〜彼と彼女の事情〜
K A R E × K A N O
Written by:きたずみ
#6
胸がドキドキと高鳴っている。
恥ずかしい。でも、嬉しい。
自分の躯を見て、トウジがすごく昂奮してくれているのが解る。きっと欲しくてたまらないんだ、と思いながら、ユカはさっと立ち上がり、躯のお湯を流して湯船に入った。
「ユカぁ〜」
(だめぇ〜……恥ずかしいよぉ〜)
トウジが呼んでいるが、今になって自分の大胆さに顔が火照ってきて、まともに彼の顔が見れない。真っ赤になって背中を向けていると、トウジが溜息を吐いて躯を洗い始めるのが解った。ちらちらと横目で様子を窺う。
こうして改めて見ると、逞しい躯をしている。ユカを軽々と抱き上げたのも頷ける。スポンジにボディソープをつけ、泡立てて腕から。でも、背中が洗いにくそうだ。自分だけ洗ってもらってそれきりっていうのはやっぱり悪いかな、と思う。ユカはお湯から上がると、トウジの手からスポンジをとって背中を擦り始めた。
(マッサージとか、してあげなきゃまずいかな……)
トウジに洗ってもらっていた時、すごく幸せだった感じを思い出して、ユカは一人頷いた。広い背中を一通りスポンジで擦ってから、泡だらけの背中にそっと抱きつく。
「ゆ、ユカ……?」
「わたしもしてもらったから、お返し」
背中に押し付けられた柔らかな感触にトウジが声を上げると、ユカは含羞むように笑って、そっと躯を動かし始めた。泡にまみれた乳房が、トウジの背中を滑っていく。硬く痼った乳首がくりくりと擦れて気持ちいい。
「トウジ、ユカのおっぱい好きって言ってたでしょ? だから、これで洗ってあげる」
言いながらボディソープを掌にとり、乳房に塗りつける。そして、茫然としているトウジの腕を取って、乳房に擦りつけた。そのまま、抱きつくようにして胸に膨らみを押し付けていくと、たまらなくなったのか、トウジがユカの唇を奪った。
「んんぅっ!」
激しく舌を吸い立てられ、口の中を舐られる。口腔内で絡み合う舌が踊り、唾液が淫らな音を奏でた。
「入れたい。ええか?」
「だめ……」
耳許で熱っぽく囁くトウジに、ユカは小さく首を振った。まだトウジの躯を洗い終わっていない。胸を押してトウジをタイルの上に寝かせ、ユカはその上に覆い被さっていった。ひんやりするボディソープを全身に纏わせ、重ねた躯をくねらせていく。
お尻に熱いこわばりが当たる。たまらないようにトウジがお尻を撫でてくるのに甘えた鼻息で応えながら、ユカは躯をゆっくりと下げていった。躯の中心線をトウジのペニスが撫でていき、胸に挟まれる。トウジの期待するような眼差しに気付いて、ユカはぬるぬるの乳房でペニスを挟み、擦りたてていった。
「あぁっ、うぁぁっ!」
焦らしに焦らされて、ペニスが快感にビクンビクンと震える。仰け反って息を荒げるトウジ。きゅっ、きゅっと柔らかな胸で挟んで動かすと、肉の間に埋もれるようにして先端が現れたり消えたりする。その光景を、トウジは荒い息を吐きながら眺めていた。
「うぁ……っ、も、もうあかんっ! 出そうや!」
「いいよ、トウジ! ユカの顔にいっぱい出してぇっ!」
喘ぐトウジの姿に昂奮しながら、ユカは叫んでいた。とほぼ同時に、トウジのペニスが激しく痙攣し、ぐぅっと亀頭を膨らませて鈴口から熱い精液を迸らせる。
「うぁぁ……」
熱く煮えたぎる精液が、ユカに顔にびゅくっ、びゅくんっ、と勢いよく噴きかけられる。あとからあとから撃ち出される白濁する粘液に顔中を覆われながら、ユカは懸命に乳房で挟んだペニスをしごき続けた。
「うはぁっ、ユカぁ……」
射精直後の敏感なペニスを擦り立てられて、トウジが腰を戦慄かせる。亀頭にそっと口づけて残った精液を啜りとったユカは、顔中をどろりとした粘液に覆われたまま、ふわりといつものように微笑んだ。
「いっぱい出たねぇ……気持ちよかった?」
「……あぁ……」
その微笑みをぼんやりと見つめながら、トウジは荒い息を繰り返すしか出来ない。
「すまんな、汚してもうて……」
「いいの。トウジが喜んでくれて、嬉しい」
そう言って微笑うと、ユカはお湯で顔や躯についた精液とボディソープを洗い流した。トウジの躯にもお湯をかけ、掌で擦りながら流していく。
「ねっ、一緒にはいろ?」
トウジの手を掴んで湯船に入るユカ。その後を追って湯に浸かったトウジの胸に、ユカはそっと背中を預けた。トウジの腕を自分で躯の前に回し、後ろから抱っこされるような体勢を作って目を閉じる。
「トウジ、ぎゅってして……」
甘えるような囁きが耳朶を打つ。安心しきったように目を閉じて自分の首筋に頭を凭れさせるユカを、トウジはそっと抱き締めた。
股間は半勃ちのままで、回復には時間がかかりそうだったが、そんなことはもうどうでもよかった。自分の腕の中で、可憐な少女が全てを委ねきっていることが、無性に嬉しかった。このままずっとこの時が続けばいい、と思った。
「……そう、やはりそこにいたのね。……いえ、放っておいていいわ。そのままガードを続けてちょうだい。ええ、……じゃ、あとよろしく」
感情を抑えた声音でそれだけ言うと、ミサトは携帯を切った。はぁっ、と息を吐いて、脇から差し出されたマグカップのコーヒーを啜る。
「彼のところ?」
「ええ。結局、あたしが出る幕はなかったってこと」
「――あら、ご機嫌斜めじゃない?」
揶揄うような口調で言って、金髪の友人はモニターから目を離して眼鏡を押し上げた。その言葉に、ミサトはつい、と目を逸らす。
「別に、ンなことないわよ」
「不満なのかしら? あの娘が自分じゃなくて彼に頼ったことが。それとも、自分が家族として信頼されてなかったことが、かしら」
言って、リツコはコーヒーを啜った。
「……そうね」
気弱な声音で、ミサトは呟くように言った。
「あたしはあの娘に信頼されてない。――結局、自分が寂しいだけなんだわ」
「そこまで解ってるんなら、信頼されるよう努力するのね。パイロットのメンタルケアも貴女の仕事よ。次の使徒はいつくるか解らないんだし」
「……解ってるわよ」
苦いコーヒーを顔をしかめて啜っていたミサトは、ついに耐え切れなくなってミルクと砂糖に手を伸ばした。
色つきの砂糖水になるぐらいに砂糖を入れ、乱暴にスプーンで掻き混ぜる友人を、リツコは物悲しげな目で見やる。いや、正確には、その手の中のコーヒーを、だ。味覚異常の彼女には、この芳醇な香りと馥郁とした味わいは理解できないらしい。
次からはインスタントにしよう、といつも思いながら実行しないのは、コーヒー通として、そんなものには間違っても手を触れたくないからだった。
「で、零号機の再起動実験、大丈夫なんでしょうね」
「それはレイ次第ね。この間のようなことがないといいんだけど」
「この間って?」
「心理グラフが異常に乱れたのよ。精神的に不安定だったようね――彼女にしては」
「精神的に不安定? あのレイが?」
ミサトは信じられない思いでリツコの話を聞いていた。いつも無表情で感情など殆どないように見えるレイが、心理的に動揺するなど考えられなかった。
「原因は?」
「考えられるとしたら、ユカちゃんね、理由は」
「あんでよ?」
不思議そうな顔をするミサトを、リツコは幸せだと思った。彼女は気付きもしないのだ――レイが、ゲンドウの前でだけ人間らしい感情を見せることを。もっともそれは、彼女のレイとの付き合いが、仕事上のものでしかないからだが。
「自分が要らなくなるのではないかという恐れ、捨てられるという不安――そんなところじゃないの。司令の実の娘が来ると聞かされた後だったから」
「……なによそれ?」
「解らなければそれでいいわ」
薄い笑みを浮かべて、リツコは父のことをまるで覚えていない少女のことを思った。
父に捨てられたという記憶ごと、父のことを忘れ去った彼女。
そして、その男に捨てられることを恐れる、もう一人の少女。
報告どおりなら、あの二人は、今まで殆ど会話らしい会話をしていない。これでは、仮に零号機の再起動実験が成功したとしても、作戦上の連携は望めまい。
リツコは溜息を吐いた。
「とにかく迎えに行ってらっしゃい。よく話し合うなり抱き締めてあげるなりして、自分は要らない存在なんかじゃないってことを教えてあげるのよ。いいわね」
「は〜いはいっと」
構成素材は殆ど同じにも関わらず、何故かコーヒーと呼ばれる嗜好品とは似ても似つかない代物と化したそれを美味そうに飲み干して、ミサトは空のマグを置いた。
「そんじゃま、ちょっくら行ってきますか」
「行ってらっしゃい」
上着を肩にかけて出て行く友人を見送って、リツコは小さく自嘲した。
「あの人のことを忘れてしまうのと、忘れられないのと、一体どっちが倖せなのかしらね」
風呂から上がって着替えた二人は、縁側に並んで座ったまま、そっと寄り添っていた。
ここへ来た時に着ていたタンクトップとホットパンツに身を包んだユカは、木綿のTシャツとトランクス姿のトウジに凭れるようにして、ぼんやりと月を眺めている。
風呂あがりの火照った肌を、涼しい夜風が撫でていくのが心地いい。ブローしていないユカの湿った髪が、風に揺られて肌を滑る感じがくすぐったかった。さして広くもなく、手入れもされていない庭から、虫の声が聞こえてくる。
「いい風だね」
「……ああ」
「気持ちいいねぇ」
「……ああ」
今更ながらに照れているのか、トウジは微かに頬を染めながら、ユカの言葉に同じような返事をするだけだった。
別に抱きつくわけでもキスするわけでもなく、ただ傍に座ったユカに甘えられているだけだ。彼女とはもっと凄いことを一杯している筈なのに、すごくドキドキする。が、同時にひどく安らいでもいた。
凭れられた片腕が重い。触れ合った肌がほんのりと汗ばんで、吹きすぎる風が石鹸の匂いとともに彼女の匂いを届けてくれる。
ずっとこうしていたい。何も話さなくていい。何もしなくていい。ただ、こうして傍に居てくれるだけでいい。
この時が、ずっと続けばいいのに――
黙ってお互いの存在を隣に感じながら、二人は同時にそう思っていた。
だが、至福の時は、いつまでも続かない。居間の電話が鳴り始めたのに気付いて、トウジとユカは顔を見合わせた。
ユカの真っ黒な双眸が、トウジをじっと見つめている。
「誰やろな、一体」
ユカの頭にぽんと掌をのせて、トウジは立ち上がった。居間に戻っていくトウジの背中を、ユカは寂しそうに見送る。
「はい、鈴原です」
受話器をとったトウジの耳に飛び込んできたのは、予想通りの人物の声だった。ミサトである。運転中なのか、声にノイズが混じっていた。
『あ、鈴原くん? ユカちゃん、そっちに行ってるでしょ? これから迎えに行くから、伝えといてくれる?』
「……はい」
明るいその声が何処か作り物めいて聞こえて、トウジは眉をひそめた。一緒に住んでいながら、どうしてユカのことをちゃんと見てやらないのかと思うと、ムカムカと怒りが込み上げてくる。
「ミサトさ――」
文句を言おうとして口を開きかけた彼の腕を、ひんやりした白い手がそっと押さえた。顔を上げたトウジに、ユカは薄く微笑んで、首をゆっくりと左右に振ってみせる。
『なに?』
「……いえ。何でもありません」
『そう……あと五分ぐらいで着くから。じゃ』
プッ、とミサトが一方的に喋って電話が切れた。受話器をフックに戻しながら、トウジはユカを見つめる。
「何でや。おまえが苦しんどる時、ミサトさんは何もしてくれへんかったんやろ? せやのに、なんで庇うんや」
「だって……ミサトさんは、わたしの家族だから……」
「家族やったら、尚更やないか」
トウジの胸の中にそっと躯を預けて、ユカは呟くように言った。
「いい。トウジがいてくれるから、いい……」
ユカのその言葉に、トウジは眉をひそめた。自分しか要らない――そんな依存は間違っていると思った。だから、トウジはユカの肩を掴むと、ぐっと胸から引き離した。
「逃げんな」
ユカの目を見つめながら、トウジは強い口調で言った。
「逃げたらあかん。逃げる前に、ちゃんと本気でぶつかってみい。家族なんやろ? せやったら、喧嘩でもなんでも思い切りやったらええねん。我儘言うてええねん。寂しかったら甘えたらええねん。な?」
「トウジ……」
瞳を潤ませて、ユカは首を小さく振った。
「それでもあかんかったらワシんとこに来い。思い切り甘えさしたる」
ユカはトウジに抱きついた。背中に手を回して、ぎゅっとしがみついた。そんな彼女の躯を抱き返しながら、トウジはそっとユカの髪を撫でた。しばらくの間、ユカが鼻を啜る音だけが響いていたが、ややあって、トウジは口を開いた。
「今度の休み、二人で何処か行こか」
そう耳許で囁くと、ユカは涙に濡れた顔をばっと上げた。その目はまるで信じられないというように大きく見開かれ、トウジをじっと見つめていた。
そんな彼女を見て、トウジは誘ってみて良かったと思った。自然と笑みが溢れた。
「何処行きたい?」
「ゆうえんち」
即答だった。家族で何処かに出かけたことのない彼女にとって、夏休みにみんなで帰る田舎や遊園地というのは、憧れの場所だった。
「遊園地かぁ……」
トウジは難しそうな顔をした。
第3新東京市は使徒迎撃用の要塞都市である。元々そういった娯楽施設は少なく、週末ともなれば家族連れが集中するため、大混雑は必至だった。
だが、他ならぬユカのお願いである。彼女の喜ぶ顔見たさに、トウジは頷いていた。
「解った。ほな、遊園地行こ」
「ほんと!?」
ぱっと笑顔を花開かせて、ユカはトウジの首筋に抱きついた。首筋に頬を摺り寄せながら、へにゃ〜っと頬を緩ませる。
「えへへ〜、嬉しいな。トウジとの初デートだね」
「そ、そやな」
子供みたいに甘えるユカにちょっと圧倒されながら、トウジは彼女にキスしようとして、そのまま凍りついた。
「あら、どうしたの? 気にしないで続けていいわよん」
何も言わずに勝手に上がりこんで、まるで自分の家みたいに寛ぎながらまじまじと自分たちの様子を観察していたらしいミサトに、トウジは驚くより先に呆れた。
「い、いつからおったんですか?」
「え〜? 『今度の休み、二人で何処か行こか』ってとこからかしら。初デート? 初々しくっていいわねぇ〜」
にまにまと笑みを口許に湛え、愉しそうにこちらを眺めているその姿に、トウジはとうとう『綺麗なお姉さん』の幻想を放棄する。今までユカから聞かされていた話も、この姿を見れば妙に納得である。
(……こうゆうヒトやったんや、ミサトさんて)
溜息をひとつ吐いてふと目をやると、ユカは黙ってトウジのキスを待っていた。案外、彼女の方はミサトの侵入に気付いていたのかもしれない。
(ワシが心配するこたあれへんかった、ちゅうことかい)
トウジは小さく息を吐くと、諦めて唇を重ねた。ミサトが感激しながら息を詰めて見つめるのが気配で解る。軽く唇を重ねただけで離すと、トウジはちょっと不満そうなユカの躯を引き剥がした。そのまま、ミサトの方に押しやる。
「ごみんねぇ〜、お楽しみのところお邪魔しちゃってぇ」
「ええですけど、別に。それより、勝手に上がりこまんといてくれます?」
「あら、『お邪魔します』って言ったわよ」
「……ほんまですか?」
「ええ、心の中でこっそり」
真面目な顔で見詰め合うトウジとミサト。
「……」
「やぁねぇ〜、軽いジョークじゃないのよん」
ひらひらと手を振って、ミサトは笑った。何処までが本気なのかまるで解らない。なんか色んな意味で恐ろしいヒトだ、とトウジの背中に戦慄が走る。
「じゃ、悪いけどユカちゃんは返してもらうわね。若いからって、ヤリ過ぎは毒よ」
(…オヤジや……)
ミサトのセクハラ発言に、もはや溜息を吐くしかないトウジである。ユカの方を見ると、彼女は軽く肩を竦めてみせた。どうやら普段からこんな感じらしい。
「また来るね、トウジ」
「おお」
小さく手を振って、ユカがミサトの後を追って出て行く。
道路まで出たトウジは、ユカを乗せたアルピーヌのテールランプが見えなくなるまで、ずっと見送っていた。
誰もいない家はがらんとして、どこかよそよそしかった。
トウジは溜息を吐いた。
「ごめんね」
ステアリングを握りながら、ミサトは言った。その目は前方をじっと見据えていて、横顔にはいつものおちゃらけた雰囲気は微塵もなかった。
「……なにがですか」
「ユカちゃんのこと。あなたがお父さんのことやレイのことでそんなに悩んでいるなんて、思いもしなかった――いえ、逃げていたのね。自分の心をさらけ出すことから」
「ミサトさん……」
滅多にないミサトの真剣な声音に、ユカは驚いて彼女の横顔を見つめた。
「あたしね、セカンドインパクトが起こった時、南極にいたの。葛城調査隊って言ってね。父の仕事を見に行ってたのよ。――あんまり覚えてないんだけどね」
唐突な告白に、ユカは目をぱちくりさせた。ユカの初めて聞く話だった。
「五歳の時に両親が離婚して、それから全然逢ってなかったのに、いきなりあたしに来いって言うの。あたし、最初は断ろうと思った。あんたなんか嫌いって、言ってやるつもりだった。だって、父が家を空けている時、母は泣いてばかりだったから」
(……わたしと似てる)
ミサトの告白を、ユカは複雑な思いで聞いていた。父と名乗る見知らぬ他人にいきなり呼び出され、居心地のいい場所から引き出された自分。あなたなんか知らない、そう言って帰ろうと思っていた。綾波レイ――彼女に出逢わなければそうしていただろう。
「でも、セカンドインパクトの時、父はあたしを庇って、死んだの」
ユカはハッと息を飲んだ。ミサトの顔が苦しげに歪んで、ステアリングを握る指が白くなるほど、手に力が込められている。
「ミサトさ――」
「あたしは解らなくなったわ。自分が父を愛していたのか、憎んでいたのか。だから忘れようと思った。でも、今でも忘れられずにいる」
「ミサトさん、もういいからっ!」
「あたしは――」
「もうやめてっ!」
キキ―――ッ!
タイヤを灼きつかせて、アルピーヌは停止した。
ハザードランプをゆっくりと点滅させるアルピーヌの車内で、ミサトはユカの温もりを感じていた。
自分に抱きついたまま、泣き声混じりに「ごめんなさい」とくり返し呟く彼女の背中をそっと抱き締める。そうすると、ユカの泣き声がいっそう強まった気がした。
ぎゅっと腕に力を入れてしがみついてくる彼女を、ミサトは初めて守りたいと思った。
「ミサトさん」
ミサトの胸に顔を半ば埋めるような体勢で、二人はしばらくそうして抱き合っていたが、ユカが不意にポツリと口を開いた。
「なに?」
「綾波さんって、どんな娘なんですか」
「レイぃ〜? ん〜、彼女はあたしの管轄じゃないからよく知らないのよねぇ〜。あの娘、あんまり口きかないしぃ」
「……そう、ですか」
ユカはそう言うと、ミサトから離れた。シートに躯を沈めるようにして、ぼんやりと窓の向こうを眺めながら何か考え込んでいる。それを横目で見やって、ミサトは小さく息を吐いた。
「レイのことならリツコの方が詳しいでしょ。明日の晩、うちで一緒にご飯食べてくよう言っとくわ。その時に訊いてみれば?」
「ミサトさん……」
「ん?」
「……ありがと」
「その代わり、ご馳走、期待してるわよ」
そう言って、ミサトは軽くウィンクしてみせた。
飛び散る水飛沫。
水面に煌めく眩い陽光。
弾けるような少女たちの嬌声。
下のグラウンドで炎天下にバスケなんぞをさせられている男子たちと違って、ここは楽園だった。
2年の女子合同のプール授業とあって、水着姿の少女たちが笑いさざめきながら水遊びに興じる様は、まさに圧巻である。順番待ちをしながら、ケンスケとトウジは他の男子と一緒に、その様子を羨ましそうに眺めていた。
「ええなぁ、女子は涼しゅうて。何が悲しゅうて、このクソ暑い中でバスケなんかせんならんねん」
「まったくだよ。折角のシャッターチャンスがてんこもりだっていうのに」
論点が違う。欲望に素直すぎる親友の言葉に溜息を吐きながら、トウジはごろんと寝そべってプールの方に目をやった。
ここからでは全貌を目にすることは出来ない。だが、プールから上がってきた女子が躯を拭くため、ネットにかけておいたタオルを取りに来る時だけは、貴重な水着姿を拝むことが出来る。
「お、碇だ」
ケンスケが声を上げた。その声に、トウジの視線が吸い寄せられるように動く。回りの男子たちも、この時ばかりは恥も外聞もかなぐり捨てて一斉にプールを見やった。
学校指定のスクール水着に合うサイズがないため、ユカは前の学校で使っていたワンピースタイプの水着を着ていた。さほど大胆なデザインでも派手な色でもないのに目立ってしまうのは、中2とは思えないほど成長したその豊かな胸のお陰だろう。なまじ躯が小さい分、余計に大きく見える。実際、かなり大きいのだが。
「揺れてるぜおい……」
「すっげぇよなぁ、Fだってよ」
「柔らかいんだろうな〜。一度でいいから触ってみてぇ〜」
「「「…………あっ」」」
男子たちは口々にそんなことを言い、こっそりと股間を隠した。
そんな彼らの様子を殆ど聞き流しながら、トウジはユカを見つめていた。昨夜別れたきり、彼女とはキスもしていない。朝、登校途中に手をつないだだけだ。
ここにいてユカを見つめている他の連中は、きっと帰ってから想像の中で彼女を汚すのだろう。それが解るだけに、あまりいい気はしないが、現実に彼女を抱けるのは自分だと思うと優越感が湧いてきて、それぐらいは許してやろうという気分になる。
自分を見ているトウジに気付いたのか、タオルで躯を包みながら、ユカは可愛らしく舌を出してアカンベをして見せた。
「ト・ウ・ジィ〜」
不気味に眼鏡を反射させて、ケンスケがトウジの首を絞めにかかった。
「頼む、オレのために死んでくれぇ〜。碇はオレが引き受けてやるから」
「アホ」
びむっ、とデコピンをしてケンスケの手を振り解くと、トウジは身を起こした。膝を抱えて座り直しながら、視線を遠くにやる。
「熱心に碇のこと見つめちゃってさ。いくら自分の彼女だからって、やっていいことと悪いことがあるんだぞ。なあ、何処見てた? 碇の胸か? 太腿か? それとも、碇のふ・く・ら・は・ぎぶわぁっ」
「……なんでそんなマニアックなとこに目をやるねん」
思わず鼻血を垂らして慌てる脚フェチの友人に溜息を吐いて、トウジは掌で顔を覆った。プールの方から、女子の呆れたような声が聞こえてくる。
「うっわ、相田のやつ鼻血吹いてやんの」
「サイテ〜。ヘンなこと想像したんじゃないの?」
「なんか相田って目つきやらしくない〜?」
「そうそう、うちのクラスの娘もさあ、えっちな写真撮られて、売られてたんだって」
「いやーっ。変態っ」
「今度リンチね」
これでは彼女が出来る筈もない。思わずケンスケを憐れみそうになって、トウジはプールサイドに座っているレイと、彼女の方をずっと見ているユカに気付いた。
昨日、ユカから聞かされた話を思い出す。
自分を捨てた父が、まるで娘のように可愛がっている少女――
(綾波レイ、か)
1年の時に転校してきて以来、彼女はずっとあんな感じだ。誰とも話さず、誰とも打ち解けようとしない。最初のうちはヒカリが結構努力していたようだが、最近では誰も彼女に近づこうとしない。
同じエヴァのパイロット同士だというのに、ユカは彼女と殆ど口をきいたことがないという。だが、こうして見ると、二人は何処となく似ているような気がした。
(……まさかな)
一瞬脳裏に過ぎった考えを振り払って、トウジは息を吐いた。
ピーッ、とホイッスルが鳴り響く。
「よっしゃ、いこか」
尻の埃を払って立ち上がるトウジ。
「トウジ〜っ、がんばれぇ〜っ!」
プールサイドの方から、ユカの明るい声が聞こえた。
振り返ると、ユカが手を振りながらぴょんぴょん跳ねていて、その動きに合わせて胸がぶるんぶるんと揺れていた。
「「「「………………はぅっ」」」」
帰ってきたチームも、トウジのチームも、相手チームも、ほぼ全員が前屈みになって股間を押さえた。それからしばらくは、まともなゲームにならなかったらしい。
そんな男子の惨状などつゆ知らず、ユカは視線を試合の方から日陰に座ったままのレイへと移した。
彼女は誰とも口をきかない。いつもつまらなさそうに外を眺めているか本を読んでいるかで、食事の時にはふらりと何処かへいなくなる。
エヴァのテスト以外にも色々と用事があるのか、学校も良く休んでいるらしい。
着替えている時も、他の娘が同性の目を気にしてタオルを躯に巻いているのに、レイは何でもないことのように無造作に服を脱ぎ捨てていった。脱ぎ散らす、といってもいい。
確かに、エヴァに乗っていれば羞恥心などいちいち気にしていられないのだろうが、レイの場合は、それとは違う。……違うと思う。まるで、恥ずかしいという感情そのものが、初めから存在しないかのような……。
(そんな……そんなの、まるで人間じゃないみたいじゃない)
怖い考えになってしまって、慌てて頭を振るユカだった。
だが、一度気になると知らず知らずのうちに目で追ってしまうもので、その日、ユカはずっとレイのことを見ていた。
学校が終わってNERVに行っても、ユカはレイの様子を観察していた。彼女の視線に気付かないわけはないのに、レイは気にもとめない。ユカのことなど視界に入っていないかのように、完全に無視している。
声をかけようにもかけられない状態で、仮にかけられたとしても、何を話せばいいか解らない。だから仕方なく、ユカはただ見ているしかなかった。
ケイジに固定された初号機のエントリープラグの中で、リツコとマヤの会話をぼんやりと聞きながら、ユカは向かいに固定された零号機のプラグを点検しているレイの姿を目で追っていた。と、レイが急に振り向いた。
見ると、ゲンドウがレイに近づいていくところだった。何を話しているかは解らないが、ゲンドウは見たこともない優しい瞳でレイを見つめ、レイも嬉しそうに笑みを洩らしながら受け答えしている。そうしているレイは、年齢相応に幼く見えた。何だかぴょんぴょんと飛び跳ねているような印象を受ける。
だが、その光景より、自分には向けられないゲンドウの優しい表情がレイに向けられていることにショックを覚えている自分自身の方が、ユカにはショックだった。
(わたし……綾波さんに、嫉妬してる……どうして)
知らない人なのに。
あんな人、知らないのに。お父さんなんかじゃ、ないのに――……。
プラグの中で、ユカは膝を抱え込んで顔を埋めた。
もう見たくなかった。見ていると、心の中にドロドロとした昏い感情が湧き出してくるのが嫌だった。
つづく
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あとがき
前回ちょっとアレだったんで、今回薄めに。
私の場合、ミサトとケンスケが壊れてて、リッちゃんが意外にイイヒト、という傾向が強いですね。
だって壊すと楽しいんだもん、あの二人(ミサトさんのファンの人ごめんなさい。ケンスケはどうでもいいや)。時々ワケ解らん暴走かましてくれるけど。とりあえず今回は私、ユカの爆乳に取り憑かれてたような感じですね。なんだかなぁ。
次回はいよいよミサトカレー(笑)。
……出ませんよ。