雷鳴 16 - 18


(16)
「これはどういう事ですか?」

抑揚をなくした言葉が、ヒカルの耳に届く。それは、耳に馴染んだ声だった。
少し低くて、少し掠れていて……、好きな声だった。
塔矢アキラの声だった。
ヒカルは体を起こそうとした。
いま自分が見ているものが、いま自分が聞いている声が、夢でない事を確認したかった。実感したかった。
だが、それは現在のヒカルにとって、容易いことではなかった。

「なぜ、進藤君は縛られているんです?」

アキラの言葉で、ヒカルは自分の置かれた状況を認識する。
ヒカルは、自分がなにも着ていない事に、まず気がついた。
次に気づいたのは、裸の胸の上で交差する、縄。
それは、光沢のある赤い縄だった。
その扇情的な色は、縄やロープといった単語に、ヒカルが持っていたイメージから大きく掛け離れていた。
どうやら首にもなにかが掛けられているらしく、大きく動かすと息が詰まる。
ヒカルは、大きな瞳だけを上下左右に走らせた。
限定された視界の中で、目で確認できるものは多くはなかった。
彼は、混乱の中にあって、それでも最大限の努力で、意識的に身じろいだ。
だが、動こうにも動けない
後ろ手で縛られていることを、遅まきながら理解した。
手首が動かない。脚は、太股のあたりで拘束されている。
肩に感じるに柔らかい感触。鼻腔をくすぐるのは革の匂い。
ヒカルは、自分が寝椅子のようなものに、縄で括り付けられていることに気づいた。
その事実に、殴られたような衝撃を覚える。
気を失っている間に、誰かがまた入ってきたのだ。そして、これだけの仕事をして除けたのだ。
なのに、自分は情けない事に、されるがままだった。
それが悔しいと同時に、酷く惨めに思えた。


(17)
「進藤君を、いますぐ解放してください」

アキラの硬い声が、蔵の中に響く。
それを追い、少し嗄れた声がヒカルの耳に届いた。
「それは君の返答次第だ」
ヒカルに指導碁を依頼した男の声だった。
「てめぇっ!」
咄嗟にヒカルは、自分の置かれた状況を忘れて、腹筋を使い体を起こしていた。
途端に、喉に強い力が加わり、息が詰まる。
「ッウ!」
華奢な体が、あえなく沈む。
いきなり襲いかかった、痛みと吐き気に喘ぐうちに、生理的な涙が眦に浮かんでくる。
「進籐!?」
アキラは一声叫ぶと、ヒカルのもとに駆け寄った。
「進籐!」
それは、蔵の戸が閉まる音と共に、ヒカルの耳朶を打つ。
続いて聞こえるのは、近づいてくる足音と衣擦れ。
涙で霞む視界に、アキラの白い顔と黒い髪が飛びこんでくる。
「進籐……、なんてことだ」
震える指が、ヒカルの肩を躊躇いがちに包む。
その温もりに、ヒカルが震えた。


(18)
――――これは夢じゃない。
      塔矢がここにいる。俺の側にいる。

その事実を確かめるように、ヒカルは口を開いた。
「塔矢……」
「進籐……、いま助けてやるから」
子供のように、声をあげて泣いてしまえたらどんなにいいだろうと、ヒカルは思った。
二日近く、閉じ込められていた事が、ヒカルを間違いなく追い詰めていた。
「縄を解いてください」
アキラは、ヒカルの体に半ば覆い被さるようにして、後ろを振り向き静かに告げた。
しかし、帰ってきたのは、耳障りな忍び笑いだった。
「まさか、私がその言葉に従うとは思っていないだろうね?」
依頼主は、楽しげに嘯く。
「進藤君が具合を悪くして、僕を呼んでいると伺いました」
満足に動けないヒカルには、アキラの表情は見えなかった。だが、言葉の端々に、涙を飲んだような響きがあった。
肩に置かれたままの手は、小刻みに震えている。
憤りがそうさせるのか、恐怖がそうさせるのか……、ヒカルはぼんやりと考えていた。
飢えと渇きと、この間の疲れが、ヒカルから正常な思考能力さえ奪っているのだろう。
「昨日から水一滴与えていないからね、具合がいいとは言えないだろう?」
壮年の男の猫撫で声が、神経を徒に逆撫でる。
不自然に体をねじっていたアキラが、向き直る。
一瞬、ふたりの少年の視線が結ばれた。
アキラは、ヒカルに向かって優しく微笑んだ。
その微笑に、ヒカルの半ば麻痺していた感情が、大きく揺り動かされる。
「塔…やッ………」
そうして胸の奥から込み上げてきた涙は、ヒカルの両の瞳を熱く焼くようだった。
「泣かないで……、大丈夫だよ」
アキラは笑顔でそう言うと、ヒカルを励ますように肩を包む手に、ぎゅっと力をこめた。
それから、名残を惜しむように、ゆっくりと離れていった。
ヒカルの視界で、アキラが背中を向ける。
そして、男と対峙する。
「目的を伺いましょう」
アキラの声は、もう震えてはいなかった。



TOPページ先頭 表示数を保持: ■

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!