てんし【天使】
(1)ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などで,神の使者として神と人との仲介をつとめるもの。エンジェル。
(2)やさしい心で,人をいたわる人。「白衣の―」  (新辞林 三省堂)

Angel Song

5.

 手塚がちょうど、不二家の中にいた頃。
 不二もまた、不二家の上空にいた。
 ぼんやりと表情の無い顔で、下を見下ろしている。家の中まで覗く事は不可能だが、もし誰か外に出てきたらその顔ぐらいは見えるだろう、それぐらいの距離だった。
 当然、下から不二の姿は見えない訳だが。

(……別に、未練があるって訳じゃないけど)

 しかしそれでは、どうしてここに足を運んだのかの説明がつかない。
 手塚のせいだ、と不二は責任転嫁した。わずかに目を細める。

(突然、あんなこと言うから……)

 そのとき、不二家の玄関が開いた。誰か出てくるのかと思った不二は思わず身構えた。
 だが、出てきたのは自分の考えていた人物とは違い、黒い学生服の少年だった。
 不二もよく知っている相手だった。

(……手塚!?)

 驚いて目を凝らして確認するが、間違いなかった。
 不二家から出てきたのは、どういうわけか手塚だった。
 そして手塚の目的なんて、思いつく限り、一つしかなかった。

 手塚の後からエプロン姿の女性が出てきた。手塚はその女性に深く頭を下げて不二家を後にした。
 不二はその姿を少しだけ視界に入れると、手塚のあとを追った。

           :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:

 手塚が不二家を出て、五分ぐらい経った頃だった。ちょうど近所の区立公園の入り口に差し掛かった時のことだった。
 重い心を抱えて家路についていたところ、目の前にすっと人影が現れた。背中に何か大きなものを背負っているシルエットだった。
 逆光のはずなのに、その顔は何故か鮮明に見えた。
 手塚は足を止めた。人影の名前を呼ぶ。

「……不二」

 不二は何も答えなかった。ひたすら真剣な眼差しで自分を見つめていた。
 何も言わないということは、自分が何処に居たのか、おそらく感づいているのだろうと思った。

「……ここね、公園なんだ。立ち話しもなんだし、ちょっと座って話そう」
「……そうだな」

 不二の誘いに同意した。先導されるままに公園の中に入っていった。

 夕暮れの公園に人の姿はほとんど無かった。もともとこの辺りは閑静な住宅街だ。子供ももう帰ったのだろう。
 誰も使っていないブランコの前のベンチに並んで腰をかけた。周りから見れば、座っているのは手塚だけに見えただろうけれども。

「……どうして、こんなところにいるのさ」
「不二周助の家に行っていた」

 今更嘘をついても仕方がないように思った。手塚は正直に答えた。
 不二は少し黙り込むと、そう、とだけ答えた。

「……何度も言うけど、その天才小学生、僕とは別人だからね」
「……解っている。俺が個人的に気になっているだけだ」

 手塚はそれだけ言うと、少し間を置いて気分を落ち着けてから静かに話し始めた。
 感情的になっても意味が無い事はわかっている。不二がそのことを簡単に認めたがらないだろうことも。
 だが、今回は不二も話自体をを止める気はないようだった。

「彼は……事故死していた。ジュニア大会の決勝トーナメントの前日に、事故にあって」
「……そうなんだ。残念だったね」
「……生前は俺のことも、知っていたらしい。裕太君は彼が俺と試合したがっていたと言っていた」
「……へえ」
「俺は、彼のことなんか、全く知らなかったというのに……変な話だな。ひょっとしたら、このまま、知らずに終わったのかもしれない。それなのに、彼は俺のことを知っていたんだな」
「…………そうだよね」

 不二は時折相槌を入れるだけで、ほとんど黙って聞いていた。
 否定も肯定もせず、ただ手塚の独白のような話を受け止めていた。

「先ほど不二周助の家で、小学校時代の試合の録画を見せてもらった。確かに上手かった。もしも生きていたら、……是非、一度試合してみたいものだった」
「……どうかな。君に勝てる……相手なんていないよ」

 手塚はそこで再び間を置くと、ゆっくりと、言葉を選んで口にした。

「もしも、今、彼が居るとしたら……」
「……何?」
「だから、仮定の話だ」
「…………手塚?」

 不二は首を捻って手塚の方を見ていた。手塚が突然言った言葉の意味が解っていないようだった。
 そんな不二に視線を合わせて、手塚は言った。

「……もしも今、不二周助が例えば、俺の目の前に居るとしたら。……俺は、何をしてやれると思う?」
「………………」
「言っておくが、これはあくまで仮定の話だからな」

 不二は目を見開くと、俯いて、少し黙り込んでいた。

「……これってさ、あくまで、仮定の話だよね」
「ああ」

 仮定の話であることを不二はことさらに強調して言った。

「……もしもね、僕が、その子の立場だったら……手塚からはきっと、何もされたくないと思うよ?」
「……不二」
「だから、もしもの話だけどね。手塚が今何をしたって、結局変わるわけじゃないじゃん。その子はもう死んじゃってるんだ」

 不二は下を向いたまま、早口で喋りはじめた。溜めていたものを全て吐き出すように。

「だいたい、君の考え方がおめでた過ぎるんだよ。甘いよ。その子が手塚と試合したがってたって、それって母親と弟の証言でしかないだろ? 本人はひょっとしたらそんなことちっとも考えてなかったかもしれないし。その子が手塚のこと知ってたのは確かでもさ、でも手塚に好意を抱いていたとは限らないじゃん?」
「……不二?」
「手塚が何かしてやれるわけないよ。手塚は彼の失ったものを全部手に入れたんだよ。……ジュニア大会で優勝して、青学に入って、いまや中学テニス界期待の星なんて言われてる……もっとも、その子が生きてたからって手塚にみたいになれるとは思えないけどさ……でもそんな君に同情なんかされたら、きっと悔しくて悔しくて憤死する。化けて出るね」

 急に饒舌になった不二に、手塚は首を捻った。
 不二の言葉がいやに鋭い。

「考えてみなよ。その子、プライド高かったんだろう? 天才なんて呼ばれていたぐらいならなおさら下らないプライドの塊だったんじゃないかな。それまで一度も試合で負けたことのないような、そんな子が……自分より強い相手を見たら、普通、一体どう思う?」
「……それは、素直に、一度試合したいと……」
「……だから君は甘いんだよ」

 手塚の言葉を不二はあっさり切り捨てた。

「……もう一度言っとくけど、これは仮定の話だよ。もしも僕が不二周助だったとして、君のプレイを見たら、一体どう思うか」

 不二はそこで一息入れると、再び話し始めた。
 下を向いて両手の平を膝の上で合わせている。

「最初は素直に君のプレイに惹かれてた。でも、君と戦わなくちゃならないって考えれば考えるほどぞっとした。どれだけ考えても君には勝てないって思った。負けることが解ってる相手と戦うのが恐かった」
「………………」

 話しつづける不二を、手塚は止めなかった。
 止めるような言葉は出てこなかった。

「予選の後ずっと君のことばっかり考えてた。何時の間にかそんな自分が嫌でたまらなくなってた。自分が自分じゃなくなったみたいで恐かった。だって手塚は僕のことなんか全然知らないのに。僕だけが君のこと考えてた。自分でもおかしくなったみたいだと思った。君に負ける自分が嫌でどうしようもなかった。……解らなくなってた、どうすればいいか。君のことなんてもう考えたくなかった。……だから」

 不二はそこで、一度言葉を切った。
 膝の上の手が震えているのが視界に入ってきた。そしてその声も。
 その手に触れようと思ったが、身体が強張っていて動けなかった。
 何もすることは出来なかった。

「……だから、君のことばっかり考えてて、車に気付かなくて……事故死っていっても、もう半分は自殺みたいなものじゃ……なかったのかな……って……」
「…………」

 手塚はぐっと息を飲んだ。
 不二の声が胸に突き刺さるようだった。

「……言っておくけどね……、これは、あくまで、僕の想像の、話……だから、ね……」
「ああ……」

 不二はそこまで言うと、そのままの体勢で黙り込んだ。肩が小刻みに震えているのが解った。
 手塚には何の言葉も出てこなかった。
 たが、強張っていた身体をなんとか動かして、その肩に手をかけた。

「……不二」

 だが、不二は手塚のその手をすっと払いのけた。
 払いのけられた手の甲にやけに痛みを感じた。

「……今更、君が僕に何かしてくれるかなんて、期待してないよ。君は生前の僕のことなんかちっとも知らなかったクセに」
「………………」 
「……って……僕が不二周助だったら、きっとそう思う……」

 不二はまだ顔を上げなかった。
 手塚は拳をぐっと握り締めた。

「……ならば、もしも、死んだ不二周助に、俺と出会うことが出来る機会が訪れたとしたら」
「……今度は、何?」
「彼は……そのことを、どう思うだろうか」
「…………」
「やはり……いやいや、来たのだろうか……」
「……ッ」

 不二は一度、全身を大きく振るわせた。
 何かを堪えるようにしながら、途切れ途切れに言葉を紡いだ。

「……そんな、はずは、ないよ……」

 ゆっくり首を横に振って答えた。

「君にもう一度会えるなら……死んでからでも、君が僕のことなんか知らなくても、何でも良かった……」
「…………不二」
「……と、思う……」

 震えている不二の肩を、今度は無理やり引き寄せた。身体を両腕で抱きしめると、ちょうど腕に収まる大きさだった。
 不二も今度は拒まなかった。

「……すまん」
「……謝らないでよ。今のは仮定の話なんだから」
「ああ……そうだったな」

 髪に顔を埋める。
 熱の無い身体は不思議な感触だったが、それが妙に心地よかった。

「ところで、君、はっきり言っておくけど、周りから見たら変な人だよ……?」
「……構わん」

 夕闇に包まれた公園に他の人の姿は無い。もしもあったとしても、よほど近づかないと見えないだろう。

「……まあ、君がいいなら、それでいいけど……」

 不二も手塚の頭の後ろに手を伸ばしてきて、ゆっくりと髪を梳いた。

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「あはは、ばれちゃったみたいですねえ」
「………………」

 不二が再び先輩に呼出をくらったのは、それから数日後のことだった。
 のほほんと笑っている先輩を不二は本気で睨みつけた。
 厭味を言うためだけに呼び出されたのだろうかと思うと無性に腹がたった。
 ターゲットに天使の素性が知られる事は原則的に禁止されている。そのタブーを犯したのだから、どんな罰が待っているかわからない。それは覚悟している。だが、この先輩から罰を受けると思うと異常なまでに気が重かった。

「……先輩」
「はい?」

 不二は少し躊躇って口を噤んだ。
 だが、意を決した。

「……だいたい、どーして、僕を手塚の担当にしたんですか」

 手塚自身は知らなくとも、不二の方は手塚のことを良く知っていたのに。こんな人選、フェアとはいえない。少しでも手塚に正体がばれる危険性は幾らでもあったのだ。
 不二にそう問われて、先輩は少し手を顎にあてて考え込んだ。

「……そーですね。ま、でも、ターゲットの方が君の事を知らなかったら問題ないわけですから」
「でも、……手塚、もう気付いて……」

 先輩はにっこりと人の悪い微笑を浮かべた。

「ああ、それ、心配してたんですか? でもあれは大丈夫なんですよ。……もしも、不二君が自分から生前のことばらしてたら、きっつーいオシオキが待っていたところですけど」
「…………」
「いやはや残念です。ぶっちゃけそれを楽しみにしてたんですが」
「……………………」

 先輩のこういうところが不二はとても嫌いだった。

「でも、ターゲットの方が気付いてどう行動しようと、それは仕方の無いことですから。運が悪かったですねえ。ただ不二君の責任問題にはなりませんよ。安心してくださいね」

 自分の気持ちを見透かしたような口調で話す先輩を不二は睨みつけた。だが先輩は平然としたままだった。

「でももう一度確認しておきましょう。不二君のお仕事は手塚君の願い事を一つだけ叶えてあげることです。期限はクリスマスまで。それが終わったら手塚君とはお別れです」

 そう言われて不二はようやく思い出した。いろいろあって手塚に言うのを忘れていた。期限が設けられていたのだ。
 早めに手塚に告げないといけないと思うと、妙に気が重かった。
 だが、それを悟られないように平静を装ったまま応じた。

「……言われなくても解ってます」
「……そうですか? 本当に?」

 にやにやと微笑んでいる先輩の顔から、不二は目を反らした。
 頭に血が上るのを必死で堪えて叫んだ。

「解ってますよ。クリスマスまでまだ時間もあるでしょう!? ちゃんと手塚の願い事、見つけますよ!!」
「その意気ですよー不二君。応援してますからねー」
「…………」
「では僕も仕事忙しいので。これにて失礼しますね」

 そこで、不二はふっと気になっていたことを思い出した。

「……ところで先輩、……もしかして、この辺に家族とか身内の方とかでも、いらっしゃるんですか?」
「……? いえ。僕はもう天使歴150年近くになりますから……いったいどうしたんです?」

 手塚の二代前の部長だと言う怪しいサングラス男を思い出して、不二は身震いした。

「ちょっと……生き写しのような人を見つけたんで……」
「ああ、世の中には良く似た人が三人入るといいますから」

 それであっさり流していいのだろうか、というか貴方は人じゃなくて天使だろうが、とか言いたいことはいくつかあったが、あまり会話を続けたい気分でもなかったので不二は沈黙を守った。

「それでは」

 それだけ言うと先輩は空の向こうへと飛んでいった。
 不二は一度大きく息を吐き出すと、青春学園の方に向かった。
 何時の間にか、不二は手塚の帰りが遅い日は学校に迎え来るのがひとつの日課になっていたからだ。

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 青春学園校内。宙を飛んで部室に向かっていた不二は、校舎の中に知った顔を見かけた。

(先輩……じゃなくて、あのサングラス男……)

 それともう一人、坊主頭の少年が並んでいる。青学テニス部副部長の大石だった。
 この二人がどうして並んでいるのか疑問に思った不二は、こっそり校舎の中に忍び込んで少し離れて二人の後をつけた。

「……なんですか、俺に話って……手塚じゃないんですか?」

 大石は訝しげに大和に問い掛けた。

「……ちょっとね、手塚君の周りから固めたほうがよさそうなので」
「?」

 はぐらかしたような大和の言葉に、大石は眉根を寄せた。妙に緊迫した気配だった。
 手塚の名前が出たので不二も気になった。いったい何の話だろう。

「……ところで」

 突然大和は後ろを振り向いたので、大石がびくりと肩を揺らした。不二もぎくと動きを止めた。

「誰か、いるよーな気が……?」

 大石の後ろ、不二がいる辺りに大和は視線を向けた。
 大石も振り向くが、人間は誰もいない。

「な、何言ってるんですか……?」
「あれー? おかしいなあ? なんか白い服の子がふわりと……」
「そ、それって……」
「まあ、幽霊さんならいいでしょう。生身の人間だと困るんですけど。あんまり広めたくありませんから」
「……?」

 真剣な大和の口調に首を傾げる大石の後ろで、不二は固まっていた。やはりうっすらと見えているらしい。出来るだけ気配を消しながら後をつける。
 二人が入った先は視聴覚室だった。不二も遠くからその様子をうかがう。
 大和は手馴れた様子でモニターの電源をつけると、ビデオをセットした。大石がうろたえたような声を出す。

「……あのー、勝手に使用していいんですかー?」
「スミレちゃんの許可は得てますよ。だいたい備品を生徒が使って何が悪いんです」
「……先輩、もう現役じゃないですか……」
「まあ、細かいことはおいておきましょう。これは前回の秋季大会のビデオです。乾君に借りました」

 大和はそう言うと、再生ボタンを押した。
 黒い画面にやや画質の悪い映像が写る。それを大和は少し早送りした。
 不二は視聴覚室の後ろに位置していた。あまり近づくとまた大和に何か感づかれそうだった。だがここからだと、画像はあまり見えなかった。かろうじてわかる程度だ。
 大和はある場面になると、早送りを止めた。

「で、これが手塚君の試合……」
「……ああ、最初の試合ですね。手塚が、速攻で決めた……」
「ええ。彼にしては珍しい、速攻でね」

 話から何の場面かはだいたい解った。最初の試合、相手とのレベルの差もあるが、一部の隙も与えず手塚は完勝した。
 不二も空の上から見ていた。
 出来れば近くで見たかったが、手塚に来ていることを悟られなくなかったのだ。裕太の姿があったのも理由の一つである。

「……これが、何か……?」

 大石は画面を見ながら恐る恐る尋ねた。
 少し画面に見入ったあと、大和はあるシーンで一時停止した。
 それはゲーム終了後だった。ベンチに戻る手塚のシーンだ。

「……少し前……秋季大会が終わってすぐにね、スミレちゃんから、電話もらったんですよ。手塚君の調子がおかしいみたいだって」
「……手塚、が!?」
「しーっ! 声が大きいですよ、大石君。あんまり広めたくないんです。もちろん手塚君自身にも聞かれたくありません」

「……!!!」

 大石が大きな声を出して大和に窘められている後ろで、不二も衝撃を受けていた。
 頭の中が真っ白になったようだった。

 手塚の調子がおかしい?

 そんなはず、ない。

 思わず否定した。不二には信じられない言葉だった。手塚が調子を崩しているなんて。

「ま、待ってください……手塚は順調ですよ。だってほら、この試合だって、15分で……」
「それがおかしいんですよ。手塚君があんな速攻型で決めるっていうのが。最近一人で練習してるって言うし」
「……そんな、でも、手塚がスランプだなんて、そんなことになったら……うちはガタガタに……」

 青くなっている大石を落ち着けるように、大和は大石の肩を掴んだ。

「……君がそれでどうするんです、大石君」
「……先輩」
「手塚君は一人で背負い込みすぎる傾向があります。それを支えてあげるのが君の仕事です」
「でも……」
「大丈夫です、だから君を呼んだんです。落ち着いて聞いてください」

 大和はそこで奥歯を噛み締めた。

「……最初はね、そういう部長としてのプレッシャーのせいかと思ってたんです。速攻も自主練もね。それでなくても……レギュラー総入れ替えが起こったあとの今のテニス部はシングルス1の手塚君の双肩に全てかかっています。何分、まだ戦力が少ない」
「…………すみません」

 思うところがあったのか、大石は謝罪の言葉を述べた。
 手塚に頼りすぎているという自覚はあったのだが、手塚ならばそれに答えてくれると信じていた。

「……大石君のせいじゃありませんよ。僕もスミレちゃんもね、手塚君には安心しきっていたところがありますから……」
「……じゃあ、手塚は、プレッシャーで……?」
「……そうだったら、まだよかったんですけどね……」

 大和は肩を落とすと、画面を指差した。

「手塚君の調子を確認するために乾君からビデオを借りたんですよ。それをずっと見てたんですけどね、気になるしぐさが……」
「……?」
「このシーンです」

 大石は指につられて画面を覗き込んだ。
 不二も気になってこっそり近づいて画面をうかがう。
 手塚は、ラケットを持った左手の肘を右手で抑えている。

「……これが、いったい?」
「左肘ですよ。……覚えていませんか?」

 大石はあっ、と大声を上げた。

「まさか……あの時の!?」
「解りません。でも、可能性はあります……」

 二人の言う「あの時」が何なのか不二は解らなかった。だが、嫌な響きのある言葉であることは間違い無さそうだった。
 大和は再び画面を再生した。次のゲームが手塚のサーブから始まる。

「…………!!」

 その試合を見て不二は息を飲んだ。
 自分の覚えている手塚の動きと微妙な差がある。ほんのわずかな差だが、不二の目には解った。
 遠慮しているような、全身の力を生かしきれていないような、そんなわずかな、コンマ一ミリもないような差。
 だが、ただの自分の感覚の違いだとは言い切れない。

「……試合結果を見る限り、手塚君の調子が悪いのか、どうかは解りません。だけど、この左肘を触る動作が、明らかに多いのが目に付きます」
「……そんな」
「試合を長く見られたくなかった、と考えれば速攻の意味も解ります。うちにはとくに乾君がいる。異常に気付かれたくなくて早めに試合を終わらせたのだとしたら……」

 大石は震える手を額に当てた。気付けなかった自分を恥じているようだった。

「ッ……手塚に、問い詰めないと……!!!」
「もちろんそのつもりです……手遅れにならないうちに。手塚君は?」
「部室で資料の整理を……って、まさか、今日も?!」
「……これを片付けて急ぎましょう。手塚君の残っているうちに」

「…………」

 大和と大石を残して、不二は視聴覚室を後にした。
 二人より先に手塚に会わなくてはならなかった。

           :*:・。,☆゚'・:*:・。,★,。・:*:・゚'☆,。・:*:

 手塚の元に、不二は飛んでやってきた。
 足下にはボールが幾つも転がっている。その中で一人で壁打ちを続けている。
 だが一瞬、手塚の全身の動きが止まった。不自然に腕が落ちる。
 壁に跳ね返ったボールはそのまま、手塚の後ろに転がっていった。

「……手塚ッ」

 思わず名前を呼んだ。手塚はあからさまに慌てて振り向いた。

「……不二……!」

 手塚の下に降り立つと、不二は服を掴んで問い掛けた。

「……なんだよ、今の動き……君やっぱり、腕……」
「…………」

 手塚はぐっと唇を噛み締めた。

「違う、少し注意が逸れただけだ……」
「そんなんじゃなかったよ、今の……」
「だから注意が逸れただけだ!!」

 手塚が強い語調で反論したので、不二は思わず黙り込んだ。
 こんなに感情を剥き出しにした手塚は初めてだった。

「だいたい、お前は天使でテニスなど知らんと言っただろう!!」
「…………いいよ、解ったよ」

 手塚が揚げ足を取るようなことを言ったので、不二も逆ギレした。

「ああもう認めるよ。君が調べたとおり生前の僕の名前は不二周助。ご近所でも評判の天才小学生だったよ。……君のことも良く知ってた。君の試合だって見たことあるよ」
「……不二」

 あれほど自分が人間である事を否定していた不二は突然、手のひらを返したようにそのことを認めた。

「だから言わせてもらう。……腕、どうしたんだよ」

 不二の視線を反らそうとする手塚の顔を正面に固定した。
 まっすぐに手塚の顔を見詰める。

「今の君の動きは明らかにおかしかった。二年前のキレが無い。君の動きじゃない。……あんなの、君じゃない」
「………………」
「……君、ひょっとして、腕が……」
「……違う!!」

 手塚は顔に似合わない大声で否定した。

「これは……違う。疲れているだけなんだ。そうなんだ」
「……僕の目を、ごまかせると思ってるの」

 不二は自分の迂闊さを呪った。遠くからしか手塚の動きを見ていなかったのが災いした。近くで見ていればもっと早く気付けたはずなのに。

「違うと言っているだろう!!」

 手塚はなおも否定した。

「……こんな事で、俺は負けてなんかいられない……」
「手塚……でも」
「負けられないんだ……」

 手塚の震えが手を通して不二にも伝わってきた。
 そのときだった。

「……手塚」

 名前を呼ばれて手塚は声のしたほうを向いた。
 そこにいたのは大石だった。
 不二はそっと手塚の傍から離れた。代わりに大石が近くに行く。

「……正直に話してくれ、手塚」
「何のことだ」
「……竜崎先生も大和先輩も……心配してる、お前のこと」

 竜崎と大和の名前を出されて、さすがの手塚も黙り込んだ。

「お前、左腕が……」

 手塚の左手から、ラケットが滑り落ちて地面に転がった。


相変わらず塚不二満載でお送りいたしております。こういう手塚始めて書いたよーな。
大和絡ませた意味をもたせようとしたら長くなりつつある……なんだか怒涛の急展開……。
もう数話お付き合いくだされば幸いです。

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