彼女事情
K A R E × K A N O

Written by:きたずみ

#8
 レイは、ユカの寝顔をじっと見つめていた。
 誰に命じられたわけでもないのに、こうして彼女の目覚めを待っている。そんな自分の行動を不可解に思いながら、何故かこの場を離れることが出来ない。
(何故、気になるの)
 自分でも解らない。ただ、彼女を見ていると心がザワザワする。苛立つというのではなく、むしろ心が浮き立つような、落ち着かない感じ。どう考えても彼女を知っている筈はないのに、無性に懐かしさが込み上げてくる。見たことのない光景が、まるでフラッシュバックのように頭の中を掻き乱す。
 黒い髪の少女。
 繋がれた二つの小さな手。
 その肌の温もり――……
 それらが頭の中を掻き回すたびに、心の奥の柔らかい場所がズクンと疼く。なのに、それは不快ではない。むしろ、彼女とまた逢えたことへの喜びの方が強い……
(――『また』?)
 レイは、己の不可解な思考にふと眉をひそめた。ユカがここに来る以前に、レイが彼女に逢ったことはない。――ない、筈だ。なのに……なのに、自分は彼女を知っている。そして、彼女との『再会』を喜んでいる。
(……あれは誰)
 泣き出しそうな顔で見上げてくる、黒髪の少女。己の手をぎゅっと握ってくる小さな手。触れ合う肌越しに伝わるその温もりが、心の壁を壊していく……
(彼女の手を引いているのは……私?)
 混乱するレイ。落ち着こうとして縋るように眼鏡を握り締めるが、無機質なその物体からは何も得られない。ただ、冷たく固い感触が肌に当たるだけだ。疎ましくなって投げ捨てたそれは、カシャンと硬い音を立てて床を転がった。
(私は誰?)
 乱れる吐息。ぐるぐると視線が渦巻いて定まらない。頭を抱えながら、レイが縋るようにユカに目をやった――その時だった。薬が切れたのか、ユカがぼんやりと目を開ける。意識が明瞭りしないまま、のろのろとあたりを見回したユカは、傍にレイの姿を認めて、ふわりと安心したように微笑んだ。
(―――!)
 その笑みを目にした瞬間、レイは救われたような気がした。
 自分のものではない、誰かの記憶の奥底に眠っていた微笑み。ゲンドウのそれに感じた、懐かしさの正体。
 瞳の奥が熱い。暖かなものが胸に溢れる。
(うれしい? これがうれしいという気持ち。私は彼女に出逢えて、嬉しいのね)
 レイの顔に、自然と笑みが零れる。
 それを見てまた微笑んでから、ユカは再び眠りに落ちていった。
 
 目覚めると、白い天井があった。
 誰もいない、茜色に染まった無機質な病室。見知らぬ天井、けれどここに来て以来、何度も見ている既に見慣れた天井。
 エヴァに乗るたびに、これを見ている気がする。
「……また、この天井か……」
 いささかうんざりした気分で、ユカは溜息混じりにそう呟いた。そもそも、何故自分がここに寝かされているのかが解らない。
 確か初号機に乗って出撃した筈なのに、地上に出たと思ったら突然、光が――
「……!」
 躯の奥から、どうしようもない恐怖が甦ってくる。思わず上体を起こし、がたがたと震える自身の躯を抱き締めるようにしながら、ユカはぎゅっと目を閉じた。カチカチと鳴る歯をぐっと噛み締めて、震えを無理矢理押さえ込む。
 あれで死んでいたかもしれない、と思うと怖くてたまらなかった。死んでしまったら、大好きな人たちにはもう逢えないのだ。
(死ぬのはいや……怖い)
 その時、シュッと音を立ててドアが開いた。見ると、制服姿のレイが食事を載せたワゴンを押して入ってくるところだった。
「綾波さん……」
 その姿に、先刻まで見ていた筈の夢をぼんやりと思い出すユカ。あまり良く覚えていないのだが、最後の方で、レイが微笑うのを見たような気がする。
「明朝午前零時より発動される、ヤシマ作戦のスケジュールを、伝えます」
 今のレイの顔に表情らしきものはない。
(夢……だったのかな。綺麗だったんだけどなぁ……)
 考え込むユカに構わず、レイは淡々と生徒手帳に記したメモを読み上げる。
「碇、綾波両パイロットは本一七三〇、ケイジに集合。一八〇〇、初号機および零号機、起動。一八〇五、出動。同三〇、二子山仮設基地に到着。以降は、別命あるまで待機。明朝日付変更とともに、作戦開始。――これ、新しいの」
 メモを読み終えたレイは、ワゴンの下からパックに包まれた新品のプラグスーツをユカに手渡した。ぼんやりとそれを受け取るユカ。自分が全裸だということを、まだ認識していない。
 カチャン、と音がして、レイがワゴンをベッドの脇に固定した。
「食事」
「あ……うん、ありがと」
 トレイを見た途端、ひどくお腹が空いていることに気付いた。と同時に、きゅう〜っとユカのお腹が可愛らしく自己主張する。真っ赤な顔で俯いて、ユカは初めて自分が全裸であることに気付いた。豊かな双丘が剥き出しになってふるんと揺れている。
「ちょっ……、何で裸なのぉ〜〜??」
 悲鳴をあげながら、慌ててシーツを手繰り寄せて躯に巻きつける。
 ここに入院するたびに自分の躯を他人に見られていたのだと今更のように気付いて赤面するユカを、レイは不思議なものを見るような瞳でじっと見ていた。
「……綾波さん?」
 レイの様子はいつもと変わらないように思えるのに、何処か違って見えた。何も返ってこない感じが消えている。全てを拒んでいた心の壁が、僅かに解き放たれているように感じる。
「なに」
「一人で食べても美味しくないから、食べ終わるまで傍にいてくれない? お話でもしようよ」
「……別に、話すようなことはないわ」
 そう言いながらも、レイはその場を立ち去ろうとはしない。突っ立ったままのレイに微笑んで、ユカは食事を片付けながら、思いつく順に手当たり次第に喋りまくった。ケンスケやトウジのこと、ミサトさんのこと、前にいた学校でのこと……何でも良かった。
 レイはそれに対して殆ど反応を見せなかったが、時々頷いたりして、話を聞いているのは確かなようだったので、ユカは嬉しかった。
「なんか、わたしばっか喋っちゃってる。綾波さんのことも、聞きたいな」
「私……」
 レイは戸惑った。ユカと違って、自分には話すべき思い出が殆ど何もないことに、改めて気付く。ゲンドウの笑顔とか、そんなものしかない。
「……私には、何もないから」
「何もないって……」
 その時、ドアが開いてミサトが駆け込んできた。走ってきたのか、息を切らしている。ベッドの上のユカの顔を見た瞬間、ミサトの顔が泣き出しそうに歪んだ。
 次の瞬間、ユカはミサトに抱き締められていた。耳許でミサトが何度も「ごめんなさい」と繰り返し呟くのを聞きながら、頬に落ちてきた熱い雫に心が満たされていくのを感じる。胸の奥に澱んでいた重苦しい恐怖が消えていくのが解る。
「あたしのミスなの。あたしがちゃんとしてれば、あなたをこんな目に遭わせるようなことにはならなかったのに。本当にごめんなさい」
「ミサトさん――」
「あなたが助かってよかった。それだけは心からそう思う。あたしは――あたしは、あなたを単なる『道具』としてしか見てないんじゃないかって、そう思うと自分が怖くて……」
「ミサトさん、苦しい……」
「ご、ごめん」
 慌てて躯を離すミサトを、ユカはじっと見つめた。その瞳が潤んでいるのが解る。それを認めて、ユカはそっと微笑んだ。それは『赦し』だった。その微笑みにミサトは再び涙を零しながら、応えるようにそっと口許に笑みを浮かべた。
 単に『道具』としてしか見ていないのなら、こんなに心配はしないだろう。無論、そう思っている部分もないわけでもないのだろうが、ミサト自身は演技で泣けるほど打算的な性格をしていない。人は誰しも、複数の自分を内包して生きているものなのだ。
 最初は打算もあった。冷酷に接する父親に対してコンプレックスを抱えている彼女の姿に、自分を重ねていた。だから救おうと思った。――今思えば傲慢だ。こんな自分に他人を救えるわけがない。自分自身の過去すら持て余している自分に、彼女を救うことなど出来る筈もない。
 だが、それでも彼女ともっと一緒にいたい。彼女の笑った顔を見ていたい。彼女を苦しめているのは自分だと知りつつも、そう願わずにはいられない。どうしてもその思いを止めることが出来ない。
 何故なら、彼女は自分が求めて熄まなかった、そしてようやく手に入れた、大切な『家族』なのだと――ただ寂しさを埋めるためだけの『同居人』ではなく、共に同じ時を過ごし、時には喧嘩したりしながらも、苦しみも喜びも分かち合うことの出来る『家族』なのだと、ようやく気付いたからだった。
 そして、ミサトは決意する。彼女を守ろう、と。この世の苦しみ全てから、とまでは言わない。自分に出来ることなど、本当にちっぽけなものでしかない。けれど、彼女の笑顔を守るぐらいは出来るかもしれない。そう思った。
「葛城一尉」
 不意にかけられた声に、ミサトは驚いた。そこにレイがいたとは知らなかった。彼女はミサトをじっと見つめてから、口を開いた。
「ケイジに行きます」
「え、ああ、解ったわ。ご苦労様、レイ」
 戸惑いながら、ミサトはなんとかそう返した。考えてみれば、彼女とまともに会話をしたのは今が初めてのような気がする。
 黙って背を向けるレイ。ドアの前でちょっとユカを振り返って、レイは言った。
「じゃ、……さよなら」
 閉まるドア。ミサトとユカは、ちょっと呆気にとられたように顔を見合わせる。
「ねぇ、ちょっと……もしかして、レイってば怒ってなかった?」
「え、そうなんですか?」
「そうなんですかって……なんか、あたしのこと睨んでたような気がするんだけど」
 む〜、と唸るミサトを、ユカは嬉しそうに見やった。
「作戦、上手くいくといいですね」
「――そうね」
 二人は視線を絡め、そっと笑みを交わした。
 
 茜色に染まる校舎の屋上で、トウジとケンスケは陽の沈んでいく山並みを眺めていた。屋上には、他にも数名の生徒たちがいる。
 EVAをナマで見れるというケンスケ情報に集まった物好きな生徒と、依然根強いユカファン、そして予想外に多かった隠れレイファンの面々である。中にはハッピとハチマキを自作して身につけている剛の者もいた。何故か女子が少なからず混じっていたが。
「えらい遅いな。もう避難せなあかん時間やで」
 言いながら、トウジは腰をあげようとはしない。ユカが出撃するというのに、自分だけのうのうと安全な場所に隠れているというのは我慢がならなかった。
「パパのデータをちょろまかしてきたんだ、間違いないって」
「せやけど、出てけぇへんなぁ」
 そう言った時だった。山から一斉に鳥たちが飛び立つ。驚いてそちらを見やると、山肌がスライドして発進口が開いていくのが解った。
「山が……動きよる」
「エヴァンゲリオンだ!」
 ケンスケが歓声を上げた。
 発進口からリフトに乗って姿を現す初号機。続いて、オレンジ色の零号機が楯を持って現れる。
 間近に見る二体の巨人の姿は、それが人のカタチをしているが故に、見る者の心に言い知れぬ感情を湧き立たせる。
「綾波か、あれ?」
「そうだ、間違いないよ! 零号機だ!」
「頑張れよぉ〜〜っ!」
「ゆっ、かっ、ちゃぁぁ〜〜〜〜〜んっ!!」
「レイさまぁぁぁ〜〜〜〜〜っ!!」
 夢中でカメラを回しながら、ケンスケが昂奮の面持ちで答えた。周りの生徒たちも歓声を上げている。野太い声や黄色い声が上がる中、トウジはじっと初号機を見つめていた。チラリと振り返った初号機が自分を見たような気がして、トウジは少し嬉しかった。
(ユカ……)
 夕陽をバックに巨人が歩いていく姿は、とても神々しく映った。
 
 夜陰に赤ランプが煌めいていた。
 山頂まで電源関係の車輌がぎっしりと詰め、電源ケーブルの束が山腹を埋めている。冷却装置や変圧器も山のように蝟集していた。
「敵シールド、第17装甲板を突破。本部到達まで、あと三時間五五分」
「第6変圧器、四国エリアの通電完了。各冷却システムは試運転に入ってください」
 青葉とマヤのアナウンスが響く。二機がかりでそっと下ろしたポジトロンライフルに作業員が群がり、ケーブルやパイプが接続されていった。
 その近くで駐機体勢をとる二体のEVA。
 傍で見るととてもライフルとは思えないような巨大な機械の前で、ユカとレイはミサトとリツコを前に、最終ブリーフィングを行っていた。
「こんな重いもの、そうそう振り回すわけにもいかないし……これじゃ身動きが取れませんよ。ホントに大丈夫なんですか?」
「仕方ないわよ、間に合わせなんだから。三時間で形にした技術開発部三課の連中を誉めてやりたいくらいね。文句があるなら、こんな無茶苦茶な作戦を思いついたミサトに言ってちょうだい」
 疲れた口調で言うリツコに、ミサトがぶすっとした顔をした。
「わぁるかったぁねぇ」
「……だいじょぶ、ですよね?」
「理論上はね。けど、銃身や加速器が保つかどうかは、撃ってみないと解らないわ。こんな大出力で試射したこと、一度もないから。んっふふふ、いいデータを期待してるわよ」
「……その笑い方、やめなさいってば。気持ち悪いわねぇ」
 にこり、と微笑むリツコに、ユカはさらに不安が増してくるのを感じていた。こほんと小さく咳払いして、ミサトが口を開いた。
「本作戦における担当を伝達します。――ユカちゃん」
「はい」
「初号機で砲手を担当」
「――はい」
「レイは零号機で防禦を担当。いいわね」
「はい」
 淡々と答えるレイ。
「これはユカちゃんと初号機のシンクロ率の方が高いからよ。今回の作戦では、より精度の高いオペレーションが必要なの。陽電子は地球の自転、磁場、重力の影響を受け、直進しません。その誤差を修正するのを忘れないで。正確に、コア一点のみを貫くのよ」
「そんなの、まだ練習してませんけど……」
「大丈夫、あなたはテキストどおりにやって、あとは機械がやってくれるわ。それから、一度発射すると、冷却や再充填、ヒューズの交換などで次に撃てるようになるまでに時間がかかるから、気をつけて」
「じゃあ、もし外れて、敵が撃ち返してきたら?」
「今は余計なことは考えないで、一撃で撃破することだけを考えなさい」
「……そんな……」
 狙撃兵というのは、射線から居場所を悟られることのないよう、撃ったらこまめに動き回るのがセオリーである。動かない狙撃兵など案山子も同然だ。だが、EVAもライフルもヒモ付きの代物だから、動きの自由度はきわめて低い。外れたら後がない、ということだ。
「私は――」
 俯くユカの背後で、レイが唐突に口を開いた。周りに設置された大量のライトに照らされているため、逆光で表情は見えない。
「私は、初号機を守ればいいのね」
「そうよ」
「――解りました」
 リツコの返答に、レイは感情の読み取れない声音で答えた。
「そろそろ時間よ。二人とも準備して」
 
 EVAの搭乗タラップで風に吹かれながら、ユカとレイは消えていく街の明かりと、空にかかった満月を眺めていた。
「綺麗だねぇ……」
 そっと呟くユカ。だが、返事はない。期待もしていなかったので構わずに続ける。
「死んじゃったら、これで見納めかぁ……やだな」
「どうしてそういうこと言うの?」
「え?」
 何気なく呟いた言葉に反応されて戸惑うユカには構わず、レイはさらに続けた。
「あなたは死なないわ」
「どうしてそう言いきれるの?」
「――あなたは私が守るもの」
 その言葉と、そして何より、月を背にしたレイの横顔の美しさに、ユカは思わず見惚れていた。蒼銀の髪や血色の瞳と相俟って、ひどく神秘的に映る。蒼銀の髪の端に光が煌めいて、きらきらと光の粒子を辺りに散らしていた。
「あの――」
「時間よ。行きましょう」
 ユカが発しようとした言葉を断ち切るように言って、レイは立ち上がった。タラップのコントロール・グリップを握りながら、チラリとユカを振り返る。
「じゃ、さよなら」
「――…あ……」
 タラップが動き始める。ユカは、レイの背中を目で追うことしか出来なかった。
 
 森の中で腹這いになり、ポジトロンライフルを構えた初号機のエントリープラグの中で、ユカはじっと目を閉じていた。
「第一次接続開始」
「第1から第803管区まで送電開始」
「電圧上昇、圧力限界へ。全冷却システム、出力最大」
 オペレーターの声や、周囲の機械の駆動音などが次第に意識の外側に追いやられていく。自分の心臓の音だけが頭の内側で大きく響く。
 怖くないわけではない。不安がないわけでもない。だが、それでもユカは、逃げ出すわけにはいかなかった。
 学校の屋上にいた生徒たちの中に、トウジがいたことを思い出す。そして、クラスのみんな。ユカの大好きな人。大切な人たち。彼女には守りたい人たちがいるから。その人たちと、もっとずっと一緒にいたいから、だから戦う。
 人類の未来なんかどうでもよかった。見たことも逢ったこともない人たちの事なんか知らない。そんなものはついでだ。単なる結果だ。そんなものはあとから勝手についてくればいい。彼女にとっては何の意味もない。おまけみたいなものだ。あって困るわけではないが、そのためにひとつしかない生命を賭けようとは思わない。
(帰るから。必ず)
 屋上にいたトウジの心配そうな顔を思い出して、ユカはすっと目を開いた。
「陽電子流入、順調なり」
「第二次接続」
「加速器、運転開始」
「第三次接続完了」
「全エネルギー、ポジトロンライフルへ」
「最終安全装置、解除」
 ミサトの号令が響く。
「撃鉄起こせ!」
 レバーを引いて撃鉄を上げるユカ。ヒューズ管が装填され、画面表示が発射態勢に切り替わる。ユカの頭部に狙撃用ヘッドギアが覆い被さってきた。モニターの中で、マークがゆっくりと揃っていく。
「地球自転誤差修正、プラス0・0009」
 カウントダウンが始まる。だが、その動きを察知したのか、使徒の表面が鈍く輝いた。移動指揮車の中でモニターを見ていた伊吹が叫ぶ。
「目標内に高エネルギー反応!」
「なんですって!?」
 モニター内でマークが揃う。
「発射っ!」
 トリガスイッチを引くユカ。八本の送電線からプラズマが走る。全ての電力がライフルに集中し、一筋の光芒と化して闇を斬り裂いた。
 だが、使徒も同時に加粒子ビームを放っていた。芦ノ湖の上空で交差した二つの光輝は互いに干渉し合い、軌道を歪められながら、絡み合う蛇のように螺旋を描いて着弾する。山中と街中に、同時に立ち昇る二本の火柱。
「ミスった!」
 その衝撃の煽りをまともに受けて、移動指揮車がシェイカーのように激しく揺さぶられる。床に倒れこむリツコの隣で、ミサトはシートにしがみついて叫んだ。加粒子エネルギーによる電波障害でモニターは全てホワイトノイズに包まれ、電磁シールドされていない機器の大半が死んでいる。
「再装填、急いで!」
「敵シールド、ジオフロントへ侵入!」
 レバーを引いてプラグを排莢すると、カートリッジが自動装填される。再充填が開始され、ライフルに再び電流が流れ込んでくるが、使徒の方がリロードは早い。表面が再び輝き始める。
「目標内部に再び高エネルギー反応!」
「まずいっ!」
 使徒が先に撃った。目の前で何かに遮られているかのように拡散する光。その中に浮かび上がる、楯を構えて初号機の前に立ちはだかった零号機のシルエット。
「綾波さんっ!」
「もう楯が保たない!」
 いくら楯を構えているとはいえ、直撃である。拡散放射だけでも見る間に零号機の装甲板が融解していく。過熱されたLCLの中で耐えているレイを思い、ユカは必死の思いでインジケーターのマークが揃うのを見つめ続けた。だが、マークは苛々するぐらい遅々として動かない。その間に楯は熔け落ち、今や零号機がその躯で直接初号機を庇っていた。
「――はやく、はやくっ!」
 マークが揃った瞬間、ユカは殆ど反射的にトリガを引いていた。初号機の第二射は使徒の射線に沿うようにして一直線に疾り、コアごと使徒を貫く。と同時に使徒の砲撃が熄み、めらめらと炎を上げながら使徒が崩れていった。
 だが、ユカはそれを見ていなかった。彼女の視線は、頽れるようにしてその場に倒れこんだ零号機にのみ注がれていた。フィードバックで灼けた掌に痛みが走るのも構わず、プラグ固定用のカバーを装甲板ごと引き剥がし、零号機のエントリープラグを無理矢理イジェクトさせる。
「綾波さんっ」
 LCLが自動排水されるのを待たずに、エントリープラグを掴んで引き抜いたユカは、それを地面にそっと置いて機体から飛び出した。
「ううう〜〜〜っ!」
 過熱した非常脱出用ハッチのハンドルを掴むと、プラグスーツの掌から白煙が上がった。体重をかけて硬いレバーを回していく。何度か躯を揺すると、不意に抵抗がなくなってレバーがくるくると廻った。
 つんのめりそうになりながらハッチを強引にこじ開け、プラグ内に飛び込んだユカは、内部にこもった熱気に息が詰まった。シートにぐったりと凭れかかっているレイを、渾身の力でプラグの外に引きずり出す。外に出たあたりで力尽き、二人は絡み合うようにして地面に転がった。
「…う……」
 山間部のひんやりとした外気に触れた所為か、ぐったりしていたレイがぼんやりと目を開けた。彼女の視界に半泣きになったユカの顔が映る。
「綾波さん……よかった……」
 自分を抱き締めてぐしゅぐしゅと啜り泣くユカを、レイは不思議そうに見やった。
「――なに、泣いてるの……?」
 不思議そうにレイが問うが、ユカは答えない。答えられる状態になかった。ただひたすら涙を零し、しゃくりあげるばかり。
 一体どうしたものかと途方に暮れながら、レイはそっとユカの頬に手を伸ばした。プラグスーツ越しの指先に、涙に濡れたユカの頬の感触が伝わる。自分の頬をそっと撫でるレイに、ユカは鼻を啜りながら顔を上げた。
 涙に濡れた黒瞳が自分をじっと見つめている。その中に吸い込まれそうな感覚を覚えながら、レイは目を逸らした。
「ごめんなさい……こういう時、どんな顔をすればいいか解らないの」
 そんなことを言うレイに、涙でぐしゃぐしゃな顔で、ユカは何も言わずに微笑んだ。
 その微笑みを向けられていると、胸の中に温かいものが拡がっていく。抱き締められた背中に掌の温もりを感じる。
 つられるように、レイは自然と微笑んでいた。
 
「ミサトさ〜ん、まだ帰れないのぉ?」
 いい加減待ちくたびれた様子で、ユカは言った。
 二子山仮設基地の撤収作業は、使徒の攻撃に曝されたために予想外に手間取っていた。電源関係の車輌が延々と列をなしており、陸路が殆ど使えない状態だからである。
 かといって、EVAの回収作業も完了していない以上、唯一まともに稼動する初号機の専属操縦者であるユカの待機命令が解除される筈もなかった。零号機は装甲板がほぼ融解して胸部生体部品まで損壊、殆ど大破である。この時点で、既にレイの仕事はない。
「そんなこと、あたしに言われたって困るわよぉ。あたしだって、早く帰ってサッパリしたいんだから。あ〜ん、エビちゅぅぅ〜〜〜〜」
「後始末も仕事のうちよ。口より手を動かしなさい」
「とか言って、座ってるだけの人は楽でいいわよねぇ……」
 インカムを耳に当てながら複数の端末を並列処理しているリツコと、床にしゃがみこんでへばっているミサトがそんなやりとりを交わす。
 もっとも、ミサトにだってそうやることがあるワケではない。後始末は作業班の仕事で、ミサトにできることと言えば散らかった指揮車の後片付け程度だ。作戦課の撤収作業の指揮は日向が執っている。『作戦課は日向でもつ』と言われる所以である。
「取敢えず初号機で零号機を搬送してもらうのが一番手っ取り早そうね。でも、今すぐって訳にはいかないから、もう少し待っててちょうだい」
「ふぁ〜い」
 たかたかと目にもとまらぬ速さでキーを叩きながら、インカムに向かって指示を飛ばす合間にそう言われてしまっては、退屈だとかお腹空いただのとは言っていられない。もとより短期決戦の予定なので、食事の用意もなかった。ユカとしては早くプラグスーツを脱いでシャワーを浴びたかったが、それもままならない。
 もっとも、作業班に手間取らせている一因は、零号機に気を取られたユカが、戦自研から「可能な限り原型を留めて返却するよう努める」と言って徴発してきた筈のポジトロンライフルを無造作に放り投げてしまったことにあるのだが……
 おおむね戦争というのは下準備と後始末が殆どで、大変なのはむしろ後始末の方だから、これはもう諦めるほかはない。
 取敢えず、二子山の暑くて長い夜は、まだまだ終わりそうになかった。
 
 街に灯りが戻っていく。
 その中心部で、傾いたままの使徒の残骸が鈍く輝いている。
 それを遠目に眺めながら、ユカは搭乗タラップの橋に座って、足をぷらぷらさせていた。隣には同様にすることがないレイが座っている。
 うろちょろされると却って邪魔、用があったら呼ぶから何処かで遊んでいらっしゃい、とリツコに言われ、それはあんまりだなぁと思いながらこうしてやってきた二人である。現時点では、周りには作業員もいないので邪魔にはならない。
「ごめんね」
 傍らに膝を抱えて座っているレイに、ユカが言った。レイはぼんやりと街の方を見つめたまま、顔も向けない。だが、
「なに」
「壊れちゃったね、零号機」
「別にいいわ」
「……そうなの?」
 レイは小さく頷いた。それを見やって、ユカはぺたん、と寝そべった。満天の星空を背後に従えて、大きな月が頭上に輝いている。セカンドインパクトで地軸が移動したため、日本から見える星空は、それ以前とは少し違っているらしい。天文ファンだった叔父が昔そんなことを言っていたのを、ぼんやりと思い出す。
「ありがと。守ってくれて」
「――命令だから」
「でも、嬉しい。綾波さんが守ってくれて、二人とも助かって。よかったね」
 ユカの言葉に、ちらりと彼女の方を見やったレイは、微笑みを浮かべて自分を見つめている少女のまっすぐな眼差しに、微かに頬を染めて目を逸らした。
 そのまましばらく二人とも黙っていたが、不意にレイが口を開いた。
「何故訊かないの? あの人のこと」
 上体を起こして、ユカはレイを見つめた。彼女は紅い瞳を街の方に向けたまま、じっと動こうとはしない。
「――そんなの、訊いても仕方ないじゃない」
「どうして?」
「あの人はわたしが要らないんだもん。わたしのことなんか、娘だと思ってないんだもん。それなら最初から知らない人の方がいい。知りたくない」
「傷つくのが怖いのね」
 圧し殺したような声で吐き捨てるユカを、レイは正面からじっと見つめた。その瞳に怒りはない。だが、恐ろしいほどに真剣なその眼差しに、ユカの方が思わず怯んだ。
「本当にそう思ってるの?」
「そ、そうだよ。そうに決まってるじゃない」
「なら、何故ここに来たの」
「……」
「逢いたかったからではないの? あの人に」
「……わたしが逢いたかったのは、あの人じゃないもの。お父さんだもん」
 夢で見た、幼い頃の自分を思い出す。あの頃の自分は間違いなく、父が大好きだった。なのに何故忘れてしまったのだろう。過去に一体何があったのだろう。何かが父と自分を変えてしまった――そんな気がする。でも、考えたくない。思い出すのが怖い。
「あの人は、あなたのことを他人だなんて思ってない。それに、あなたのことをちゃんと気にしている」
 再び街灯りに目を向けて、レイは言った。何故自分は彼女にこんなことを話しているのだろう、と不思議に思いながら。
「うそ……」
「嘘ではないわ。私はあなたの代わりですらない、ただの人形。それが解ったの」
「……綾波さん?」
 人形、という単語に思わずきょとんとなるユカには構わず、レイは続けた。
「私、あなたが来ると聞かされてから、ずっと怖かった。あの人に要らないって言われるんじゃないかって。でもあの人は私を助けてくれた。私を必要としてくれている、そう思った。――でも、それはただのまやかし」
「……」
「あの人が必要としているのは人形の私。だから、飽きたら捨てられるし、壊れても別に気にしない。私が死んでも、代わりはいるもの。それが現実」
 ユカは言葉を失くしてレイを見つめた。
 レイの横顔はいつものように無表情に見える。だが、その心の中で一体どんな感情が渦巻いているのか、瞳が微かに揺らいでいるのが解った。
「いつかあの人に捨てられるの、私。でも、いいの。だって私は――」
「いいわけないっ!」
 いきなり叫ぶユカ。その語調の激しさに、レイは思わず言葉を飲み込んだ。
「そんなの、いいわけないじゃない! 捨てられたら辛いんだよ! 嫌われたら悲しいんだよ! なのに、捨てられてもいいなんて、そんなこと言わないでよ! 自分には何もないとか、自分のことを人形だとか、そんな風に言わないでよ! お願いだから――…」
 そこまで言って、ユカは俯いて啜り泣き始めた。
「――ごめんなさい」
 そう言って、レイはユカを見つめながら途方に暮れた。
 どうすればいいのか一瞬考えたが、病室でユカを抱き締めたミサトの姿が脳裏に浮かんだので、その通りにした。肩を抱いて、そっと頭を引き寄せる。
 驚いて泣きやんだユカは、そのままことんとレイの肩に頭を預けた。
 そうして二人で眺めた第3新東京市は、とても綺麗だった。
つづく



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  あとがき

 #7に引き続き、えっちシーンが全くなくて少し不満(笑)。
 トウジの出番がない代わりに使徒がちゃんと出て、ちょっとだけ本編らしくなりました(当社比(^^;)。
 ベースとなった第伍話と第六話は本編の中でもかなり完成度の高いエピソードなので、下手にいじったり出来ませんでしたね。
 かえってバランスが悪くなったかも……と思いつつ、結構気に入ってます。
「笑えばいいと思うよ」
 という有名な台詞を、どうしても使いたくなかったんです。なんか、マニュアルっぽくて。
 原作のシンちゃんなら言うでしょうけどね。

 このころから、なんだかユカが泣き虫になってきたような気がします。
 作者の愛の表われかしら(爆)。


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