てんし【天使】 Angel Song 5. 手塚がちょうど、不二家の中にいた頃。 (……別に、未練があるって訳じゃないけど) しかしそれでは、どうしてここに足を運んだのかの説明がつかない。 (突然、あんなこと言うから……) そのとき、不二家の玄関が開いた。誰か出てくるのかと思った不二は思わず身構えた。 (……手塚!?) 驚いて目を凝らして確認するが、間違いなかった。 手塚の後からエプロン姿の女性が出てきた。手塚はその女性に深く頭を下げて不二家を後にした。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 手塚が不二家を出て、五分ぐらい経った頃だった。ちょうど近所の区立公園の入り口に差し掛かった時のことだった。 「……不二」 不二は何も答えなかった。ひたすら真剣な眼差しで自分を見つめていた。 「……ここね、公園なんだ。立ち話しもなんだし、ちょっと座って話そう」 不二の誘いに同意した。先導されるままに公園の中に入っていった。 夕暮れの公園に人の姿はほとんど無かった。もともとこの辺りは閑静な住宅街だ。子供ももう帰ったのだろう。 「……どうして、こんなところにいるのさ」 今更嘘をついても仕方がないように思った。手塚は正直に答えた。 「……何度も言うけど、その天才小学生、僕とは別人だからね」 手塚はそれだけ言うと、少し間を置いて気分を落ち着けてから静かに話し始めた。 「彼は……事故死していた。ジュニア大会の決勝トーナメントの前日に、事故にあって」 不二は時折相槌を入れるだけで、ほとんど黙って聞いていた。 「先ほど不二周助の家で、小学校時代の試合の録画を見せてもらった。確かに上手かった。もしも生きていたら、……是非、一度試合してみたいものだった」 手塚はそこで再び間を置くと、ゆっくりと、言葉を選んで口にした。 「もしも、今、彼が居るとしたら……」 不二は首を捻って手塚の方を見ていた。手塚が突然言った言葉の意味が解っていないようだった。 「……もしも今、不二周助が例えば、俺の目の前に居るとしたら。……俺は、何をしてやれると思う?」 不二は目を見開くと、俯いて、少し黙り込んでいた。 「……これってさ、あくまで、仮定の話だよね」 仮定の話であることを不二はことさらに強調して言った。 「……もしもね、僕が、その子の立場だったら……手塚からはきっと、何もされたくないと思うよ?」 不二は下を向いたまま、早口で喋りはじめた。溜めていたものを全て吐き出すように。 「だいたい、君の考え方がおめでた過ぎるんだよ。甘いよ。その子が手塚と試合したがってたって、それって母親と弟の証言でしかないだろ? 本人はひょっとしたらそんなことちっとも考えてなかったかもしれないし。その子が手塚のこと知ってたのは確かでもさ、でも手塚に好意を抱いていたとは限らないじゃん?」 急に饒舌になった不二に、手塚は首を捻った。 「考えてみなよ。その子、プライド高かったんだろう? 天才なんて呼ばれていたぐらいならなおさら下らないプライドの塊だったんじゃないかな。それまで一度も試合で負けたことのないような、そんな子が……自分より強い相手を見たら、普通、一体どう思う?」 手塚の言葉を不二はあっさり切り捨てた。 「……もう一度言っとくけど、これは仮定の話だよ。もしも僕が不二周助だったとして、君のプレイを見たら、一体どう思うか」 不二はそこで一息入れると、再び話し始めた。 「最初は素直に君のプレイに惹かれてた。でも、君と戦わなくちゃならないって考えれば考えるほどぞっとした。どれだけ考えても君には勝てないって思った。負けることが解ってる相手と戦うのが恐かった」 話しつづける不二を、手塚は止めなかった。 「予選の後ずっと君のことばっかり考えてた。何時の間にかそんな自分が嫌でたまらなくなってた。自分が自分じゃなくなったみたいで恐かった。だって手塚は僕のことなんか全然知らないのに。僕だけが君のこと考えてた。自分でもおかしくなったみたいだと思った。君に負ける自分が嫌でどうしようもなかった。……解らなくなってた、どうすればいいか。君のことなんてもう考えたくなかった。……だから」 不二はそこで、一度言葉を切った。 「……だから、君のことばっかり考えてて、車に気付かなくて……事故死っていっても、もう半分は自殺みたいなものじゃ……なかったのかな……って……」 手塚はぐっと息を飲んだ。 「……言っておくけどね……、これは、あくまで、僕の想像の、話……だから、ね……」 不二はそこまで言うと、そのままの体勢で黙り込んだ。肩が小刻みに震えているのが解った。 「……不二」 だが、不二は手塚のその手をすっと払いのけた。 「……今更、君が僕に何かしてくれるかなんて、期待してないよ。君は生前の僕のことなんかちっとも知らなかったクセに」 不二はまだ顔を上げなかった。 「……ならば、もしも、死んだ不二周助に、俺と出会うことが出来る機会が訪れたとしたら」 不二は一度、全身を大きく振るわせた。 「……そんな、はずは、ないよ……」 ゆっくり首を横に振って答えた。 「君にもう一度会えるなら……死んでからでも、君が僕のことなんか知らなくても、何でも良かった……」 震えている不二の肩を、今度は無理やり引き寄せた。身体を両腕で抱きしめると、ちょうど腕に収まる大きさだった。 「……すまん」 髪に顔を埋める。 「ところで、君、はっきり言っておくけど、周りから見たら変な人だよ……?」 夕闇に包まれた公園に他の人の姿は無い。もしもあったとしても、よほど近づかないと見えないだろう。 「……まあ、君がいいなら、それでいいけど……」 不二も手塚の頭の後ろに手を伸ばしてきて、ゆっくりと髪を梳いた。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 「あはは、ばれちゃったみたいですねえ」 不二が再び先輩に呼出をくらったのは、それから数日後のことだった。 「……先輩」 不二は少し躊躇って口を噤んだ。 「……だいたい、どーして、僕を手塚の担当にしたんですか」 手塚自身は知らなくとも、不二の方は手塚のことを良く知っていたのに。こんな人選、フェアとはいえない。少しでも手塚に正体がばれる危険性は幾らでもあったのだ。 「……そーですね。ま、でも、ターゲットの方が君の事を知らなかったら問題ないわけですから」 先輩はにっこりと人の悪い微笑を浮かべた。 「ああ、それ、心配してたんですか? でもあれは大丈夫なんですよ。……もしも、不二君が自分から生前のことばらしてたら、きっつーいオシオキが待っていたところですけど」 先輩のこういうところが不二はとても嫌いだった。 「でも、ターゲットの方が気付いてどう行動しようと、それは仕方の無いことですから。運が悪かったですねえ。ただ不二君の責任問題にはなりませんよ。安心してくださいね」 自分の気持ちを見透かしたような口調で話す先輩を不二は睨みつけた。だが先輩は平然としたままだった。 「でももう一度確認しておきましょう。不二君のお仕事は手塚君の願い事を一つだけ叶えてあげることです。期限はクリスマスまで。それが終わったら手塚君とはお別れです」 そう言われて不二はようやく思い出した。いろいろあって手塚に言うのを忘れていた。期限が設けられていたのだ。 「……言われなくても解ってます」 にやにやと微笑んでいる先輩の顔から、不二は目を反らした。 「解ってますよ。クリスマスまでまだ時間もあるでしょう!? ちゃんと手塚の願い事、見つけますよ!!」 そこで、不二はふっと気になっていたことを思い出した。 「……ところで先輩、……もしかして、この辺に家族とか身内の方とかでも、いらっしゃるんですか?」 手塚の二代前の部長だと言う怪しいサングラス男を思い出して、不二は身震いした。 「ちょっと……生き写しのような人を見つけたんで……」 それであっさり流していいのだろうか、というか貴方は人じゃなくて天使だろうが、とか言いたいことはいくつかあったが、あまり会話を続けたい気分でもなかったので不二は沈黙を守った。 「それでは」 それだけ言うと先輩は空の向こうへと飛んでいった。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 青春学園校内。宙を飛んで部室に向かっていた不二は、校舎の中に知った顔を見かけた。 (先輩……じゃなくて、あのサングラス男……) それともう一人、坊主頭の少年が並んでいる。青学テニス部副部長の大石だった。 「……なんですか、俺に話って……手塚じゃないんですか?」 大石は訝しげに大和に問い掛けた。 「……ちょっとね、手塚君の周りから固めたほうがよさそうなので」 はぐらかしたような大和の言葉に、大石は眉根を寄せた。妙に緊迫した気配だった。 「……ところで」 突然大和は後ろを振り向いたので、大石がびくりと肩を揺らした。不二もぎくと動きを止めた。 「誰か、いるよーな気が……?」 大石の後ろ、不二がいる辺りに大和は視線を向けた。 「な、何言ってるんですか……?」 真剣な大和の口調に首を傾げる大石の後ろで、不二は固まっていた。やはりうっすらと見えているらしい。出来るだけ気配を消しながら後をつける。 「……あのー、勝手に使用していいんですかー?」 大和はそう言うと、再生ボタンを押した。 「で、これが手塚君の試合……」 話から何の場面かはだいたい解った。最初の試合、相手とのレベルの差もあるが、一部の隙も与えず手塚は完勝した。 「……これが、何か……?」 大石は画面を見ながら恐る恐る尋ねた。 「……少し前……秋季大会が終わってすぐにね、スミレちゃんから、電話もらったんですよ。手塚君の調子がおかしいみたいだって」 「……!!!」 大石が大きな声を出して大和に窘められている後ろで、不二も衝撃を受けていた。 手塚の調子がおかしい? そんなはず、ない。 思わず否定した。不二には信じられない言葉だった。手塚が調子を崩しているなんて。 「ま、待ってください……手塚は順調ですよ。だってほら、この試合だって、15分で……」 青くなっている大石を落ち着けるように、大和は大石の肩を掴んだ。 「……君がそれでどうするんです、大石君」 大和はそこで奥歯を噛み締めた。 「……最初はね、そういう部長としてのプレッシャーのせいかと思ってたんです。速攻も自主練もね。それでなくても……レギュラー総入れ替えが起こったあとの今のテニス部はシングルス1の手塚君の双肩に全てかかっています。何分、まだ戦力が少ない」 思うところがあったのか、大石は謝罪の言葉を述べた。 「……大石君のせいじゃありませんよ。僕もスミレちゃんもね、手塚君には安心しきっていたところがありますから……」 大和は肩を落とすと、画面を指差した。 「手塚君の調子を確認するために乾君からビデオを借りたんですよ。それをずっと見てたんですけどね、気になるしぐさが……」 大石は指につられて画面を覗き込んだ。 「……これが、いったい?」 大石はあっ、と大声を上げた。 「まさか……あの時の!?」 二人の言う「あの時」が何なのか不二は解らなかった。だが、嫌な響きのある言葉であることは間違い無さそうだった。 「…………!!」 その試合を見て不二は息を飲んだ。 「……試合結果を見る限り、手塚君の調子が悪いのか、どうかは解りません。だけど、この左肘を触る動作が、明らかに多いのが目に付きます」 大石は震える手を額に当てた。気付けなかった自分を恥じているようだった。 「ッ……手塚に、問い詰めないと……!!!」 「…………」 大和と大石を残して、不二は視聴覚室を後にした。 :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*: 手塚の元に、不二は飛んでやってきた。 「……手塚ッ」 思わず名前を呼んだ。手塚はあからさまに慌てて振り向いた。 「……不二……!」 手塚の下に降り立つと、不二は服を掴んで問い掛けた。 「……なんだよ、今の動き……君やっぱり、腕……」 手塚はぐっと唇を噛み締めた。 「違う、少し注意が逸れただけだ……」 手塚が強い語調で反論したので、不二は思わず黙り込んだ。 「だいたい、お前は天使でテニスなど知らんと言っただろう!!」 手塚が揚げ足を取るようなことを言ったので、不二も逆ギレした。 「ああもう認めるよ。君が調べたとおり生前の僕の名前は不二周助。ご近所でも評判の天才小学生だったよ。……君のことも良く知ってた。君の試合だって見たことあるよ」 あれほど自分が人間である事を否定していた不二は突然、手のひらを返したようにそのことを認めた。 「だから言わせてもらう。……腕、どうしたんだよ」 不二の視線を反らそうとする手塚の顔を正面に固定した。 「今の君の動きは明らかにおかしかった。二年前のキレが無い。君の動きじゃない。……あんなの、君じゃない」 手塚は顔に似合わない大声で否定した。 「これは……違う。疲れているだけなんだ。そうなんだ」 不二は自分の迂闊さを呪った。遠くからしか手塚の動きを見ていなかったのが災いした。近くで見ていればもっと早く気付けたはずなのに。 「違うと言っているだろう!!」 手塚はなおも否定した。 「……こんな事で、俺は負けてなんかいられない……」 手塚の震えが手を通して不二にも伝わってきた。 「……手塚」 名前を呼ばれて手塚は声のしたほうを向いた。 「……正直に話してくれ、手塚」 竜崎と大和の名前を出されて、さすがの手塚も黙り込んだ。 「お前、左腕が……」 手塚の左手から、ラケットが滑り落ちて地面に転がった。 相変わらず塚不二満載でお送りいたしております。こういう手塚始めて書いたよーな。 |