当たり前の日常。
当たり前だと思っていたことが
当たり前でなくなって
初めて気がつく。
それが当たり前だったのだ、と。
今は、その当たり前の日常が
不思議にすら思える。
だって、それだけの日々を過ごしてきたのだから。
「さぁ、君たちにはやることがあるんだろう?」
渚カヲルは目の前の司令室を指差した。
「うん。カヲル君、綾波、また後で」
シンジはそう言うとアタシの手を取り司令室のドアをノックする。
「失礼します」
”シュン”と言う音と共に重々しいドアが開く。
「…シンジか。なんだ」
相変わらずの司令の声。
「父さん…久しぶりだね…」
「……」
何も答えない。
この人は変わっていないのね。
「父さん、ぼくは…母さんとサヨナラしたんだ」
「いつまでも過去にこだわっていたらいけない、そう思うんだ」
「……」
この部屋に入るのは初めてだけれど
暗くて、司令の顔もまともに見られない。
「だから、ぼくはもう、父さんから逃げない」
「…それだけ、言いにきたんだ」
「用は…それだけか」
「はい…」
「そうか。もう用がないならば出ていけ」
「なっ!?」
アタシが一歩前に乗り出すとシンジがそれを制止する。
「!?」
アタシはシンジの顔を見た。
―笑ってる…? ―
「行こう、アスカ」
「行こうったて、シンジ!!」
「良いんだ。ぼくら親子は素直じゃないから…」
アタシの耳元でシンジが囁く。
「失礼しました」
「…失礼しました」
めいっぱい不服の声のアタシ。
だけどその後に聞えてきた言葉。
「シンジ…すまなかったな…」
閉まるドアにかき消されるほど小さな声で司令が言った。
「ね? 言っただろ?」
司令室のしまったドアにもたれかかり、シンジは笑った。
「そうね。だけどはっきりしないのってアタシは好きじゃないな」
溜め息まじりにアタシも笑う。
「これからだよ…」
「ん。そうね」
「それに突然父さんがやさしくなっても…ちょっと…」
シンジが苦笑いをする。
アタシはそれがおかしくて思わず吹き出す。
「さ、アスカ。行こうか」
「うん」
シンジの晴れ晴れとした顔を見ていたら
アタシまで嬉しくなる。
以前のシンジとは全然違う。
たくましく成長した、男の姿って感じ。
さっき、耳元で囁かれたのを思い出し、
思わず耳を手で覆う。
少し…ドキドキする。
この感情をなんと呼べば良いのだろう。
あの海の前で過ごしたとき、
シンジだけを頼りに過ごしてきた
あの時に感じた感情
今感じているこの感情。
これは、なんなのだろう…?
「やぁ、シンジくん。話は終わったのかい?」
「あ、カヲルくん」
「ボク達は赤木博士の家に住まわせてもらうことになったよ」
「リツコさんの家に?」
「あぁ。以前レイのいたアパートでも良かったんだが、ちょっとね…」
「ちょっとって…なにが?」
「ボク達が双子というのは単なる設定だからさ」
「せっ…てい…?」
「そう。この世界で過ごすためのね。
実際に血のつながりと言ったものはない
アダムとリリスが兄妹じゃあまずいからね」
そう言った渚カヲルの茶色の瞳が妖しい光を放つ。
「世間的にはボクたち二人で暮らしてもかまわないのだが、
ネルフから見るとやはりまずいんだろうね。
使徒でなくなったボクらが二人きりで過ごすことは…」
「でも…じゃあ綾波やカヲルくんの体は・・・?」
「心配しないで・・・碇君」
「綾波・・・」
「この体はただの魂の入れ物じゃないの。これが私、渚レイそのものなの」
「…さぁ、行こうか、レイ」
「ええ」
「それじゃあシンジくん、惣流さん、また」
「あ、うん」
アタシは寄り添うように歩く
ファーストと渚カヲルの背中を見つめた。
「アスカ、僕たちも帰ろうか」
ネルフから出ると空には月が出ていた。
「紅い月じゃないのね」
「うん…帰ってきたんだよ」
アタシたちは少し冷たい夜の風を受けながら
ゆっくりと歩いた。
通りすぎる車のヘッドライト。
街灯の明かり。
セミの鳴き声。
静かだったあの世界に比べて
この世界は少しうるさい。
だけど、これが当たり前の世界。
ここがアタシたちの居場所。
生きているんだとはっきりとわかる。
「アスカ、寒くない?」
「うん、平…気…」
月の光に照らされたシンジの顔は
どこまでもやさしくて…あたたかくて…
アタシの胸はドクンと高鳴った。
あの海の前で過ごしたとき、
シンジだけを頼りに過ごしてきた
あの時感じた感情
今感じているこの感情。
これは…恋愛感情…?
そうなのかもしれない。
今までシンジをそう言う風に
見たことが無かったけれど
この胸の高鳴りは間違い無く
そうなんだという証。
アタシは黄色い月を見上げながら
胸の高鳴りを確かめるようにシンジの手を握った。