彼女事情
K A R E × K A N O

Written by:きたずみ

#3
 蛍光灯の光に照らされた居間に、二人の荒い吐息が溶け合って響く。
 半裸のままで絡み合う少年と、少女。相手の鼓動を肌と繋がった下半身に感じながら、二人は絶頂の余韻に浸っていた。
「んあ、あぁ……、い、イッたの……?」
「あ……す、すまん。あんまり気持ちよかったもんやから、つい中で出してもた」
「いいよ……いっぱい出してくれて、嬉しい」
 大量に注ぎ込まれたトウジの精液が、彼女の子宮の奥へ向かって吸い込まれていく。が、それでもトウジはまだ腰の動きを止めない。止められない。止めたくない。もっと彼女を感じていたい。もっと強く、もっと深く――初めてひとつになった彼女のことを、もっとずっと愛していたい。
 それはユカの方も同じだった。胎内にトウジの熱い迸りを受けた瞬間、彼女は無上の悦びを覚えていた。そして、今。自分の躯の中にトウジを感じる。膣一杯に硬く張り詰めたトウジのペニスが、精液と愛液と破瓜の血を纏わせてぬめりながら、膣襞を擦りあげてくる。愛されている、と感じる。それが嬉しい。もっとずっと愛されていたい。
 くちゅっ、くちゅっ、くちゅっ……
 トウジが腰を動かすたびに、ユカの秘唇がいやらしい水音を奏でる。重なり合った肌が、互いの汗でぬめる。それがまた心地好い。
「す、すごい……トウジの、まだびくんびくんっていってるぅ……あ、はぅん、んんっ!」
 ユカが軽く息をつまらせ、背筋をぴぃんと反り返らせた。
「ふ…ぁっ! あ! んんぅ……!」
 眉間に皺を寄せ、トウジの手をしっかりと握りしめる。溢れ出た精液と愛液のおかげで充分に潤った柔肉が、トウジの中心をキュッ、キュッと締め付ける。
「んくぅ!」
 ユカの熱い声が耳朶を叩く。畳の上で艶やかな黒髪がサラサラと音を立てて揺れた。熱くぬかるんだ精液を纏わせながら脈動するペニスに、絶頂の余韻に浸りきった膣内を掻き回されて、ユカが立て続けに達する。悩ましく収縮するユカの子宮に、トウジの精液が次々と吸い上げられていく。
「そ、そんなにしたら、妊娠するんちゃうか?」
「だ、だって、気持ちよくって、とまんないんだも……んぅぅっ! あっ!」
 頬を桃色に染めて、ユカは喘ぎ続ける。小刻みに震える少女の胎内で、トウジのペニスはまた熱く、硬く強張っていく。二人の股間から、愛液と精液、それにユカの破瓜の血の混じりあったピンク色の粘液が、どぷっ、どぷっと溢れ出してくる。
「ね、トウジ。赤ちゃんできたら、どうする?」
 ユカはいつものように小首を傾げ、いつものように可愛らしい表情をして訊いた。思わずギョッとして、トウジが腰の動きを止める。
「ど、どうするて……まさか、中で出したらあかん日ィやったんか?」
「ちがうよ。そんなわけないじゃない」
 ユカが微笑った。トウジの躯の下で、彼に組み敷かれたままの格好で、まだ繋がっているとも思えないような可憐な笑顔を浮かべる。
「最初から、今日はトウジにあげるって決めてたんだもん。だから、中に出しても大丈夫な日だよ。それに、リツコさんからお薬もらってるから」
「ユカ……」
 可愛らしく微笑むユカの言葉に胸を打たれて、トウジは言葉に詰まった。
「トウジ、わたしのこと好きになってくれる? それとも、こんなやらしい女の子なんか、もう嫌いになっちゃった?」
「アホ……そんなわけないやないか。言うたやろ、やらしいんはお互い様や」
 言って、トウジは腰を突き上げた。先刻あれほど射精したのに、ユカの熱く蠕動する襞と精液や愛液や血の入り混じったピンク色のぬるぬるに包まれていると、またしたくて堪らなくなった。彼女の全てが欲しい、という衝動が湧き起こる。
「せやったら、このままもっぺん中に出しても、大丈夫やな。もっかいやろ」
「あん……トウジのえっちぃ」
 開け放された居間に、二人の淫らな喘ぎ声が再び響き始める。
 その声は、明け方近くまで途絶えることはなかった。
 
 心地好い疲れと快感の残滓にまみれながら、ユカはぼんやりと目を醒ました。
 男の子の体臭と自分自身の放った淫臭、そしてトウジが自室に場所を替えてからも何度となく放った精液の匂いがこもった部屋に、朝の光が射し込んでいる。
「朝になっちゃった……」
 躯の奥の方でトウジが弾けるのをぼんやりと感じながら、そのまま眠り込んでしまったらしい。
 すっと首を巡らせると、傍らでトウジが腕をユカに絡めるようにして寝息を立てている。最初からそのつもりだったくせに、実際そうなってみると嬉しいやら恥ずかしいやらで、顔が火照ってくる。
 処理されぬままになっていた秘所や太腿はまだぬめっていて、敷布団に大きな染みを作っていた。股間に心地好い疼きを覚えながら、ユカは上体を起こした。
 白い肌の至る所にキスマークが幾つも残っている。ふるんと揺れる乳房には、トウジが噛み付いた痕が残っていた。こんなにも激しく求められたのが嬉しくて、ユカは自然に顔が綻んでくるのを押さえられなかった。
 幸せな気分で、寝息を立てているトウジの顔を見下ろす。無邪気なその寝顔を見つめながら、ユカはその短い髪を撫でた。ずっとこのままこうしていたかったが、今日はNERVに行かなければならない。ユカは枕許の目覚まし時計に目をやると、トウジの躯にタオルケットをかけて、そっと布団から離れた。
 真っ先に向かったのは風呂場である。昨夜からほったらかしになっていた風呂の湯は、すっかり冷めてしまっている。栓を抜いて湯を流してから、ユカはボイラーのスイッチを入れて熱いシャワーを浴び始めた。勢い良く降り注ぐお湯が、全身に絡みついた汗や唾液や精液を流し去っていく。股間からコポリと溢れ出した精液が太腿を伝い、排水口に吸い込まれていった。
 椅子に腰を下ろして、ユカは膣の中も良く洗った。水流に刺激されて、甘やかな痺れが広がっていく。
「……また濡れてきちゃった……」
 恥ずかしそうに呟いて、ユカは軽く頭を振った。スポンジを取り、ボディソープで全身を洗っていく。そのあとで髪も洗い、絡みついたトウジの精液を流し去ってから、ユカは外に出た。トウジはまだ起きていないらしい。バスタオルで躯を拭き、昨夜からそのままになっていたかごの中の制服と下着に手を伸ばす。
 その手が不意に止まった。昨夜、お風呂の中で聞いた、トウジの圧し殺したような呻き声が甦る。洗濯機の陰で黒い頭が蠢いているのが、すりガラス越しに見えた。
(オナニーしてたんだ、トウジ……わたしの下着を使って……)
 制服の上に丸まったショーツが置かれているのを見た時に、すぐそれと解った。あまりいい気分はしなかったけど、ミサトの話によれば、思春期の男の子というのは大抵そんなものだということなので、気づかなかったフリをしたのだ。
 どのみち昨日穿いていたショーツをもう一度穿く気にはなれないし、替えもちゃんと持ってきている。
(トウジにあげたら、喜んでくれるかな)
 一体どんな顔をするだろう、と一瞬想像して小さく微笑うと、ユカはバスタオルを躯に巻きつけたまま、制服と下着を抱えて居間に戻った。部屋の隅に置きっ放しになっている自分のバッグを開けて、替えの下着を取り出す。
 着替えを終えて、ユカは壁の時計を見やった。そろそろ家に戻らなければならない。が、トウジはまだ起きてこない。
 ほんとはもっと時間に余裕があればいいのに、と思う。トウジが目を醒ますまで彼の腕の中にいて、起きたらもう一度愛してもらって、一緒にシャワー浴びて……と、果てしなく妄想が拡がりそうになるのを慌てて押し留めて、ユカはトウジの部屋を覗いた。
 案の定、トウジはタオルケットを躯に巻きつけて、ぐっすりと寝入っていた。その寝顔を見やりながら、枕許にメモと下着を残して、目覚まし時計をセットすると、ユカはそっと屈み込んだ。眠っているトウジにそっとキスして、自分でもその行為の恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら、ユカはそそくさと部屋を後にする。
 しばらく歩いたところで、路肩に見覚えのある青いルノーが駐まっているのに気づいて、ユカはそっと駆け寄った。
 彼女に気づいたらしく、運転席側の窓がすーっと開いて藍色の髪の女性が顔を覗かせる。
「どうだったぁ? ロストヴァージンのお味は?」
「ちょっ……そんなこと、おっきい声で言わないで下さいよ、ミサトさん」
「ごみんごみん」
 へらへらと笑いながら軽く手を上げて、ミサトは手にしたエビちゅをずずっと啜った。どうでもいいが、これから運転するんじゃないのかお前。
「鈴原くんって体育会系でしょぉ〜。いいわねぇ〜、若い男の子のがむしゃらなセックス。一杯してもらった? えっちだもんねぇ、ユカちゃん」
「もぉっ、恥ずかしいこと言わないでよぉ……」
 サイドシートに滑り込んできたユカに、にやにやとチェシャ猫みたいな笑みを向けながら言うミサト。ミサトのオヤジ臭い科白に頬を染めながら、それでも満更でもなさそうなユカ。
「ね、どうだったのよん? 教えなさいよ」
「……痛かったけど……、気持ちよかった……」
「そぉ〜。よかったわねぇ。これもあたしがじっくり開発してあげたおかげよぉ〜。普通だったら痛くて痛くて、全然気持ちよくなんかないんだから」
 昔を思い出すように言ったミサトを、ユカはちらりと見やった。
「ミサトさんも、そうだったの?」
「ん。ま、ねぇ〜。気持ちいいって感じが解るようになるまで、かなりやりまくったわん」
「ミサトさんのえっち」
「あらぁ〜? い〜のかなぁ、そんなことゆって?」
「え?」
 悪戯っぽいミサトの笑みに不吉なものを覚えたユカは、彼女が胸ポケットから一枚の記録ディスクを取り出すのを見て、愕然となった。慌てて車の中を見回し、望遠レンズつきのハンディカメラが三脚と一緒にラゲッジスペースに放り出されているのを発見する。
「ま、まさか――」
 つん、とミサトの指がカーナビの画面をつつく。その下のごちゃごちゃした機械の中にディスクを入れると、小さな液晶画面に、居間で半裸のまま絡み合う自分とトウジの姿が映し出された。

『トウジ、わたしのおっぱい、気に入った?』
『おお、最高や……柔らこうて大きゅうて、ぷりぷりっとしとってなあ……なんや、ええ匂いもするし……ずっとこうしてたいわ……』
『やぁん……恥ずかしいこと言わないでぇ……』
『訊いたんは自分やないか。ワシは好っきゃで、ユカのおっぱい』
『おっぱいだけ?』
『全部好きや』
『ほんと? 嬉しい』

 スピーカーから、ややノイズが混じっているものの、充分明瞭な声が聞こえてくる。いやらしい水音までばっちり入っている。
「うっそぉぉ〜〜〜〜」
 真っ赤な顔を両手で押さえながら、ユカは画面を食い入るように見つめた。画面の中で、信じられないようないやらしい顔をして喘いでいるのは、確かに自分だ。
「やだ、撮ってたの!?」
「一応彼の部屋やお風呂にも隠しカメラ仕掛けさせといたけど、居間で始めちゃったから大変だったわぁ。蚊にはいっぱい刺されるし、散々だったわよぉ。ま、おかげでいいもの撮れたけどねん。諜報部の連中も満足してたわ。久しぶりにいい仕事だった、って」
「ミサトさぁぁん!」
 泣きそうな声を上げるユカ。
「もー、こんなんだったらミサトさんに言うんじゃなかった」
「だぁってユカちゃん、ロストヴァージンなんて、女の子にとっては一生の記念なのよぉ。ばっちり記録を残しとかなきゃ。いざって時に相手が逃げ出せないようにもね」
「……なんか、やな思い出でもあるんですか?」
 その言葉に、それまで調子よく喋っていたミサトはぐっと詰まった。が、すぐに何でもないようなふうを装ってディスクを止め、ステアリングを握る。
「べ、べつにないわよ。さっ、帰りましょ。あたしお腹すいちゃった」
「う〜、今から朝ごはん作るの、しんどいなぁ……ねぇ、どっかで食べていきません?」
「この時間ってゆ〜と、牛丼かファミレスぐらいしかないわよぉ?」
「いいじゃないですか、たまには」
「そうね。ま、たまにはいっか」
 そう言ってユカに微笑みかけると、ミサトはギアに手をかけた。
「あ、そのディスクはユカちゃんにあげるわ。大事にすんのよ」
「……ありがとうって言った方がいいのかな……でも、覗いてたんでしょ? 諜報部の人たちと一緒に――」
 ユカの脳裏に、黒服の男たちの姿が浮かぶ。真夏のクソ暑い陽射しの下、汗一つかかずに平然としている彼らには、正直、あまりいい印象はない。
「心配しなくてもいいわよ。あいつら、みんなユカちゃんのファンだから」
「……なんかヤだ」
「気にしない、気にしない。さっ、行くわよぉ〜」
 ミサトの無責任な科白とユカの悲鳴を残して、ルノー・アルピーヌA310はタイヤを軋ませながら、弾かれたように勢い良く走り出した。
 
 トウジは、夢を見ていた。
 夢と自分で解る。ユカと出会ってすぐの頃の夢だ。怯えたような黒い瞳が、潤んだまま微かに震えて自分を見つめている。
 校舎裏で、トウジはユカを壁際に追いつめていた。
 わなわなと拳を震わせながらユカを睨んでいる自分の姿が、彼女の黒瞳に映っている。
「お前が男やったら、どついとるとこやけどな」
 ドスの効いた声で言いながら、トウジはすっと目を細めた。怯えたような彼女の瞳が、何故と問い掛けるように自分を見ている。
「お前が下手くそやさかい、ワシの妹は瓦礫の下敷きんなって大怪我したんじゃ」
 えっ、と彼女が息を飲むのが聞こえた。だが、頭に血が上り、しかし女を殴るようなクズ男にはなれない所為で行き場を失った彼の怒りは、彼女に向かって情け容赦のない科白を叩きつけていた。それが彼女を傷つけるとも思わずに……。
「これだけは言うといたる。あんまええ気になんなや。バケモン倒して英雄気取りかしらんけどな、お前が暴れた所為で、人がようさん死んどるんじゃ!」
「そ、んな……」
 彼女の顔が、見る見る青褪めていくのが解った。瞳は見開かれたままで、唇はそれ以上の言葉を発することが出来ずに戦慄いている。
「あんま調子のんな、ボケ」
 そんな彼女の様子など気にも留めずに、トウジは彼女の顔のすぐ脇の壁を拳で殴りつけてからその場を離れた。頬を掠めた拳に、彼女の躯が一瞬強張り、そのままへなへなとその場に崩れ落ちる彼女を、トウジは見もしなかった。その様子をずっと眺めていたケンスケが「悪いね」と言って彼女を拝むのを背中で聞きながら、トウジは足早にその場を離れた。
 蝉がうるさいぐらいに鳴いていた。
 避難警報が鳴り響いたのは、そのすぐ後だった。
 
 空から降ってくる初号機の巨体。
 シェルターからこっそり脱け出した二人を待っていたのは、初めて間近に感じた『死』の濃密な気配だった。
『そこの二人!』
 間近で見る巨人の指の間で震えているトウジとケンスケの耳朶を、女性――後でミサトだと知った――の鋭い声が叩く。
『乗りなさい、早く!』
 言われるままに飛び込んだエントリープラグの中で、トウジは彼女を見つけた。インダクションレバーを握り、震えながら必死で痛みを堪えているユカを。
 正面には、光の鞭のようなものを不気味に蠢かせている使徒の姿がある。
 と、全周モニターにノイズが走った。
『神経系統に異常発生!』
『異物を二つもプラグに挿入したからよ。神経パルスにノイズが混じってるんだわ!』
 サブモニターの時計は容赦なく減っていく。迫る活動限界。
『ユカちゃん、引き上げるわよ。7番のゲートから戻って』
 ミサトの声がプラグ内に響く。しかしユカは、レバーを握ったまま、躯を震わせている。俯いた顔は、背後からではよく解らない。何か呟いているようだが、よく聞こえなかった。
「転校生、逃げろ言うとるで」
「……だめ、逃げちゃだめ。わたしが逃げたら、また人が死んじゃう。そんなのだめ」
 瞳に涙を浮かべながら、きっと顔を上げるユカ。光の鞭――使徒の触手を掴んで、力任せに空中に浮いている使徒の本体を振り払うと、初号機はのそりと立ち上がった。
『今よ、後退して!』
『プログレッシブ・ナイフ、装備!』
『ユカちゃん、後退よ。ユカちゃん!?』
「うあああああーっ!!」
 残り時間が一分を切る。絶叫するユカ。そのまま、山肌を滑り降りていく。使徒の触手が躯を貫く。震動するエントリープラグ。コアに突き刺さったまま、激しく火花を散らすプログナイフ。レバーを両手で押し込みながら、涙を散らしてただ絶叫するユカに、トウジとケンスケは息を飲まれ、見ていることしか出来ない。
 残り三秒。コアにカシッと亀裂が走り、光を失う。
 そして活動限界。闇に飲まれるエントリープラグ。
『初号機、活動停止。活動限界です』
『目標、完全に沈黙』
 マヤと日向の声が、何処か遠くに聞こえる。
 仄かな明かりに照らされたエントリープラグ内には、重苦しい雰囲気が漂っていた。言葉のないトウジとケンスケ。今頃になって、躯が恐怖で震えてくる。
 シートの上では、ユカが膝を抱え、ひっく、ひっくと何度もしゃくりあげるようにして泣いていた。小刻みに震える小さな肩と背中。彼女も怖かったのだと、この間も、きっとずっと怖くてたまらなかったのだと、トウジはようやく解った。
 トウジの胸に、罪悪感が押し寄せてくる。
 恐ろしいほどに紅い夕焼けの中、蝉の声だけがやかましく響いていた。
 
 雨。ただただ降りしきる雨を、トウジはぼんやりと見ていた。
「今日でもう三日か……」
「オレたちがコッテリ叱られてから?」
「アイツが学校に来んようになってからや」
「アイツって?」
 素知らぬフリをして言うケンスケは、パソコンに使徒のデータを打ち込んで、3Dモデルを作るのに忙しい。
 トウジは、この趣味に生きる友人がちょっと羨ましかった。
 それに比べて、なんと繊細なこの自分。
「転校生や、転校生」
 言って、トウジは身を起こした。
「あれからどないしとんのやろ」
「心配?」
「べ、べつに、心配っちゅうワケや……」
「トウジは不器用なくせに強情だからね。あの後、別れ際にでも謝っときゃ、三日も悶々としないで済んだのにさ。――ホラ」
 言って、ケンスケは紙片を差し出した。
「転校生の携帯の番号。心配ならかけてみれば?」
 無言でそれを受け取ったトウジは、黙って廊下に出て行く。
 無人のロビーで、トウジは公衆電話を前に立ち尽くしていた。メモを見ながらボタンを押していく手が、途中で止まる。しばらく躊躇っていたが、彼は結局、受話器をフックに戻した。
 窓の外は雨。土砂降りの、雨。
 
 いつものように、学校帰りに病院へ向かうトウジ。
 通い慣れた妹の病室に入ろうとして、中から話し声が聞こえるのに気づいたトウジは、そっと中を覗き込んだ。
「――!」
 ベッドサイドには、白いワンピースに身を包んだユカが座っていた。妹――ユキノと何やら楽しそうにお喋りをしている。彼女のそんな姿や、学校では見たことのないその笑顔に、トウジはどきりとした。
「でね、お兄ったらね――」
 悪戯っぽいユキノの声に、トウジは嫌な予感が脳裏を過ぎるのを覚えた。ユキノがこんな声を出す時、いいことがあった試しはない。
 案の定、ユキノは彼の恥ずかしい話を次々に暴露し始めた。本人が記憶から完全に消去した筈の忌まわしい汚点を、ユキノがこれでもかというぐらい誇張して話すたびに、ユカは楽しそうな笑い声を上げている。
「あのアホ、なに喋っとんねん」
 真っ赤な顔で唸るトウジ。ユキノは最初から気づいていたようで、「そろそろいいかな」と呟くと、ユカの腕をつついてドアの方を示した。
「あ……」
 ばれてしまっては仕方がないので、諦めて入ってくるトウジ。耳まで真っ赤になって、まともにユカの方を見れない。もっとも、その遠因の一つには、ユカの悩殺ファッションがあったのだが。
 純白のワンピースにサンダルという清楚なファッションはひどく似合っているのだが、くっきりと谷間を覗かせたその胸元は、中学生にはかなり刺激的だった。
 ベッドサイドまで来たものの、なんと声をかけていいか解らないトウジ。傍目にはムスッと押し黙って、不機嫌そうに見える。そんな彼を悲しそうに見やって、ユカは椅子に座ったまま項垂れた。
「……ごめんなさい」
 ぽつりと呟くように洩らしたその一言と、膝の上で握られた拳に落ちた涙の滴に、トウジは胸を衝かれた。
「お兄! あんた、なに女の子泣かしとんの!」
 スコ――――ンッ!!
「へぶっ」
 黙っていたトウジの顔面に、見舞いの品のリンゴが景気よく激突した。
「ほら、はよ謝り!」
 同時に次弾を手に装填しながら、三つ目のリンゴに手を伸ばしたユキノが怒鳴る。
「ユカ姉ちゃんはな、毎日こうしてウチのお見舞いにきてくれとるんやで!? せやのにアンタ、なにしとんの! ウチはそんなええ加減な男に育てた覚えはないで!」
 ワシかてお前に育てられた覚えはないわい――そうは思ったが、鼻っ柱をリンゴに直撃されて呻いていたトウジは、そう反論する余裕もなかった。見ると、先刻まで泣いていたユカが、呆気にとられたような顔で兄妹喧嘩を眺めている。
 目尻に涙を湛えたまま、ユカはくすくすと可笑しそうに笑った。その声に、ようやくユキノは攻撃を停止する。
 一応、それなりに安い果物しか投げていないあたりは流石と言うべきか。
「ほら、ちゃんと謝り」
 ドスの効いた声で命じるユキノ。
「すまんかった」
 レモンやらリンゴやらが転がった床に膝をついて、土下座するトウジ。額を床に擦りつけるようにして謝るその姿に、ユカの方が慌てた。
「あ、あの、そんな、いいから。わたしが悪いんだし――」
「甘いっ! 甘すぎやわ、ユカ姉。お兄はニワトリ並みの脳みそしか持ってへんねん。三歩歩いたら謝ったことも忘れてひどいことするに決まっとるんや。今のうちにキッチリしばいとかんと。子供でもケダモンでも、しつけは大事なんよ」
 それって小学生が言う科白だろうか、とちょっと思うユカを尻目に、ユキノはまだ怒り足りないように、土下座しているトウジの頭に手にしたリンゴを投げつけた。げしゅ、と音を立ててリンゴが潰れる。やりすぎだお前。
「ユキノ! お前、ええ加減にせえよ!」
「なんやの! お兄のくせに、ウチに歯向かうんか!」
「い、いえ、なんでもないです……」
 弱い。
 ぎろりとユキノにひと睨みされただけでしゅんとなるトウジを、ユカは呆気にとられて眺めていた。
「な? 簡単やろ? 人間や思うからあかんねん。ケダモンや思たらええねん」
「ユキノちゃん……お兄ちゃんのこと、そんな風に言うのはよくないよ」
 ユカがそう言ってユキノを見やった。これといってきつい口調でもないのに、それだけでユキノはしゅんとなる。そして小さく「ごめんなさい」と呟いた。にこりと微笑って彼女の頭を撫でると、ユカはあたりに散らばったリンゴなどを拾い始めた。
「あ、あの……」
「なに?」
 遠慮がちに、トウジが声をかける。
「転校生のこと、なんもしらんでひどいこと言うて、すまんかった。ワシのこと、許してくれるやろか?」
「……」
 ユカは、答えない。黙ったまま背中を向けるユカの姿に、トウジは自分がどれほど彼女の心を傷つけてしまったかを思い知らされて、愕然とする。
「な、なんでもする! ワシのことなじってくれてもええ。許してくれるんやったらなんでもする!」
 再び土下座するトウジ。必死だった。彼女が自分にはもう先刻のような笑顔を見せてくれないのではないかと思うと、無性に怖くてたまらなかった。あの笑顔をもう一度見られるなら、どんな願いでも叶えようと思った。
「なんでも?」
「ああ!」
 その科白に、背中を向けたユカとユキノが会心の笑みを交わしあったことに、トウジは気づかなかった。
「じゃあ……」
 地獄の審判を待つような気持ちで、ごくりと咽喉を鳴らすトウジ。
「わたしのこと、名前で呼んでくれる?」
「……え?」
 その言葉に、トウジは呆けたように顔を上げた。大きく開いたワンピースの背中が、ほんのりと桜色に染まっている。
「いつまでも『転校生』って呼ばれるの、嫌だもん。だから、名前で呼んで欲しいな」
「あ、そ、そんなことやったら――」
 お安い御用や、そう言いかけて、トウジは彼女の名前を知らないことに今頃になって気づいた。硬直したまま、だらだらと脂汗を流すトウジ。
 必死で検索したところで、知らないものは思い出せるわけがない。
「え、え〜と……」
「――まさか」
 地獄の門番もかくやといった声音で、ユキノが口を開いた。
「姉ちゃんの名前、知らんとか言わへんやろな……?」
「……」
「アホかぁぁぁっっ!!!!」
 どぼげしゃぁっ!!
 見舞いの果物かごごと襲いかかった山盛りの果物が、トウジを殲滅した。モーションを終えてから我に返ったユキノは、後でゆっくり食べるつもりだったメロンまで投げてしまったことに気付き、腹立たしそうに怒鳴った。
「このアホ! メロンまで投げてもたやないの!」
「おっ……おまえ、なぁ……」
 顔面を果物の汁でびしょ濡れにしながら、トウジは呻いた。躯中から甘い匂いが漂ってくる。目の前には無残に潰れたメロンが転がっていた。もったいない。
「お兄、スイカ買うてきて。お兄の頭カチ割ったる」
「アホかぁっ! 死んでまうわい、ンなことしたらっ!」
「死なへん、死なへん」
 軽く手を振って笑ったユキノは、呆気にとられているユカに向かって目配せをした。引き攣った笑みを浮かべたユカは、トウジの目の前にしゃがみこむ。
 膝の間から一瞬スカートの中が見えそうになったが、流石に今は鼻の下を伸ばして無事でいられるとは思えず、必死で自制するトウジを、ユカはじっと見つめた。ポケットからハンカチを取り出してトウジの顔を拭いてから、口を開く。
「わたし、ユカ。碇ユカ。よろしくね、……鈴原くん」
「おっ、おう」
「じゃ、呼んでみて?」
「……い、碇……」
 顔を引き攣らせ、耳まで真っ赤にしながら、何とかそれだけを呟くように言うトウジに、ユカとユキノは顔を見合わせて同時に溜息を吐いた。
「……ま、お兄じゃその辺が限界か」
「そだね。いいよ、今はそれで」
 くすっと笑って、ユカはトウジに手を伸ばした。目の前に差し出された白い手にドギマギしながら、トウジはその手をそっと握る。小さくて柔らかいその感触に、胸の奥で何かがドクンと跳ねた。
 彼女の手を借りて立ち上がったトウジの耳許に、ユカがそっと唇を寄せた。そのまま、吐息のような囁く。
「でもいつか、ユカって呼んでね」
 耳をくすぐる甘やかな吐息の感触に、トウジの脳髄はぼんやりと痺れていた。
「あ〜あ、鼻の下伸ばしよってからに。なぁ、ユカ姉、ホンマにこんなんでええのん? もっとええ男いっぱいおるやろ」
 その問いに、しかしユカは含羞むように笑っただけだったが、その微笑みにユキノは思わず見惚れてしまっていた。
「じゃ、わたし帰るね」
 そう言って、ユカはユキノにばいばいと手を振った。それからトウジに目を向けて、頬を染めながらちょっと俯いたが、意を決したように息を飲むと、顎をあげた。
「またね、トウジ」
 そう言うと、ユカは足早にトウジの脇を通り過ぎた。その頬が真っ赤になっていたのにトウジが気付いたのは、ドアがパタンと閉じてからだった。
「お兄、お兄ってば!」
 ぼーっと立ち尽くしていたトウジは、ユキノの呼び声で我に返った。
「な、なんや、ユキノ」
「なんややあれへんがな。お兄がなんも喋らんから、ユカ姉、帰ってもたやないの。男やったら、ちゃんと送ってったらんかいな」
「お、おお。せやな」
 言われて始めてそれに気づいたトウジは、おたおたと踵を返して病室を出て行った。それを見送っていたユキノの耳に、廊下を走るなと看護婦に叱られているトウジの声が聞こえる。
「……手のかかる兄貴もつと、妹は大変やわ」
 嬉しそうにそう呟いて、ユキノは小さく息を吐いた。
 
 二人一緒の、はじめての帰り道。
 手が届きそうで届かない、そんな微妙な距離を置いて、茜色に染まった街を二人は歩いていた。
 一人ずんずん歩くトウジは、ユカが追いつこうと頑張って早足になっているのに気付かない。
 病院を出るときに追いかけてきてくれたのは嬉しかったが、今は不機嫌そうにむっつりと押し黙ったままだ。
 息を切らしながらトウジの背中を追っていたユカは、ぴたりと足を止めた。しばらく行き過ぎてから、ようやく彼女がついてきていないことに気付いたトウジが戻ってくる。
「……ど、どないしたんや……」
 立ち止まったまま俯いている彼女を困ったように見つめて、トウジは居心地悪そうに頭を掻いた。こんな時、どうすればいいか解らない。
「腹でも痛いんか?」
 心配そうに顔を覗き込もうとしたトウジは、ユカの突然の動きに反応できなかった。踵を鳴らして、ユカがトウジの左腕に抱きついてきたのだ。柔らかな膨らみに肘を押し当てられて、心臓がドクンと跳ね上がる。
「な、なん、な……」
 トウジは真っ赤な顔で口をパクパクするだけで、言葉にならない。
「いいでしょ?」
 そんな彼の腕にほっそりした剥き出しの腕を絡めて、ユカは恥ずかしそうにトウジを見上げながら微笑った。
「行こう?」
 言って、トウジを引っ張るようにして歩き出す。
 夕陽に照らされて長く伸びた二人の影は、仲良く寄り添っていた。
 蝉の声はもう、気にならなかった。
つづく



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  あとがき

 今回は実用度がやや低め(^^;
 このあたりからですかね、本編系に話が変わりだしたのは。
 しかし、トウジの妹がやたらと元気で、殺しても死にそうにない感じになってしまったのは何故だろう。
 最初はもっとおしとやかな感じの娘にしようとか考えてたのに(笑)。ベッドが似合う薄幸の美少女〜って感じの。それがいきなり出てきて勝手に動き出すもんだから、話が変わる変わる。メロン投げた瞬間にキャラが決まりました。
 あの性格はほとんどチエちゃんですね(^^; ←「じゃりン子チエ」を知らない人には解らないかなぁ。
 彼女の登場で、鈴原家のキャラはほぼ決まったようなものでした。

 で、やっぱりミサトさんが壊れてしまいました。
 私が書くと何故かいつもこうなるなぁ。こんなに愛してるのに(笑)。

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