相田の情けない驚き方に、ちょびっとでもカッコイイなんて感じたのは、絶対、気の迷いだと確信する。
「いつから・・・・・・いたんだよ?」
「えへ♪ 3回シャッター切る前から」
・・・・・・っても、20分くらいはいたと思う。
「あれ・・・・・・全然、気がつかなかったなあ。こういう写真撮ってるときは、絶対、一人じゃないと気が散ってダメなんだけど・・・・・・」
「何言ってんの。あんなに自分に世界に入っちゃってて」
「くう・・・・・・だから一人じゃないとイヤなんだよぉ」
相田は苦笑しながら、カメラからちょっと、離れて天を見上げる。
「うーん、今日はもう、だめかな・・・・・・」
「ごめん・・・・・・やっぱ、邪魔だったかな」
わたしが、ちょっとしょげて謝ると、相田は空を指さすと慌てて補足する。
「あ、そういう意味じゃなくって、日光の加減がね・・・・・・こういう写真はお天気任せだから」
「そっか・・・・・・大変だねえ」
「まあ、ね・・・・・・花の時期もあるから、あんまりノンビリもできないし。現像してみたら全然ダメってこともあるし」
ポリ袋に入ってた、あのフィルムの数からすると・・・・・・とてつもなく忍耐力の要求される作業だ。わたしなんかがやっても、3枚くらい撮って妥協しちゃうよ、きっと。
「それに・・・・・・俺が良く撮ってる写真──兵器とか女の子とかって、存在自体にインパクトがあるから、それなりの写真を撮るのはそんなに難しくないんだよ。花とか動物とかって、待ち続けて自分の中で突き詰めて、被写体から何かを引き出さないと、それなりの写真にもならないんだ」
ほんとは、こういう写真撮ってる方が好きなのかな・・・・・・。
カバンから、半分くらい残ってるスポーツドリンクのボトルを出して、口をつける。あ──それカルシウム入りのやつだ・・・・・・わたしもよく飲む・・・・・・ははは、相田も背丈のこと、気にしてるのかな。確かにシンジ君や鈴原に比べると、ちょっと低いもんね──わたしよりは10センチくらい高いけど──そういや、アスカに抜かれて大騒ぎしてたもんな(笑)
ごく・・・・・・ちょっと、わたしもノド乾いちゃった・・・・・・。
「あ・・・・・・良かったら、飲む──って、口着けちゃったな・・・・・・。自販機のトコ、行くか」
「飲む飲む。気にしないって」
わたしは何気なく相田の手からボトルを取ると、口元に近づける。と、そこで相田が面倒なこと言ってた意味に気付く──コレって・・・・・・アレってこと・・・・・・? わ・・・・・・どうしよ・・・・・・。
「・・・・・・イヤぁんなカンジぃ」
相田がおちゃらけるの見て、おもわず噴き出す。気にしないって言ったのに、気にしてどーする。わたしは口をつけると一気に飲んだ。ああ、もう、口元からこぼれて首に流れるのも構わず、ごくごく飲んでやったさ。
「ふうーっ、おいしーっ!・・・・・・ごちそうさま♪」
口元を拭いながら相田にお礼を言う。勢いに任せて思わず全部飲んじゃった・・・・・・。ちょっと、ドキドキする・・・・・・。相田は呆けたカオをしてこっちをみてる。
「・・・・・・ん、何?」
「・・・・・・・・・・・・いやあ・・・・・・お前の首筋、綺麗だなって思って」
わたしは真っ赤になって・・・・・・身体が勝手に動いた──。
ぱかーんっ!!
「いってー、ペットボトルの蓋の方でなぐるなっ!カド入ったじゃないか」
「もおっ、ドコみてんのよおっ・・・・・・ヘンなこと言わないでよねっ」
「なんだよ・・・・・・人の純粋な賞賛に対して、その態度はアリかぁ?」
「ふーんっだ。純粋な人は、そんな邪な目をしません」
・・・・・・実際、そんなイヤラシイ目で見てた訳じゃないんだけどね・・・・・・あはは。
まあ、そんなんで相田とバカ話をしながら帰ることになった。どうせ、道が一緒だしね。
・・・・・・校門を出て、すぐ・・・・・・わたしは、ふと思ったことを口にした。まだ見つかってない──わたしの納得できる答え・・・・・・相田なら、わたしの気付いてないこと判ってるかも・・・・・・。何も答えが聞きたい訳じゃない・・・・・・だけど、キッカケくらいには・・・・・・。
「・・・・・・あの・・・・・・ちょっと、話をね・・・・・・聞いてもらいたいことあるんだけど・・・・・・こないだのお返しに奢るから」
「ん・・・・・・どうせヒマだから、いいけど・・・・・・どうしたの?」
わたしの真面目な様子に、ちゃかすことなくわたしの顔を覗き込む。歩きながらする話でもないので、ちょっと言葉を濁す。
「うん・・・・・・ちょっと、ね」
相田は、また視線を前に戻す。・・・・・・と、何か思いついた様子で、そのまま言い出す。
「・・・・・・場所は、俺が決めちゃっていいかな? ちょっと遠いんだけど」
「うん、いいよ・・・・・・任せる」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
──任せる、と言ったものの、バスに乗るとは思ってなかった。しかも、御殿場ゆき・・・・・・芦ノ湖を背に金時山の方に向かって、どんどん走っていく。後ろの席に並んで二人で座ってると乗り降りする人達がわたし達を見ていく──そりゃ、壱中の制服を着た二人がこんなところに来てるのは、ちょっと珍しい。わたしだって、こんなところ来たことないし・・・・・・。
道が悪くなってきたせいで、時折、車が揺れるんだけど・・・・・・わたしの肘が相田の腕にあたって・・・・・・素肌が触れ合う・・・・・・ちらと相田の方を伺うと、気にした様子もなく、窓縁に肘をかけ外を眺めている・・・・・・ちぇ・・・・・・。
第3東京の市外を抜けて、仙石原も抜けて、山間に差し掛かると乗客もまばらで、殆ど貸し切り状態になってきた。
「ねえ・・・・・・何処まで行くの?」
「ん・・・・・・次で降りるよ・・・・・・っと」
相田が伸び上がって、窓の相田の降車ボタンを押す。ぷーっ、て間延びしたブザーがなり、「つぎ、止まります」という音声ガイドが流れる。
「に、しても、随分・・・・・・古いバスだねえ」
「・・・・・・うん、第3新東京が出来る前からある路線バスだからね。運行ルートは、昔と全然違うけど」
木々が深くなってきて、道も細くなってきてる。なんだか林道ってカンジ。古い鉄の標識だけがポツンと立っているバス停で、わたし達は降りた。わたしがキョロキョロと辺りを見回している内に、バスは林道の向こう側を曲がって行く。
「こっち、こっち・・・・・・」
「えーっ、これじゃ、山登りじゃない」
「霧島なら大丈夫だって。すぐ、そこだから」
相田は茂みに分け入って、細い登山道みたいなトコに入っていっちゃう。むー、だいたい、霧島なら大丈夫・・・・・・って、どういうイミよお。
沢山のセミの鳴き声が響く谷間を下って沢に出る。相田はデイバッグを背負った上にカメラの入ったジュラルミンケースを肩にしょってる割りには身軽にひょいひょいと歩いていく。
沢を渡ると今度は、殆どガケのような道を登り始める──まあ、手をついてよじ登るってほどじゃないけど──登り始めた相田に沢のトコロから声をかける。
「あのさあ・・・・・・何処まで行くのよお」
「ここの上だけど・・・・・・疲れた?」
「大丈夫だよ・・・・・・でも、何処行くかわかんないのは、ちょっとイヤ」
「そりゃ、そうだね・・・・・・悪い、悪い。後悔させないから、おいでよ」
そう言って、ニコニコ笑ってる相田の顔に毒気を抜かれると、呆れ笑いを浮かべながら相田の後ろに続く。
「これで、ガッカリものだったら承知しないよぉ、もおっ」
──と文句を言っていられたのは、ここまで。登山するならするって言ってよおっ。
汗だくになって、相田の後ろをついていく。沢から涼しい風が吹き上げてくるのが、せめてもの救いだ。しかし、驚いた──相田のやつ、どう見ても文系なのに、涼しい顔して、ひょいひょい歩いてく。わたしより荷物多いのに・・・・・・。遠ざかってるとはいっても、山岳踏破の訓練だってやってたんだよ、わたし・・・・・・そこらの中学生よりは、自信あったんだけど・・・・・・。
「運動不足だなあ、霧島。大丈夫か? ほら、そこの尾根のとこだから」
「・・・・・・運動不足って、ねえっ、・・・・・・相田が勝手に──」
──視界が開けた。山間の方は、箱根の稜線が幾つも重なり、遠くには富士山が見える。麓の方には芦ノ湖と第3東京が、その先には小田原の海岸線が見える。息をのむほど綺麗なパノラマが広がっていた。
「わあ・・・・・・キレイ・・・・・・」
「ま、ここが見せたかった訳じゃないんだけど・・・・・・結構良いところだろ」
すっかり、眺望に魅せられて、気分が良くなっていた。ちょうど、道が尾根にあたって曲がって崖のようになってる天然の小さな展望台のような場所だった。
「ここじゃないの?」
「ほら、あっちに・・・・・・あそこのお茶屋さん」
・・・・・・うそお・・・・・・こんなとこに何でお店があるの? 100mくらい尾根沿いに下ったところに古ぼけた・・・・・・時代劇に出てきそうな、茶店がある。歩き出しながら相田に聞く。
「・・・・・・なんで、こんなトコロにお店があるの?」
「いや、一応、江戸時代からの裏古道だからね。正規のハイキングコースにはなってないんだけど」
「へえ、じゃあ、あの店も随分古いんだ・・・・・・」
「うん、江戸時代にはあったみたいだよ」
古ぼけた建物は、それでもかなりしっかりした作りで、第3東京市内の分譲住宅とかと比べても風格が違う。赤い布がかかった縁台が3つ表に並んでいて、くすんだ藍染め暖簾の奧にも幾つか座席がある。木枠のガラスケースには、手作りのお菓子が並んでいる。
「ごめんくださーい」
相田が一声かけて暖簾をくぐると、奧から日に焼けたちっちゃいお婆ちゃんがでてきてた。
「おや、相田のトコの坊やじゃないか。なんだい、学校帰りにこんな山奥来ちゃいかんよ」
「なんだなー、せっかく来たのに」
相田が苦笑してると、お婆ちゃんがわたしに気付いた。
「あんれ、きれーなお嬢ちゃん連れて、どうしたんだい? 珍しいねえ」
「あ、クラスメートの霧島さん。こっちが、サキ婆ちゃん」
「はじめまして。霧島マナです」
「あいあい、よろしくねぇ」
お婆ちゃんは顔をくしゃくしゃにして笑うと、嬉しそうに言った。
「いつもの珈琲で良いかい?・・・・・・しっかし、坊やが恋人連れてくるなんてまぁ、驚いちゃうね」
わたし達は真っ赤になって慌てて否定した。二人揃って訳判んない身振り手振りで同時に喋る。
「違いますっ! そ、そんなんじゃ、ないんですよっ・・・・・・」「や、やめてよ。婆ちゃんったら、同じクラスの友達なんだから」
「おや、違うんかい? 山道、仲良く歩いてくるから、てっきり『でぇと』ってヤツかと思ったよ。ごめんねえ」
デ、デ、デ、デートぉ・・・・・・!?
わたしは、俯いて黙り込むしかなかった。
「見てたのかよぉ。婆ちゃん、趣味悪いぞ」
「んだって、ヒマなんだもん。しゃあないわ。・・・・・・あ、ちょっとね時間かかるから、下で遊んどいで」
相田は苦笑いを浮かべながら、わたしを店の奧に促す。
「下に行ってるよ。・・・・・・こっちに良いところあるんだ」
「う、うん・・・・・・」
わたしは頬をポリポリ掻きながら相田について、店を通り抜け裏にでる。わあ、すごいなあ・・・・・・。こじんまりとした中庭のようになっていて、お婆ちゃんが手入れをしているのか、かなりいい感じ。幾つかテーブルセットやベンチが置いてあって、さながら和風庭園みたい。
「下って・・・・・・ここ?」
「ああ、ほら、あそこの階段降りたところ。さっき沢を渡ったろ・・・・・・あれが上流で二手に分かれて分流がここの直ぐ下にあるんだよ」
・・・・・・言われてみると、水音がする。庭園の隅にある木造りの細い階段を、くねくね降りてゆく。ほどなく木々の間から小さい滝が見えてくる。
「うわあ──すごおい・・・・・・」
「へへへ・・・・・・良いところ・・・・・・だろ?」
4、5mくらい崖から水が勢い良く流れ落ち、銭湯の湯船くらいの滝壺は底が見えるほど澄んでいて・・・・・・稜線から日光が幾筋にもなって射し込んで、滝の飛沫がキラキラ光って──わたしのボキャブラリーじゃ上手いこと言えないけど・・・・・・言葉に出来ないくらい綺麗な場所だった。そんな景色に魅入ってると、相田がわたしを呼んでいた。
「ほら、こっち、こっち」
「・・・・・・・・・・・・へ?」
水際の大きな岩の縁に、木で組んだ縁台が水流に突き出している。そこに相田は座り、ズボンの裾をまくる。スニーカーと靴下を脱いで──あっ、わたしもやるぅ!
相田の横に腰掛けると、靴を脱いで、ソックスを中に押し込む。
じゃぶっ・・・・・・・・・・・・
「「く────っ!!」」
痺れるほど冷たい水に思わず同時に声が出る。ブルブルッて肩が震えちゃう。ふわぁあ・・・・・・気持ちいいっ!! 歩き疲れて火照った、ふくらはぎが冷やされて・・・・・・もお、堪んない。
「ここの水、飲んでも大丈夫だよ」
そう教えてくれると、相田は手ですくって、ごくごく飲み始める。
「あぁん、早く言ってよお・・・・・・ノド乾いちゃってるんだからっ」
わたしも、足の間から水を両手で掬うと、こくこく飲んだ。んーっ、冷たくって、おいしいっ。
「おいおい、幾ら何でも、そんなにがぶ飲みするとお腹痛くなっちゃうぞ」
「えー、だって、ノド乾いちゃったし、美味しいんだもん」
あまりの冷たさに、かき氷急いで食べた時みたいに頭がキーンとする。ふう・・・・・・でも、来て良かったかも・・・・・・こんな楽しいハイキングみたいなの初めてだもん。
脚が冷えて、身体は大分、涼しくなったんだけれど・・・・・・汗かいてベトベトなんだよね──
「ねえ♪ ここって泳いでもいいのかな?」
「泳げるけど、水着なんて持って──」
ざばーんっ。
全身が冷たい水に包まれる。気ん持ちいぃーっ!! 水面から光の筋が何本も差し込んで揺らめいて──すんごいキレイ・・・・・・。水から顔を出す。やっぱり滝だけあって、底に足はつかないんで立ち泳ぎ。
「こらっ、急に飛び込むなあっ!! 思いっきり、水が跳ねた!」
「おーい、相田も泳ごうよぉ・・・・・・気持ちいいよお♪」
「まったく、着替えもないのにどうすんだよ・・・・・・」
「男が細かいコト・・・・・・言うんじゃないっ!!」
わたしは、相田の顔に水を引っかけた。
「うわっぷ・・・・・・何すんだよお──」
そのスキに足首を掴むと水に引きずり込んだ。
じゃぼーんっ!!
盛大な水しぶきがあがる。ぷはーって水面から相田が顔を出す。
「あーっ、もお・・・・・・無茶すんなぁ、コイツ」
と、相田の組み合わせた両手から水鉄砲のように水が飛んで──
「へぶぅっ」
顔に直撃したんだよおっ。息も出来ずに思わず後ろに仰け反って、後退しながら水中に沈んでしまう。くそーっ、やったなあ。
水面から顔を出して、ぷるぷると首を振って水滴を払うと、相田が、にやあって笑って言った。
「・・・・・・無様だな」
それから、暫く大笑いしながら水掛け戦争をした。ちょっと、身体が冷えてきた頃に、サキお婆ちゃんが、コーヒーの入ったサーバーとカップを2つ、それと気が利いてることに大きめのバスタオルを2枚持って降りてきた。
「ほれ、小学生じゃねぇんだから、その辺にしとき。風邪ひいちまうよ」
「あはは・・・・・・ごめん、もうあがるよ」
「す、すいませぇん・・・・・・」
「まったく。早く乾かさねぇと、日が暮れちまうよ。気が済んだら上に来るんだよ」
お盆を傍の岩の上に置くと、お婆ちゃんは、顔をくしゃくしゃさせて──たぶん呆れ笑いだろう──階段をひょこひょこ登ってく。相田が大きな花崗岩の上に上がるとお盆のコーヒーを注いで、後からあがったわたしに差し出す。
「こっちの岩の方が、暖かいよ。・・・・・・はい、どうぞ」
「ありがとぉ♪ わあ・・・・・・いい香り・・・・・・」
これ・・・・・・すんごくいいコーヒーなんじゃないのかなぁ。岩に座ると、お尻がほわーって暖かい。たぶん一日中、陽に照らされて熱が籠もってるんだ。
カップを両手で包んで、手のひらを暖めながら一息ついて、口をつける。コーヒーを啜ると、芳香とももに何とも言えない素晴らしい味が口の中に広がる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
恍惚としちゃうような味が喉に消え、優しい渋みの後味が口に残る・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・ふう」
「婆ちゃんのコーヒー、めちゃくちゃ旨いだろ」
正直言って、本格的な喫茶店とかのコーヒーでもリツコさんのいれたのに敵わないコトが多いんだよ。だけど・・・・・・この・・・コーヒーは・・・・・・。言葉が出ない・・・・・・ホントに美味しくって「ふう」ってタメ息しかでないんだ。
「まあ、10歳くらいの頃から70年以上やってるって話だしね・・・・・・年季が違うよ」
そりゃそうだ・・・・・・なんとなく、あのお茶屋さんが潰れない理由が解ったような気がした。わたしは、半分くらい飲み終えると、暖かい岩に寝転がった。あー、暖かーい・・・・・・ふふふ。上から、相田のアセった声がする。
「お、お、おい・・・・・・えっと、・・・・・・その・・・・・・お前、パンツ丸見えだぞ・・・・・・」
あ・・・・・・確かにスカートが捲れあがって・・・・・・丸見えかも・・・・・・おへそも出ちゃってるし・・・・・・。くくく・・・・・・相田ったら、狼狽えちゃってるう。
「あはは♪ どーせ、さっきから丸見えでしょお」
いつもなら大騒ぎで相田のこと張り倒してるところなんだけれど・・・・・・今更、なんか、どーでもよくって。笑ってそれだけ言うと、わたしは目をつぶった。
「かー、恥もへったくれもないもんだ」
相田が照れくさそうに言い捨てると、わたしの横に寝転がる音がする。
流れる水音、木々のざわめき・・・それとセミの鳴き声だけが響いて、静かな時間が流れてゆく・・・・・・。背中がポカポカと暖かい・・・・・・冷たい水に心の中の澱や身体の芯に残り続けてた猥雑な火照りまで全部洗い流されて・・・・・・帰るときに身体を持て余してた自分がウソのよう・・・・・・わたし達は黙ったまま、贅沢な時間をゆっくりと味わった。
暫くすると、相田がポツリと言った。
「・・・・・・そういえば、こないだ選んでもらったプレゼント・・・・・・渡したよ。すっごく、喜んでた」
「ホント? 良かったぁ・・・・・・『風吹ミカ』さんって言ったっけ?」
わたしは、目を閉じたまま、訊いた。
「あれ、名前教えた?」
「メッセージカードの宛名、カウンターで言ってたの聞いた」
「あ、そうか・・・・・・。・・・・・・助かったよ。ありがとうな」
・・・・・・と、何となく、わたしは思いついたことをそのまま口にした。この雰囲気の所為かもしれない。
「・・・・・・相田って・・・・・・スキだったの? ミカさんの事」
返事がなかった。不安になって目を開け相田の方を向く。相田は目を閉じて上を向いてた・・・・・・表情からは何にも見えない。
「・・・・・・うん。4つ・・・年上だけど・・・・・・そう、好きだったな」
と、呟くように言った。わたしは相田の顔を見ながら訊いた。
「それ・・・・・・言ったの?」
相田の口元が寂しそうに笑う。
「・・・・・・言ったさ。ちゃんと告白した・・・・・・」
「ふうん、そっか・・・・・・」
「サード・インパクトの起きる直前にね・・・・・・。第3東京から疎開することになって──だけど、あの使徒が相手だぜ。あんなの相手に第3東京にいても、日本の何処にいたって大して変わんないじゃないか──もしかしたら、もう二度と会えないかも知れないって、思ったから」
・・・・・・なんか・・・・・・胸が・・・・・・ちくちくする・・・・・・何、これ? 相田もこっちを向くと、とても優しい笑顔で言った。
「だけど、断られた。弟のようで恋愛対象にはならないって。で、第3東京に戻ってきたら幼馴染みと結婚が決まってたって訳さ」
恋愛対象・・・・・・じゃない・・・・・・か。痛いよね・・・・・・その言葉・・・・・・。でも・・・・・・どうして? ・・・・・・どうして、そんな笑顔・・・・・・できるの・・・・・・?
「辛く・・・・・・ないの?」
「ははは、辛くないっていたらウソになるけど・・・・・・告白したこと自体は後悔してないし、やっぱり好きなヒトには幸せになって欲しいし・・・・・・だから、結婚式行ってお祝いしてきたよ。あのプレゼント・・・・・・渡して」
「相田・・・・・・えらいね」
水滴がしたたる相田の前髪を撫でる。猫っ毛でくるくる、してる・・・・・・・・・・・・普段なら絶対しないよ・・・・・・けど、何か、してあげたくなっちゃった・・・・・・辛い気持ち、わかっちゃうんだもん。相田は、はにかんだような照れ笑いを浮かべて、わたしの好きにさせてくれてる。
「別に偉かないよ・・・・・・。でも・・・・・・結婚式、行って良かった。幸せそうな顔、見たら・・・・・・これで良かったんだって素直に思えた。俺の中で、ちゃんと区切りをつけられたから」
「うん・・・・・・うん、良かったね・・・・・・」
「ホント言うと、直前まで、迷ってたんだ・・・・・・だけど、必死に笑ってる霧島のこと、見たら──行った方がいいって思ったんだよ。霧島のおかげだよ。ありがとうな・・・・・・」
指が止まる──言葉に詰まってた・・・・・・なんか胸がいっぱいで・・・・・・あ、ダメだ・・・・・・。ぽろぽろと涙が零れだす。止まんない・・・・・・止まんないよ・・・・・・。相田は明らかに狼狽えていて・・・・・・違う、違うんだよ・・・・・・悲しくて辛くて涙、出てるんじゃないの。でも、言葉にできなかった。それが辛い・・・・・・。
「わ・・・・・・すまん。いや、思い出させるつもりじゃなかった・・・・・・どうしても、いつか礼を言っときたくて──」
わたしは、黙って首を振った。何も言えなかった──声を出したら大泣きしそう。
・・・・・・しばらく、沈黙が続いて、わたしたちは空を眺めていた──わたしは本題を口にした。
「・・・・・・あの、ね・・・・・・今日、話したかった事・・・・・・」
「・・・・・・ん」
「どうして、シン・・・ジ君は・・・・・・わたしの方に振り向いてくれなかったのかな? どうして、わたしじゃダメだったのかな?・・・・・・相田はどう思う?」
ここのところ、ちょっと無理して「シンちゃん」に戻してたけど・・・・・・ダメ・・・・・・、それに相田に隠したって、しょうがないし。相田の方を見ると、空を眺めたまま、真剣に考えてる・・・・・・。しばらく待つと、口を開いた。
「・・・・・・心理学的な論拠ってのも幾つか思い当たるけど、そういう答えが欲しい訳じゃないよな?」
「うん・・・・・・」
「・・・・・・言いづらいんだけど・・・・・・いいか? キツイ事言うぞ・・・・・・」
「う、うん・・・・・・」
相田は真剣な面もちでこっちを見てる。な、何だろう・・・・・・。
「・・・・・・要するに、そんなに好きじゃなかったって、ことだよ」
冷水を浴びせられたようだった。地面がグルグル回って──でもっ・・・・・・だって・・・・・・。反発心が心の中で一斉に悲鳴をあげる。
「そんなっ・・・・・・!!」
わたしは力任せに身体を起こすと、相田を睨み付けた。いくらなんでも・・・・・・許せないっ・・・・・・。
「あくまで俺の個人的な見解・・・・・・だよ? 間違ってたら謝る」
寝そべったままの相田の──メガネの向こう側の──瞳は・・・・・・澄んでいて揺るぎない強さが、あった。わたしは・・・・・・思わず・・・・・・視線を逸らしてしまう。
「シンジと惣流はお互いに、相手の為になら人類を道連れにしても後悔しない、と思う。サード・インパクトの前後で、あの二人に何があったのか、俺は詳しく知らないけど・・・・・・霧島、お前にそこまでの覚悟があったか?」
わたしの・・・・・・好きって気持ちは・・・・・・強かったかもしれない・・・・・・だけど・・・・・・わたしには──。
「惣流との友情と、シンジへの想いを天秤にかけて、バランスがとれるんじゃ覚悟が違う・・・・・・だけど、想いは強い分、余計に辛いんだろ?」
わたしは俯いたまま、ボロボロ泣いた。頭の中はグチャグチャで・・・・・・相田の言葉に言い返せない自分がいた・・・・・・でも、認めたくない自分もいる・・・・・・。相田は、身体を起こすと、ポツリと呟いた。
「ホントに違ってたらゴメンな。・・・・・・だけど、少なくとも俺は、そうだったんだよな」
わたしは、ハッと相田の顔を見上げた。ミカさん・・・・・・のこと・・・・・・。寂しそうに笑う相田の顔を見て・・・・・・・・・・・・
──ジグゾーパズルの最後のピースが、パチンと音をたてて、はまったような感覚──スイッチが切れて、全部消えてく感じがした・・・・・・。
「ううん・・・・・・違ってない・・・・・・いっしょだと・・・・・・思う・・・・・・」
わたしの中の理性は全部、納得してた。でも・・・・・・感情は、もお、一杯一杯だった・・・・・・。どうして、久しぶりに、あんな夢に魘(うな)されたのか・・・・・・相田の失恋話に涙がこぼれたのか・・・・・・全部、わかっちゃったんだ。・・・・・・だから・・・・・・だけど・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・相田・・・・・・肩・・・貸して・・・・・・」
わたしは俯いたまま絞り出すように言った。限界・・・・・・耐えらんない・・・・・・。
「──へ?」
ポカン、としてる相田の胸に、返事も訊かずに抱きついた。わたしは、しゃくり上げるように何度も呟いた。
「・・・・・・シンジ君のことっ・・・・・・好きだったのっ!! 好きだったのに、好きだったのにっ、大好きだったのにっ・・・・・・!!」
相田の暖かい手が、震えるわたしの肩をポンポンって、やさしく叩いてくれる。それが、『もう、いいよ。我慢しなくていいよ』って言ってる気がした・・・・・・。
そして・・・・・・わたしの中で、ぷつん、て何かが切れるような感じがして──── 泣いた。思いっきり泣いた。わんわん、大声を張りあげて泣いた。