってきた母が、至極真面目な顔で言うから、僕はまた噴出してしまった。
「"進藤君の鬼灯"じゃなかった?」
「それはこの子の名前。一度いただいたんですもの。これは"私の鬼灯"よ」
言い募る様子が子供じみている。
進藤がくると、母は少女を通り越して子供になってしまうようだ。
彼の中の澄んだ部分が、人を無邪気にするのかもしれない。
「あ!」
進藤が声をあげる。鬼灯の実を爪楊枝で破いてしまったんだ。
「ああ、言ってる傍から。進藤君、コツがあるのよ。しつこいぐらい揉むの。
焦らないでね。皮が梳けてくるくらい揉むの。それからヘタをくるくる回すと、ね、
わかるかしら? なかで種が踊っているでしょ? この状態まで我慢して。
それからそぉーっと下手を引き抜くのよ。ね、この口の部分に少しでも傷ができたら、鳴らないの」
母は、小さな子供と話しているように、とても優しい口調でお手本を見せてくれた。
今度は進藤もうまく種を掻き出し、鬼灯を完全な形で空にすることができた。
「できたら、空気を入れて膨らまして、……あら、電話だわ。あとはアキラさんに聞いてね」
静まりかえった家の中に、旧式の電話の猛々しい呼び出し音が響く。
黒いダイヤル式の電話を初めて見たとき、進藤は目を丸くして驚いていた。
『俺、この手の電話、実物見るの初めて』
まだ使われているとは思わなかったと言われた時は、さすがに苦笑が零れた。
進藤は、『試していい?』と断ってから、ふたりの知人に電話をかけていた。
その横で、僕も少し面白がっていたのだが、かけた相手が和谷君と幼馴染の藤崎さんだったことに、苛立った。
あの時は、なぜ自分が苛立つのか、まだ理解していなかった。
今なら、わかる。あれは嫉妬だったんだ。
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