ゲームと指輪

青少年にはふさわしくない内容が含まれています。未成年の方はご遠慮ください。
序章
1.指輪
2.鞭
3.由貴
4.誓い
5.奈落
6.門
7.縄
8.居場所
9.生贄
10.破滅
11.絆
12.前夜
13.カード
14.ポーカーフェイス
15.ジョーカー
16.ゲーム
終章

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鏡と首輪
笛と腕輪
ゲームと指輪
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序章

 由貴が恋をした。

 冴貴が『覚醒』をしてから既に8年が経ち、冴貴が29歳、由貴が25歳。

 相手は同じ大学病院で働く医者だった。
 
 ――カチャ。

 微かな音をたてて、由貴の寝室のドアが開いた。
 滑り込むように黒い影が入ってきた。
 黒い影はそのまま寝ている由貴の側まで音もなく近づく。
 
 「ユキ……」
 微かな呟き。

 冴貴は暗闇で微かに見える由貴の輪郭を眺めていた。

 由貴は始めてあった頃の少女っぽさがすっかり消え、大人の女性の魅力を発散している。
(それにくらべてあたしは………)
 冴貴は由貴の成長を喜ぶと同時に深い孤独を感じていた。

 冴貴の心を『透視』する能力はますます磨きがかかっている。
 ある日、由貴が珍しく酒を飲んで帰ってきたとき、由貴の心に知らない男が住もうとしているのが見えた。調べてみると医大のインターン時代からの同期で、同じ大学病院で働くようになってから、急速に由貴に近づき始めた男だった。
 本人すら自覚していなかった微かな恋心を冴貴は見抜いてしまった。

 由貴が何故これまで男を身の回りに近寄らせなかったのかは冴貴にもよくわからない。
 男だった心がそうさせていたのか、それとも冴貴への一途な気持がそうさせていたのか。
 いずれにせよ由貴はこれまでも頑なに男を近寄らせなかったが、その男だけは何処か違った。明るく真面目なのにどこかつかみ所がなく、突き放そうとしても振り払おうとしても一向にお構いなく由貴との距離を詰めてくるのだった。その日、由貴は同期の集まりで、ひょんな事からその男が、小学生の頃に父親を交通事故で亡くし、母親を助けながら医大まで進学してきたことを知ったのだった。
 由貴がこの男だけ振り切れなかった理由が冴貴には良くわかった。
 その男は雰囲気がどことなく畑山優一に似ていた。
 過去の自分に似た男を由貴は無視することが出来なかった。
 
 冴貴がそっと由貴の額に手をかざす。

 由貴の心の中まで手を差し込むと、すぐに自分に向けられた愛情に占められた部分が見つかった。その温かみに触れるとズキンと胸が痛んだ。

 由貴と過ごした日々の記憶が流れ込んでくる。
 二人で冴貴の両親に頭を下げ由貴を滞在させてくれるように頼んだ最初の日のこと。初めての生理に下半身を汚して大慌てしている由貴をなだめ、二人で後始末した日のこと。由貴の大学合格と自分の大学卒業旅行を兼ねて、親の車を借りて東北地方をドライブして回ったときのこと。冴貴の初めてのボーナスで都内の高級ホテルのレストランに行ったこと。
 二人は本当の姉妹以上に寄り添い、親友以上に助け合い、恋人以上に体を重ねてきた。

 その幸せな月日の記憶がこれからしようとしていることを躊躇わせる。
 冴貴は頭を振ってその想いを振り払い、再び由貴の心の奥まで感覚を浸透させていき、遂にはその『想い』の中でもっとも明るく輝いている『核』を見つけた。
 そっと『核』に触れると一つの光景が浮かんだ。

 それは黒いコートを着た冴貴の姿だった。
 待合の座席に腰掛けながら、嬉しそうな顔で微笑み、斜め後ろから鏡越しにこちらを見ている。
 周りには大量の整頓された整髪料が置かれ、女の美容師が髪を切っていた。
 冴貴にはその光景がいつの物かすぐ解った。
 初めて冴貴が由貴と会った日に連れていった美容室。
 あの時、鏡越しに自分を見たときから、由貴は自分を慕ってくれていたのだった。

 由貴の心の中の冴貴は本当の自分よりずっと綺麗で、大きかった。
 それが由貴の目に映っていた冴貴だった。

 その記憶にそっと両手を添えて、精神を集中する。
 
「これでいいんだよね……ユキ」
 小さく呟く。

 こうして由貴の冴貴への愛情は『核』を凍結させられた。

 『核』を失った想いは、徐々に思い出として奥へと押しやられていく。すぐに新しい男の居場所も出来るだろう。
 始めてあった時の由貴は見かけは女でも、心の中は女ではなかった。大人でも子供でもなく男でも女でもない、現実味のない幻のような人間だった。しかし、8年間の生活を経て、今では良いも悪いも人間味のある、血の通った立派な女性になった。冴貴の自慢の妹だった。

 自分がいなくなってしまえば、由貴の心も体も自然に男を求め始めるだろう。
 自分がいなければ由貴は普通の幸せを掴めるだろう。

 自分がいなくなってしまえば………

 パキン……。
 澄んだ微かな音をたてて由貴の首輪が割れた。
 8年ぶりに外れた首輪は二つに別れて寝ている由貴の側に落ちた。

「わたしの分も……幸せになってね……」

 ぼろぼろと涙が落ち、冴貴の服の胸元を濡らした。
 外では春の終わりの冷たい雨が、微かな雨音を立てていた。





第一 指輪

「サキねえさん、飲みすぎだよ」
 とある都会のビル街の片隅の飲み屋。そのさらに片隅のテーブルで一組の男女が酒を飲んでいた。
「うるさいなぁ。康治は黙ってついでりゃーいいのよぉ」
 酔っぱらった冴貴が大きな声で言った。
「やっぱりユキさんの所へ帰った方がいいんじゃないのか?」
 深酔いする冴貴を心配そうに眺めながら康治が言う。
「うっさい!! ユキの名前を言うなっていってるれしょう!!! らいたいね……なんであんたがあたしの心配すんのよぉ……あたしの事、恨んでるくせにぃ」

 冴貴がそういうのも当然だった。
 康治は高校3年になる直前、冴貴達に徹底的に陵辱され、セックス中毒にされてしまった。その年は結局、セックスに溺れ受験にならず、一浪して都市部の工業大学に入った。現在はコンピューター関連の会社で働いている。
 高校時代は成績も良く、バイオリンを弾きこなす将来を約束された優等生が、高校3年生になって急速に成績を落とし、大学受験に失敗し、一浪しても本来の志望校より1ランク下の大学にしか行けなかったのは冴貴達の所為といってもよかった。

 冴貴はそのことについて深い罪悪感を感じていた。そんな気持が酒を飲むと皮肉な台詞になってでてくるのだった。
 しかし、透視能力が効かない康治は、冴貴にとって数少ない側にいても安心できる大事な人間でもあった。冴貴が由貴の記憶を封じた後、自分の家を出てこの都会に移り住んで来た理由の一つは、ここに康治が住んでいるからだった。
 康治がどういう気持ちで自分と付き合っているのか分からないが、相手の心がわからないことこそが冴貴の望むところだった。

「もうそれはいいって言ってるだろう。わわっ、もう飲むなって!!」
 冴貴が康治が付き合いに持っていただけのウィスキーのグラスをひったくり一気に飲み干してしまう。
「どうせ、のまないんならいいれしょう。お金ならたっぷりあるのよぉ。おねぇいさんがパーっと奢ってあげるからねーー」

 冴貴の投げやりな言葉を聞いて康治の表情に影が落ちる。
「………どうせ体を売って稼いだ金だろう………」
 康治が吐き捨てるように言った。
 しかし酒に心を浸している冴貴が康治の心情を汲み取ることはなかった。
「そうよぉ。悪い? あたしみたいなオンナは体売ってお金貰うのがお似合いでしょお。オンナじゃなくてヨウカイかなぁ。妖怪セックスお化け、きゃははは」

「よせよ!! 今みたいなあんたのために俺達はこんな風になったんじゃないぞ!!」
 捨て鉢な台詞に康治が怒鳴りつける。
「あらぁ、おこったぁ? ごぉめんねぇ、コウちゃん。お詫びは体でいいかしらぁ。安売り品でもうしわけないんだけどぉ」
 酔っ払いに怒っても体力を消耗するだけだった。
 康治は再び冷静さを取り戻し、なんとか冴貴に言い聞かせようとする。
「なぁ、サキ姉。こんな生活やめて、自分の家に帰りなよ。この間も由貴さんが俺に連絡してきたよ。冴貴さんの居所を知らないかって」
 冴貴の瞳は一瞬、冷静さを取り戻し冷たく言った。
「あたしには帰る家なんかないのよぉ。分ってるんでしょう?」

 確かに康治には分かっていた。この騒々しい居酒屋では誰も気付いていないが、もしこの会話を聞いている人間がいたら、どうしてこの男は年下の女を『サキねえさん』と呼んでいるのか不審に思っただろう。
 29歳になるはずの冴貴は25歳の康治より明らかに見た目が若い。
 冴貴は『覚醒』した時の21歳から殆ど年をとっていなかった。

 26歳になったときに、冴貴は自分が年をとっていないことに気付いた。気が付けばいつの間にか由貴の方が年上に見えるようになっていた。悪魔達に聞いたところでは、過去数人いる覚醒者のなかにもそういう能力を得たものはいないが、覚醒者の能力の現われ方は人によってそれぞれ違うので、そういう能力が在る可能性は十分あるということだった。
 それ以来、服装や化粧でなんとか年相応に見せようとしてきたが、それももう30歳を前にして限界に来ていた。
 いつの頃からか冴貴は近いうちに由貴とも家族とも離れて生きることを決意していた。
 そうでなければ、いずれ両親にも知人にも隠し立てできない日がきてしまう。
 由貴を幸せにしてくれる人間が現われた時がその時だと決めていた。

 康治は冴貴に同情していた。
 自分の人生は確かに冴貴に狂わされたが、冴貴と由貴の二人は、康治達に対し埋め合わせをしようと心を砕いてきた。今、康治に冴貴たちを恨む気持ちがないのはその努力の賜物だった。大学受験のときも無料で家庭教師を買って出てくれたのは冴貴だったし、一浪した時は由貴も教える側に回ってずっと助けてくれた。狂ってしまった性欲の処理も含めた彼女達の献身には康治も感謝していた。

 まるで二人で一つの魂のようだった姉妹がこんな形で分かれなければならないとは、余りにも惨い運命に思える。康治がしょっちゅう冴貴の飲み相手に呼ばれるのを邪険にしないのも、そういう思いからだった。

 冴貴がふと顔を上げた。
「ねぇ、最近の亜衣達は………?」
「………相変わらずだよ………」

 冴貴の顔が辛そうに歪んだ。

 冴貴が自覚するもう一つの取り返しのつかない罪。

 この繁華街で、ただ『クラブ』とだけ呼ばれる噂だけは知られている謎の秘密クラブ。
 会員になる資格のある人間の方へ、リーダーが勧誘に現われ、勧誘された人間は十人中十人が入ってしまうという、殆どカルトのような謎の組織だった。メンバーの中の富豪から潤沢な資金が流れ込んでいるとも言われているが、営利団体なのかどうなのかを含め、組織の外の人間にはその正体が全く分かっていなかった。

 そのリーダーこそ、昼は普通の音大生の亜衣の夜の顔だった。
 余りに幼いうちに異常な性的快楽に目覚めてしまった亜衣は、冴貴達の中でも悪魔に最も強い影響を受けた。今では性戯だけでなく、鍼灸やマッサージ技術、薬の知識や催眠術まで悪魔達から吸収してしまっていた。彼女に目を付けられた人間は、どれほど抵抗してもいずれは豊富な技術に屈し、クラブのメンバーとなりセックスに身も心も捧げてしまうのだった。

 亜衣の事を思い出すたびに冴貴の心は罪の意識に苛まれる。

 結局、冴貴達の手に落ちてしまった未夜子を含め、冴貴、由貴、亜衣、康治、未夜子の5人は、運命の年以来、2人の悪魔と共に、ずっと一緒に静かに暮らしていた。その関係に亀裂が走ったのは3年前に亜衣がこのクラブを作った時だった。
 仲間を増やしたりせずに普通に生活すべきだという考えの冴貴は、亜衣と激しく対立し、終には亜衣とも、亜衣についていった二人の悪魔や未夜子とも交際を絶つ結果となった。その時、既に秘密クラブでたっぷりと快楽を吸い上げた二人の悪魔の力は冴貴一人では対抗できないまでになっており、力ずくでは辞めさせることが出来なかった。
 彼女達の情報は康治を通して聞くだけになっていた。

 ブーーーーン!
 康治の携帯が振動した。康治が携帯の連絡元を見て顔をしかめる。

「らぁれからなのぉ? わかったぁ、亜衣れしょぉお」
 冴貴がろれつの回らない口調で尋ねる。
「ああ、呼び出しだ………」
 康治もまた『クラブ』のメンバーだった。
「ふうぅうん、じゃ、コウちゃんはこれからセックスしにいくのねぇ。いいなぁ」
「………今の冴貴姉さんにはわからないだろうな。俺みたいなのだって相手は自分で選びたい。そういう意味では、金を取ってなくても娼婦と一緒だな。いや、金を取ってないからこそ、余計惨めなのかな」
 康治はポケットからキーホルダーすらない鍵を投げ出した。
「ほら、これ、俺のアパートの鍵。勝手に使っていいから今日はもう引きあげなよ」
 テーブルに自分のアパートの合鍵をおいて康治が立ち上がる。
 冴貴はその日暮らしで、定まった場所に住んでいなかった。殆どの夜をラブホテルか康治の部屋で過ごしていた。
 
「コウちゃんはホンっトぉ〜〜に優しいれぇ〜〜。おねーさんかんどーしちゃうぅ。明日の朝は朝食作ってあげるわれぇ」
 そういわれても康治はそれを本気にしなかった。朝の冴貴は常に二日酔いと決まっていた。
 そうでなければまた飲むのだった。
 くだをまく冴貴に背を向けたまま出口に向かう。
 康治は振り向かなかった。変わり果てた冴貴を、距離をおいて見るのが嫌だった。

 冴貴も康治がいなくなってから、すぐにその店を出た。外は夏の終わりの生温い雨が降っている。自分が家を出たのが梅雨時だったから、3ヶ月もこんな生活をしているのかとぼんやりと思った。着の身着のままで家を出た時、雨が降っていたので傘だけ家から持ち出した。
 数少ない持ち物であるその小さな赤い折りたたみ傘をさしてよたよたと歩き始めた。

 雨の日は男を拾わない事にしていた。男を物色する時に心の中を覗くと、みんな家に帰りたがっているのが見えるのがイヤだからだった。かといって、まっすぐ康治の部屋へむかうわけでもなく、道すがらの洒落たバーに入り、カウンター席でウオッカを注文した。
 金を貰って男と寝ても、心も体も満たされなかった。満たされない隙間を埋めるように酒を煽っても心に穴が空いてしまっているのが解るだけだった。それでも一人で寝る日は、少しでも物を考えるのが辛くて必ず泥酔した。もし、肉体を操る能力がなければ、とっくの前にアルコール中毒になっていた。
 バーのカウンターに肘を突きながら、目の前に並ぶボトルの名札を眺める。
 一つ一つの名前を読みながら、この人たちはみんな帰る家があるのだろうと、思う。羨ましいと思い始めると、気が狂いそうな憂鬱が襲ってくるので、ウオッカの焼けるような舌触りで心を埋め尽くした。

 キィ……。
 微かな軋みを立てて隣の席に誰かが座った。
 またナンパかと思い、とりあえず無視することにした。ちょっとやそっとでは諦めないぐらいの男でなければ、十分な快感を吸い上げられない。いい男だったらホテルに連れて行って貰おうと思う。今夜は商売抜きにしてもいいかな……と、そんな事を考えていた。
 しかし、その予想に反して隣に座ったのは男ではなかった。人間ですらなかった。

「冴貴様。最近はこんな事ばかりしてるのかしら?」

 その妖艶な声の主に思い当たり、ハッと隣を見る。
「マ……マフユ!!」
 久しぶりに見るマフユは、紺の上下のスーツを着ており、まるでOLのようだった。
 しかしその全ての光を吸い込むような暗い瞳と、立ち昇るような色気は変わっていなかった。
「お久しぶりですねぇ。3年ぶりですか? お綺麗でお変わりなく」
 マフユが長く艶やかな黒髪をかきあげると、昔、嗅ぎなれた独特の体臭が漂った。
 認めたくなかったが冴貴はその匂いが好きだった。

「ふん! 皮肉のつもり?」
 きちっとした服装をしているマフユの前で自分がどれほど見窄らしい格好をしているかは自分でも分かっている。
 定まった住処もなく、着替えもままならない冴貴の服装は薄汚れ、昔の溌剌とした様子は見る影もなかった。
「あ〜ら、お世辞ですよぉ。昨日、珍しくユキから会いに来るから何事かとおもったら、冴貴さんを捜して欲しいっていわれましてぇ」
「それでなに? まさか悪魔が人助けって言うんじゃないでしょうね?」
「あらぁ、いけませんかぁ?」
 フンッと冴貴が鼻で笑う。
「ちゃんちゃらおかしいね。あのクラブとかいうのの若い子達の中には家族に秘密で家を出たヤツも沢山いるんでしょう? 家族がどう思ってるか………。そっちからどうにかしなよ」
「あたし達は亜衣ちゃん達の頼みを聞いてあげるだけですよぉ。悪魔は相手が認めるまでは触れることも出来ませんからねぇ」

 冴貴は幼かった頃の亜衣の顔を思い出し、胸がキリキリと痛んだ。
「『暗黒のイブ』とかいうのがあまりにも不甲斐ないから、ご立派な女王様に乗り換えたんでしょう? それならそれで亜衣の言う事だけ聞いてればいいじゃない! あたしの事なんかほっといてよ!!」

 マフユの漆黒の瞳が冴貴をジッと見据えた。
「一人だけ歳をとらないのはそんなに辛いですか?」
 静かにそう問い掛けられて冴貴は黙り込んだ。
「ユキが言ってましたよ。サキさんはその事で悩んでたって。それにユキの心、一部が閉鎖されてますねぇ。本人は気付いていなかったみたいですけど」
 冴貴は下を向いてぼそぼそと言った。
「………ユキは私には出来すぎた子よ。ちょっとエッチだけど、あの子ならきっと普通に幸せになれる。あたしがいたって迷惑なだけ。両親には何も親孝行もできなかったけど、ユキが替わりに孝行してくれるだろうし……」
 最後の方は自分に言い聞かせるような口調だった。

「うふふっ、面白くなりそうだわ………」
 マフユが呟いた。
「………? なんか言った?」
 冴貴の問いかけにマフユは応えず、テーブルの上に小さなアクセサリの箱を置いた。
 冴貴が不審に思いながらそれを開けると、そこには何の装飾もない銀色の指輪がはいっていた。
「これは………?」

「冴貴様、人間をやめてしまいませんか?」
 唐突なマフユの言葉だった。
 一瞬、冴貴は驚いたように目を見開いたが、すぐに皮肉な笑みを浮かべた。
「………ふふふ。あたしってまだ人間なんだ? もうとっくにやめてたかと思ってた」
 サキの自嘲を気にせず、マフユは話を続ける。
「冴貴様は私達が望む存在にはなれなかったですけど、亜衣が十分にその役目を果たしてくれていますわ。ですから、冴貴様は人間をやめて、あたし達と同じモノになりませんか? 永遠の闇の中を生きながら、他人に快楽だけを植え付けていくんです。悩みも苦しみも何もかも捨てて快楽に生きませんか?」

 思ってもみなかったマフユの提案に冴貴は唖然とする。
 しかし、すぐに違う考えが浮かんだ。
「それもありか。どうせ今の生活でもそんなに変わらないしな………」

「この指輪は悪魔をつくる指輪なんです。これをつければ、すぐにでもあたし達の仲間になれますわよ」
 そこで、真剣な視線を冴貴に向けた。
「………楽になりたいんでしょう?」

(楽になりたい………か……)
 確かに、苦しかった。これまでもずっと辛かった。人の心が見えてしまうことも、曲げる事が出来てしまう事も、重荷でしかなかった。一人だけ年をとらない事に気付いた時、自分だけが取り残されていくような気がして、孤独で不安でたまらなかった。唯一、支えになってくれた由貴は自分から手放してしまった。

 人を堕落させ、他人の快楽を吸収するだけの存在――――
(それもいいか………)

「指輪、置いていきますね。冴貴様が私達の仲間になってくれるなら嬉しいですわぁ。たっぷり歓迎しますからね」
 マフユが三年ぶりに見る特有のいやらしい笑みを浮かべて席を立った。
「では、ごきげんよう。冴貴様」
 優雅にお辞儀をすると滑るような優雅な足取りでバーを出ていった。

 冴貴はその後、1時間ほどカウンターテーブルの上に置かれた、のっぺらな金属の輪を眺めながらチビチビと酒を飲んだが酔えなかった。

 康治の部屋に帰ってきてからも冴貴はずっと指輪を眺めていた。
 狭いワンルームマンションの一室、暗闇の中で電気もつけず、窓から挿し込む月の光を鈍く反射する指輪を見つめながらマフユの申し出を考えていた。

 何の変哲も無いシンプルな指輪。これをつければ悪魔になれると言っていた。しかし、今さら何が変わるのだろうか?
 昼はなにもせずに公園のベンチに腰掛け、夜になるとその日のホテル代を払ってくれる男を捜す。それも娼婦のように呼びかけたり誘惑したりするわけでなく、セックスに飢えている金持ちの男を――ときには女も――『透視』し、その心を『曲げる』だけだった。会話すらないその行為は、食虫植物が花に止まったハエを挟みとるのと同じだった。
 マフユに誘われるまでも無く、自分は連中と同じモノだった。

 それなら、指輪を着けてしまえばいい。
 でも、もしそれが記憶まで消してしまうかもしれないと思うと、さすがに躊躇してしまう。

 今の冴貴にも失いたくない物はあった。
 20年間、普通の人として生きてきた記憶。そしてその後8年間の由貴との生活の記憶。それはどうしても失いたくない物だった。大学終了後、希望どおり福祉関係の機材開発会社の開発部に就職し、家を出るまではずっとその会社に勤めていた。喋れなくなった老人や障害者の元を訪れては、本人や家族、介護職員の困っている事や願望を『透視』し、それを解決する器具を考案した。冴貴の提案した新製品は痒いところに手が届くということで、素晴らしく評判が良かった。
 絶望する病人や死を待つだけの老人、介護に疲れた家族達を『透視』すると、人間の暗い感情の闇が溢れ出す。それは冴貴の心を傷つけ、すり減らした。それでも冴貴は歯をくいしばってその仕事を続けた。それがこんな能力を持った自分の使命だと信じていた。
 家に帰ると磨り減らした心を由貴が抱きしめてくれた。

 少しでも人の役に立つものを作れたことが誇りだった。
 21年間、自由で快活な人間として生きた記憶が思い出だった。
 その後の8年間、由貴と共に生きた時間が幸福だった。
 捨ててしまうには大切すぎる記憶だった。

(でも……)

 それらは余りにも大切すぎた。どの記憶も眩しすぎて、直視しようとすると、目が刺されるように痛む。所詮、ボロ屑のような今の自分には過ぎたモノでしかないのかもしれないと思う。
 それに、今のままでは、いずれ両親や由貴に会いたい気持ちを押さえきれなくなってしまうのも怖かった。
 両親に自分達の娘がバケモノだと知られたくなかった。
 男と幸せにしているかもしれない由貴を見るのは辛すぎた。

 心は決まっていた。
 あの酒場を出る前から自分がこうするであろう事は解っていた。

 財布から一枚の写真を取り出す。
 部屋が暗くてよく見えないが、心に焼き付いているので今更、見るまでもない。
 由貴、亜衣、康治、未夜子と5人で遊園地に行ったときに観覧車の前で取った集合写真だった。その頃は、人には言えない秘密を共有した大切な仲間達だった。

(亜衣……康治……未夜子……ごめんなさい。あたし……酷い事ばっかりして、結局なにもしてあげられなかったね……)
 震える手で、手に持っていた写真を胸に押し当てる。
(父さん、母さん、親不孝してごめんなさい。大切に育ててもらって、あたし幸せだった………)
 家を捨てた時に枯れたと思っていた涙が溢れてきた。
(ユキ……ずっと愛してたよ………)

 指輪はあつらえたようにぴったりだった。
 右手の薬指に着けた。

 しかし、望んだ解放は訪れなかった。
 新たな束縛が増えただけだった。





第二

 ジャラ……
 目を覚まして身じろぎをすると鎖の音がする。
 目の前は石で出来た十畳ほどの部屋だった。
 両手の手首が鎖でまとめられ、天井から垂れた鎖に繋がっている。意識の無い間、体重が両肩にかかっていたため、肩がもげるように痛んだ。
 まちまちの高さの燭代の上で何本も蝋燭が燃えている。
 下を向くと、その蝋燭の炎に照らされ、全裸で吊るされている自分の体が見えた。

「お目覚めかしら? 冴貴様」
 マフユの妖艶な声が聞こえる。

「マフユ……だましたな……」
 冴貴が睨みつけてもマフユは平然としていた。
「あらぁ、まだ分かっていらっしゃらなかったの? 悪魔なんて信用したらダメですわよぉ。人間の弱みに付け込むのが悪魔の仕事なんですから。あなたは人間じゃないから、あなたに嘘をつくこともできるし、いつもは邪魔な『因果律』も悪魔同士の争いには介入してこないし、自分の身は自分で守らないといけなかったのよぉ。もっと慎重に行動するべきでしたわね」

(くそう!!)
 手元の鎖に神経を集中するが鎖はびくともしない。あの指輪をつけたときに、『覚醒』時に身に着けた第六感が閉じられたのを感じた。あの指輪には自分の力を封じる作用があったのだ。
 指輪を着けたすぐ後、マフユが康治の部屋に現われ、そのまま気絶させられたが、その時も何の抵抗も出来なかった。

 手首を繋がれたまま何とか指を動かして指輪を外そうとするが、肌に引っ付いているかのようにびくともしない。

「でも、あたしは嘘は言わないわ。貴女は永遠に私たちと一緒に夜の闇を生きながら、人間を堕落させるだけの存在になるのよ。私の奴隷としてね」
 マフユが楽しそうに言った。
「……あたし……あたし……あんた達の事、好きだったのに……ずっと、一緒にいられるなら、それでもいいと思ってたのに……」
 冴貴の言葉をマフユが冷たくあしらう。
「ふん……これだから人間ってのは……。好きだから一緒にいたいなんてのが、そもそも人間の感傷でしょう? それが必要ないっていってんのよ。もっとも、それもこれからあたしが壊してあげるんだけどね。………貴女を完璧な悪魔にするのが『指輪の効果』なんだからね」
 長い黒髪をかきあげながら漆黒の瞳で冴貴を見おろす。その目には一片の慈悲も無かった。

(ああ……これが、悪魔か……)
 冴貴は目から鱗が落ちる思いだった。長い間一緒にいたのに、何も分かっていなかった。亜衣達と共に離れていってしまうまでは、下僕というよりは友達のように付き合っていた。人間以外の存在になってしまった自分が、そのことについて訊くことが出来る相談相手であると同時に、たった二人の対等な友人だと思っていた。
 しかし、相手はそんなモノでは無かったのだと今ごろ気付いた。

「さてと、もう人間として生活する必要もないんだから、日常生活が出来なくなるぐらいの快感を教えてあげるわね、冴貴様。いや……もう『冴貴様』じゃないわね。もっと貴女にふさわしい名前を付けてあげなくちゃ……。そうねぇ……『コブタちゃん』にしようかな」
 冴貴の表情にさっと朱が走る。
「ふ……ふざけるな!!」

「あらぁ〜〜ん、気に入ってもらえないのぉ。じゃぁ『ブタサキちゃん』にするぅ? それとも『サキブタちゃん』の方がいいかしらぁ? でも私はやっぱりコブタちゃんが可愛いと思うわぁ。ねぇ、コブタちゃん」

 冴貴がギリギリと歯をくいしばった。
 マフユはそれを無視して、冴貴の乳房をなでながら、妖しい目つきで熱っぽく言った。
「うふふ、8年前のあの日からずっと貴女の事を狙ってたのよぉ。覚醒させるのが目的だったから、あなたをスケベ女に仕立てただけだったけど、わたしはホントはもっと従順な奴隷にして、独り占めしたかったのぉ。気の強そうなサキが惨めな奴隷になるなんて考えただけで濡れてきちゃうでしょう?」
 冴貴の怒気が膨らむ。能力を封じられていなければ、それだけで悪魔を圧する程の激情だった。
「こんなことして後でどうなると思ってるの! あたしの力が戻ったらどうするつもり!! 早く指輪を外しなさい!!」

 パーーーン!!
 突然、空中で大きな破裂音がした。
 マフユの手の中に細長い鞭があった。

「いつまで『冴貴様』のつもりなの? そんな口の利き方でいいと思ってるの?」
 ビュオッと風を切る音がして冴貴の目と鼻の先を鞭が走る。
「いいでしょう? 中世のフランスで使われてた本物の鞭よ。そこらへんの音だけの鞭とは一味違うからね。
 コブタちゃんはあたし達の調教の仕方を知っているんだから、これから自分がどうなるか解っているんでしょう?」

 冴貴はギクリとした。

 悪魔は人間に『快感』を与えながら、人間の発散する『快楽』を吸収する。『快楽』を吸収された人間はいつまでも満足する事が出来ず、さらに『快感』を求める。それを繰り返されると、人はどんどん大きな『快感』を求めるようになり、最後には大きな『快感』に身を投げ出したまま、『快楽』の飢餓に陥ってしまう。
 そして悪魔はカラカラに渇いた人間に一滴の『快楽』を落とすのだ。
 それは人間を堕落させる極上の味となり、どれほど強靭な人間の魂も溶かす。
 自らそうしてきた冴貴には、それが痛いほど解っていた。

「これから貴女を鞭で打つわ」
 マフユが静かに言い切った。
「もし、打たれる痛みの中に少しでも快感を拾い上げてしまったら、坂道を転げるように堕ちるわよ。どんな気持ち? これから鞭打たれるのが喜びになってしまう女に作り変えられるのは?」
 シュパーン!! という音と共に空中で鞭が唸った。マフユは殆ど腕を動かしているようには見えないのに鞭は神経がとおっているかのように自由自在に宙を舞う。
「さあ、貴女が経験してきたセックスなんてホンの子供の遊びだってことを知りなさい」

 その瞬間、冴貴の目の前に火花が飛んだ。それがマフユの鞭に背中を打たれた衝撃だと気付いた時は、叫びだしたいほどの痛みが脳天に突き抜けた後だった。
 右肩から左腋にかけて痛みの筋がはっきりと感じられた。

「んあぁあああああああ!!」

「痛いでしょう? 辛かったら自分から痛みの中に快感を見つけなさい。そうしなければいつまでも苦痛だけが続くわよ」

 ヒュオッ!!
 鞭の先が見えなくなった瞬間、鋭い風きり音がする。
 バチッ!!
「うがあああぁあぁああ」
 歯を食いしばろうとしているのに、恐ろしい激痛で声が出た。左腋から右肩へ、一発目の鞭の跡を正確に逆になぞる一撃。マフユの鞭捌きは信じられない精度だった。同じ場所を続けて打たれて血が噴き出した。

「あら? 涙目になってるわよ? 『冴貴様』でも普通の女の子みたいに泣き叫ぶのかしら? あっと、今は『コブタちゃん』だったわね」
 マフユの漆黒の瞳が喜びに潤んでいるように思えたが、光を反射しないので本当に潤んでいるのかどうかはわからなかった。
「うふ、もう一回同じ所を打ってあげようかな」
 ヒュンっという風切り音がして、再び鞭が空中を舞った。

「マフユ……や……やめて……」
 息も絶え絶えに怯えた声で冴貴が懇願する。
 マフユが冴貴の鼻の頭に触れるほど唇を近付けて言った。
「やめて? いまやめてっていったの? ねぇ、コブタちゃん、やめてって言った?」
 鼻に吹きかけられるマフユの吐息が嫌で冴貴が顔を背ける。
「ほら、答えなさい?」
 耳元で鞭が空気を切り裂く音がした。かすった耳たぶから血が噴き出す。
「……い……いいました……」

 マフユが冴貴の顎を持って顔を自分に向けさせる。万力のような力で顔を押さえつけられていた。悪魔が自分の空間では望むだけの物理的な力を振るう事が出来るのも冴貴は経験済みだった。
「8年前に亜衣はそういわなかった? 康治はそういわなかった? 未夜子はそういわなかったの? 貴女はそれでやめてあげたの?」
 マフユが子供に言い聞かせるような優しい口調でそう言うと、顎を放しゆっくりと冴貴の後ろに回りこんだ。
 冴貴はマフユが視界の外に出るのを怯えつつも、8年間ずっと抱えていた罪悪感を揺さぶられ、黙った。

「うぐぅッ!」
 突然、冴貴が新しい痛みにのけぞった。
 マフユが背中の赤黒くなっている鞭の跡に舌をつけて舐めていた。背中の痛みは舐められたところから、ジンジンする熱いかゆみとなり、なんともいえない暖かい疼きになっていく。冴貴からは見えていなかったが、鞭の傷跡がマフユの舌に舐めとられるように薄くなっていた。

「人間の体って痛みが一定以上になると麻痺しちゃうでしょう。でもサキは麻痺させて上げない。癒しながら鞭打ってあげるから、何時までも痛みに泣き叫ぶのよぉ。辛かったら心を麻痺させなさいね」

 冴貴は戦慄した。マフユは痛みを調節しながら冴貴を責めつづけるつもりだった。背中の傷も完全には治さず、打たれた疼きが残るように中途半端に癒されている。

(なんとか……指輪さえ外れれば……)
 組み合わせて縛られている不自由な腕で右手の指輪を外そうともがくが、指輪はびくともしない。

 バチッ、バチン!!
「はぐぅぅうう!!」
 再び2回の打撃音。衝撃を余すところ無く体に叩きつけるために音は鈍かったが、骨に染みるような痛みは耐えがたかった。今度は乳房を斜めに横切る一撃と脇腹から腹にかけての一撃だった。どちらの傷も毛細血管が切れて血が滲む。
 余りの痛みに、打たれてからも暫くは体をよじって悶えた。

「その指輪は今のあなたでは外せないわ。娼婦みたいな真似して、質の悪い快感ばっかり吸い上げてるからそんな風になるのよ。ユキとずっと一緒だったらそんな指輪すぐに外れたのに」
 そう言いながらズキズキ痛む鞭の跡を指でなぞる。
「うううう」
 爪の先でなぞられれると鋭い痛みが走るが、その後、鈍い痛みになって、最後に火照った疼きになった。しかし、やはりそれ以上は治してもらえず、ジンジンした感触だけは残された。

「私のモノになりなさい。ユキの事も人間でいた事も忘れて私だけに尽くしなさい。苦しみも痛みも全部私が引き受けてあげる。貴女は何も考えずにお尻振ってるだけで幸せになれるわよ」

「ふざけるな!!」

 バチン!!
 左脇腹から背中にかけての痛打。
 背筋を反り返らせて痛みに耐えなければならなかった。鞭で打たれた後が焼けるように熱くなる。
「ちくしょお!! ちくしょおぉ!!! マフユ!! おぼえてなさい!!」
 涙を流しながら冴貴が叫ぶ。

 マフユが嬉しくて仕方がないといった凄絶な笑みを浮かべた。
「いい声よぉ、コブタちゃん。ほらこれなんかどう?」

 ビチッ!!
「イギァアアァ!!」
 それまでの打撃よりさらに鈍い音を立て、股間から内股にかけて赤いミミズバレが走り血が滲む。体の表面で最も弱い場所を打たれ、冴貴の体が痙攣した。
 ジョオオオオ!!
 太ももを小便が流れ足元に水溜りを作った。
「うう……うう……」
 冴貴は下を向きながら嗚咽を洩らしていた。

「うふふ、おしっこもらしちゃったわね」
 太ももを流れる尿を指ですくうと、下をむいたままの冴貴の顔に塗りつけた。自分の小便の匂いが鼻をつく。
「どれだけでももらしていいのよ。その内、もらすのも好きになるんだから。どうせこのまま何日も吊るされるんだし」

 マフユの宣告に冴貴は絶望した。
(だれか……助けて……。ユキ……助けて……)
 しかし、誰も助けに来る筈が無い事を知っていた。




第三章 由貴

「どうした、ユキ?」
 目の前の男に訊かれハッとした。
「お姉さんの事、考えてたのか?」

「ええ……」
 ラブホテルのピンク色の派手なベットに腰掛けながら目の前にいる男を見た。
 互いにバスローブだけで向かい合う姿は誰が見ても恋人同士だった。

 冴貴がいなくなった夜が遠い昔のように感じる。
 失踪前の一年ほど冴貴は家族に過剰なサービスをした。両親の誕生日やクリスマスには自分のボーナスをつぎ込み、食器洗い機や新しいソファなどを買った。由貴にはまるで着せ替え人形のように様々な服を着せては、休みごとに一緒に外出したがった。両親はそんなことより結婚資金を貯めろと口を酸っぱくして言い聞かせたが冴貴はそれを止めなかった。
 由貴は冴貴が家を出て行ってしまうつもりではないかと疑っていたがどうしようもなかった。もし問いただせばそのままいなくなってしまいそうな気がしていた。

 それに由貴も冴貴がもし出て行く気だとしても、それは止められないと思っていた。冴貴に久しぶりに会う人は皆、『冴貴は変わらないね』という言葉を言うようになっていた。このままでは冴貴が人間でない事が知られてしまうのはそう遠い先の話でなかった。

 由貴の誤算は冴貴が自分を連れて行ってくれなかったことだった。

 世話になった義理の両親には悪いと思っていたが、冴貴と離れ離れになるくらいなら両親を置いて出て行くつもりだった。

 あの日、目覚めた時、首が軽くなっているのに気付き全てを悟った。
 冴貴は自分に男が出来るのを待っていたのだ。冴貴は絶対に自分を手放したりしないと自信を持っていた由貴は、その事実を前に呆然とした。それが冴貴の思いやりであることは痛いほど感じていた。それでも冴貴に連れて行って欲しかった。
 三日三晩泣きあかした。
 泣きながら町をさまよい歩き、冴貴の姿を必死で探した。

 四日目に再び研修医として復帰したとき、奇妙な違和感を感じた。
 本当はもっと泣いていたいのに、もっともっと冴貴を捜さなければと思うのに、心の中に妙に冷め切った部分があり、それが普通の社会生活を送らせるのだった。

 それでも週末は冴貴を捜して都会に出るのが常になっていた。
 電車代が経済的に負担になるのを助けてくれたのは、目の前にいるこの男、同僚の研修医・八木高志(ヤギタカシ)だった。冴貴が家を出て行く原因になった男である。
 今日もこの男の車に乗せられ町に出てきた。夕方までラブホテルで一緒に過ごし、夜の街を歩くのが毎週の常になっていた。最初は車で送ってもらっただけだったが、夜の街を姉を捜して歩いていると聞いて、男は一緒にいると申し出た。断ろうとしたが自分も一人で夜の街を歩くのは危険だと感じていただけに、強く断る事ができずに同行してもらう様になった。
 ガソリン代もバカにならないことに引け目を感じ、体を許すようになるのに時間はかからなかった。
 図らずも冴貴の願ったとおりの関係になってしまった。

「あたしに気を使わず、高志さんは帰ってくださいね」
「いや、付き合うよ。でも、本当にこの街にいるのかい? もう3ヶ月になるけど全然会えないし、もう殆どの店を廻ったけど冴貴なんて人いなかったし……」
 由貴は黙っていたが、冴貴がこの都会のどこかにいることに妙な確信があった。だがさすがに売春婦をしているとは思っていなかった。

「実はどこかで平和に暮らしてるんじゃないのかなぁ……」
 ふと、高志が口を滑らしてしまう。
「冴貴さんはそんな人じゃありません!!!」
 珍しく由貴があげる大きな声に慌ててわびる。
「ごめん、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」

「冴貴さんは一人で幸せになれる人じゃないの……」
 自分だけに聞こえるようにポツリという。寂しさを紛らわせるように男の手に指を絡めた。

「いいかな?」
 高志がグッと肩を抱いてきた。そのまま高志の顔が近づいてくる。由貴も口を半開きにして高志のキスを向かい入れながらベッドに倒れこんだ。
 由貴は焦らすように侵入しようとする舌を歯で軽く挟み、尖った舌の先を舐めまわす。
 高志が由貴のバスローブの胸元から手を入れゆっくりとこねてくる。
 由貴も高志のバスローブを脱がせて、乳首の周りに指を這わせた。
「あ……あいかわらず、うまいな……」
 最初の時は清純そのものの由貴が恐ろしくセックスが上手いのにショックを受けた高志だったが、一晩で五回も射精させられ、すっかり由貴に夢中になってしまっていた。それまでなにも感じたこともない乳首が、由貴の指での愛撫を受けただけで息が苦しくなるような快感を伝えてくるようになった。
 高志も負けじと由貴の胸を揉みながら首筋に舌を這わせる。

 由貴は自分の欲望を抑えて、その愛撫を黙って受け入れるが、本当のところ、こんな前戯は早く終わらせて挿入して欲しかった。愛撫の的確さでは高志は冴貴の足元にも及ばないし、そもそも前戯は必要なかった。自分は一週間おきしかセックスが出来ないため、普段でも生理用品が必要なぐらいに発情しっぱなしだった。それでもしおらしい女の振りをする。

 自分の狡さが痛いほど解っていた。
 心の底から冴貴の事を思っている筈なのに、心のどこかで冴貴が見つからなかった時のことを考えこの男を繋ぎ止めようとしている。

 この男を繋ぎとめておくために、この男のオンナのような振りをする。自分が快楽に心を売ってしまっている事を隠し、まだ自分の中に、人を好きになる心があるように見せかけていた。

 自分の事をひどい人間だと思う。
 冴貴とこの男を天秤にかけ、この男を保険にしているのだ。自分が一人になるのが嫌だという理由だけで。そして挙句の果てにこの男に冴貴を捜す手伝いをさせているのだ。

「舐めますね……」
 体勢を入れ替えて上になり、ゆっくりと胸や臍の周りに舌を這わせながら、相手の反応を見る。由貴の胸元にあるペニスは既にカチカチになって天を仰いでいた。舐めながらも胸元でそのペニスを圧迫して刺激する。
 男の体臭。それだけが冴貴が持っていないものだった。それが好きで好きで仕方ない自分が無性に悲しい。いっそ、このままこの男に溺れてしまおうかと思ってしまう事もある。それが冴貴も望んでいた事なのだと解っていた。

 顔を下げていき、勃起したペニスに辿り着く。揺れ動く心とは裏腹にゆっくりとした動作で唾液を擦り付け、出てくる液をチラチラと舐め取る。
「くっ……ううぅ……」
 舌技が十分に効果をあげているのを確認して、呑み込んでいく。ペニスを吸い上げながら喉の奥で締め付けると、高志の腰が一瞬浮き上がった。一度、射精させてしまうと長引いてしまうので、そこで締め付けを緩める。
 それを2度3度と繰り返した。

「くっ…もう……」
 射精寸前でコントロールさせるのに耐え切れず高志が音を上げた。
「………」
 無言で枕もとからコンドームを取り、高志のペニスに被せる。冴貴とのセックスには必要ないので、この行為だけは慣れていなかったが、それもこの男との逢瀬を重ねるうちにスムーズにできるようになった。

 自分は卑怯な人間だと思う。
 男が女性の頼みごとに弱いのを、自分の事のように解っていながら、それを利用している。人間以外のモノに与えられた手練手管を普通の人間にふるい、操っている。

「いくよ」
 再び高志が上になりペニスを押し付ける。
「あん……早く……」
 自分から相手を押さえつけて無理矢理に挿入させたくなるのをこらえながら、しおらしく答える。心の中の複雑な思いに関係なく、体は一週間ぶりのオトコを歓喜と共に迎え入れた。
「あうん……イイ……高志さん……イイわ……」
 高志は何度も由貴との逢瀬を重ね、十分な技術と自信を身につけていた。シモツキや冴貴ほどではないものの十分に満足できる男だった。体の相性も悪くないし、性格は明るく、医者という将来性も十分にある。
 こんな私に関わらなければと憐れに思う。
 せめて今の間だけはいい恋人でいてやりたいと思う。
 それが利己的な自己満足とわかっていても。

 クンッ、クンッっと微妙に腰を揺らし自分の中にある相手のペニスを刺激する。
 高志が段々切羽詰ってきたのか、ピストン運動を早めた。由貴も高志に合わせて絶頂が迎えられるように、自分の意識を快楽に沈めながら、高志に気付かれないように背中からまわした手で自分の肛門をまさぐる。

「ハァ…ハァ…ユキ……もう……」
「あん……高志さん……キテ……あたしも……もう……」
「ユキ……愛してるよ……」
 高志のペニスが膣の中で激しく震える。
「ああん……高志さん……イクゥ!! イッちゃうぅ!!」
 由貴も全身を硬直させながら絶頂を迎えた。

 がっくりと頭を垂れる高志に冷静な表情が見られないようにしっかりと抱きつく。
 天井を見つめながら考えていた。

 操り人形に過ぎなかった自分に家と家族と人生を与えてくれたのは冴貴だった。
 冴貴は恩人であり、姉であり、母親であり、恋人であり、自分の全てだった。

 『核』を凍結されているのに後退しない執念に近いその想い。

 自分を卑怯な女だと思う。
 それでも冴貴をこの手に取り戻すためなら、自分は悪魔にでも魂を売り渡せる。

 私は悪魔に創られた人間なのだから……。





第四 誓い

 時間の感覚はとっくの昔になくなっていた。
 体中に赤い縞模様が浮かび、何度鞭打たれたかも思い出せない。
 それどころか何回失禁したかすら思い出せなかった。

「うふふ、そろそろイイみたいね」
 そう言うとマフユの手元から鞭が消えた。

(おわった……の?)
 体中がジンジンと熱くなり、痒みとも疼きともつかない感覚が体中を苛んでいる。未だに骨にまで達するような衝撃が体の芯に残っているような気がした。

「鞭にも馴染んできたみたいだしね」
「う……うそ……」
「気付いてないの? 痛いのが我慢できるようになっちゃったでしょう? その気になれば、すぐにでも気持ちよくなれるわよ。でも、私、コブタを鞭打つの飽きちゃった。外で遊んでくるから、暫くお別れね、私の可愛いコブタちゃん」
 マフユがそういうと、側に巨大な鏡が現われた。

「……?? お別……れ……? じゃ……あたしは……?」

「あなたはお留守番」
「おいていくの……?」
「ええ、遊びに行くのにペットは連れて行かないでしょう。
 さて、わたしが行く前に何か訊いておきたいことはあるかしら?」

 残酷な質問だった。
 マフユは冴貴が聞きたがっている事を知っており、それが冴貴を苦しめる事を知っており、それでも冴貴が質問する事を知っていた。

「亜衣は……亜衣は……あたしの事……ずっと……恨んで……るの?」

 冴貴も自分がそれを質問してもどうにもならないと思いつつ、訊かずにはいられなかった。

「そうね。本人は自分に未夜子を堕とさせた事を恨んでるつもりね。でも、自分でも解らないくらい心の奥底では少し違うわ。貴女が由貴と一対の魂として生きているのに、自分と未夜子がそうなれなかった事に苛立ち、羨み、もがいているわ。貴女があの子になにをさせたか憶えているでしょう?」

 8年前。
 未夜子が親友の亜衣が変わってしまった原因を探るために、冴貴の周辺をかぎまわり始めた時、その対処をどうするか冴貴、由貴、亜衣、康治の4人で集まって考えた。そして冴貴は亜衣に究極の選択を迫った。それは『亜衣が堕とすか、自分が堕とすか』という選択だった。
 亜衣は自分でやる事を選んだ。冴貴は亜衣にペニスをつけて、『部屋』に亜衣と未夜子を3日間、閉じ込めた。3日後に部屋を出てきた時、未夜子は亜衣の恋人ではなく精神的な従属者になっていた。
 その時は本人達を含め誰もその意味が解っていなかった。

 亜衣は唯一対等だった人間を支配してしまう事で、孤独に陥った。

 自分は未夜子の全てを引き受け女主人として振る舞い、未夜子は亜衣を拒否することなく全面的に受け入れる。15歳になったばかりの少女達にはそれは早すぎた。急激に大人にさせられてしまった亜衣は人並みの青春を送る事はなかった。それは亜衣から人間として大切な感情を失わせる結果になった。

 冴貴が悪魔の力を持った人間なら、亜衣は悪魔の心を持った人間だった。
 若干22歳の秘密クラブのカリスマ、亜衣というバケモノは冴貴が創り出したのだった。

 亜衣が、未夜子が自分のもとを離れて行ったのは当然だった。
 そこまで亜衣達を追い込んだのは自分だったのだから。

「亜衣が味わった孤独の10分の1でも味わってみなさい」
 そう言うとマフユは鏡の裏へと消えていった。8年前と同じだった。
 違うのは側に由貴がいないことだった。

 薄暗闇に天井から吊るされたまま冴貴は呆然としていた。
 体は未だにジンジンと熱いが、心は冷え切っていた。

 ずっと自分に問い掛けていた。自分は何処で間違えたのだろうと。

 マフユにたぶらかされて、指輪を着けたのがいけなかったのか?
 自分の家を出て娼婦に身を落したのがいけなかったのか?
 由貴の心を操作したのがいけなかったのか?
 3年前に『クラブ』に反対して亜衣達と別れたのがいけなかったのか?
 8年前に未夜子を巻き込んだのがいけなかったのか?
 康治を堕としたのがいけなかったのか?
 康治を誘き寄せるのに、亜衣を巻き込んだのがいけなかったのか?
 『覚醒』したのがいけなかったのか?
 一時の快楽に身を任せ、自分から因果律を破ったのがいけなかったのか?
 悪魔と取引してユキとキスしたのがいけなかったのか?
 ユキを深夜の学校まで追いかけたのがいけなかったのか?
 ユキを公園から連れ帰ったのがいけなかったのか?
 あの日あの公園を通ったのがいけなかったのか?

 自分はいつも精一杯やってきたつもりだった。なんとかこの『能力』に負けず、どうにか人の役に立てたいと思って足掻いてきた。巻き込んでしまった人間には精一杯償いたいと思い、尽くしてきたつもりだった。
 それでも結局、恨まれ、孤立し、騙され、敗北してしまった。
 きっとこのまま悪魔の永劫の奴隷にされてしまうのだろう。
 何がいけなかったのか? どうすればよかったのか?
 何度も何度も同じ思考を繰り返し、それでも結論に辿り着く事は無かった。

 体中に赤い縞模様を浮かべた自分の体が宙に吊るされているのが鏡に映っている。
 惨めだった。これが、自分のなれの果てかと思うと寒気が走り体が震えた。

 酒が飲みたかった。浴びるように酒を飲んで全てを忘れたかった。酒とセックスだけがそれを忘れさせてくれた。酒と男がなければ眠る事すら出来ない人間になってしまっていた。

 孤独で孤独で仕方なかった。
(ユキィ……あいたいよ……なぐさめてよ……抱きしめてよぉ……)
 家を出てから何度、この言葉を心の中で繰り返して来ただろう。

 何度、浅く眠り、目覚めても、マフユは帰ってこなかった。幾度となく糞尿を垂れ流し、それらもすべて出し切ってしまった。
 腹が減ったり、喉が渇く事は無いのだが、それはかえって心の痛みが目立たせるだけだった。いっそ、飢餓に苦しみ飢え死にできたらどんなに楽だろうかと考えていた。

 目が覚めると過去を悔い、自分を責めて、泣いていた。
 涙はとっくに枯れているのに、それでも泣くことが出来た。

 鞭で打たれているときは、気が楽だった。
 こんな風に孤独に身を焦がしながら吊られているくらいなら、鞭で打って欲しかった。

 果てしない長い沈黙の孤独の中で、冴貴の中に小さな願望が生まれた。

 孤独な私を置いていかないで欲しい。
 私の罪を咎め、大声でなじって欲しい。
 そして、私を罰して欲しい。

 その小さな思いが心に深く刻み込まれ、いつしかその時だけを待ち続けるようになった。

 鏡の陰からマフユが出て来る夢を何度見ただろう。
 また新しいマフユが目の前にたった。
 目の前のマフユの幻影が鞭を振るった時、体に激しい痛みが走った。
 それは幻覚ではなかった。

「ヒィいいいいぃぃぃ」
 思いっきり大声を出した。何故か嬉しかった。
 徹底的に鞭打たれた体は、鞭の痛みと衝撃に慣れてしまっていた。
 心の底からその痛みを受け入れると、痛みの中に快感が見つかった。それは冴貴の体の芯に炎を灯し、体全体を燃えるように熱くした。

「もっとぉ、もっと打って!!」
 膣から愛液が溢れ出す。もっと強く打って欲しくて、吊るされて不自由な体をマフユの方に晒した。理由のわからない涙が溢れ出す。
 無言で容赦なく打ち付けられる鞭を感じながら、大声で喚き散らした。
「もっと!! もっと強く!! もっと強く!!!」
 鞭の衝撃が体を突き抜ける度に、その痕から痺れるような快感が生まれた。

(痛いのに……痛いのにもっとしてホシイ……)

 バチッ!!  ビチィッ!!
 普通の人間ではとても耐えられない痛みが、絶え間なくそそぎ込まれる。

 果てしない解放感だった。
 闇に囚われていた心が鞭で打たれる度に解き放たれていく。自分が鞭で打たれて悦び悶える変態だと思い込むと、まともな人間として生きようと悩み、それが果たせず苦しんでいた事がバカらしかった。自分はそんな事を悩む価値すらない女だったと思うと、心が麻痺していき何も考えなくて済む。もっと解放して欲しくて自分から痛みの中に心を差し出した。

(もっと、もっと強く!! 壊して!! もう、全部壊して!! なんにも思い出せないくらい……粉々になるまで……)

 前の痛みと衝撃が抜ける前に、次を打たれると、体の中に快感が蓄積されどんどん高みに昇っていけた。

 マフユの鞭の先が、冴貴の股間をかするように打った瞬間冴貴の体が激しく痙攣した。
「あがっ!! ああぁぁ!! ああん!! ああ……ぁぁ」
 チョロチョロ。
 痙攣の後に括約筋が緩み、残っていた尿が少しだけ出た。
 マフユは黙ってその様子を見ていた。

 数分間、黙ってうなだれたままだった冴貴が、ポツリポツリと喋り始めた。
「……言うとおり……にしていたら……ずっと…一緒にいて…くれます…か……?」
 搾り出すような声だったが、それが心からの望みだった。

「ええ。永遠に可愛がってあげるわ」

「ずっと…あたしを…鞭で打ってくれますか……? ずっと…あたしの罪を…責めてくれますか……?
 あたしに……あたしにずっと……罰を与えてくれますか……?」

「ええ、それが貴方の望みなら……」

「あたし……マフユの……マフユ様の……モノになります。だから……もう一人にしないで……。ずっと側に……側にいて……」

 マフユが無言で近づき、冴貴の髪を掴み、顔を上げさせると荒々しくキスをした。
 髪が引っ張られて何本も千切れたが、それでも呼吸をするのを忘れ貪るようにマフユとのキスに没頭した。
 ずっと前からこうして欲しかった気がした。マフユの体臭に包まれながら冴貴は満たされていた。

 ―――ずっと側に
 それは奇しくもユキが冴貴と初めて結ばれた時に、口にした言葉だった。

 冴貴は見えていなかったので気付かなかった。
 マフユが薄い笑みを浮かべていた事を。
 それは他人に見せるときの笑い顔ではなく、心の底からの不敵な笑みだった。





第五 奈落

 大きな鏡が目の前にある。
 由貴は先日マフユに会った時の事をおもいだしていた。
 悪魔達なら冴貴を見つける方法を知っているかもしれないと思い、数年ぶりにマフユに電話し、駅の近くの喫茶店で会った。
 冴貴が失踪した事を告げ、捜してほしいと頼んだ。
『あらぁ〜、それは大変ね〜。大丈夫よぉ。冴貴様はあたしが捜してあげるわぁ
 マフユは二つ返事でOKした。そして、こう付け加えた。
『きっと会わせてあげるわよぉ。二度と行方をくらまさないようにしっかりとお説教もしてあげる』
 そういうと、いつもの妖しい笑みを浮かべて去っていった。

 最後の言葉がなんだか引っかかった。由貴は冴貴とちがい、悪魔達の恐ろしさを十分に理解していた。彼らは嘘をつかずに人を騙す事が出来る。巧みに会話を捻じ曲げ、言葉の裏に真意を隠して相手の行動の幅を狭めながら、自分の思い通りに相手を誘導していく。嘘をつかないと分かっているからこそ、簡単に騙されてしまうのだ。

(『お説教』……?)
 今、思えば嫌な響きをもっている。
 もしかしてマフユに冴貴が失踪している事を告げたのは失敗だったのではないだろうか? そして今からしようとしていることは、それを悪化させるだけなのではないかと不安になる。
 しかし、どうしても他に手段が思い浮かばなかった。

 由貴には焦りがあった。
 自分の心の中で高志の占める部分が大きくなってきているのだ。信じられない事だが、一緒に夜の街を歩いていると、冴貴を捜さなければという意識の裏で、このままずっと高志と一緒にいたいと思っている自分がいるのを感じる。
 普通の男といると、自然と互いの話をしなければならない状況になってしまう時がある。子供時代の思い出が話せない由貴にはそれが辛かった。高志は自分が苦労して来ただけに、あまり過去の話をしたがらなかった。病院のことや道端のちょっとしたおもしろい看板などを目敏く見つけては、そんな事を話題に楽しい会話をすることが出来る人間だった。
 何時の間にか高志といることに安らぎを得ていた。
 高志と別れて一人になると、高志に安らぎを感じていることが冴貴に対する裏切りのような気がして落ち込んだ。

 その罪悪感が普段は慎重な由貴に危険な行動を取らせた。

 手鏡を取り出して目の前の鏡に向ける。
「ご主人様……」
 声に出して呼びかける。
 冴貴に何度もシモツキを『ご主人様』と呼ぶのを止めろといわれたが、結局、由貴はそれを辞める事が出来なかった。携帯電話を持っているマフユと違いシモツキはこういう古典的な方法で呼び出されるのを好むと聞いていた。

 鏡と鏡が互いに映りこみ鏡の奥の奥の方まで見えるような錯覚に捕らわれる。
 ふとその奥に吸い込まれそうな気になったとき、その奥に人影が現われた。その姿は急激に大きくなる。それに誘われるように手を伸ばすと、鏡の中から伸びた手にがっしりと掴まれ一瞬にして引き込まれた。
 そこは殺風景な部屋だった。材質のわからない灰色の壁と白い床で出来た何の飾り気もない部屋。冴貴のともマフユのとも違う、始めてみるシモツキの『部屋』だった。

「……ご主人様……」
「久しぶりだな、ユキ」
 目の前に腕組みをした逞しい男が立っている。相変わらずの短い金髪に黒いタンクトップと黒いレザーパンツ。体毛のない不自然に白い肌が、その下にある分厚い筋肉と不釣合いで、ある種の不気味さを醸し出している。
 今も、その黒い瞳には何の感情も現われていなかった。

「お願いしたいことがあります」
 冴貴は平気でシモツキやマフユと会話していたが、由貴は悪魔達を恐れていた。特にシモツキには強い恐怖を抱いている。久しぶりに一対一で向かい合うと緊張で声がかすれた。
「言ってみろ」
 由貴のそんな様子には無関心に淡々と命令する。
「冴貴さんを捜しています。マフユ様にもお願いしたんですが、何処にいるか捜していただけませんか?」
 だがシモツキの答えは由貴にとって意外なものだった。
「その必要はない。サキの居所はわかっている」
 いつもは『冴貴様』と呼ぶはずのシモツキがサキと呼び捨てた事に嫌な予感がした。
「どこに? どこにいるんですか?!」

「サキはマフユの手に落ちた」

「!!? 手に落ちた? 手に落ちたってどういうことですか?!!」
「サキは我々の僕となる。我々が人間から快楽を搾り取る道具にな」
「そんな事!! 冴貴さんがそんな事になるわけが……」
「冴貴だけではない」
 由貴の言葉が終わらないうちにシモツキが遮った。
 表情を変えずに由貴に宣告する。
「お前もだ」

「わ……わたしも……」
「サキはお前が幸せに暮らしていると信じているからこそ、自分自身をマフユに差し出した。だが、それでは意味がない。サキは何の代償もなしに自分を捨てなければならない。サキを道具にするにはお前が邪魔だ」

 それは由貴に想像以上の衝撃を与えた。仮にも自分の創造主である本人の口から、ハッキリと邪魔だといわれ激しく動揺した。

「そもそも八年前からお前は我々にとって邪魔だった。因果律を破るために作ったお前こそが、因果律の一部だったのだからな」

「……?」
 珍しく自嘲気味の表情が浮かぶシモツキの顔を由貴は呆然と眺めた。

「畑山優一の高潔な心と、女の慈愛を併せ持つ女。お前が、サキを『闇のキリスト』にするのを防ぐための敵の切り札だったのだ。お前がいなければ、サキはとっくの昔に快楽に魂を売り、闇のキリストとして君臨していただろう。我々が数百年間かかって集めた大量の精を注いで作り出した人間が、まさか覚醒者の力を受け止めるための器だったとは……」

「どういう意味……ですか?」

「サキの力がお前を守り、お前の存在がサキの人間性を繋ぎ止める。サキとお前はまさに刀と鞘だったのだ。敵が焦って、康治をサキに近づけたりしなければ、我々の敗北は確定し、お前を作り出すのに多量の力を消耗した我々は現実界から後退しなければならなかったところだ。かろうじで亜衣という人材が得られたのが不幸中の幸いだったが」

 初めて知る悪魔の思惑に由貴は愕然とする。

「クックック、しかし、サキが『不老』の力に目覚めるとはさすがに敵にも予想できなかったらしい。そのおかげでサキは勝手に孤独に陥り、自分からお前を手放した。そこに我々のつけいる隙が生まれた」
 見ているものの心が凍るような邪悪な笑みを浮かべる。
「だから人間というのは面白い……。我々もゲームのし甲斐がある」

 由貴は絶望的な気分で冴貴が厳しい状況に陥っている事を悟った。
(ああ…冴貴さん! サキさん!! サキさん!!)
 冴貴を救いたい。自分がどうなってもいいから冴貴を救いたい。心の中にサキと過ごした記憶が溢れてくる。こんな事で冴貴を失いたくない。冴貴と再び一緒に歩きたい。冴貴と過ごしたい。冴貴とキスしたい。冴貴と生きていきたい。
 気が狂いそうなまでに溢れ出す冴貴への想い。
 シモツキの悪魔の目にもそれが見えていた。

「フッフッフ。それはかなわぬ願いだ。お前とサキの関係は、サキの目の前で破壊する。その時、サキは人間性を繋ぎ止めているものを全て失い、我々の完全な道具となるだろう。それが、お前の創り主への最後の奉公というわけだ。その後はセックスに狂った娼婦として世を儚みながら、夜の街を徘徊するがいい」

 冷徹なその言葉に由貴は珍しく怒りに震えた。
「私はあなたたちの思い通りなんてなりません!!!」
 由貴が怒りの目をシモツキに向ける。

「俺に逆らうつもりか? 出来ると思っているのか? 八年前に身も心を捧げた事を忘れたか?」
「私の……私の心は……私のモノです!! 心までは渡してません!!」
「では試してみろ」
 その瞬間、由貴の服が粉々に引き千切れ、部屋中に舞う。
 一糸纏わぬ全裸を晒していた。
「!!」
 咄嗟に胸と股間に手を当てる。
 ふわふわと雪のように舞う細切れの布地の中で、輝くような白い女性の裸体が恥じらいながら立っている姿は幻想的だった。しかし、それを見つめる一対の黒い瞳にはなにも映っていなかった。

「跪け」
 強い口調で命令される。由貴は気圧されぬようにキッと睨み付ける。
 ドクン!!
 視線が漆黒の闇の目に受け止められると、心臓が大きく鼓動した。
「跪け、ユキ」
 繰り返される命令に、由貴は視線を外す事ができなかった。心理的な圧迫を感じながらもなんとか抵抗しようとする。しかし、徐々にシモツキの姿が大きく見え始めた。
(こんな……こんなこと……)
 シモツキの体が大きくなっているのではなく、自分の膝が折れ曲がっていっているのに気付く。悔しくて仕方がないのに、どうしても命令を拒否できない。
 何時の間にか両膝が床についた。
 目の前のシモツキの服が消え去っていった。

「濡らせ」
 冷たい言葉が由貴の心に突き刺さる。
 じゅん。
 シモツキに命令されただけで膣に愛液があふれだした。
「いや……いや……うそっ……こんなのうそよっ!!」
 尾テイ骨の辺りにもやもやした浮遊感を感じ、体が性的な刺激を欲しがり始めた。
 激しい興奮に胸が苦しくなる。床にうずくまりながら身を焦がす欲情に飲み込まれまいとする。

「指を入れろ」
 シモツキがあくまでも静かに、それでいて強力な強制力を持つ命令を吐く。

 震える自分の指を女性器に近づけながら由貴が泣き叫ぶ。
「サキさん!! 助けて、サキさん!! いや!! いやぁ!!」
 ヌルッ。
 濡れそぼる花弁の中心に人差し指が飲み込まれる。 
「はああぁ……ああ……あああ……」
 自分の意志を離れ、膣がもの欲しそうに自分の指を食い締める。その度に痺れるような快感を感じ、意識に霞みがかかった。
「やめて……やめてぇ!! 私を…私を戻さないで…あの頃に戻さないでぇ!!」
 由貴が悲鳴のような声をあげる。

 石で出来た暗く冷たい部屋。
 薄暗闇の中で七日間、陵辱されつづけた日々。
 鼻の奥に蘇る精液、小便、汗、ありとあらゆる体液のすえた匂い。
 そして、そこで憶えた灼熱の快楽。
 由貴は自分の膣に自分で指をいれたまま、突っ伏しながら泣いていた。

「どうした。心は渡していないのではなかったのか」
 ハァ……ハァ……ハァ……。
 荒い息をつきながらシモツキを見上げると目の前に匂い立つペニスがぶら下がっている。それを見ただけで心臓の鼓動が一段と激しくなった。指で女性器をこね回したい欲望で頭が一杯になってくる。目の前にぶら下がるペニスにむしゃぶりつきたくておかしくなりそうだった。
 その様子を見つめるシモツキの目に初めて憐れみが宿った。しかし、ペニスを凝視している由貴にはその様子は見えていなかった。

「二度と這い上がれぬ事を『堕ちる』という。
 永劫に逆らえぬ事を『支配』と呼ぶ。
 この世に生れ落ち、眠るより前に快感を覚え、
 小便より前に、愛液を垂らした女よ。
 答えろ。貴様に必要なのは愛する者か? 支配者か?」

「…………」

「どうした? 何故、答えない?」

「私は……私はあなた達を恨みます……。セックスするだけの人形が欲しいなら、心なんていらなかったのに……。どうして私を人間にしたんですか? どうして女なんかに!!」

 それは事実上の敗北宣言だった。
 シモツキは無視して再び命令を下した。
「舐めろ」
 その途端、由貴は理性に反して主人にじゃれ付く犬のように、シモツキの巨大なベニスにしゃぶりついてしまう。
「んぐ……んぐ……ぐっ……んん……」
 鼻を擦りつけるようにペニスを丹念に舐め、先からあふれ出てくる汁を舐め取る。亀頭の裏側に舌先を這わせながら、自分の膣に埋めた指を出し入れし始める。顔を下げ、陰嚢を口に含み、ペニスの匂いを胸一杯に吸い込む。そのまま股の下に体をいれ肛門まで舐め進み、そのまま舌を突き入れる。舌先のしょっぱくて苦い味が由貴の精神をかき回した。
「ハァ……ハァ……」
 獣のような荒い息を吐きながら行為に没頭し、口元から唾液を垂らす。呼吸をするのももどかしいかのようにシモツキの股間に顔を埋めた。

 突然、シモツキに突き放されて床に転げた。うつ伏せに倒れこんだ瞬間、地面から出た枷が由貴の両腕を捕らえる。必死でもがくが、鎖はびくともしなかった。

 ズリュゥゥ。
 いきなり後ろから挿入されるシモツキの巨大なペニス。

「いやあぁぁ!! サキさん!! サキさん!! あたしはサキさんのものです!! サキさん助けて!! 助けて!! あたしを守って!!!」
 泣き叫ぶ上半身とは裏腹に、腰は卑猥な動きでシモツキの腰の動きに同調していく。シモツキのセックスは技巧を凝らした腰使いが多かったが、今は違った。ひたすら荒々しく打ち付けるようにユキの体を揺さぶる。子宮に加えられる衝撃がユキの心に直接響き始めた。
「ああん……ああん……ああっ……サキさん……愛してます……サキさんだけを……愛してるのに……」
 それが冴貴への思いの最期の断末魔だった。
 
 程なく由貴の声は淫靡な響きを帯び始めた。
「はぁっ! いやっ! ああぁ!!」

「思いを吐き出せ、ユキ。心のままに叫べ」
 その命令を受けた瞬間、取り返しのつかない言葉が溢れ出た。
「気持ちイイ!! 気持ちイイの!!! 狂っちゃう!! 気持ちイイのぉ!!」
「お前に必要な物はなんだ」
「ご主人様のチンポぉ!! チンポ気持ちイイのぉ!! しんじゃう!! しんじゃうぅー!!」

 冴貴が覚醒してからの八年間に亜衣だけが引き出したユキの奴隷の心。冴貴は由貴を愛しているがゆえに、それを引き出す事が出来なかった。由貴はずっと自分を騙してきた。冴貴とのセックスが自分にとって一番素晴らしいと自分自身に言い聞かせてきた。
 しかし、心の最奥で物足りなく思っていた事に、今ハッキリと気付いた。由貴の中の卑屈な心は、八年の歳月の中で、心の奥で押しつぶされ、益々歪んだ感情となって、由貴の心を蝕んでいた。

「お前は何だ」
「ユキは奴隷です!! 奴隷です!! もっと突いてぇええ!! 壊れるまで突いて!!」
 病的なまでに腰を振り、快楽を貪る。
 由貴が絶頂を迎えようとした瞬間、シモツキのペニスが急激に細く長くなった。
「ああああぁ、いやあああ!! 太いのぉ!! 太いの下さい!!」
 しかしシモツキはそれには耳を貸さず、細いペニスのまま悪魔の淫技を駆使し始めた。
 陰核や膣口、膣壁には必要以上に刺激を与えないように、子宮口だけにペニスをコツコツとぶつける。
「う……あ……あ……あ……」
 突かれるたびに、切れ切れに搾り出される吐息のような喘ぎ。
 それは絶頂を迎えるような快感ではないため、絶頂感は引いていく。しかし形容しがたい新しいなにかを生み出していた。自分の内臓を探られているような心細い快楽。自分の内臓を犯されているような惨めな感覚。
「だ……だ……め……それ……」

 子宮口だけを犯される変則セックスに心がみじゃけそうになる。
 由貴がそれに慣れようとすると、再び元のペニスの太さに戻り、花弁を巻き込みながら、膣を満たしたペニスが暴れ狂う。グチュグチュと淫猥な音を立てながら突き上げられると、心は男に征服される悦びに満たされ、体は再び絶頂に向かって駆け上がり始める。
「だめぇえぇ……気持ちイイっ……なんで……なんできもちイイのぉ……」
 絶頂の手前まで来ると、シモツキが由貴の腰をがっちりと押さえる。再びペニスが細くなり、子宮口だけを犯した。
「あ……あ……う……あぁ……」
 絶頂の手前で執拗に繰り返される陵辱。
 それでも体は燃え上がっていき、終には子宮口だけでも快楽を得られるようになってしまった。既に開発され尽くされたと思っていた自分の体から、また新しい性感帯を引きずり出され、由貴の心は完全に陥落した。

 由貴の心は快楽を求め、自らの破滅へと向かって転げ始めた。
「ハァ…ハァ…ぁん。イキそぉ!! いやぁ、ユキはご主人様のものです!! ご主人様だけの物です!! あっ…あん…ご主人様のチンポ、一番気持ちイイから!! くぅう……ご主人様のチンポほしいから!!」

 そして終に絶頂を迎えながら言ってしまった。

「……あぁーん……サキさんより上手だからぁあ!! いやああああ!! イクゥうう!!」
 





第六

(くそっ!! どこへいった、サキさん!)

 康治は焦っていた。
 冴貴の消息が消えてから三週間になるが何の連絡もない。
 最後に冴貴に会った次の日、仕事に出ようとした時、自分の部屋の狭い玄関に、女物の折りたたみ傘が置いてある事に気付いた。冴貴は唯一つ自分の家から持ち出したこの傘をずっと大切にしていた。なぜ置いていったのか? あの日は次の日も雨だったのに。
 
 何処へいった?

 冴貴がそう簡単に危険な目に会うとは思えない。彼女の精神を曲げる能力にかかれば、暴漢でも子供のような物だ。もし冴貴を連れ去る事が出来る人間が居るとすれば、あの二人しか考えられない。もっとも人間ではないのだが。

 不安に駆られ、仕事の合間を見て会社を抜け出し、ここまで来た。コンピューター関係のエンジニアでやや時間に融通が効くのが役に立った。

(来た!)

 康治はとある音楽大学の正門から出ようとしている女性の一団の中に目的の女性を見つけた。取り巻きを連れて歩く亜衣と未夜子である。
 康治は無言でその一団の前に立ち塞がった。

「あら、康治さん! お久しぶりです。今日はお仕事はお休みですか?」
 亜衣が明るい声で話し掛けてくる。
 白の秋物の薄いセーターに亜衣の黒い髪が映えていた。ジーンズのパンツ姿というラフなスタイルなのに、そこはかとなく気品が漂う。耳につけている小さなピアスがキラリと光った。
 隣の未夜子は対照的に茶系統でコーディネートされたカーデガンとスカートでしっとりとした雰囲気を漂わせている。
 男が校門で待ち伏せしているという状況に、一緒にいた娘達から黄色い声があがった。
「きゃー!」「この人だれですか?」「亜衣さんのカレシぃ?」

 康治はその雰囲気に気圧されながらも、亜衣に話し掛ける。
「いや、ちょっと抜けてきた。話がある」
「いいですよ。みんな、ごめんなさい。私と未夜子抜きで先に行っててね」
「えーー」「どーしてですかー」「亜衣さん、あやしいーー」
 亜衣が手を合わせて、周りの娘達に謝ると、学生達は口々に黄色い声を上げながらも、若い女性の集団にしては速やかにいなくなった。
 それでも康治がうんざりするのには十分だった。

「けたたましいだろう。でも、人を集めておくと思わぬ拾い物がみつかる時がある」
 周りに学生がいなくなると、急に亜衣の口調が男の様になった。何時の頃からか『クラブ』のメンバーの前ではそういう言葉遣いをするのが常になっていた。
「康治さん、ご無沙汰してます」
 未夜子が挨拶する。
「コウジ、今日は何のようだ? まぁ、見当はつくが」
 
「冴貴さんを捜している。何処にいるか知らないか?」
「やっぱりそれか。あんな女の事、私が知るわけがない……といいたいが、知っている。サキはマフユと一緒にいる」
 康治の不安が的中した。
「……どうして……どうして、あの人をそっとしておいてやらない!! あの人はずっと苦しんで来た。もう十分だろう!!」
 それを聞いて皮肉っぽく亜衣が口元を歪めた。
「コウジはホントにお人好しだな。まさか、あの女に何をされたか忘れたのか? 忘れちゃいないんだろう?」
 氷のように冷たい視線が康治を射る。

「なぜ、冴貴さんを責める? 悪いのはあの悪魔達だろう?」
「それはそうだ。しかしあの二人は快楽を喰って生きている。トラに向かって肉を食うな、野菜を食えとはいえないだろう?
 同じ人間のクセに、なにも知らない私たちを押し倒し、レイプしたのはあの女だ。処女の女に男の性器をつけてセックスさせるなんて悪趣味そのものじゃないか」
「それは……あの人も仕方なく……」
「いいや。他にも手段はあった。あの女は認めないだろうが、大義名分が出来たから喜んであたし達をレイプしたのさ。そんなの悪魔達の口車に決まってるのに。
 あの女はな、康治、自分の快楽に目が眩んで、何も知らない私達を踏みにじったんだよ。心が捻じ曲がるまでね」

「………」

「勘違いしてもらっては困る。私は別にサキを恨んじゃいない。それに乗せられて私が康治を踏みにじったんだしな。むしろこの世界を教えてくれて感謝している」
「亜衣はまだ冴貴さんのことが好きなのよ。だからイジワルしたくなるのよねー」
「未夜は余計な事はいわなくていい」
「……すみません」
 未夜子はしょんぼりとなり、許しを請うように淫靡な手つきで自分の指を亜衣の指に絡めた。

「丁度いい。コウジも呼ぼうと思っていたんだ。サキに会いたいなら、今日の夜、鏡部屋に来い」
 亜衣が唐突に言った。
「鏡部屋!? 冴貴さんは悪魔の『部屋』にいるのか?」

 鏡部屋というのは『クラブ』の持つ、とあるマンションの一室のことで、巨大な鏡が据え付けられている事から、そう呼ばれていた。
 その部屋は、悪魔が異次元空間の『部屋』を作ったときの出入り口としても使われている。

 悪魔は力を消耗するため、余り『部屋』を作りたがらないと聞いていた。わざわざ『部屋』を作ったということは、冴貴を本格的にどうにかしているということだ。だが、冴貴は既に一度、奴らに蹂躙された身だ。これ以上どうなるというのだろうか? それに、冴貴には自分を守る力がある筈なのに、一体どうなっている?
 急に心臓が激しく鼓動を始める。
 嫌な予感がした。
 8年前のあの日のような……。

 亜衣は康治の質問には答えなかった。
「今夜は私達も行く。コウジは部屋でまってろ」
「冴貴さんに会うの久しぶりね。由貴さんにも会えないかな」
 小さな声で未夜子が言うが、亜衣に無視された。

「康治は仕事に戻った方がいい。サキに会うのを楽しみにな。……もっとも会えないかも知れないが」
 亜衣が微かな冷笑を浮かべた。
「?? どういう意味だ?」
「コウジの知っているサキはもういないかも知れないって事さ。いこう、未夜」
「じゃ、康治さん、後でね」
 二人は康治に背を向けて歩き出した。

「待て!! 冴貴さんに何をしている!!」
「…焦らなくてもいい。夜になれば解る。それより真面目に仕事しろ。うちは売春宿じゃないんだ。無職になったら男も女も紹介しないぞ」
 亜衣は振り向きもせずにそれだけ言うと未夜子と腕を絡めて歩き去った。

 自分も仕事を抜け出してきているので、これ以上、無駄な時間は潰せない。
 不安を抱いたまま、駅に向かって歩き始めた





第七

「どうしたの、コブタちゃん」
「ああ……マフユぅ……変なの……」

 バシーン!!
 鞭が唸る。
「はぐぅんっ」

「ほんとに覚えが悪いコブタねぇ……私の名前を呼び捨てにしてどうすんのよ」
「ごめんなさいマフユさまぁ……でも、変なんです……何もされてないのに気持ちイイのぉ……」

 冴貴は体中を縄で縛られて床に転がされていた。両腕は後ろ手に縛られ、股は開いたまま膝を折り曲げるように固定されている。背中が反るように縄で引っぱられた状態で、股間を突き出す形でうつ伏せに床に放置されていた。

「コブタちゃんは変態だから縛られただけでヌレルんでしょう。 何が変なのよ?」
「変じゃないですか……?」
「変じゃないわよ」
「そうですか。よかった……」

「それより、どう? この縛り方」
 腰から股に通されている縄を少しだけ引っ張る。
「んんぅぅ!! オマンコに結び目があたってますぅ」

 バチーン!!
 無防備に晒された背中に熱い筋が出来る。
「ハグゥっ!!」

「そんなこと訊いてないわよ!! 気持ちいいかってきいてんの!」
「はいっ、いいですっ。気持ちいいです」
 答えながらも結び目が膣口を擦るように不自由な体をくねらせる。
「ほんっとに、バカなんだから。どんだけ叩かれれば気が済むのかしら」
「バカでごめんなさい……あたし、もう難しい事、考えられないんです……」
 それは本当の事だった。なにか考えようとしても鞭で打たれる度に忘れてしまう。いつのまにか、物を憶える事をしなくなってしまった。何度も何度も同じ会話を繰り返していることもいまいち解っていなかった。
「『もう』じゃないでしょう? 貴方は昔からバカだから豚になる事にしたんでしょう」
「はい。あたし、バカだからブタになりました」
「豚は賢い動物だからサキにはもったいないくらいね」
「はい。ブタで幸せです」
 何も考えずにマフユの言葉を受け入れていく。
 そうするとなんともいえない安心感が湧き上がる。
「大分素直になったわね。えらいえらい」
 頭を撫でられると誇らしかった。つい、嬉しくなって腰を振りながらお願いしてしまった。
「ごほうびください! ごほうび!!」

 バチン!!
「あうぅ!!」

「コブタが調子に乗っちゃあダメでしょう! もう、何回おなじこと言わせるのよ」
「ごめんなさい、マフユ様ぁ。でも、オマンコがひくひくするんです。ずっと濡れててとまんないんです」
「コブタちゃんは変態なんだからそれでいいのよ。ずっと濡らしてればいいの」
「でも……でも……」

 バチン!!
「いぎぃい!!」

「『でもぉでもぉ』じゃないでしょう?」
「はいぃ……ああ……お願いです。チンポください……」

「そうね……あと8時間ぐらい我慢したらセックスしてあげる。それまでは縛ったまま、ずっと愛液の垂れ流し。乾いた愛液でブタっぽい匂いになるわよきっと」
「8時間も!! そんなに耐えられません!!」

 ビチィ!!
「んぐぅ!!」

「口ごたえはするなって言ってるでしょう。10時間ね」
 冴貴はもう答えず悲しそうな目でマフユを見上げた。
 マフユがにやりと笑う。
「でも、もしまたお尻を振っちゃうようなことがあれば、鞭で叩かないとねぇ」
 これまで体中の自由を縄で奪われて鞭で打たれていたので、股間は燃えるように熱くなっている。このまま10時間も放置されるのは堪らなかった。
「たたいてぇ! 鞭で思いっきり叩いてください」
 深く考える事なく、マフユに向かって尻を振りはじめた。
 マフユは満足げに冴貴の後ろ側に回り、すこしだけ声を落としていった。
「わかってるの? こんなことしてたらどんどん変態になって、二度と普通の生活には戻れなくなるのよ」
 しかし、冴貴は下半身の動きを止めなかった。
「あたしに戻る場所なんてありません。それより早くぅ…お仕置きしてください」

「うふふ、しょうがないブタね。じゃぁ、思いっきりぶってあげるわね」
 ヒュン!! と鋭い音を立てて鞭が宙を舞う。
 それだけで膣が収縮し、愛液が縄に染み込んでいく。
 冴貴は期待を込めて痛みと快楽が打ち付けられるのを待った。





第八 居場所

 チャッ。
 『鏡の部屋』の鍵は既に開いていた。

「遅かったな、コウジ」

 中に入ると、二人はコーヒーを飲んでいた。3LDKのこの部屋は、このマンションの大家の持ち物だが、亜衣が大家を『クラブ』のメンバーに引き込んで以来、いくつかある拠点の一つになっていた。据え付けの巨大な鏡のほかにも、テーブルやソファ、テレビといった一応の家具は揃っている。

「康治さんもコーヒー飲みますか?」
 未夜子が聞いてくる。
「いや、いい。それよりも冴貴さんはどうなった?」
「そろそろ出てくるはずだ」

 暫く3人で無言で鏡を見ていると、その表面に薄っすらと水面のような波紋が立った。その中心から真っ白な細い腕が現われる。すぐさまそれは黒いレザーのツナギで身を包んだマフユの姿になった。
「あらぁ、皆さんお揃いなのねぇ。あたし達が出てくるのを待っててくれたのかしらぁ」
 振り返って鏡に向かって話し掛ける。
「ほら、こっち来なさいよ」
 最後まで鏡の中に残っていた腕を引っ張ると、もう一人の人影が現われた。

「じゃ〜〜ん、みんな、サキちゃんに会うのは久しぶりでしょう?」
 マフユが得意げに三人の顔を見回した。

 冴貴はマフユの背中に半分隠れるように佇んだまま、少し寂しげな微笑を浮かべながら言った。
「亜衣……未夜……。会いたかった……。二人とも綺麗になったね……」
 その静かな声に康治は鳥肌が立った。

(これが……冴貴さんか……?)

 三人は同じ感想を抱いていた。 
 冴貴が裸でロープに縛られて引き立てられてきてもこれほどの驚きはなかっただろう。冴貴はベージュのブラウスに紺のタイトスカートという姿だった。それが普通の姿であるだけに、冴貴の変貌が凄まじいモノである事が見て取れた。
 冴貴の他人を魅了する肉食獣のようなしなやかさが全くなくなってしまっていた。その代わりに、なんとも無視できない、引き込まれるような弱さを感じさせる。三人とも多様な性的嗜好を持った人間を見てきたが、これほどの色気を発散できる人間を知らなかった。

「フフフ、マフユも面白い事をする」
 亜衣がツカツカと冴貴に歩みよる。身長こそ冴貴に劣るものの、亜衣の堂々とした雰囲気はどちらが立場が上であるかを明確に語っていた。おもむろに顎を掴み、冴貴の伏目がちな目を覗き込む。
「すごいマゾの目だな。冴貴がこんな人間だったとは」

 冴貴は少し振り返ってマフユを見た。マフユが目だけで喋ることを許可をする。

「ずっと亜衣と未夜に会いたかった。ずっと、謝りたかったの……」
 あくまでも控えめな声でそっと喋る。
 亜衣はそれを面白がるように、質問した。
「謝る? 冴貴サンが私に何を謝るの?」
 亜衣の言葉遣いが少し女っぽいものに戻っていた。傍で見ている康治にはそれが故意なのかどうか判断しかねた。あるいは、亜衣本人ですら分っていないのかもしれないと思った。

 冴貴がそれまで伏せていた目線を上げて亜衣を見た。
「私の……全てを……」
 低く静かな声だったが、亜衣にはまるで耳元で囁かれたようにはっきり聞こえた。
 今度は亜衣の腕に鳥肌が立った。
 その全てに隷属する目は亜衣の心を揺さぶり、今すぐに冴貴を支配したい欲望に駆り立てる。しかし、他人によって仕込まれた人間に心を奪われる事は亜衣の『クラブ』の女王としてのプライドが許さなかった。
 なんとか支配欲を押さえて一歩あとずさる。
 その手を未夜子がぎゅっと握った。自分の居場所が脅かされる事に対しての本能的な行動だった。

「どう? サキちゃんが欲しかったら、亜衣に使わせてあげてもいいわよぉ」
 マフユが楽しげにいう。亜衣の支配欲とプライドの葛藤を楽しんでいるようだった。
「康治君でも未夜子ちゃんでもいいわよぉ」

 冴貴が怯えた目をマフユに向けた。
「マフユ様……私はマフユ様のモノです。どうか捨てないで下さい」
「あら、モノが他人に貸されるのを嫌がっちゃいけないわ。心配しなくても貸すだけよ。捨てはしないわ」
 
 康治が亜衣と冴貴の間に割って入った。
「ちょっと待て! サキさん、しっかりしろ!! 何があったのか知らないけど、あんたには帰るべき場所があるだろ!」
 しかし、冴貴は静かに首を振った。
「康治はやさしいね……。でもね、私には人を好きになる資格がないの……だから私を側に置いてもらえるなら、それだけで幸せなの。私は側に誰かいてもらわないと生きていけない人間だから……」

 康治は自分のことを亜衣達とは違うと思っていたが、そんな自分でも、冴貴の潤んだ目で見つめられると、自分の物にしたいという独占欲が湧き出す。
 昼間、亜衣に言われたセリフを思い出した。
『コウジの知っているサキはもういないかも知れない』
 それは当たっていた。冴貴という人間は、もっと強くて溌剌として、それでいて少し脆い女だった。こんな寂しそうで満ち足りた表情を浮かべる人間ではなかった。今のサキはまるで自分の終着駅を見てしまったかのような諦めとも満足ともつかない顔をしている。

 ふと、それは自分の終着駅でもあるのではないかと思った。

「冴貴さん……ほんとに……ほんとにこれしかなかったのか……?」
 冴貴が心なし目を伏せた。
「わからない……わからない……でも私、今、幸せなの……」

「そうか……」
 康治は肩を落とし、振り返ると玄関の方へ向かった。

「あらぁ? 康治君はサキちゃんの味見してかないのぉ? 鞭でもローソクでも浣腸でも、なんでもありよぉ、今のサキは」
 マフユが面白がるように言う。

 康治が振り返って静かに言った。
「『クラブ』も悪魔ももうたくさんだ。二度と関わりたくない……」
「いやーーん、あたし康治クンに嫌われちゃった。サキちゃんのお願いを聞いただけなのにぃ。もぉっ、サキが悪いのよぉ! あとでお仕置きね」

 マフユのおどけた口調を無視して、亜衣が冷静に問い掛けた。
「抜けるつもりか? 出来ると思うか?」
「わからない……でも、こんなのはもう見たくない」
「そうか……もし、抜けられるなら二度と帰ってこなくてもいい……。だが、お前の体は必ず裏切るぞ。女に抱かれたくなったらどうする? 男に抱かれたくなったらどうするんだ?」

「………」

 康治は何も言わずに立ち去りかけたが、部屋を出る手前でふと立ち止まった。
「冴貴さん……由貴さんから連絡があったらなんていえばいい……?」
 少しだけ振り向いてそう尋ねた。

 冴貴が憂いをたたえた目で康治を見た。
「サキは……横山冴貴はもう死んだと……」

「そうか……」
 そう言うと康治は部屋を出た。
 康治が重い鉄製の扉を開けると冷えた秋の夜気が吹き込んできた。





第九 生贄

 その部屋で康治を見送った人間は三人ではなかった。

 全裸で両手両足を椅子に縛り付けられ、猿轡をされた上で、その様子を見ている人間がいた。悪魔の力に邪魔され冴貴も亜衣も未夜子もその姿を見ることが出来ないが、捕らわれた由貴がその部屋に一緒にいた。

(サキさん!! サキさん!!)
 あれほど会いたかった冴貴が目の前にいるのに何も出来ない。涙をボロボロ流しながら必死に見つめる。
 由貴もまた冴貴の変貌に驚いている一人だった。冴貴は常々、自分も責められる方が好きだと言ってはいたが、まさかこれ程とは想像もしていなかった。とても同じ人間とは思えない。
 それでも冴貴は冴貴だった。どんなに変わってもそれが最も大切な人間である事にかわりはない。
「どうだ。愛しの姉の変わり果てた姿は」
 背後に立つシモツキが問いかけた。
 キッとシモツキを睨み付ける由貴だったが、その視線を真っ向から受け止められると、それ以上何もいえなかった。

 唯一、二人の存在を感知しているマフユが、由貴に意味ありげな視線を送った。
「ちょっとしらけちゃったけど、仕方ないわね。例の新人の男の子は連れてきてくれた?」
 マフユが亜衣に訊く。
「ああ、連れてこさせてある。未夜。つれてきて」
 亜衣にそういわれ未夜子が隣の寝室に向かう。程なくして一人の男を連れてきた。

 その男は目から上をすっぽり覆う覆面のような目隠しに、穴の空いたボール上の猿轡を噛まされ、体中を締め付けるような黒いエナメルのボンテージファッションで固められていた。腕は後ろ手に固定され、足は大またで歩けないように短い鎖で繋がれている。ペニスを強調するようにTバック状のパンツに空いた穴から、勃起したペニスが飛び出ていた。首に繋がった犬の首輪から伸びる紐を引かれて、こちらの部屋へとノロノロと入ってきた。
 マフユが軽く押すと、すぐにバランスを崩して地面に倒れてしまった。
 不必要にキョロキョロと顔を動かしているところを見ると、耳栓で聴覚も封鎖されているらしい。

「さぁ、コブタちゃん、アレが今日の貴女の餌よ」
「餌……ですか?」
「そうよぉん。攫われてきたばかりの何も知らない男をコブタちゃんが堕とすのよぉ。手始めに二十回ぐらい連続でイカせてあげましょうね」
 マフユが冴貴の背中をドンと押した。

 サキは躊躇っていた。
 自分がどれだけ痛い目に合わされても構わないが、他人を巻き込む覚悟はまだなかった。透視能力は失われているが、それでもこの男が怯えている事は解る。目隠しで目元が見えないが、若い男だった。年の頃は24〜5歳だろうか。体は少し痩せているがそこそこ筋肉質で、顔も殆ど隠れているものの、その輪郭からそこそこ二枚目であることが伺える。
 そんな男が無残に、衣類としての役目を放棄した黒いエナメルの拘束衣を着けられ、怯えきった表情で、塞がれた目と耳で何とか周りの状況を探ろうとする姿が、なんとも憐れみを誘う。

「ほら、服を脱ぎなさい、雌ブタちゃん」
 雌ブタと呼ばれると、冴貴は急に素直に洋服を脱ぎ始めた。何十本という紅い痣の走った体が露になる。その痛々しい姿を由貴は食い入るように見つめていた。
「なによ!? コブタちゃん、もう濡らしてるじゃない!!」
 ビクッと冴貴が体を震わせる。鞭で打たれてもいいように体をこわばらせた。
「上出来よぉ。エッチなブタちゃんになってくれてうれしいわぁ」
 マフユが上機嫌で冴貴を抱き寄せ、ペットにするように撫でまわした。
 冴貴は気まぐれな飼い主に誉められ、幸福そうな表情を浮かべた。

(気に入らないな……)
 ソファに腰掛け、隣に座った未夜子の体を撫でながら、亜衣は思っていた。
 マフユの言う事を素直に聞く冴貴も、自分が観客としてここに居る事も、何もかもが気に入らない。
(それに、この男はなんなんだ?)
 『クラブ』が殆ど誘拐まがいに人を連れてくることはそれ程珍しい事ではないが、被害者は常に本人の手に余る鬱屈した性癖を抱えた人間だけだった。
 自分もそういう人間だった亜衣は、かつて冴貴によって与えられた解放感を他人にも与えたくて『クラブ』の原型を作った。その点に置いては一点の後悔も反省もない。
 そういった性癖を負ってしまった人間は、『クラブ』に入ろうが入るまいがどのみちその運命からは逃れられないのだと信じていた。
 亜衣が手にかけた人間で、被虐性を無理矢理引き出されたのは康治と未夜子だけの筈だった。

 しかし目の前に拘束されているマフユに指示され連れてきた男は、亜衣の長年の勘が自分達とは違うと告げている。この男は普通の人生を送っていける人間ではないのか?

『どういうつもり!! どうして普通の人を巻き込むの!! あたし達は悪魔じゃないのよ!!』
 ふと、3年前の冴貴との辛辣な言葉の応酬を思い出した。
 冴貴は、亜衣が冴貴に内緒で悪魔達に自分と同じ性癖を持つ人間を見つけださせ、悪魔に習った性戯の手ほどきを始めたのを激しく非難した。
 冴貴にしてみれば、自分が悪魔達に期待されていたことを亜衣が始めたのは、辛かったに違いない。折角、由貴のお陰で普通の人としての人生を送っていた冴貴にとって、それは忘れたい傷口をえぐるような行為だっただろうと頭では理解していた。しかしそれでも自分は次々と他人を巻き込んでいかずにはいれなかった。

 答えが欲しかった。

 なぜ自分はこんな人間なのか。
 未夜子の事を一番大切にしたいと思っているのに、どうして、ただ抱きしめているだけでいられないのか、どうして相手を攻撃し、自分の身勝手な命令を受け入れさせなければ満足できないのか、その答えが欲しかった。
 自分だけがこんな異常者なのか、他の人間でもそうなのか。
 自分が未夜子を大切にしているという気持は偽物ではないのか。自分の異常な欲求を満たすために利用しているのではないか。
 そうでないと思いたかった。たとえ他人からは理解されない関係でも、未夜子と心を通わせているのだと思いたかった。
 それを確かめたかった。
 自分と同じような性癖を抱えた人間が、自分と同じように心を丸裸にされた時、どういう人間関係を築くようになるのか、試さずにはいられなかった。
 まだ19歳だった亜衣は、自分と同じ苦しみを分かち合える『仲間』を絶望的に欲していた。

 冴貴は覚えているだろうか? 二人の亀裂を決定的にした言葉を。
『どうして他人を巻き込まないといけないの! 亜衣はあたしや由貴とは違う! 亜衣は普通の人間じゃないか!』
 そう言われた時、頭から冷水を浴びせかけられた気分だった。
 ずっと『仲間』だと思っていた。冴貴みたいに異能力を持っているわけでも、由貴みたいに悪魔に作られたわけでもないが、自分もまた普通の人間関係では満足できない『変種』だと思っていた。しかし、冴貴にとっては自分は『仲間』ではない、『普通の人間』に過ぎなかったのだと言われた気がした。
 あの時、自分の心の中に渦巻いた怒りの叫びを忘れることが出来ない。
(普通の人間なら……普通の人間なら……私が『普通の人間』だったのなら……誰が私をこんな風にした!!)
 その時、初めて冴貴に敵意を抱いた。

 今ならわかる。
 自分は嘘でもいいからいって欲しかった。
『あたしたちは仲間じゃないの』と。
『仲間同士、たとえ普通じゃなくてもちゃんと心が通じ合っているじゃないか』と。
『だから貴女はひとりぼっちじゃないのよ』と。


「んふっ……あいぃ……どうしたのぉ……怖い顔してぇ……」
 服の上から胸を揉まれている未夜子が、亜衣の頬に軽くキスをしながら話し掛けてきた。
「うるさい!!」
 考え事を中断され、苛立たしげに未夜子を突き飛ばす。
「ごめんなさい……」
 酷く悲しそうな目でこちらをみる未夜子を見て、亜衣の心の中の奥底の部分が痛んだ。
(ちっ、気に入らない!)
 目を移すと、冴貴が全裸で棒立ちになっているところだった。

「どうしたのコブタちゃん? 早く始めなさい」
 マフユが命令するが冴貴は立ちすくんだままだった。
「……できません……マフユ様」
 冴貴が振り返った。
「できません! 私はどんなお仕置きでも受けますから、関係ない人は巻き込まないで下さい! お願いします!!」

 マフユがニッコリと優しい笑みを浮かべた。 
「まぁ、えらいわ、コブタちゃん。ちゃんと他人の事も考えてあげられるなんて立派よ。コブタちゃんがいつまでも優しいコで飼い主としても嬉しいわぁ」
 冴貴の頭を優しく撫でる。予想外に誉められたうえに、2回も頭を撫でられ、冴貴は嬉しくてマフユに擦り寄った。あくまでも優しい口調のままマフユがこう続けた。
「こんなに立派なブタになったんだから、もうお仕置きはいらないわね。また、街で放し飼いにしてあげるわね」
 そして、再びニッコリと冴貴に微笑みかけた。

 次の瞬間の冴貴の表情の劇的な変化に、亜衣と未夜子は息を呑んだ。
 時空の薄壁を隔てた由貴も同じだった。
 冴貴はくしゃくしゃに顔を歪めたかと思うとワンワンと泣き始めた。
「いやですぅ!! 街はいやぁ!! マフユ様の側にいたいの!! マフユ様の側にいさせてぇ!! 街はいやなのぉ! 寂しいのはもういやぁああ」

 その様子をみて由貴は愕然とした。
 そのセリフで冴貴が失踪中、どんな生活をしていたかは明白だった。由貴の脳裏に孤独に街を彷徨う冴貴の姿が思い浮かぶ。明るく物怖じしない冴貴の周りには常に友人が集まってきた。冴貴は生まれながらにリーダーシップを発揮できる人間だった。そんな冴貴が堪えられないほどの孤独を味わいながら夜の街を歩いていたのかと思うと胸が締め付けられた。

 泣きじゃくる冴貴を、まるでペットにするように両手で撫でながらマフユが言い聞かせるように言う。
「でもね、コブタちゃん、わたしも良いコに罰はあげられないわ」
「あたしは悪いコです。悪いコなのぉ」
 そういうと冴貴は床に倒れている男のペニスに飛びつき口に含んだ。
 突然、敏感な部分を咥えられた男は何が起こったのか解らず、身をよじって逃げようとするが冴貴に満身の力で押さえ込まれていた。何百人と男を咥えてきた舌技でペニスを刺激され、口にはめ込まれたプラスチックのボールの穴からうめき声が漏れ始めた。

「ははひはへひふがふきなわふひめふぶはでふ」
 冴貴がペニスを口に収めながら喋ろうとする。
 ガッ!
 激しい衝撃がサキの体を貫いた。
「人の大事なモノを口に咥えて喋るなんて、とんだ無作法な雌ブタね。やっぱりまだまだ躾がたりないのかしら」
 冴貴の腰の辺りを思いっきり踏み着け、ギリギリと踏みにじる。冴貴は激しく頷きながら、それが嬉しいかのように腰を振って見せた。
「飼い主に向かってお尻を振るなっていってるでしょう!!」
 ペニスを咥える顔を後ろから手で思いっきり押さえ付ける。
「ぐぐぅぐっぅぅ……ぐむぐぅ……」
 喉の奥まで突き刺さったペニスが苦しくて、冴貴が苦悶の表情を浮かべる。しかし、その中に恍惚とした表情があるのが見て取れた。

 喉の奥まで使ってペニスを刺激された男が堪らず射精する。
「ゴホッ、ゴホッ!!」
 さすがに冴貴が咳き込むとマフユが手を放した。冴貴は鼻から男の精液を垂らしながら、それでもペニスを放さなかった。
 
(ああぁぁ、冴貴さん!!)
 由貴はほんの一メートル程しか離れていないところで、足で踏まれ恍惚と男にすがりつく冴貴を見ている。悲しみなのか悔しさなのか怒りなのか区別できない感情が胸に込み上げる。口に咥えさせられた猿轡を千切ろうとばかりに歯をくいしばった。
「どうした、ユキ。ヌレているぞ」
 シモツキに指摘されるまでもなく、女性器が壊れた蛇口のように愛液を垂らしているのは解っていた。由貴は理解し始めていた。自分は最も大切な物を壊されるときに性的に興奮を覚える人間に作られていた。
 初めて性的に興奮させられたのは、男の体を奪われた時だった。
 男の誇りを破壊された時もセックスにのめり込んだ。亜衣と二人きりにされたときも冴貴を裏切りながら奉仕する事に快感を覚えていた。
 八年前、悪魔の前で冴貴とキスさせられ、自分の手で冴貴をイカせた時の、自分の手で自分の最も大事な人を貶めた時の興奮は、未だに人生で最大のモノだった。今、自分の愛した冴貴が、もういない事実を突きつけられて体は熱く燃え上がっていた。
 そんな自分を今更ながらに呪っていた。

「お前には最高の状態で舞台に上がってもらわなくてわな」
 そう言うとシモツキが縛られた由貴の左側に立ち、耳を舐め始めた。
(アン……アァン……そこ……だめ……)
 ズズズズ。
 舌が耳の穴に入ってくる。それも人間ではありえない長さと細さで、鼓膜まで届いていた。舌が耳道をなぞり、鼓膜を這い回る。
 ゾゾゾゾ、ズズズズ。
 直接、脳をかき回されているような感覚に、縛られた体が小刻みに震える。
『体中の穴を一つずつ犯してやろう』
 頭の中に直接、声が響いた。

 冴貴と由貴。
 仮初めの姉妹に対する最後の陵辱はこうして幕を開けた。
 これから陵辱されようとしているのは体でも心でもない。
 二人の人生そのものだった。





第十 破滅

 亜衣ですら怯えていた。
 それ程、冴貴の行為は異常だった。

 冴貴は飽きるという事を知らないかのように、執拗に男を責めた。男が射精すれば精液を自分に顔に塗りつけ、小便をすれば自分の体に塗りつける。もしどちらかが大便をしていたとすればそれすら塗りつけていただろう。
 恍惚とした表情で自分の体を舐め、そしてまた男の体を舐める。男のペニスを口に咥え、秘所に咥え、肛門に咥え込んだ。マフユに股間を男に変えられると、男がくぐもった悲鳴をあげるのも構わず、肛門にペニスを捻じ込み腰を振りたてた。
 その内、男は声を上げて悶え始めた。冴貴の行為は巧みで執拗だった。無理矢理に性感を掘り起こされた男は息も絶え絶えにうめき声とも喘ぎ声ともつかない声をあげていた。
 マフユはずっと椅子に座っているだけだった。
 ただ冴貴が手を止めた時だけ『思いやりがある』と誉めた。
 それだけで、冴貴はすぐに男の体に纏わりつき、偏執的な行為を繰り返しすのだった。

 時折、マフユになじられると冴貴は甘えた声を出し、蹴られる度に足にすがりついた。
 そして、幸せ一杯に微笑んだ。

 男は既にだらりと床に寝そべったままで、聞こえていたよがり声もとっくの前に途絶えている。ピクンと体を震わせることはあるものの、意識があるのかどうかも解らない。ペニスもぐったりしていたが、冴貴はそれを一向に気にする気配もなく、男を舐めつづけていた。

 未夜子はギュッと亜衣の腕を掴んだまま、恐い物でも見るかのように、体を小さくしている。亜衣も恐ろしかった。
 冴貴の姿はさながら死体を貪る屍食鬼のようだった。

 ふと冴貴と目が合った。
 口の端から垂れた精液と、ぼさぼさになって纏わりついている冴貴のセミロングの髪が、なんともいえない凄みを出している。
 その冴貴が不思議そうに言った。
「……どうして泣いてるの……?」

 ハッと自分の頬に触れると、指先が濡れた。
 亜衣は未夜子が正しかった事に気付かされた。
 自分は冴貴の事が好きだった。好きだったからこそ処女を捧げた。ずっと憧れていたからこそ、自分も同じになりたかった。しかしどれほど悪魔に淫技を習っても同じモノにはなれなかった。他人を支配しても同じ高みには立てなかった。冴貴の天性の凛々しさと優しさは他人に真似できる物ではなかった。
 冴貴は自分の孤独に気づいてはくれなかったが、自分もまた、冴貴の由貴と一緒にいてすら捨てることの出来なかった孤独を理解していなかった。
 あの時は自分の気持ちに手一杯で、冴貴の優しさがこんな結末に向かっていたなんて思いもしなかった。

 何も言わない亜衣に興味を失ったのか、冴貴は男の腕を取って舌を這わせていた。

 背中を丸めて男に舌を這わせるサキの後姿。女性器も肛門も丸見えになっているのにそれを気にする風は全くない。そこに往年の溌剌とした冴貴の面影はなかった。
 望まぬ能力を背負わされ、快楽に心を冒されながらも、必死に人間らしく生きようとしている冴貴を密かに尊敬していた。
 悲しかった。
 自分が好きだった凛々しい冴貴は、もういないのだと思うと悲しかった。
 ギュッと未夜子がすがり付いてくる。未夜子もポロポロ涙を流しているところをみると同じ気持ちなのだろう。未夜子の手を握り締め、呆然と冴貴を見ていることしか出来なかった。
 今日ここへ来たのは、変わり果てた冴貴を見て、笑ってやるつもりだったからだ。笑い飛ばしてなじってやるつもりだった。しかし、もともとそんなことは出来はしなかったのだと惨めな気分で悟っていた。

 考え事を終えても冴貴は未だに男の右腕を舐めている。
 ふと怪訝におもって覗き込んだ。
 そこには筋状に肉が盛り上がっているところがあり、その舌触りが良いのかそれに沿ってずっと舐めているようだった。
 きっと、この男の一生傷か何かなのだろう。

(一生傷……?)
 トクン……トクン……。
 心臓の音がやけに大きく聞こえ始める。

 遥か昔の会話が突然思い浮かんだ。
『私ね、たまに思うんです。本当はあちらの方が偽者なんじゃないかって』
(白い部屋……。あの白い部屋で聞いた……)
『そんな時ね、つい自分の右腕を見ちゃうんです。本当は自分にあの傷があるんじゃないのかって……』
(そんな……そんな……)
『でもね、やっぱり何もないの。窓から落ちるときのフワッとした感じも、植木が突き刺さった時の痛みも、こんなにハッキリ覚えているのに……。そんな時にね、胸が苦しくなると、冴貴さんが何処からともなく飛んできて思いっきり抱きしめてくれるの』
 小学校三年生のときに二階の窓から落ちて出来た一生傷……
 余りに残酷な想像に身の毛がよだった。

「あぁっ…あん…あん…ご主人様のチンポすごいィ……気持ちイイぃ……」
「!?」
 突然、由貴の嬌声が聞こえて亜衣は慌てて部屋を見回す。確かに何もなかった空間に忽然とシモツキと由貴が現われていた。
 由貴は立ったままシモツキに後ろから肛門を貫かれていた。かなり長い間そうしているのか由貴の内股を伝って、精液だか愛液だかわからない液体がフローリングの床を濡らしている。

 亜衣は咄嗟に考えを巡らせた。
(ずっとココにいたのか!?)
 マフユが何もない空間に向かってチラチラと視線を送っていたのを思い出す。
 冴貴、男、由貴を見回しハッとする。
(まさか!! これが目的で?!!)

 目の前の手を伸ばせば触れられるほど近くの光景を、冴貴が男の側にへたり込みながら、呆然と眺めていた。
「あは……はは……こんなの嘘だよ……ユキは……幸せになるんだから……こんなところにいるはずないよ……」

「あら、本物のユキよぉ。ユキちゃんは今が幸せなのよねぇ」
 何時の間にか由貴の側に立ったマフユが由貴の髪を撫でた。
「ハ……ハイ、ユキは今が幸せです……ぁ……あぁ……イイっ……」
 そのやりとりに冴貴は愕然とした。悪魔がユキを本物だと口に出した以上それは事実に違いなかった。
「これが欲しいんでしょう」
 そう言うと由貴の目の前に金属の輪を差し出す。
「首輪ぁ! ホシイぃ……首輪ホシくてサキさん、探してた……つけて……早く着けてぇ……」
 冴貴の目の前だというのに、由貴は気にせず自分で秘所を弄っていた。グチュグチュという卑猥な音に由貴の嬌声が重なる。
「サキさんだけ気持ちイイの独り占めなんてズルイんだからぁ……ご主人様のチンポはユキのものなのにぃ……」

(まずい!!)
 亜衣が咄嗟にソファから立ち上がろうとする。
 由貴が冴貴の前で痴態を晒し、冴貴を責めるというのは危険な兆候だった。
 由貴はこの男が誰なのか知ったのだ。その事実に堪えきれなかったに違いない。
 しかしその瞬間、由貴の背後にいるシモツキと目が合った。
 暗黒の瞳に射すくめられ、体が動かなくなる。
 亜衣は自分の軽率さを呪った。由貴の存在が隠されていた時点で、この部屋が既に人間界から切り離されたところにあることに気付くべきだった。今、この部屋では悪魔も人間に対しても自由に能力が使えるのだ。

「……ユキは……立派な医者になって……たくさん人を助けて……それでお医者さんとケッコンして……幸せな家庭をつくって……。父さんと母さんを老後を世話して……静かに見送ってくれるの……あたしの替わりに……あたしの替わりに幸せに……」
 誰にともなく呟く冴貴の頬を一筋の涙が流れ落ちる。
 
 しかし、それを打ち砕くかのように冷たいシモツキの声がした。
「言え、ユキ」
 背後から抱かれながらシモツキに命令され、気だるそうにユキが口を開く。
「ひ…へへ……サキさぁん……そこにいる男の人、誰かわかるぅ?」

 由貴の声に冴貴がピクリと反応し、ノロノロと自分の側にいる男に目を落とした。

 亜衣はこの悲劇が何処へ向かっているのかハッキリ見えた。
 声を出さなければと必死で喉元に力を入れるが掠れた吐息が漏れるだけだった。

「その男ねぇ……」

(やめてぇぇぇぇ!!!!)
 亜衣が心の中で叫んだ。

「……はたやまゆういちなのぉ……」





第十一

 亜衣と未夜子は無言でテーブルに向かい合って座っていた。

 マフユ、シモツキ、冴貴、由貴、そして畑山優一が鏡の中へと去っていった後、もう一時間もこうやって沈黙している。
 思い出すだけでも恐ろしい光景だった。

『……あたし……ゆういちくん…こわしちゃった……』
 それが冴貴の最後に発した言葉だった。その後、再び意識のない優一に圧し掛かり、勃起していないペニスを自分の膣に入れようとし始めた。なかなか上手く入らず、入ってもすぐに抜けてしまうのに、何度もそれを繰り返した。由貴はそんな冴貴には構わず、大声でシモツキのペニスを誉めたたえながセックスにふけっていた。

 かつての冴貴と由貴を知っているだけに、空恐ろしい光景だった。もし、あの悪魔達が地獄から来たのだとしても、これ程は酷いところではないだろう。

 亜衣はたとえ様のない無力感を感じていた。
 マフユとシモツキは冴貴の不老に気付いた時からこの日をずっと計画していたのだろう。全ての事柄が完全に計画されていた。それなのに自分は全く気付かなかったばかりか、畑山優一を連れてくるという重大な役割を担わされていた。亜衣は優一を見たことはなかったし、畑山という苗字である事も知らなかったので、仕方なかったといえる。
(いや、ちがう!!)
 自分もまた嵌められたのだ。
 『クラブ』が人を誘拐する事をなんとも思わなくなっていたが、最初の頃はそこまで非人道的ではなかった。ヤツラに上手く誘導されて、何時の間にか疑問に思うことなくそんな事を命令できるようになってしまっていた。
 『クラブ』とは人間に直接干渉する事ができない悪魔達の手足だったのだ。

 もうどうしようもない。
 冴貴はヤツラの快楽を集める道具としてこのまま連れて行かれ、由貴は色情狂のまま一人で人間界に放り出されるのだろう。
 悪魔に習った性戯や催眠術でいっぱしの女王様気取りをしていた自分が虚しい。そんなものは人の心を覗き、捻じ曲げられる悪魔達にとっては子供だましに等しかった。
 人の心が読める存在に、人間が挑む事は明らかに無謀だった。

 今思えば、由貴の個性である献身的な心は、自分の分身である畑山優一が普通に暮らしているという事を拠り所にしていたのだと解る。もう一人の自分が幸せでいるからこそ、あれほどの自己犠牲の心を発揮できたのだろう。そしてそんな由貴を幸せにすることが、冴貴が人間性を保つ拠り所であったに違いない。
 畑山優一を冴貴の手で破滅させる事で、二人の精神は土台から崩れ落ち、狂気寸前の所まで追い込まれたことは容易に推測できた。
 いくら冴貴たちも自己保身のために他人を陥れてきたとはいえ、人生を根本から陵辱される程の罰に見合う罪を犯したとは思えない。それを言うなら、どんな罪人でも、あれほどの仕打ちに相応しいとは思えなかった。

 それに畑山優一。冴貴の話を聞き、由貴をみていると、その男が心優しく善良な男であった事が伺える。妹を失い、母親を支えてやっと医者としての将来を掴みかけた彼が、突然なにもかもを失ってしまった。あの様子では解放されたとしても二度と元の人間には戻れないだろう。
 何もかもが酷すぎる。
 そして、それに手を貸した自分が許せなかった。

 不意に未夜子がそっと亜衣の手を握った。

「未夜……ちゃん……」
 未夜子を見る表情は二人がまだ親友だった頃の、少女らしい物だった。支配者としての仮面は剥がれ落ちていた。未夜子が深刻な顔で言った。
「亜衣の考えてる事……わかるよ……」

 亜衣はハッとした。
 確かに一つだけ亜衣には思うところがあった。悪魔達につけいる唯一の弱み。
 しかしそれは弱みと呼ぶには余りにも些細な事で、それに挑むのが絶望的な挑戦である事に変わりはなかった。

「亜衣はやっぱり隠し事するのが下手ね……三十路になってもきっとだめよ……ね」
 未夜子が少しだけ唇の端を上げた。亜衣もそれをみて悲しげに微笑む。
「未夜ちゃんだけだよ……そんなに、私のことがわかるのは……」

 少し間を置いて亜衣はきっぱりといった。

「私、やっぱり冴貴さんたちをこのままにはしておけない。未夜ちゃ……」
 そこで未夜が人差し指を唇に当てて、それ以上言わなくていいというジェスチャーをした。
「亜衣……わたしも一緒に行くよ……」

「それはダメ! 失敗したら自分があんな風に……冴貴さんやユキみたいになるんだよ」
「わたし……亜衣と一緒なら怖くないよ……それにわたしのことが必要なんでしょう?」

 反論しようとして亜衣が口を開いたが、言葉が出なかった。
 未夜子に命令することはできても、説得できた事はやはり今まで一度もなかった。

「うん……それに、もう一人……」
「康治さんにはわたしから連絡しようか?」

「いや……いい……私が連絡する。未夜ちゃんは今日は家族と過ごして。
 ……もう、会えなくなるかも知れないから………」
 後半は殆ど聞こえないほど掠れた声だった。
 それでも未夜子は亜衣の言葉を理解していた。
「そうだね。今日はもう帰るね。早く帰らないと父さんも母さんも寝ちゃうから」
 そう言って立ち上がった。

 亜衣も立ち上がり鞄をもって、一緒に部屋を出た。

 二人で一ヵ月後に迫った学校の文化祭に何をしようかと話をしながら駅へ向かって歩いた。下らない冗談を言いながら二人で歩いていると、まるで何も知らなかった中学生の頃に戻ったかのようだった。

 改札で未夜子と分かれプラットホームに上る。
 反対側のプラットホームで未夜子がこちらを見て小さく手を振っていた。

 逆方向の電車が来て未夜子がいなくなった後、夜空を見上げた。
 薄紅色に光る狭い都会の夜空に、秋の満月がひときわ大きく輝いていた。

(明日も無事にこの夜空を見れるのか……?)

 不思議と落ち着いた心で亜衣はそんな事を考えていた。





第十二 前夜

「もしもし?」
「あっ、母さん? わたし。亜衣だけど。夜遅くにごめんね」
「あら、亜衣ちゃん? どうしたの貴女から電話してくるなんて珍しいわね。仕送りたりない?」
「ううん、そんなことないよ。……ただ、母さんの声が聞きたくて……」
「益々、珍しいわね。でも嬉しいわ。………何か辛い事でもあったの?」
「ううん、そんなんじゃないの。ただのきまぐれよ。それより、どう? 九州は?」
「やっと引越し荷物が片付いたところ。まぁ、引越しは慣れてるからいいけどね。でもいろんな所に住めるという点ではお父さんの転勤にも感謝しないと。こっちは暖かいし食べ物もおいしいし快適、快適」

 それから、暫くは引っ越したばかりの九州の話を聞いた。
 新居の様子や美味しい豆腐屋を見つけたとか、たわいもない話をずっとしていた。

「……そこのね、明太子は九州一なんですって。今度、送ってあげるわね」
「明太子なんて送ってもらっても一人じゃ食べきれないよ。未夜ちゃんに明太スパゲティの作り方も教えてもらわないとダメかな」
「ふふふ、一人暮らしで亜衣が料理してるなんて未だに信じられないわ。
 あら、もうこんな時間? 明日、お父さん早いのよ、もう寝ないと」
「そうだね、ごめんね。夜遅くに電話して」

 ふと、母親の声があらたまった。
「ねぇ、亜衣ちゃん」
「なに?」
「本当に辛い事があったら、何時でもこっちに来ていいのよ」
「ホントにそんなんじゃないよ……でも」

 そこで亜衣は息を吸った。そうしなければ自分が泣いているのが声に出てしまいそうだった。

「次の連休に一度見に行ってあげてもいいかな」
「本当? 父さんも喜ぶわ。飛行機のチケット、送るわね」
「いいよ、自分で買うよ。子供じゃないんだからさ」
「母さんから見たらまだまだ子供よ。じゃ、切るわね」
「ねぇ……母さん……」
「何?」
「母さん、大好きだよ」
 明るく言おうとしたが、声が震えないようにするのが精一杯だった。
「あたしもよ、亜衣ちゃん。絶対、遊びに来てね」

 ツーツーツー。
 亜衣は受話器を胸に抱いて、ジッと闇を見つめていた。





第十三 カード

 次の日の昼、亜衣と未夜子と康治は再び鏡部屋に集まっていた。

「あら、康治クンも来てくれたのね。あたし達に何か用かしら?」
 突然の声に、鏡の方を見ると、鏡の側にマフユとシモツキが立っていた。

「冴貴さんたちは?!」
 未夜子が訊く。
「あの子達なら『部屋』の中にいるわよぉ。トイレも行かずにセックスばっかりしてるから、もうお掃除が大変で、困っちゃうのよぉ」

「何の用だ。我々にはもうお前達に用はない。用がないなら帰るぞ」
 シモツキが冷たく言い放った。

 そこで亜衣はゆっくり深呼吸して心を落ち着けると一人だけ丸テーブルの側にある椅子に腰掛けた。未夜子と康治は立ったままだ。

 亜衣が噛み締めるように言った。
「欲しい物があるの」
 その堂々とした態度に、側にいた康治までが驚いた。

 鏡の中へ去りかけていた悪魔達も少し興味を惹かれたように振り返った。
「言ってみろ」

「冴貴と由貴、それに優一の3人が欲しい」
 そういって、テーブルの上に封印されたままのトランプと、年代物のアンティークなナイフを置いた。
「私達3人と冴貴たち3人を賭けてポーカーで勝負しましょう」

 ピクリとシモツキの表情が動いた。マフユは満面の笑みを浮かべている。
 亜衣の思惑はここにあった。悪魔達は『ゲーム』という言葉をよく使う。
 彼らは永遠の時を生きることに常に飽いていた。快楽が彼らにとって食料なら、それに至る相手を陥れる過程は彼らにとっては娯楽としてのゲームであり、彼らの生き甲斐だった。
 快楽を吸い上げる以外に彼らが興味を示すのは人間との駆け引きしかなかった。

「クックック、面白い。たかだか20年しか生きていない人間が数百年を生きる俺に勝負を挑むというのか?」
 シモツキが冷たい笑みを浮かべる。しかし亜衣は普段は表情の乏しいシモツキが笑みを浮かべた事に確かな手ごたえを感じていた。

「まさか、悪魔が人間に挑まれた勝負を拒むなんて事はないんでしょう?」
 亜衣が畳み掛けるように挑発する。
「自分を賭けるといったがどういうつもりだ?」
「プライドの高い人間が堕ちる時のほうが、質のいい快楽が得られるって聞いてるわ。十四歳の頃から八年も『女王様』をしている女はいい獲物じゃないの?」

「いやぁ〜ん、亜衣ちゃん、上手いわねぇ。シモツキはギャンブル好きだからそんなこと言ったらイチコロよぉ」
 そういうマフユも成り行きを楽しんでいるようだった。

「おもしろい。そこまでの覚悟があるなら勝負してやってもいいだろう」
「その前にどんな『能力』もイカサマも使わないと誓って」
「約束しよう」
「マフユも」
「いいわよぉ。能力を使ってイカサマしてもつまんないものぉ」
「あなた達が負けたら私たちの前から消えてもらうわよ」
「いいだろう」「了解よぉ」

「だが、我々にも条件がある」
 シモツキが言った。
 亜衣がピクリと眉を動かした。だが、表情の変化はそれだけだった。
「言ってみて」
「まずは我々の『部屋』で勝負する事。人間界では土壇場でお前達が『触れるな』というだけで、チップを回収する術がなくなるからな。そして、チップは勝負毎に清算すること。これが俺の条件だ。嫌なら勝負はなしだ」

「いいわ」
 早速、人間をチップ扱いしプレッシャーをかけてくる。しかもそれを勝負毎に清算するというのが気になったが、選択の余地はなかった。

「では場所を移そう」
 シモツキがそう言った途端、部屋の様子ががらりと変わった。小さな丸テーブルとその上にのったトランプとナイフ、亜衣の座る椅子。そして当事者達を残して、殺風景な灰色い部屋へと変化した。
 それと同時に、全員の衣服もなくなっていた。

「なっ……!?」

「この部屋では全裸が正装なのでね」
 横にいる未夜子は咄嗟に胸を隠したが、亜衣は堂々と椅子に座ったままだった。

「あれぇ!? あいだぁ。わぁ……きれい……」
 冴貴の声が聞こえた。
 確かに亜衣の裸体は美しかった。冴貴が数年ぶりに見る亜衣の体は、乳房こそ、それ程の大きさでない物のプロポーションは完璧だった。亜衣は『クラブ』の女王としての体を保つためにいかなる努力もしてきた。小柄な体に水泳選手並みのしなやかな筋肉が蓄えられている。

「ハグ……なにいってるのぉ、サキさん。早くしないと食べちゃうよぉ」
 部屋の隅で全裸の冴貴と由貴が全裸で這いつくばって、一つのさらに盛られたドロッとした得体の知れないものを直接口をつけて食べている。亜衣は二人が昨晩よりは少しだけ正気が戻っているのを見て、ホッとした。完全に発狂してしまうと単調な感情しか生まなくなるので、悪魔が手加減したのだろう。それでも、どこか気の抜けた夢遊病者のような奇妙な表情を浮かべている。
 その横で、頭ごとすっぽり覆う目隠しをされた優一が壁にもたれていた。かろうじで呼吸している様子が見え、生きている事がわかった。
「行儀の悪いペット達で悪いわねぇ」

 亜衣はマフユを無視してトランプの封印をナイフの先で切る。
「ディーラーは誰がする?」
 そう言ってさっとカードを取り出し扇形に広げ、確認し終えた後に、手早く二枚のジョーカーの内の一枚を抜き出した。秘密クラブのリーダーとして街の裏社会とも繋がっているうちに覚えた、カード捌きだった。
「マフユでいいだろう。イカサマはしないと『約束』したのだから」
 悪魔は口約束でも決して破れない。その点においてだけは亜衣も信用していた。
「いいわ」

「世紀の大勝負のディーラーなんて光栄だわぁ〜〜。どっちも頑張ってねぇ〜ん」
 そう言ってカードを取ると、目にもとまらぬスピードでシャッフルし亜衣にカットさせた。
 側で見ていた康治はその手練のカード捌きに不安を掻き立てられた。この二人は暇つぶしにギャンブルも極めてきたに違いない。時にはこうやって人の人生を賭けた勝負をしてきているのだろう。
(勝てるのか……亜衣?)
 亜衣が負けた時の自分の役割に思いを巡らせゾッとする。
 早くもココに来た事を後悔しかけている自分を叱咤した。自分は堅実すぎてギャンブルには向いていないのが情けない。亜衣に全てを賭けるしかなかった。
(くそっ……俺が弱気になってどうする。勝てよ、亜衣)

 康治の見ている前でマフユが流れるような手際で技で手札を配り終えた。

「では、ゲームを始めようか」

 シモツキの冷徹な声が宣言した。





第十四 ポーカーフェイス

 最初の手札はJ(ジャック)二枚とA(エース)一枚、それに10と3が一枚ずつだった。亜衣は静かに10と3をその場に伏せると、マフユが新しいカードを二枚よこした。Aと6が来てJとAのツーペアとなった。

 シモツキも二枚交換した。
「優一を賭けよう」
 亜衣は未夜子の方へ視線を向ける。未夜子は目だけで頷いた。
「未夜子を賭ける」

「最初から飛ばすと面白くないだろう。コールだ」
「いいわ」
 そう言うと二人は同時にカードをオープンした。
 シモツキはK(キング)のワンペア。
 康治は安堵の溜息をついた。

「ちょっとぉ、シモツキ弱いわよぉ。ブタちゃんたち取られちゃったら八年間の苦労が水の泡なんだからちゃんとしなさいよぉ」
 そう言いながらマフユは再び手練の技でシャッフルし、カードを配った。

 スートはバラバラで8、8、3、6、10という組み合わせだった。3、6、10の三枚を伏せると三枚補充される。8、2、9と来た。8のスリーカードだが、亜衣は眉毛一本も動かさなかった。
 シモツキは一枚交換している。

(どうなってるんだ?)
 康治も未夜子も自分達の表情からカードがばれるのを恐れて、亜衣のカードを見ていない。全く表情を変えない亜衣を見て康治はハラハラする。

「ユキを賭けよう」
「優一を賭けるわ」

「レイズだ。ユキに加え、冴貴も賭ける」
 シモツキはあっさりと全ての手持ちを賭けたきた。

 ピクっと亜衣の目元が一瞬動く。
 3枚しかないチップの取り合いで、劣勢に立たされた方がレイズしてくるとは思っていなかった。負ければ一瞬にして全てを失う。8のスリーカードは強い手だが、シモツキが一枚しか交換しなかったのが引っかかる。

「サキさぁん……いいでしょぉ……」
 緊迫した空気を破ってユキの甘えた声がした。
 見ればペニスを着けられた由貴が、冴貴を犯しているところだった。
「もぉ、入れてるくせにぃ……」
「えへへぇ……お尻の穴にユウイチのも入れちゃおう」
「むりだよぉ……そんなに欲張っても、入らないよぉ……優一くんのはあたしがなめるんだからぁ」

 チッ、と亜衣が舌打ちする。
 ペニスをつけるのを嫌がっていた由貴が、自分から進んで冴貴を犯している。それどころか自分の分身である優一とまで貪欲にセックスしようとしているのが非常に気に障る。

 スパーーン!!
「イギィイ!!」 「あああぁ!!」
 二人の悲鳴が上がった。
「こら!! 優一君は今は亜衣ちゃんのモノなんだから触っちゃダメでしょ」
 何時の間にか片手に鞭を持ったマフユが二人を打ち据えた。
「マフユさま、御免なさい」
「痛いぃぃ!! 痛いよぉ!!」
 鞭に慣れていない由貴が泣き叫んでいる。それでも冴貴にペニスを挿入した下半身だけは動いていた。

「どうした、コールか降りるか決めろ」
 そう言われて亜衣は目の前の勝負に神経を戻そうとした。
 何時の間にか劣勢のはずのシモツキが場をコントロールしていた。
「いいのぉ……ユキ上手じゃないぃ……やっぱり元男の子だよぉ」
「傷痕、触っちゃ……ィひいぃ!! 痛いよぉ!!」
 パンパンパン……。
 由貴の仮初めの睾丸が冴貴の尻にぶつかる音がし、亜衣の集中力を削いでいく。

(だめだ! 迷えば迷うほど立場が弱くなる)
 亜衣がテーブルに手札を全て伏せた。
「……降りる」

 フッとシモツキが笑みを浮かべると、無造作に手札をマフユに向かって放った。ちらりとそれを見てしまったことを後悔した。シモツキは6のワンペアだった。亜衣は激しいショックを受けた。シモツキは、たとえ自分がどんなにいい手でも、コールできない事を見抜いていたのだった。
 亜衣は湧き上がる無力感を必死で押さえつけなければならなかった。

 勝負は再び振り出しに戻った。

 次の手はA(ハート)、3(ダイア)、6(クラブ)、J(ハート)、K(ハート)だった。3と6を伏せると、Jが二枚配られ、Jのスリーカードになった。二回連続、スリーカードとはかなりの幸運だ。
(落ち着け、落ち着け、運は私にツイてる)
 そう自分に言い聞かせる。
 シモツキは二枚交換した。

「優一を賭けよう」
「未夜子をかける」
「レイズだ。優一に加えて、ユキを賭けよう」
 亜衣がチラリと康治を見た。康治も頷いた。
「……コールよ。康治も賭けるわ」

「ではオープンだ」

 そういって開いたシモツキの手はクラブのフラッシュ(全てのカードがクラブ)だった。
 目を見開いた亜衣の手から手札がパラパラとテーブルに落ちる。
「危なかったな」
 亜衣がスリーカードだったのをみて、シモツキが無表情に言った。
「きゃ〜〜、やった〜〜! シモツキすっごぉ〜いい!!」
 マフユの嬌声が上がる。
 未夜子は血の気を失っていた。康治も下唇を噛んでいる。
 次回は亜衣には自分しか賭ける物がない。それは降りることも出来ず勝負するしかないことを意味する。かなり厳しい状況だった。

「チップはその場で清算する約束だったな」
 そう言った瞬間、未夜子と康治に優一がされていたような顔の目から上をすっぽり覆うような黒い皮製の目隠しが現われた。腕も後ろ手に回された状態で手錠のようなものをかけられていた。
「なに!?」
「きゃあ!!」
 急に視界を奪われた二人が何が起こっているのかとキョロキョロする。

「うふふ、じゃ、わたしが未夜子ちゃんの面倒を見てあげるわねぇ」
 スッとマフユが立ち上がった瞬間、パァーーン!! と渇いた音がした。
「ひいいいいい!!」
 未夜子の悲鳴が上がる。亜衣も時折、未夜子に鞭を振るったが、それはSM用に痛みを抑えた柔らかい物で、マフユの使う本物の打撃用の鞭とは痛みの次元が違った。余りの痛みに崩れ落ち床を転げまわった。

「ほらっ、ブタちゃん達!! 餌よぉ!」
 マフユにそういわれると、サキとユキはいそいそと未夜子の側による。
「ああ、未夜子ちゃんだぁ」
 冴貴が転げまわる未夜子をうつ伏せに押さえつけ、真新しい傷口を舐める。
「いい!! ひぃっ!!」
 未夜子は自分の悲鳴が亜衣を追い込んでしまうと解っていた。しかし、なんとか声を押さえようとするのを嘲笑うかのような激しい痛みが体を駆けずり回った。
「ああぁん、未夜子さんの匂いひさしぶりぃ……」
 ユキがその股間に顔を埋めて、女性器をしゃぶり始める。
「はっ……あぁっ……」
「ほら、縛って」
 そう言ってマフユが黒いロープを渡す。
「はぁーい、未夜チャン、かわいくしてあげるね」
 冴貴はそう言うと未夜子を縛り始めた。乳房が強調されるように上下に縄をかけて引き絞る。その間にもユキはまだたいして潤っていない未夜子の秘唇にペニスを埋め込み始めた。
「うぐぐ……いやぁ……ああぁ……」
 しかし未夜子も薄闇の世界の住人だった。痛みと緊縛、快楽が交互に押し寄せると体は心を離れて迷走し始める。
「あふぅ……ああぁ……」
 膣が由貴のペニスを締め付け、勝手に腰が動き始める。
「ああん……未夜子さんキツイぃ……だめ、イッちゃうぅ!!」
 男としてのセックスに慣れていないユキが、嫌がる他人を犯す興奮に、すぐさま射精してしまう。
「早いよぉ、ユキィ」
「えへへぇ……でちゃった……ごめんなさぁい」
「あたしがお手本見せてあげるぅ。マフユさまぁ、チンポつけてください」
 冴貴が椅子に座るマフユの足にすがり付いた。

「康治はこちらだ」
 シモツキに声をかけられ康治がシモツキを睨み付ける。
「ふんっ、お前には能力が効かないからやっかいだな」
 そう言うと立ち上がりながら康治の手を取り、一気に引き寄せた。
 万力のような力で抱き寄せられ、無理矢理キスされる。
 康治もまた快楽に魅せられた人間だった。シモツキの体臭に包まれ、キスされると抵抗できなくなってしまう。ペニス同士を擦りつけるようにされると、あっという間に勃起してしまった。シモツキに得体の知れない液体でぬるぬるに塗れた指を肛門に無理矢理突っ込まれる。
「くっ……ううっ……」
 康治は何とか喘ぎ声が出るのを堪えようとした。自分達がココで快楽を貪ってしまえば、亜衣はこの空間で孤立してしまう。
 それでも長年責められることに慣れてしまった体は、その心理的な圧迫すら快楽へと変化させ始めた。
 ズニュ。
 体を抱え上げられ浅く肛門にペニスを埋め込まれる。
「あ……あ……」
 肛門がピクピクと蠢きシモツキの亀頭を味わっていた。久しぶりに男のペニスを入れられる期待に胸が一杯になる。それに何とか抵抗しようと絶望的な努力をする。
「どうした。自分で動かなくていいのか」
 肛門と陰嚢の中間あたりを指でグイッと押さえた。
「あああ……そこ……」
 康治が弱点を突かれ声をあげる。
 ペニスが持ち上がりシモツキの腹筋に圧迫される。
 ズズズズ。
 足に力が入らなくなると、ペニスが埋まって行く。
 奥まで埋まる頃には康治は自分で抜き刺しを始めた。

「ああん……サキさん……すごいぃ……ああっ……」
 床でサキとユキに組み敷かれ、未夜子が嬌声を上げている。
「あぐぅ……はぁああ……ああ……ああ……」
 目の前で再び椅子に座ったシモツキを跨ぐように康治が腰を使っていた。

 二人の味方が短時間で相手の手に落ちていくのを亜衣は無表情に見ていた。

 目の前にすでにマフユの配った新しい手札がある。
 亜衣は表情を一切変えずにその手札を取った。しかしその手が微かに震えている。

 手札は亜衣の心を映すかの様にバラバラだった。

 片腕に康治を抱えながらシモツキが言った。
「優一を賭ける」
 亜衣もかろうじで声を出した。
「わ……私を……賭けるわ……」

「だめ……耳のあなぁ……だめ……おへそ……や……あ……ぁ……」
 目隠しをされたままの未夜子がサキとユキに両耳から舌を入れられ上に、サキに臍の穴を弄られ切ない声をあげている。
「あん……んん……」
 同じく目隠しをされた康治が、冷静に手札を眺めるシモツキに抱きつきながら、こねるように腰を使っていた。
 
 ゲームごとにチップを清算するということの意味が今わかった。
 悪魔達は自分に仲間が堕ちていくのを無力に眺めさせ、絶望に染まっていくのを楽しんでいた。このまま負けてしまうと、絶望はそのまま捨て身の快楽に繋がっていくのだろう。

 すでに亜衣には降りるという選択肢がないので駆け引きする必要もなかった。運だけにまかせて5枚全てを伏せた。黙ったままマフユが5枚のカードを配る。
 シモツキは二枚交換した。

 亜衣はすぐにそのカードを見ようとして、自分の手が震えて動かない事に気付いた。

「どうした……見ないのか? 早く取り返さないとこいつ等も奴隷に堕ちてしまうぞ」
 片手にカードを、片手に康治を抱きながらシモツキが言った。

 やはり無謀だった。駆け引きにおいて悪魔は亜衣を圧倒していた。人間を知り尽くした悪魔に若干22歳の女子大生が挑む事自体が間違いだったと思い知る。
 それでも後悔はなかった。これをしなければ、どのみち一生自分自身を許せなかっただろう。ふと八年前に康治が自分を追いかけてきた理由について同じような事を言っていたのを思い出した。
 勝負を挑んだ事に後悔はない。
 ただ、未夜子と康治を巻き込んでしまったのが心残りだった。
 もう、まともな自分のまま両親に会うことがないのが無性に寂しかった。

 シモツキが目の前で手札を開く。3と9のツーペアだった。

「いやぁああ!! 耳だめぇ!! 耳の穴でイッちゃうぅウ!! あいぃぃ、ごめんなさぁいぃ!! ああん!! ああん!! イクッ!! イクッ!!」
「ハッ……ハッ……だめだ……出る!! あぁ!! あああぁ!!」
 未夜子と康治の上げる嬌声も今の亜衣の耳には届いていなかった。

 震える手で伏せられていた5枚のカードを開く。
 やはりバラバラだった。





第十五 ジョーカー

「あらぁ〜見事にブタねぇ。『ブタ』なんて亜衣ちゃんの未来を予言するようだわぁ」
「久しぶりに楽しませて貰ったぞ。八年前のあの小娘がココまで成長するとは驚くばかりだ」
 シモツキが絶頂を迎えて陶然としている康治を横にどける。腹の辺りが康治の吐き出した精液で濡れ光っていた。
「健闘に敬意を表して、我々が直接に人外の悦びを教えてやろう」

 二人は立ち上がり亜衣を挟んで立った。座ったままの亜衣を無理矢理立ち上がらせる。

「さて、どうする? 亜衣ちゃんはどうしてあげたらいいかしらぁ?」
「好きにすればいい……。あんた達が勝ったんだから……」
「そうだな……これまで随分快楽を集める手助けになったが、冴貴がこちらの手に落ちた今、お前が『クラブ』をする必要もない。気が狂うまで快楽を与えてやろう」

「やっぱり……私を利用してたのね……」

「利用? お前が望んだ事を手助けしたまでだ。利害は一致していたが」
「でも、これからはサキが無差別に快楽を撒き散らすから『クラブ』も必要ないの。しかも、サキは不老だからね……きっと二、三百年もすれば、この街はハーレムになるわよぉ。アイちゃんがそれまでいられないのは残念よねぇ。一番の功労者なのにぃ」

 亜衣が憎しみのこもった目でマフユを睨み付ける。

「うふふ、その目、ステキよぉ。そうじゃないとおもしろくないわ。素直な亜衣ちゃんなんてつまらないものぉ。あぁん、もっとにらんでぇ。濡れてきちゃう」
「ふっ、お前は男のモノを咥えたことが殆どないのだったな」
 そう言うと亜衣の体を地面に押さえつける。亜衣が膝をついたところで、顎を掴んで無理矢理口を開けさせた。
 亜衣は初めて康治にして以来、特にここ数年、男にフェラチオをした事が殆どなかった。別にその行為が嫌いというわけではなかったが、男の前に跪くということをしなかった。

「うぐぐ……ぐぅ……」
 口に押し込まれるシモツキの巨大なペニス。その強い臭気と息苦しさに目が廻りそうになる。その耳元にマフユが囁いた。
「解ってると思うけど、あたし達の体はフェロモンの固まりだからねぇ。その中でも一番匂いのきつい性器を咥えちゃったら、もう抵抗できないわよぉ。楽しみねぇ、亜衣が何も言われないのに自分から舌を使い始めるのはいつかしらぁ」
 フゥ!!
「ん……」
 耳元に息を吹きかけられて、体がピクリと震えた。

 シモツキはその間もペニスを動かすわけでもなく、亜衣の頭をがっちり押さえているだけだった。
(あああ……この匂い……)
 口に咥えさせられているペニスの熱と匂いと味。それを口の中に入れられているというだけで屈辱感が溢れ出てくる。
(臭いのに……臭いのに……)
 唾が湧き出して、ペニスを濡らしていく。その唾が喉に流れ込むとその味が心を揺さぶった。
(おいしい……)
 クチュ、クチュ。
 何時の間にかペニスのエキスが欲しくて、自分から唾を塗し吸い取っていた。

 その時、頭の中に直接『声』が聞こえてきた。
『ペニスの味、美味しいでしょう?』
(えっ?? 声が??)
『ふふふ、どうして驚くのぉ? 人の心が聞こえるんだから、人の心に聞かせることが出来てもおかしくないでしょう? まぁ、これは滅多にやらないけどね。脳みそに直接声を聞かされながらセックスしちゃうと、気がふれちゃうから。アイちゃんは特別サービスよ』
(なにが? 何が起こるの?)
 初めて聞く悪魔の責め方に亜衣は怯えた。悪魔の手口はいろいろ知っていたので覚悟はしていたが、まさかここに来て新しい手段で責められるとは想像していなかった。
『怯える心が直に伝わってくるわね。もう耳はいらないから塞いであげるわね』
 マフユが、シモツキの前に跪いた体勢の亜衣を後ろから抱きすくめるように、自分も膝を付き、亜衣の右耳に舌を入れていく。反対側の耳はマフユの小指で塞がれた。

 頭の中に言い聞かせるようなゆっくりとした『声』が響く。
『アイちゃんはあたしの事、好きよねぇ』
(あたし、マフユの事好き……?)
『チンポ舐めるの気持ちいいわよねぇ』
(チンポ舐めるの気持ちイイ……)
『熱いのがいいわよねぇ』
(熱いチンポ気持ちイイ……)

 脳に直接撃ち込まれる言葉は、フィルターをかけられることなく脳の奥に焼きついていく。マフユの能力は脳の中の言語を司る部分の外に、情動を司る部分と快楽を司る神経を同時に刺激していた。ただし、葛藤や羞恥を失ってしまうと単調な快楽しか生み出さなくなってしまうので、あくまでもやんわりと責めていく。

「もっと飲み込め」
 耳から聞こえる現実のシモツキの声に亜衣は現実へと引き戻された。
(何、今の!? うそ! うそよ!! わたし、そんなの好きじゃない!!)
『チンポの形いいわよねぇ』
(チンポ……形がイイの……)
『カリ首のところの尖り具合、ステキよねぇ』
(尖ってるのステキ……)
『ああ〜〜ん、舌でなぞったら気持ち言いわぁ』
(舌でなぞると気持ちイイ……)

「舌を使え」
 再びシモツキの現実の声。
(えっ……いや!! あたしそんな事思ってない!!)
『ほっぺたの裏の柔らかいところにギュッと押し付けて、そのまま喉の奥に滑り込ませたいわ』
(ギュッと押し付けたまま、奥まで飲み込みたい……)
 知らず知らずの内に、奥まで飲み込もうとしている。
 しかし喉に当たったところで我に帰った。

(いやああああ!! いやああああ!! 気が狂う!! こんなの気が狂うよ!!)
 マフユの『声』とシモツキの声。脳の内と外から同時に働きかけられると、自分自身というものが吹けば飛ぶような脆弱な物に思えてくる。いつのまにか心細さを忘れたくて何かにすがりつこうとしていた。
『でもおっきいチンポは暖かくて頼りがいがあるわぁ。安心できるものぉ』
(チンポ……チンポ、ステキ……チンポ、安心できる……)
『もう、チンポなかったら生きていけない。チンポもらえないくらいなら死んじゃう!! チンポもらうためならなんでも出来ちゃう!!!』
(チンポなかったら死ぬ……もらえなかったら生きていけない……)

 そこまで来た時、急に口の中からペニスが消え去った。慌てて見ると、シモツキの股間には何もない。マフユも何時の間にか体を離し、こちらを見ていた。
「どうしたのぉ? アイちゃん?」
(今のは……幻覚? いや……そんな訳ない……でも……)
 確かにシモツキのペニスを咥えさせられたが、その後の『声』の記憶は妙に現実感に乏しい。しかし、その恐怖だけは心に焼き付いていた。
 ほんの短い間フェラチオをさせられただけで怯えて震えている亜衣をみて、何が起こったのかとサキとユキがこちらを観察していた。視覚を封じられた康治と未夜子もただならぬ雰囲気を感じて、聞き耳を立てている。
 そのままマフユもシモツキも何もせず、ただ黙って見下ろしていた。

 ハァ……ハァ……ハァ……。
 亜衣の呼吸が荒くなっていく。
(あたし……どうして……興奮してるの……? なにか……ホシイ……)
 何が欲しいのか鮮明に頭に思い浮かぶ。匂いも味も形も口の中に蘇っていた。
(チンポ……チンポがホシイ!! チンポ舐めたい!! チンポ咥えたい)
 頭に別の事を思い浮かべようとしても、男のペニスしか思い浮かばない。前を見ているのに頭の中に思い浮かぶペニスしか見えていない。頭の中がペニス一色に塗り替えられていた。
(ああ、チンポ、チンポ、チンポ、チンポ。ホシイ! なめたい!!)

「ほら、なんとかいいなさいよぉ」
 マフユが亜衣に何か喋らせようとする。しかし亜衣は自分が吐き出してしまう言葉が怖くて、固く口を閉ざしていた。
「ふふふ、じゃあ、これでいきましょうか」
 ピュン!! と、風切り音がして鞭が宙をまう。
 スパーン!!
 容赦のない音を立てて鞭が亜衣に襲い掛かった。その瞬間、亜衣が叫んだ。
「いやあああ!! チンポぉおお!!」

「うふふふふ」
「クックックック」
 マフユとシモツキが同時に笑った。その屈辱に涙が出る。それでも頭の中にはペニスの事しかなかった。
「すごいでしょう? 脳みそ犯されちゃうと。
 一生、何をしててもチンポのことしか考えられないのよ。何も難しい事考えなくてもいいのよぉ。素敵でしょう? 寝ててもご飯食べてても頭の中はチンポで一杯。でも、そんなの人間じゃないわよねぇ。酷いことするわ、本当に」
 他人事のようにマフユが言う。

「こんなの酷い……ああ、チンポぉ。チンポぉ」
「チンポのことを考えなくてすむのは実際に男のチンポをくわえ込んでる時だけよぉ。それも数時間も男のチンポを咥え込まなかっただけで、発狂しちゃうんだから」

 亜衣が嗚咽を洩らして泣く。
「そんな……そんな……うう……」
 泣きながらでもペニスの事しか考えられない。
「ひどい……ああ……チンポちょうだい……いやぁ……こんなのいやっ……」

「ほら、康治クンが空いてるみたいよ」
 そういわれて、亜衣の目が康治に向く。目は見えないがその声が聞こえた康治がハッとした様子を見せた。亜衣は丸テーブルを回り込み康治に飛びついた。
「康治……チンポちょうだい……んぐ……ああ……チンポ……はぐ……匂いがすごいイイ……形も…色も…暖かさも……全部スキ……」
 康治のペニスを舐めながら、そうしなければならないかのように必死でしゃべる。視界を防がれた康治はよける事も出来ずになすがままにされていた。
「亜衣!! しっかりしろ亜衣!!」
「康治……ごめん……もう……チンポなしでは生きていけない……チンポ起てて……はやくっ」
 そう言いながら康治のペニスを秘芯に納めようと股間をグイグイと押し付ける。すぐに康治のペニスは飲み込まれていった。亜衣はそれまで泣いていたのも忘れて、腰を振りたてることの夢中になり始める。
「ああ……チンポいい……チンポ、スキィ……チンポォ、チンポっ!!」

 後ろ手に拘束されている康治は亜衣になにもしてやれなかった。
 せめて拘束されていなかったら力いっぱい抱きしめてやりたかった。

「あうぅ……チンポいいのぉ……チンポあって幸せぇ……いやっ……こんなのわたしじゃない……でも、チンポイイのぉ」
 このままでは亜衣の心は壊れてしまう。康治は焦りながらも、それでも待っていた。こんな焦燥感は一人で戦っていた亜衣の勇気に比べれば、たいした事ではない。
「康治ィ……康治のチンポいいよぉ……シモツキみたいにデカクないけど、あったかいのぉ……ああん……気持ちイイぃ……すごい気持ちイイい」

「ああ、言い忘れたけど、セックスしちゃうと脳みその奥のところまでビリビリ感じちゃうからもっとチンポ狂いになっちゃうわよぉ」
「いやぁああ!! そんなの……でも、気持ちイイ」
「そうでしょう? なにもかも全部捨ててチンポだけに身を捧げたくなるでしょう?」
「はあぁ……気持ちイイのぉ……こんなに気持ちイイの初めてぇ……ああ……イッちゃうよぉ……こわいよ、康治ィ。もっとチンポスキになっちゃうよぉ……いやだよぉ、康治……ああ、イクッ!! イクゥ!! チンポイイィィ!!」
 そういうと体をガクガクと痙攣させて絶頂を迎えた。その強力な締め付けに康治も射精してしまった。

「ああ、しぼんじゃイヤっ……チンポ硬くないとダメぇぇ……起ててぇ、おねがい!!」
「はしたないわねぇ。そんなにすぐには無理よぉ。そうねぇ、今度はブタちゃん達に犯させてあげようかなっ。わざわざ助けるためにここまで来てもらったんだから、そのぐらいしてあげないとだめよねぇ」

「ブタのサキがお相手しますぅ」
「ブタのユキにセックスさせてください」
 サキとユキが同時に返事をする。
「じゃ、二人ともあげなさい。二本あったらもっとうれしいんだから」
 そのとき覆面の奥で康治の目がキラリと光った。

「二本もくれるのぉ……ああん、チンポちょうだい……はやくぅ」
 亜衣がそばにあった丸テーブルに手をついて立ち上がり、冴貴達の方へ向かおうとする。そこへ、サキが来た。
 その足音に康治は必死で聞き耳を立てていた。

 3歩、2歩、1歩……。
 冴貴が亜衣に触ろうとしたその瞬間……。
 康治が叫んだ。

「亜衣!! 起きろ!! 今だ!!」

 その一瞬の出来事はあまりに突然で、悪魔達ですら反応できなかった。
 亜衣は康治の叫び声を聞いた瞬間、丸テーブルの上のナイフを取ると同時にサキの右手をとり、そして躊躇する事なく振り下ろした。

「うわあああああ!!!」
 冴貴が悲鳴をあげる。
 ボトリ。
 地面に落ちた血にまみれた肉片。
 指輪ごと切り落とされた冴貴の薬指だった。

 容赦なく振り下ろされたナイフは亜衣の左手のひらをも貫通していた。





第十六 ゲーム


 これが亜衣の挑んだゲームだった。

 悪魔の前では何を企んでいてもばれてしまう。隠すためには自分も知っていてはいけない。そこで、亜衣は自分と未夜子に『後催眠』と呼ばれる催眠術をかけ、どちらかが冴貴に上手く近付けた時、康治の声を聞くと無意識に冴貴の指を切断するように暗示をかけた。

 失敗は許されないため、絶好のタイミングを選ばなければならない。それを決めるのが悪魔に心を読まれない康治の役目だった。もちろん康治が近づければ、康治も冴貴の指を切断するつもりだった。視覚を封じられた時は企みがばれたのかとぞっとした。

 この作戦を成功させるためには、奥の手があることを知られてはいけない。それは亜衣と未夜子にはその事実を忘れるように暗示をかけ、本気で絶望のどん底に突き落とされなければならないことを意味していた。
 そのことが解っているのに敢えてそれを実行する二人の勇気に康治は見事に応えた。目をふさがれ、性的に責められながらも、その一瞬を待ってずっと聞き耳を立てていた。何かを企んでいる事が怪しまれないようにするため、射精までしてみせた。

 ポーカーはカモフラージュに過ぎなかった。悪魔の注意を本当の目的から逸らし、トランプの封印を切るためのように見せかけてナイフを『部屋』に持ち込むための手段でしかなかった。

 このゲームのジョーカーは深山康治。
 そしてエース(切り札)は横山冴貴だった。

「うぅあああああ!!!」
 悪魔達でさえ驚いた表情で見守る中、冴貴の悲鳴が続く。
 側では由貴が口を押さえて震えていた。
 指輪に封印されていた冴貴の悪魔の力が戻って来る。途端に目の前の亜衣の様々な感情が流れ込んで来た。それが冴貴に傷の痛みを忘れさせた。

 その時、二人は気付かなかったが、冴貴の背後で鞭を振るおうとしたマフユの腕をシモツキが押さえた。
 マフユはやれやれといった様子で鞭を降ろした。

「冴貴さん……わたしは貴女を恨んでいない……」
「亜衣……」
 手のひらを貫通するナイフの痛みに、亜衣のマフユに刷り込まれた男性器への執着もなりを潜めていた。
「わたしは貴女を恨んでいないし、責める権利もない……でも……」
 ナイフが突き刺さったままの手の指先で、力なく冴貴の薬指のない右手を握り締める。
「でも、貴女がこのまま行く事は許さない。優一と由貴を置いて行くことは許さない。私たちを置いていく事も許さない。貴女には全員の行く末を見届ける義務がある。貴女に貶められた人間達が年老いていくのを、歳を取らないまま見守る義務がある。たとえそれがどんなに辛くても、セックスの快楽に心を売ってしまった私たちを見届ける義務がある」

 ボタボタと床に血が落ち、気丈に振舞う亜衣の唇も血の気を失っていた。

「そして……そして……私たちが年老いて……性欲を失って……何もない空っぽな人間になったら……」

 亜衣の両目から涙が溢れた。

「その時は、貴女が私たちを抱きしめるんだわ……」

 冴貴が無言のまま亜衣の血まみれの手に触れると、ナイフは虚空に消え去り、亜衣の傷口は冴貴が触ったところから消えていった。冴貴の失われた薬指も再生していた。そのまま亜衣の心の中に『能力』を刺し込み、マフユの植え付けたペニスへの呪縛を焼き切っていく。

「バカだね……亜衣……あたし達のためにこんな酷い目に会ってさ……」
「……優一を連れて来たのはあたしの責任だから……」

「そうか……そうだね……でも」
 パキン! とガラスの割れるようなおとがして、景色が元の鏡部屋へと戻った。
「…………ありがとう」
 『部屋』に入った時に消えた衣類が床に落ちている。
 冴貴が悪魔達の方へ振り返った。今にも泣き出しそうな顔だった

「マフユさま……あたしまだダメみたいです……まだ、人間みたい……」

マフユが呆れたように言う。
「そうねぇ、せっかく立派なコブタになったと思ったのにねぇ」
「クックック、まさか自分に催眠術をかけているとはな。これだから人間は面白い。思いがけない時に驚くべき知恵と勇気を見せる時がある。
 いいだろう、亜衣の意志と勝利に敬意を表して、お前にしばし時間をやろう」

「しばし……?」

「八十年もしたら、また迎えに来てやろう。その頃にはまた一人で夜の街をあるいているだろうからな……」
「そうねぇ、まぁ何百年も待ってたんだから、あと八十年ぐらいはおまけしてあげるわよ。もっともシモツキは格好つけてるけど、無理矢理連れて行きたくても、今のアナタの力はちょっと私たちには抑えられないみたいだしねぇ」
 指輪は外部からの快楽を吸収する事は封じていたが、冴貴自身が生み出す快楽は、サキの体に留まっていた。マフユに与えられた快楽がかつてないほどの力を生み出していた。
「……ありがとうございます」

「あぁん、でも折角、由貴も亜衣も康治も未夜子も優一クンもみんな可愛かったのにぃ。もうお別れなんて残念だわぁ……もっとメチャメチャに遊んじゃえばよかったぁ」
「仕方ないな。ではまた会おう、横山冴貴よ。
 そしてお前にはもう会う事もないだろう、佐川亜衣。お前の勇気と知恵は賞賛に値する。我々を出し抜いたことを誇りにするがいい」
 そう言うと鏡に近づいた。
「じゃ〜ねぇ、みんな元気でねぇ。そうそう、これからもユキちゃんをよろしくね。一応、私たちの作った娘なんだからねぇ。あと、優一クンには悪い事しちゃったけど、冴貴ちゃんの所為なんだからちゃんと責任とって上げなさいよ」

「ユキは……」
 そこで冴貴は少しだけ考えるように間を置いた。
「ユキは…あたしの半身よ……優一クンも弟みたいなものだから……」
「そうだったわね。それじゃね。80年したらまた会いましょうね。その頃にはもっとすごい大人のおもちゃがあるわよ、きっと。たのしみだわぁ」

 『脳みそ電極でつないだりするのよ』などといいながら、二匹の悪魔は鏡の中に入って行き、そしていなくなってしまった。

 目隠しをされ横たわる優一。
 心に大きな傷を負ってしまった由貴。
 そして冴貴自身も再び他人に支配されずに生きていけるのか解らなかった。
 惨憺たる状況だったが、それでも帰ってきた。

 人間の世界に帰ってきた。





終章

 未夜子と康治は比較的ダメージが少なかったので冴貴達の衣服を買いに行っていた。優一は隣の部屋のベッドに寝かせている。その間、冴貴と由貴と亜衣が全裸でテーブルに座っていた。強い西日が差し込み、辺りが黄金色に照らされている。
 三人とも無言だった。
 気まずい沈黙。
 冴貴と由貴ですら何ヶ月もまともに喋ってなかったのだから当然といえた。

「お茶……いれますね……」
 由貴が立ち上がった。カチャカチャという音が聞こえて湯を沸かす気配がする。

「あたしが……あたしが……みんな悪かった……」
 冴貴がぽつりと洩らした。
「冴貴さんが悪いんじゃない……あたしが『クラブ』なんてつくったから……」
 亜衣が必死に打ち消す。

「いいえ、冴貴さんが悪いんです」
 珍しく強い口調の由貴の声がした。
 ポットを火にかけ終えた由貴が湯のみがおかれた盆をもって、帰ってくるところだった。
「冴貴さんが私を置いていくからいけないんです」
「……あたしは……ユキのためを思って……」
「それがいけないんです。自分の将来も考えずに家を飛び出すなんて迷惑です! 理由もないのに娘が出て行った親の気持ちはどうなるんですか? 男を押し付けられて出て行かれた私の気持ちを考えた事があるんですか? しかも私の記憶にまで手をつけるなんてサイッテーです!」
「なによ!! 記憶まで凍らしたのに追いかけてくるのがいけないんでしょう!! 大体、男だったくせに女々しいのよユキは!! あたしのことなんてスパッと忘れてさ、父さんと母さんをパッパとなぐさめて、大人しく医者を目指してればよかったのよ。悪魔に相談するなんて、ほんっとバカだよ。大バカだ」
「バカですって!? バカはどっちですか!! エッチがしたいからってお金とって自分の体を売るなんて、冴貴さんの方がバカでしょう!! バカバカバカ!! あたしの大切なモノを勝手に他人に売るなんて許さないんだから!!」

 初めて見る本気で怒鳴る由貴。
 ふと、冴貴の表情が悲しそうに翳った。
「……そうだね、あたしがバカだ……バカでバカでどうしようもない……」

「ウフフフ」
 出し抜けに亜衣が笑い始めた。冴貴と由貴が亜衣を見る。
「二人ともかわらないんですね……。折角、悲壮な覚悟で挑んだのがバカみたい」
「う……うるさいな……。大体なんで女の子みたいな喋り方に戻ってるのよ」
「ああ、アレ辞めました。自分でもちょっと無理してたみたいだから」
「そう……でも、アレ痺れたなぁ。『すごいマゾの目だな』ってやつ。言われた瞬間にじゅくじゅくに濡れちゃったもん」
「改めていわないでください!!」
 亜衣が頬を赤らめる。
「そうだ、亜衣さん、こんど鞭の打ち方教えてくださいね。冴貴さんがあんなに鞭で打たれるのが好きだったなんてショックだけど、やっぱりやってあげないと、浮気しそうだから」
「ちょっと、なにいってるのよ、ユキ」
「首輪もつけてあげたら。犬のみたいなやつ」
「ねぇ、亜衣までやめてよ……」
「じゃ、私が亜衣さんの奴隷で、冴貴さんは私のペットですね。私にも首輪つけてくださいね。うふふ、早速お仕置きしてあげようかな」
「ユキさん? ちょっとユキさん?」
「ふふふふ」
「うふふふ」
「……ぷっ……あははは」

 三人の心は決して晴れわたっているわけではなかった。
 冴貴の不老をどうするのかという根本的な問題が残っていた。
 隣の部屋で寝ている優一が、冴貴の力を使っても完全に元に戻るかどうか厳しい状況だった。

 それでも三人は明るく笑っていた。そうしなければならない気がした。

 人間界に帰ってきたのだから。
 自分達は人間なのだから。


 そのころ夕日の下、S高校の屋上の淵に二つの人影が座っていた。
「ねぇ、八十年もどうやって過ごそうか」
「さあな、新しい餌を見つけなければ」
「ヨーロッパ帰りましょうよ。500年ぶりに。アナタ出身の村まだあるかもしれないわよぉ」
「フンっ、くだらないな」
「でもあの子達見てたらあなたが人間だった頃、思い出しちゃった。アナタの恋人が追いかけてきてさ……」
「そんなことは忘れた」
「強がり言っちゃってぇ。解ってんのよぉ。あの子達かわいそうだって思ってたでしょう?」
「しらぬな。それよりアメリカはどうだ」
「ああ、いいかもねぇ。新大陸は行った事ないけど、やっぱり時代は情報化社会だからねぇ。最先端の国でお勉強するのもいいかもね。
 ……ねぇ、久しぶりにわたしとセックスしてみない?」
「?? 悪魔同士でしても、精の取り合いになるだけで、なにも生み出さないのはわかっているだろう? 時間の無駄だ」
「それでもなんとなくしてみたいのよぉ! あ〜あ、童貞の頃のアナタは素直で可愛かったのにねぇ。あなたの名前なんていったっけ?」
「しらぬな」
 そう言ってシモツキと呼ばれていた名も無き悪魔が立ち上がった。
「ねぇ、セックスしましょうよぉ。なんかそう言う気分なのぉ」
「………考えておこう」
 そういうと薄っすらと影になり、消えていった。
「もう、いっつもサッサといっちゃうんだからぁ」
 マフユと呼ばれていた名も無き悪魔も立ち上がるとそのまま消えていった。

 跡には何も残らなかった。
 夕日だけが紅い光を投げかけていた。



(完)
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