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トランスかくれんぼ
(第4話)


作:逃げ馬



夜の校舎の廊下を、蛍光灯の青白い光が照らしている。

深夜の女子高の校舎の中には、今のところ人の気配がない。
いや、有名進学校である“この学校の本当の学生たち”は、とっくに家に帰って勉強をしているか、それぞれが自分たちの時間を過ごしているだろう。
その校舎の中を、この学校には“不似合”な、二人の男が歩いている。

二人が階段にやってきた。

壁に体をぴたりとつけて、視線を上の階・・・・そして下の階へと走らせる。
僕が階段の安全を確認している間に、根岸は廊下を警戒している。
幸い、誰もいないようだ・・・・もちろん“今のところは”という注意書きがつく状況だが・・・・。
「行くぞ・・・」
僕は根岸に囁きかけた。
根岸も頷いて、僕の後ろからついてくる。
一歩、また一歩と、慎重に階段を下りていく。
僕は前を、根岸は後ろを警戒しながら下りていく。
3階・・・・2階・・・・そして、1階の廊下が見えてきた時、

「?!」

1階の廊下で、人影が動いた。
僕は踊り場で立ち止まり、咄嗟に体を隠した。
根岸もつられて、まるで階段に寝そべるように体を隠した。
慎重に1階を覗き込むように下の様子をうかがう。
廊下をブレザーの制服姿の女子高校生が歩いて行く。
しかし、あの美少女ではない。
ツインテールの髪にリボンで結んだ美少女・・・・あの美少女ではない。そして岩原さんは、体操服を着た女の子にされてしまった・・・・と、言うことは?
「井上・・・・あれは・・・・?」
根岸も同じことを考えていたのだろう。まるで呟くように言った。
「そう・・・あれが・・・・・小川さんだ・・・・・」
僕は答えると、思わず唇を噛みしめた。すると突然、
「小川・・・!!」
さん・・・根岸が大きな声で叫ぼうとした。
思わず僕は、両手で根岸の口を抑えた。
根岸は何かをモゴモゴ言っている。
僕は根岸にかまわず、口を押えたまま階段の下を見つめている。
幸い、根岸の声に気がつかなかったようだ。彼女はそのまま歩き去っていった。
僕は小さくため息をつくと、根岸の口から手を放した。
根岸は大きく息をつくと、深呼吸をしながら、
「何をするんだよ!」
「すまない・・・・」
僕は謝ると、
「だが、彼女が気がつけば、僕たちはただでは済まないぞ・・・・」
「だって、あれは小川さんなんだろう?」
根岸が口を尖らせながら言った。
「そう、あれは小川さんだ・・・・」
僕は、踊り場から下の様子を窺いながら、
「忘れてないか・・・・?」
「何を?!」
「・・・小川さんは・・・女の子にされた岩原さんに、女の子にされてしまったんだ・・・・」
根岸は、何かに思い至ったようだ。
「・・・・それって?!」
「そう・・・・」
僕は、根岸の目をしっかりと見た。
「・・・小川さんも・・・・あの女の子に操られていると思った方が良い・・・・」
根岸は唇を噛みしめながら、俯いた。そして、
「・・・・なんてこった・・・・」
小さく肩を震わせている。
「・・・・叫びたいだろうけど・・・・」
大声を出すのは、解除ボタンを押してからにしようぜ・・・・根岸に向かって言いながら、僕は覚悟を決めた・・・・大丈夫、少なくとも今は下に奴らはいない。
「行くぞ!」
いうと同時に、僕は階段を小走りに降りていく。
根岸も後から続く。
あの少女が言ったとおり、校舎の入り口のガラス戸は開いていた。
僕と根岸は校舎の外に出ると、礼拝堂を目指して歩き始めた。
真夏の夜の湿気を含んだ蒸し暑い空気が、まるでねっとりと体にまとわりつくようだ。
校舎の中の蛍光灯の明かりに目が慣れた僕たちは、光の少ない夜の屋外では極端に視野が狭くなる。
こんな時に追いかけられると?・・・・そう考えただけで背筋が寒くなる。
僕は自然に早足になっていた。
それに合わせるように、根岸も早足になっていく。
高校の校舎は後方になり、辺りには美しい花壇が広がっている。
僕たちの前方右手には、礼拝堂が・・・・そしてその先には、レンガ造りの校門が夜の闇の中、黒い影となって見えている。
あそこに行けば、解除ボタンがある。
先輩たちが元に戻ることができる・・・・元に戻れば、全力疾走で校門を駆け抜ければいい・・・。
頭の中でそう考えているうちに僕たち二人は、いつの間にか駆け足になっていた。

その時・・・。

「?!」

視界の隅で、何かが動いた。
中庭に設置された、水銀灯の青白い光に照らされた“黒い影”・・・・。
そして、この場所で動く“影”の目的は、一つしかない。
「来たぞ!」
花壇の間の通路を、ロングヘアをなびかせながら走ってくる制服姿の美少女・・・・岩原さんを女の子に変えた、あの少女だ。
僕も根岸も礼拝堂に向かって必死に走る。
しかし、あの少女は確実にその差を詰めてくる。
僕も根岸も陸上部・・・・鍛え上げた“男の足”だ。
しかしあの少女は、ローファーの革靴で石畳の上を走りながら、その男たちを追い詰めてくる。
僕は心の中で舌打ちをした。

このままでは・・・・?!

僕は並んで走る根岸に視線を向けた。
根岸も僕の目を見た。
僕は根岸に向かって頷くと、足を止めて振り返った・・・・その先にいるのは・・・・・・あの少女だ!
「井上?!」
根岸が振り向きながら叫ぶ。
僕は前から迫るあの少女を、じっと睨みつけている。
「井上?!」
後ろから根岸の悲鳴のような声が聞こえる。
僕の前から、あの少女が迫る。
彼女の顔に美しい・・・・いや、その美しさの中に恐ろしさを感じさせる微笑みを浮かべながら僕に迫る。
彼女の目に、殺気を感じた・・・・次の瞬間、彼女が僕を捕まえようと、細い腕を伸ばす。
僕は咄嗟に腰を落とす。
彼女の白く細い腕は、空を切った。
次の瞬間、僕は右に・・・・花壇の方向に走り出した。
それは、彼女にとっては予想外の行動だったのだろう。彼女の顔には、一瞬戸惑いの表情が浮かんだが、慌てて僕の後を追ってきた。
僕にとっては、それだけで十分だった・・・・あの後、彼女が根岸を追いかけても、僕を追いかけても、あの“迷った時間”は、僕たちにとっては十分すぎるほどの時間だったのだから。
僕は花壇の間の通路の曲線を利用して、彼女との差を広げていく。
そして、暗闇の中に桜の古木を見つけると、その陰に転がり込んだ。
懸命に息を殺しながら、暗闇の中の動きを見つめていた。
あの少女が足音高く走ってくると立ち止まり、辺りを見回した。
しかし、暗闇にか紛れ込んでいる僕を見つけることはできなかったようだ。
彼女は、辺りを見回しながら、歩き去っていった。
僕は、ホッと息をつくと、桜の木にもたれかかりながら、その場に座り込んだ。
「根岸・・・・頼むぞ・・・・」
僕は、礼拝堂に向かった根岸の無事を・・・・・祈った。



根岸昌宏は、息を切らせながら暗闇の中を礼拝堂に向かっていた。
後ろから追いかけてきていたあの少女は、井上が引き受けてくれた・・・・今、彼を追う人間はいない。
井上は、あの少女から逃げられただろうか・・・・彼は思った。

井上はインカレの100m走では準優勝をしている。
根岸自身も、陸上部では井上の同僚であり、足の速さでは決してそん色はない。
しかしあの少女は、その二人をあそこまで追い詰めたのだ・・・・井上が彼女の注意を引き付けてくれたから、自分はここまでたどり着けた。
もう礼拝堂は目の前・・・・・暗闇の中に、礼拝堂から漏れる灯りが温かい。
そして、その前には、月明かりに照らされた銀色の箱が見える。
「あれが・・・・」
解除装置か・・・根岸が疲れた足に気合を入れて礼拝堂を目指そうとした・・・・その時、

「エッ?!」

礼拝堂の横から、黒い人影が走り出てきた。
体操服姿の女の子だ。
思わず根岸は立ち止った。
「岩原・・・さん・・・・?」
根岸はしばらく、女の子に変えられてしまった“大学の先輩”と見つめあっていた。
いろいろな感情が、根岸の中に渦巻く。
やがて、根岸は・・・・。
「先輩、もうしばらく我慢してください!」
すぐにあそこの解除ボタンを押して、元の男に戻して・・・・・根岸は微笑みを浮かべて“岩原だった女の子”に言いながら、礼拝堂に向かおうとしたのだが、
「?!」
細い腕が、根岸の目の前で空を切る。
「先輩! 何をするんですか?!」
根岸が驚いて、体操服姿の少女を睨みつけた。
しかし、少女は根岸の言葉など耳に入らないかのように、根岸を追いかける。
「くそ!!」
根岸は思わず歯軋りをしながら走る。
根岸の頭の中に、井上の言葉が甦る。
『・・・小川さんは・・・女の子にされた岩原さんに、女の子にされてしまったんだ・・・・』
信じたくないが、先輩である岩原は、彼が後輩であることも忘れてしまっているようだ。
今はこの場を離れて“追手”を撒いて、再度チャレンジするしかない。
そう思っていたのだが・・・。
「アッ?!」
校舎から、ツインテールを揺らしながら女の子が走ってくる。
「小川さん・・・・」
根岸が思わず歯軋りする。
笑顔を浮かべながら、彼に向かって走ってくるツインテールの黒髪の少女・・・・・街で会えば声をかけたくなるほどの制服姿の美少女は、彼の大学の先輩だ。
そして、彼女の目的は・・・・彼を“女の子に変えてしまう”ことだ。
「クソッ!!」
思わず叫びながら、彼女の前を走り抜けようとした。
『さっきの叫び声が聞こえたに違いない・・・・』
根岸は思った。
ツインテールの髪の少女と、体操服姿の少女が根岸に向かって腕を伸ばす。
次の瞬間、赤い光が彼を包み込んだ・・・・。



光が収まった時、二人の少女が、道路に仰向けに倒れている少女を見つめていた。
二人の視線の先には、紺色のテニスウエアと、純白のプリーツスカートに身を包んだテニス少女が、大きな瞳を潤ませながら倒れていた。
可愛らしい唇から、悩ましそうに吐息を漏らし、健康的な太腿をこすり合わせている。
やがて、気怠そうに体を起こすと、ポニーテールの黒髪が大きく揺れた。
彼女が立ち上がると、3人の少女はお互いを見つめながら微笑みを浮かべた。
そしてお互い頷くと、学校の中に散って行った・・・・・彼女たちの最後の仲間を“女の子にするため”に・・・・。



「根岸・・・・・」

礼拝堂の方向で輝いた“赤い光”を見て、僕は唇を強く噛んだ。
岩原さんが女の子にされた時に見たあの光。
その光が、暗闇の中で輝いた・・・・それの意味することは、一つしかない。

「今度は、僕が・・・・・」

解除ボタンを押せるのは、もう自分しかいない・・・・僕は、注意深く暗闇に視線を向けると、礼拝堂を目指して暗闇の中を駆け出した。




根岸昌宏は“テニスウエア姿の女の子”に変身

残りは一人



トランスかくれんぼ

(第4話)

おわり




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