水音は、授業の妨げにならぬように、授業中は学校を探索に歩いていた。
 普通、通常の人間には見えぬ体ゆえ、見つかる事はない。
 無遠慮でずかずかと歩いていく。
(そろそろ終る頃かな)
 楽しそうに思考を巡らす。
 嬉しくて、笑いが消えない。
 そこに…『やあ』
 昨日の夜聞いたばかりの声が、また聞こえてきた。
 褐色の肌をした黒髪の少年。
「…あなた…なの?」
『そう、昨日ぶりだね。まさかこんな所にいるとはね』
「ねぇ、あなたは何が目的で私の意識に現れるの?」
『さぁね、それは言えないかな。まあ、いずれ判るようになるさ』
「お母様の使いなんでしょう?契約を邪魔する気?」
 その口調には、少々だが怒りが込められる。
『別に、邪魔する気はないさ。まだ、ボクにはやらなくちゃいけないコトがあってね』
「やらなくちゃいけないこと?」
『…ふふ、当然秘密』
 それだけ言い終わると、パチン、と消えてしまった。
「…なんなのかしら…」
 水音は正体も判らない褐色の肌の少年を、無意識に敵視していた。
 水音と母親が交わした契約・・・「一時的な能力継承」
 代々続く儀式なようなものだが、そのまま受け継がれる方が多いのだ。
 そのまま、適任ではないとして能力を消されることなど、滅多にない。
 当然、娘の自分にそのまま受け継がれることと思っていた。
 そして、数カ月の日本での体験。
 というよりも、時少女の姿が見える人物がいる国へ飛ばされるのだ。
 たまたま、この代では凛太がその人物だったために、日本となった。
 独りぼっちで放り出されるもんだから、本能的にその人物を捜してしまう。
 それが、無言で伝えられる「体験」なのだ。
 契約が切れれば、水音も帰らなくてはならない。
 しかし、水音の場合は異例だった。
 キーンコーンカーンコーン
 授業の終わりを告げる鐘の音。
 その耳に残る音を聞くと、水音は凛太の元へ走っていった。

「凛太!」
 水音は大声で名を呼んだ。
 しかし、誰も水音を見ない。
 見たのは、呼ばれた本人、凛太だけだ。
「水音、つまらなくないか?五十分も一人で、何やってんだよ」
 ぼそぼそ、と凛太は言った。
 その言葉に気づいたように、親友仁は声をかけた。
 怪訝そうな顔で「一人言か・・・?」と。
 これでは、まるで変人だ。
 水音の姿を現せさせるわけにもいかない。
 凛太たちは、廊下へ出た。
 熱気に包まれた教室とは違い、すぅ、と風が通り過ぎる。
「なあ、後何時間あると思ってるんだ?先に帰ってろよ」
 少し、乱暴な言い方だ。誤解も招きやすい。
「邪魔にならなければ…いちゃダメかな?」
 水音は寂しそうな顔をする。
 その顔を見ると、凛太は手を頭に乗せた。
「い、いや。別に邪魔にゃならんけど、一人じゃやることないだろ?」
 口調を優しく変えて、言い方も少しかえてみる。
「大丈夫、他の教室にも侵入して見てくるし…面白いから」
「…そうか」
 そう言うと、十分という短い時間は過ぎた。
 鐘が廊下で鳴り響く。
「あ、じゃあ…」
 そう言って笑うと、階段へ向かって水音は走った。
 一言言う余裕もなく、ただ呆然と立っていた。
「結城、何やってんだ、授業始まんぞ」
 これでも、数学担当の女教師・・・矢沢は、廊下に一人突っ立っている凛太に声をかけた。
「あ、はい」
 正気に戻ったかのように、焦って教室に入った。

 意外にも、数時間という時間は短く感じた。
 今、凛太の教室ではホームルームをやっているのだろう。
 水音のやることは、校門で凛太を待つだけだった。
 今か今かと、少し落ち着かない。
 そこに、息一つ乱さないで凛太が走ってくる。
 目を合わせる。ついてこい、と言っているのだ。
 通常の人間には見えない身体を持つ水音に話し掛けるのは、少し気がひけたのだろう。
 そのまま、早足で歩いていく。
 その後ろを静かに水音は追い掛けていった。

 しばらく経った。もう、知っている顔の人間はいないだろう。
 それを見計らって、凛太は水音に話し掛けた。
「なあ、水音。お前は、本当は何なんだ?」
 重々しい雰囲気の中、凛太は悲し気な口調で訊く。
「…え?」
 朝の様子からは見ることのできない、真剣な口調。
 不意をつかれたその質問に、困惑と、驚いた。
 そのまま、一呼吸つくと、水音は聞いた。
 声は震えていた。
「ど、どうして?」
 凛太は、無言で歩き出すと、公園のベンチに乱暴に座った。
「変なヤツが、お前の事を教えてくれた。…全部な」
 凛太は、地面に目を向ける。
『…余計な事した?』
 楽し気な口調でT変なヤツUの声がする。
 それは、凛太にも、水音にも聞こえた。
「お前!」
 思わず、言葉使いが乱暴になってしまう。
『君の気持ちを伝えやすくしたんだけどなぁ』
 不敵な笑みで、褐色の肌の少年は漆黒の髪を掻いた。
 それを、凛太は一瞥する。
 しかし、すぐにまた視線は地面へと移った。
『ねぇ?だって…君も知りたかったんだろ?彼女の正体を。時少女と名乗る…怪しい彼女の正体を!』
 何も喋らない凛太に向かって、褐色の肌の少年は言った。
「…水音、どうなんだよ。ホントは…」
 その言葉に反応したかのように、勢いよく頭を上げると、激しく水音に言った。
 その見た事も無い凛太に、ただ戸惑うだけだ。
「ち、違う…隠してたんじゃないよ…」
 ただ、言えるのはそれだけだ。
 そして、急いで言葉を紡ぐ。
「確かに、時の王家の一人娘ではあるよ!契約だって、代々続く儀式だよ!それは納得して!」
「違う!」
 水音の言葉を途中で激しく遮った。
「俺が聞きたいのはそんなコトじゃない…水音の『気持ち』ってなんだ?」
 その言葉に、水音の心臓は何かに掴まれたように、苦しくなった。
「わ、私の気持ち…?」
 無言で、凛太はうなずく。
 褐色の肌の少年を見ようとした。
 しかし、どこにもその姿は見当たらない。
「…アイツが言ってたんだ。言えよ、気持ちってなんだ?」
 結局、その姿を見ないで地面を見る。
「…言えない」
 短く、水音は答えた。
 水音のその青い瞳からは、大粒の涙が流れ落ちていた。
「言えないよ…!」
 そう言い放つと、水音は走り去った。

 ずっとずっと走っていた。
 もう、息も荒くなってた。
 足もふらふらで、どこに行くのかさえも、自分で判っていない。
『…言えなかったの?』
 そんな、耳障りな声が全力で走ってる自分の耳を掠めた。
(うるさい、うるさいうるさいうるさい!!)
 目を固くつむり、全てを聞かぬふりをしていた。
『ねぇ、じゃあこのまま帰るんだね』
 また、少年の声が耳を掠める。
 その声は、とても嬉しそうだった。
「何を…何を言ったのよ!」
 走りながら、その少年の声へつぶやく。
『…君の正体と…契約のこと…あと』
 少年の声がニヤリ、とした。
『君が言いたかったことを…伝えるチャンスをあげただけ』
 すると、水音は動かしていた足をとめた。
 そして、力なく地面を見つめる。
「もう、これからどうしていいのか…わからない」
『普通に、さ。帰り、王女となって王子サマと結婚するんだ。そして、また時少女を生む』
 少年は簡単に言い放った。
「嫌よ」
 それを、簡単に拒否する。
 さっきまでの水音からは考えられない、はっきりとした声だった。
「私はこの代で時少女を終わらせる。誰にもこの能力は与えない!」
『どうするつもりだい?死ぬ…のか?』
 少年の率直な言葉が、胸に刺さる。
「…く」
 水音の顔に、素直に苦しみが表現される。
「あなたに、何が判るの… 人にとって、この能力は要らないの…この契約でその事がハッキリした… 望むだけでいいの!」
そう、叫んだ時だ。
 周りにいた人々は、ピタリ、と動きを止め、道路を爽快に走る車も、渋滞で止まったようにいっせいに動きをとめる。
 今、普通に歩いているのは・・・
 水音と凛太だけだ。
 しかし、もう一人いた。
 褐色の肌をした、少年。
「…!あ、あんたは…誰…」
 完全に時を止めたはずだった。
 一人だけ、動けることにするのは不可能。
 しかし、水音と凛太以外に、一人だけ…正確には一種だけ、能力が効かないのがいる。
『黒炎…それが僕の名前』
 褐色の肌に吸い込まれるような、漆黒の髪と瞳。
 黒炎と名乗った少年を、凝視して水音は凍り付いた。
 初代時少女、黒炎。
 たとえ、性別が男だとしても「少女」の名は汚れない。
 そう、黒炎と名乗った初代時少女は水音と同じ種族なために、能力は効くはずがない。
「そんな…初代時少女、黒炎は二代目によって封印されたと!」
『初代だぞ?能力の定まっていない二代目にボクがまけるわけないだろう』
 初代時少女は、この能力を生み出した理由はずばり地球の破滅を望んでいたからだと伝えられていた。
 ここ数年、代がかわっても初代のような邪心を持った時少女がいなかったために、封印された黒炎を復活させることはなかったのだろう。
 しかし…時が経ち過ぎたのだ。
 黒炎は自力で自らの力を復活させ、二代目の封印を打ち破り…
 そう、水音の前に姿を現わした。
「伝えられたのが本当の目的なら、尚更能力を受け継がせるわけにはいかないの!」
 水音は後ろにあった野外展示用のケースを打ち破った。
 ガラスの破片が、水音を写し出す。
 その中の大きめで、尖ったガラスの破片を手にとった。
 そして、今それを自分の首に突き立てようとした時だった。
「水音!」
 相当探したのだろう。息は荒い。
 肩で息をしながら、水音を睨んだ。
「何してるんだ!」
「凛太…」
 震えた声を出す。それは手にまで侵食して、ガラスを持った手がふるふると震えだした。
 そして、水音に向かって一歩、歩み寄ろうとした時だ。
「来ないで!」
 水音がぴしゃり、と言う。
 その瞳には、凛太は映っていなかったが。
「今…凛太に触れたら…言葉をかけられたら…だめなの…全部が…終わってしまう…」
 ガラスの破片の先端を、首に当てた。
『水音!お前に死なれたら困るんだよ!今のボクには新しい時能力を生み出す力は無い!今までのように…その能力を受け継がせろ!』
「うるさい!…今までの時少女の歴史が止まってしまうのは、わかってる。だけど、それは…仕方ない事だから!」
 それとほぼ同じに、透明なガラスの破片は水音の鮮血で染まった。
「…!水音!」
 凛太は倒れこんだ水音を抱え上げた。
「何してんだよ…お前は!」
「あ、は…は、ヤだなぁ…言ったじゃない…迎えに、来るんだって…いつか…」
 途切れ途切れの、水音の力ない声に凛太は涙を流した。
「……伝えたかったこと…言っていい?」
 うっすらと、閉じていた瞳を開けた。
 もう、そこには生きている者の瞳は感じられない。
「ああ…言えよ…何でも聞くから」
 その言葉を聞くと、水音は唇を釣り上げた。
「嬉しいな…」
 そして、凛太の頬を流れた涙を、力なく受け止める。
「……好き、だったよ…凛…太…」
 今までにない、満面の笑み。
 涙を受け止めた掌も、力なく垂れ下がった。
 拭っても、いくら拭っても流れ落ちる、悲しみの結晶は、 今水音の血を洗い流す。
 そして…それは、悲しみではなく、希望として…
 生まれかわれるだろう。
『ふ…無益な』
 その光景を見て、黒炎は肩をすくめた。
「あ…?何だって?」
 もう、冷たい水音の小さな体を抱えて、凛太は物凄い形相で睨んだ。
「元はと言えば…お前が…」
 まるで、独り言のように呟いた。
 その独白に反応したのは、眩いばかりの光りだった。
 突然、黒炎と凛太との間に生まれた、光り。
 その光りには、黒炎は見覚えがあった。
『ま、さか…時少女たち…が』
 その光りから見えた顔が、黒炎に話しかける。
『初代時少女、黒炎…今、汝をわらわたちの力で再び、汝に封印を授けよう』
 その光りは、黒炎を飲み込み、凛太に抱えられていた水音も、光りのように消え去ってしまった。
『貴公が、現代の少年か?水音の件では世話になった。心から感謝しよう』
 違う声が、また続ける。
『水音が全ての時能力を天に持ち帰っただろう。彼女の気持ちは君には迷惑だったかもしれないが…あれが本当の気持ちだ。受け取ってやってくれ』
 その言葉に、凛太が首をふる。
「迷惑なんて…違う!俺は楽しかった…俺も…水音が好きだった…」
『ふ、それを水音が聞いたらどんな顔をするでしょうね」
 そう言うと、光りは次第に小さくなり…消えた。

 本当に、今までの事は嘘のようだ。
 相変わらず、家には家族が帰ってこない。
 学校での生活も、何一つ変わりはないのに…
 どこか、寂しい。

 あの、華麗な少女が。あの、不思議な少女が…
 どれだけ、自分の存在価値だったのか。

 今こそ、分かれたような気がした。

 もう、二度と「時少女」というものは生まれないだろが。

この、悲しい物語は…
この世界の中で、幾度繰りかえされるのだろう…


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