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(第3話 後編)

作:逃げ馬




「高瀬さんが・・・・・・脳死状態になったそうです」

古瀬女史の言葉を聞いた野崎の思考が、その瞬間、停止した・・・・・。


里奈が?


脳死だって?


怪我なんて・・・・・ほとんど無かったじゃないか?!


「古瀬君、悪い冗談は・・・止めてくれないか?」
野崎は笑おうとした。
しかし、その顔は強張ったままだ。
「脳死状態になったので、今後どのようにするか ・・・・・彼女は身寄りが無いので、先生を含めて縁のある方達と話がしたいと・・・・・」
「嘘だ?!」
突然、野崎が叫んだ。
「嘘だ! 未来がある彼女が死んで、こんな老いぼれが・・・・・生きているなんて?!」
そんなバカなことがあるか?! 野崎が頭を抱えて廊下に両膝をついた。
大きな声に驚いて、周りにいた議員や、警備員が何事かと集まってきた。
「先生!」
痩せて小さくなった野崎の背中を、古瀬女史が優しく撫でた。
「お気持ちはわかります。 わたしだって辛いです」
でも・・・と、古瀬は、
「高瀬さんのためにも、彼女の想いに応えるためにも、先生には・・・・・!」
野崎は、激しく首を振った。
いつも冷静な野崎が、こんなに取り乱したのは見たことがない。
古瀬が困惑したその時、突然、異変が起きた。
突然、野崎が右手を胸にあてて苦しみ始めたのだ。
「先生?!」
古瀬が悲鳴のような声をあげた。
「しっかりしてください! 先生?!」
どうしましたか?・・・・・古瀬が必死に呼びかけるが、野崎は胸を抑えながら呻くような声を出すだけだ。
「おい! AEDを持って来い!!」
早くしろ!・・・・・警備員が叫ぶ。



国会の重鎮、野崎が倒れた。



国会議事堂の廊下は突如として、騒然とした雰囲気になった。





大学病院に、サイレンを鳴らしながら救急車が滑り込んできた。
後部ドアが開き、救急隊員が男性を乗せたストレッチャーを引き出した。
病院の救急入り口から、白衣を着た医師と看護師たちが飛び出してきた。
ストレッチャーを押しながら、救急隊員が早口で患者の状態を伝えた。
医師と看護師が、ストレッチャーを受け取り、半ば駆け足で病院に運び込んでいく。
救急車を降りた古瀬は、青白い顔でその様子を見つめていたが、唇を噛むとストレッチャーの後を追った。



ストレッチャーは、そのまま救急救命センターに運び込まれた。
看護師たちがストレッチャーに駆け寄った。
「野崎さん、聞こえますか? 病院に着きましたよ!」
シャツを脱いでもらいますね・・・・・看護師が呼び掛けながら、野崎の首からネクタイを外して、着ているワイシャツのボタンを外し、下着のシャツをハサミで切った。
別の看護師が手際よく心電図計のセンサーを、野崎の左胸に付けていく。
医師が心電図計のボタンを押した。
野崎の手首に指をあてて脈をとりながら、視線は心電図計のモニターを見つめている。
その間にも看護師たちは、野崎の顔に酸素マスクをセットした。
医師が酸素の供給量を指示したその時、心電図計から警報音が鳴った。 心停止だ。
「カウンターショックの用意!」
医師がすかさず指示を出し、野崎の胸に両腕をあてて心臓マッサージを始めると、周りの医師や看護師たちが慌ただしく動く。
古瀬は救命センターのドアの向こう側から、その様子をハラハラしながら見つめている。
「ICU(集中治療室)に上げるよ!」
医師の声が部屋に響き、野崎を乗せたストレッチャーが、看護師に押されて廊下に出てきた。
古瀬は一緒に出てきた医師に名刺を渡しながら、
「先生、野崎先生の容態は?」
医師は名刺に視線を落とすと、幾分ためらいながら、
「・・・・・野崎先生に関係のある方に、声をかけていただけますか?」
古瀬は強張った表情で、医師を見つめていた。
医師は静かに言った。

「・・・・・心筋梗塞を起こしておられます。 非常に危険な状態です・・・・・」



病院の待合室で、古瀬は天井を見つめていた。
野崎が見いだし支えていた里奈が、不慮の事故で脳死状態になってしまった。
そして今、野崎が心筋梗塞を起こして命の危険にさらされている。
体力が落ちていて、人工心臓なども使えないようだ。
野崎には、まだまだ頑張ってもらいたい・・・・・この国のためにも。
それが秘書として、野崎の奮闘を直ぐ近くで見てきた古瀬の思いだった。

ふと、古瀬は記憶の中にあったある人物を思い出して、待合室のベンチを立ち、公衆電話に向かった。
これしかない・・・・・古瀬は思いつめた表情で受話器を手にして、電話番号を押していた。



翌朝、大学病院に白いスーツ姿の美しい女性が訪れた。

受付で名刺を出して、
「東都大学医学部の杉本 紗也(すぎもと さや)と申します。 野崎 源三郎先生を担当しておられるドクターとお会いしたいのですが?」
受付に座る女性が電話をしていると、古瀬女史が歩いて来た。
杉本の姿を見つけると、彼女に深々と一礼した。
「おはよう、お久しぶりね」
杉本が古瀬に声をかけると、古瀬は涙に潤んだ目を彼女に向けた。
「来てくれて、ありがとう」
古瀬が言うと、杉本は笑いながら、
「お礼は、手術が成功してからね」
悪戯っぽく笑った。
受付の女性が電話を切ると杉本に、
「お会いになるそうです。場所はお分かりになりますか?」
「わたしが案内します」
古瀬が言うと、受付の女性は、お願いしますと一礼した。
古瀬と杉本が集中治療室に向かって歩いていく。

廊下には、誰もいない。
杉本は、視線を前に向けたまま、
「本当に、手術をしても良いの?」
少し躊躇いがちに尋ねた。
「どうして?」
古瀬も前を見たまま尋ねた。
杉本は、古瀬の横顔を見つめながら、
「脳死の患者は良いとしても、野崎先生は、この手術をしても良いのかしら?」
御本人の意思はどうなの?・・・・・杉本が落ちついた声で尋ねた。
「先生は既に昏睡状態で、御本人の意思は確認出来ないわ」
杉本が大きな目を見開いた。
「そんな・・・それじゃあ?!」
貴女の独断で、この手術をすると言うの? 御本人の意思を無視して? 杉本が問い詰めると、古瀬は足を止めた。
「野崎先生には、この国のためにも、まだ生きていただかないといけないの」
「それは、わかるけど・・・・・」


杉本 紗也は、古瀬 美恵子と純愛女子大学で同期生だった。
理学部の杉本と、政経学部の古瀬は、学部は違ったが、講義が終わると一緒に行動することが多かった。
大学を卒業すると、政治に興味があった古瀬は、野崎の事務所に入り、一方、杉本は東都大学医学部に編入して、古瀬を驚かせた。
杉本は、医師国家試験に合格した後も、大学に残って研究を続けている。
その話を聞いていた古瀬は、その技術を野崎のために使って欲しいと杉本に依頼したのだが・・・・・。

「今の状況で、この手術をすることが良いかどうか?」
「成功する自信がないの?」
「そうじゃないの、動物実験は成功しているし、ヒトでも大丈夫。でも・・・」
躊躇う杉本に、古瀬はトートバッグから封筒を取り出した。
「これを・・・・・」
杉本が封筒を開けると、中からは手術を求める要望書が入っていた。

養護施設の所長。学校の理事長や企業の経営者。中には誰だかわからない人もいたが、この人は地元の『一般人』だろう。
「貴女は、野崎先生を救ってくれれば良いの。それによって起きる不都合は、全て私達が背負うわ」
杉本は、古瀬の目をじっと見つめていた。

やがて、

「・・・わかったわ」

杉本は小さく頷くと歩き始めた。
古瀬も並んで歩いていく。
二人はICUにいる野崎の担当医師に会うと、古瀬が杉本を紹介して、杉本が手術の内容を説明した。
担当医師は驚いて、すぐに院長と学長に連絡をとった。
5人での話し合いは、4時間に及んだ。
その間に野崎は2回、心停止を起こして担当医師が駆けつけるという状態だった。

「秘密は守る」

古瀬と杉本は言い、それは要望書に署名をした人たちも同じだと説明した。
病院側も承諾して、野崎の手術が行われることになった。


杉本 紗也医師執刀による、野崎 源三郎の脳を高瀬 里奈の体に移植する『脳移植手術』が・・・・・。


人工呼吸器に繋がれた里奈が、ストレッチャーに乗せられて手術室に入っていく。
『高瀬さん・・・』
もともと色白の里奈の肌が、今はまるで透き通るように白くなっている。
『ごめんなさい』
胸を締め付けられるような思いで、古瀬はストレッチャーに乗る里奈に頭を下げた。
里奈が手術室に入って暫くすると、野崎がストレッチャーに乗って手術室に運ばれた。
ストレッチャーの後ろから、白衣を着た杉本も歩いて来た。
二人は視線を合わせ、そして頷きあった。
『先生・・・・・』
古瀬は、思いを込めてストレッチャーに乗る野崎に、深々と一礼した。
ストレッチャーが手術室に入り、扉が静かにしまった。
やがて、扉の上に『手術中』のライトが点灯した。


手術には、まる一日が費やされた。
「細い神経を繋ぎ合わせるわけだから、なかなか大変よ」
いわば職人仕事ね・・・・・手術を終えた杉本は、充実した表情で古瀬に言った。
「手術は成功したわ。次は、貴女達の番ね」
いろいろな思いのこもった杉本の眼差しに、古瀬は力強く頷いた。


数日後、新聞の一面に『衆議院議員 野崎 源三郎氏死去』の記事が出た。
野崎 源三郎は、その新聞記事を大学病院の病室のベッドの上で読んでいた。
否、ベッドの上にいるのが野崎 源三郎というのは間違いかもしれない。
そこにいるのは、どう見ても85歳の男性には見えないからだ。

『俺が・・・死んだ?』

どういう事なんだ? 俺は、ここにいるじゃないか?
野崎は、秘書の古瀬女史を呼ぼうとした。
しかし、何故か声が出ない。
唇が震え、喉の奥で唸るような声がするだけだ。
どうなっているんだ? あの日は確か、国会に向かって、議事堂で記者に囲まれた。
そして、古瀬女史の持っていた携帯電話が鳴った。 そして、彼女が言った。

『高瀬さんが、脳死状態になってしまったそうです』

野崎は叫ぼうとした。
しかし、彼は声を出すことができない。
手にしていた新聞を、病室の壁に投げつけようとしたが、指に力が入らず、新聞はベッドのそばの床に落ちてしまった。
野崎はベッドの上で体をずらして、何故か小さくなったように見える両足を床に下ろすと、立ちあがって病室のドアへ・・・・・歩く事は出来なかった。
足に力が入らず、そのまま床に倒れ込んでしまった。
音を聞きつけたのか病室のドアが開き、看護師と古瀬女史が入って来て、床に倒れた野崎を抱き起こした。
「野崎先生?!」
大丈夫ですか?・・・・・古瀬が声をかけ、看護師と一緒に野崎の柔らかい体を支えて、ベッドに寝かせた。
野崎は古瀬に話しかけようとするのだが、何故か言葉にすることができない。
やがて病室に杉本医師が入って来て、自分のものとは思えないほど白く細い腕に注射をすると、野崎は眠りに落ちていった。



どのくらい眠ったのだろうか?

野崎は目を覚ますと、病室の中を見回した。
夕方なのだろうか? 病室の中は薄暗い。
ベッドの横では、古瀬女史がパイプ椅子に座っていた。
疲れているのだろう、うたた寝をしているようだ。
「・・・・・」
古瀬女史に呼びかけようとするのだが、やはり言葉にならない。
もう一度・・・・・。
「古瀬君?」
ようやく出た声を聞いて、野崎は強烈な違和感を感じた。
自分が出した声が、まるで若い女性のような声なのだ。
呼びかけられた古瀬女史が顔を上げた。
「先生・・・・・気がつかれましたか?」
良かった・・・・・古瀬がベッドの横に立ち、安堵したような口調で言った。
「何かお飲みになりますか?」
古瀬が尋ねると、野崎は首を振り、
「古瀬君、声が変なんだ・・・・・」
呟くように言った野崎は、やはり自分の出した声に、強烈な違和感を感じた。
まるで鈴を鳴らすようなかわいらしい女の子のような声・・・85歳の老人の声とは思えない。
「私は・・・国会で倒れて・・・いったいどうなったんだ?」
野崎が尋ねた。
古瀬は、じっと野崎を見つめている。

「・・・・・古瀬君?」

野崎が静かに言った。
古瀬が口を開こうとしたその時、病室のドアが開き、白衣姿の女性が入って来た。
彼女は微笑みを浮かべながら、
「野崎先生・・・・・それについては、私からご説明いたします」
東都大学の杉本と申します・・・・・杉本 紗也は野崎に一礼すると、手術の説明を始めた。
あの日、野崎が国会議事堂で心筋梗塞を起こして、そのままでは死は避けられない状態に陥ったと。
「しかし、私は今・・・生きている」
野崎が、自分のものとは思えない声で呟いた。
「はい、手術を行いましたから・・・」
白衣のポケットに手を入れて、杉本がベッドに歩み寄っていく。
杉本は、息を吸い込んだ。そして、静かに・・・・・。

「野崎先生の脳の、移植手術を行いました」

意味がわからない・・・・・野崎の視線がそう言っている。
杉本はポケットから手鏡を取り出して、野崎に手渡した。
野崎が杉本から手鏡を受け取り、自分の顔を映した。
そこには、里奈が驚いた表情で、野崎を見つめている。

「野崎先生の脳を・・・・・高瀬 里奈さんの体に移植しました・・・・・」

「なんて事を?!」

野崎・・・否、里奈が怒りに満ちた表情で杉本医師を睨み付けた。
「先生?!」
古瀬が言うよりも一瞬早く、野崎が、
「彼女は、これからの人生が長い。私は、もう85年も生きたんだ! その未来がある彼女を・・・・・!!」
里奈の細い腕が震えている。
この手術をしたのだから覚悟は出来ている・・・・・杉本紗也は、冷静な視線を高瀬 里奈・・・・・つまり野崎に向けている。
古瀬女史が、里奈の小さな肩を掴んだ。
「先生、この手術は『私達』が杉本先生にお願いしたのです!」
「なにっ?!」
古瀬女史に怒りに満ちた視線が突き刺さる。
古瀬は、大きく息を吸い込むと、静かに言った。
「先生には、まだまだ頑張っていただかなければなりません。 それは、多くの人が望んでいることです」
杉本に見せた手術の『要望書』を野崎に手渡した。
野崎は震える指で紙を捲り、要望書に目を通している。
「杉本先生に手術をお願いしたのは私達です。先生ではありません」
古瀬が声を震わせた。
「高瀬さんには、申し訳なく思います。 しかし、彼女も先生がまだまだ国会で活動される事を望んでいたと思います」
多くの人たちの幸せのためにも・・・・・古瀬は、野崎に視線を向けた。
野崎も古瀬を見つめている。
その視線には、先程のような怒りはない。
里奈の体に入った野崎の視線。
そこには様々な思いが入り交じっていた。


やがて、病室からは若い女性の嗚咽が聞こえてきた。



トランスライナーの車内には、車輪が線路の継ぎ目を拾うリズミカルな音が聞こえている。

高瀬 里奈は、車窓の景色を見つめていた。



あの手術の後、高瀬 里奈になった野崎 源三郎は、古瀬 美恵子と共に東京から地元に戻った。
地元に戻ると、古瀬女史は里奈になった野崎に、『女性らしい言葉や仕草』をレクチャーした。
85歳の男性であるはずの野崎が、26歳の女性らしい言葉や仕草を身につけるのだ。
今思い出しても、野崎にとっては、あの頃の古瀬は『鬼コーチ』に感じられたものだ。

女性の衣服の身に付け方、メイクの方法。スカートを穿いて行動する時の注意点。

古瀬女史は野崎に言った。
「先生に気をつけていただかないと、高瀬さんが『下品な女性』と言われてしまいます!」

そうなのだ。
今の野崎は、26歳の高瀬 里奈なのだ。
野崎が『女性らしくない振る舞い』をすれば、それだけ里奈の評判を落としてしまう。
野崎は『鬼コーチの指導』に従い、女性らしい仕草や言葉遣いを身につけていった。
85歳の男性にとっては、実に恥ずかしかったのだが・・・・・。


里奈になった野崎が、最も困惑したのが女性特有の現象、生理だった。
その現象が起きる直前、里奈になった野崎は『腹痛』を感じていた。
85歳の男性にとっては、『よくあること』、食べ過ぎたのかと思っていたのだが翌朝、野崎の下着は血で汚れていた。
その時の事を思い出すと、里奈になった野崎の頬は、恥ずかしさで赤くなってしまう。
自分に起きた事を理解出来ず、呆然としている里奈になった野崎に、古瀬女史は優しく対処方法を教えてくれた。
自分が女性になってしまった・・・・・そう思い知らされた出来事だった。


ようやく里奈の体に慣れてきた頃、『高瀬 里奈の自宅』に来訪者があった。
奨学金の設立にも協力してくれた、地元企業の社長と養護施設の所長。地元の県や市議会の議員達だった。
彼等は、あの脳移植手術の要望書を書いたメンバーでもある。
古瀬女史と共に彼らと会った里奈に、彼等は衆議院選挙への出馬を要請した。


この時期、衆議院の解散総選挙が、テレビのニュースや新聞で話題になっていた。
野崎のいた選挙区・・・・・つまり、ここを訪れた人たちのいる選挙区・・・・・には、野崎がいた政党は若い男性候補者を擁立するようだ。
「候補者の人気投票では、国民のためにはなりません。私たちは、国民のための政治をしてくれる人を選びたいのです」
集まった人々が里奈=野崎に頭を下げた。里奈が横に座っている古瀬に視線を向けた。
古瀬が頷いた。
里奈は、静かに言った。
「わかりました。わたしにどこまでできるか分かりませんが、全力を尽くします」
応援を宜しくお願いいたします・・・・・居並ぶ人々に対して、里奈は深く頭を下げた。



里奈=野崎の所属していた政党は、30代の『若手イケメン男性』を公認候補として送り込んできた。
地元出身の人ではない。いわゆる『落下傘候補』だ。
結果として里奈=野崎は、『無所属新人候補』として立候補をすることになった。
マスメディアは、『美男美女対決』などと報道をしていたが、里奈=野崎にとってはどうでもよいことだ。
里奈=野崎は、『今までと同じように』公約を発表し選挙準備を進めていった。
苦しい選挙戦になる・・・・・里奈=野崎は覚悟をしていたのだが、いざ選挙戦が始まると、かつての野崎の支持者達が、
「野崎さんの教え子が、選挙に出馬した!」と、積極的に支援をしてくれた。
それだけではない。
里奈=野崎を最も驚かせたのは、高校、大学時代の里奈の同級生たちが、「里奈が選挙に出た!」、「皆で応援しようと!!」と、ボランティアとして応援に駆けつけてくれたのだ。
野崎がこれまで積み上げてきた政治活動の実績と討論能力(今の里奈の正体を知る人にしかわからないのだが)と、野崎と里奈が持つ人望。
落下傘候補は与党の支援があるとはいえ、里奈=野崎の持つ強力なネットワークと対決することになってしまったのだ。
そして、里奈の美しい容姿と若さをマスメディアが見逃すはずがない。
テレビのワイドショーや情報番組、ニュースでは連日のように選挙戦の様子が報道された。

選挙当日、里奈は古瀬女史や支援者、里奈の同期生達と共に選挙事務所で開票結果を見守った。

結果は圧勝だった。

花束を受け取り、里奈を応援してくれた支援者と共に万歳をしながら、里奈=野崎は彼(彼女)に一票を投じてくれた人達の想いを噛み締めていた。


選挙戦が終わり数日が過ぎた頃、壮年の男が一人で里奈を訪ねて来た。山村孝夫 70歳 野崎と共に衆議院で活動をしていた与党の議員である。
里奈=野崎は、古瀬と共に山村を迎えた。
山村は古瀬が出したコーヒーを一口飲むと、まず里奈に当選の祝いを言った。
そして、じっと里奈=野崎の目を見つめた。
どれ程の時間が経ったのだろう。
その間、山村は一言も発する事なく里奈=野崎を見つめていた。
やがて、深い吐息を吐くと、その顔に微笑みを浮かべながら言った。
「君を見ていると、まるで若い頃の野崎さんを見ているようだ・・・・・」
里奈は一瞬、複雑な表情を浮かべたが、すぐに微笑みながら、
「野崎先生には、大変お世話になりました」
里奈が言うと、古瀬が里奈と野崎が施設で出会った時からの関わりを山村に話した。
もちろん、「今は野崎の脳が、里奈に移植されています」とは言わないが・・・・・。
「なるほど・・・・・」
古瀬の説明を聞いた山村は、小さく頷くと、コーヒーを口にした。
カップを置くと、鋭い視線を里奈=野崎に向けた。
「貴女を『追加公認候補者』として、私達の党に迎えたい」
里奈は表情を変えずに目の前に座る40歳年上・・・実は自分の中の人は、彼より年上なのだが・・・の男を見つめていた。
隣に座る古瀬は、憮然とした表情をしている。
お言葉ですが・・・と、古瀬が山村に言った。
「私達は、党の候補者の公募に応募をしましたが、党の公認は得られませんでした。党が選んだ候補は、彼です。 その彼が落選をしたから、彼女を追加公認に・・・と、いうのは・・・・・?」
彼女が気の毒過ぎます・・・・・と、知らず知らずのうちに古瀬女史の口調は、厳しいものになっていった。
厳しい言葉を投げ付けられても、山村の表情は変わらない。視線を古瀬に向けると静かに、
「彼が落選をしたから、高瀬さんを追加公認するわけではない」
「では、なぜ?」
古瀬女史の口調は、相変わらず厳しいままだ。
山村が小さなため息をついた。
「君ならば、分かってもらえると思っていたのだがな・・・・・」
山村の言葉を聞いて、古瀬はムッとした。
「・・・・・あなたの公約や、選挙戦での言葉を聞いた・・・・・」
山村は古瀬にはかまわず、里奈の目をしっかり見ながら、
「・・・・・貴女が野崎さんの遺志を継いでいることを感じた。 だからこそ、追加公認をしたい・・・・・」
私達と一緒に、日本国民のために働いてもらえないだろうか?・・・・・山村の力強い言葉を聞いた里奈は、山村の目をしっかりと見ながら答えた。
「・・・・・よろしくお願いいたします」





高瀬 里奈が与党に所属することになった事で、古瀬女史は有権者からの批判があるのではないかと危惧をしていた。
ところが、彼女が聞いた有権者の声は、逆に与党を心配する声だった。
「古い考えの議員が、里奈ちゃんと渡り合えるのかな?」
「可愛らしい見た目に騙されると、ガツンとやられちゃうよね」
「彼女は、ただの客寄せパンダにはならない人だからね・・・大変だよ」

与党の中にも、里奈が加わる事に批判的な人がいた。
特に、里奈の選挙区に落下傘候補を送り込んできた与党の幹事長は、「なぜ、こんな小娘を追加公認するんだ」と、あからさまに公言していた。
議会への初登院の日に、里奈は党首や幹事長へ挨拶に行った。
党首はにこやかに挨拶に応じたが、まるで妖怪のような顔立ちの幹事長は、挨拶に訪れ目の前に立つ里奈を、あからさまに無視しようとした。
周囲の人達に気まずい空気が漂い始めた時、里奈は幹事長に歩みより何かを囁いた。
その瞬間、幹事長の顔が強ばり、血の気が引いていくのが周りの人にもはっきりとわかった。
「それでは、よろしくお願いいたします」
頭を下げて幹事長の部屋を出ていく里奈の背中に、
「おお・・・頑張ってくれよ・・・」
男は震える声で、そう答えるのが精一杯だった。
「先生、幹事長に何を言ったのですか?」
廊下に出ると、古瀬女史は気になって仕方がないといった表情で、里奈=野崎の耳元で囁いた。
「大した事じゃない・・・」
あいつが外で作った女や、汚れた金の話だよ・・・まだ身綺麗にしていなかったんだな・・・里奈=野崎は、ため息をつきながら廊下を歩いていく。
「さすが・・・・・」
立ち止まった古瀬女史が、小柄な里奈の背中を見つめていた・・・・・歩いていく里奈の背中に、かつての野崎の姿が重なって見えた。
「やっぱり、野崎先生だ!」
古瀬の顔に、微笑みが浮かんだ。
里奈=野崎が立ち止まり、振り返った。
「何をしているの? 仕事よ!」
里奈=野崎の言葉は、まだぎこちない。
しかし、これから国会での仕事に臨む里奈=野崎の覚悟を、古瀬女史はたしかに感じていた。
「はい、先生!」
古瀬は里奈に駆け寄り、議事堂の廊下を一緒に歩いていく。





高瀬 里奈は、隣の席に座る古瀬女史に視線を向けた。
彼女の細い指は、ノートパソコンのキーボードをまるで流れるようにタッチしながら、国会での資料作りをしている。
里奈は窓ガラスに視線を向けた。
そこには、今の『彼女』の姿・・・26歳の美しい女性の姿が映っている。


選挙が終わり時間ができた頃、里奈は一人で手術のお礼と、選挙での当選の報告のために杉本医師のもとを訪れた。
杉本医師も、彼女の当選を喜んでくれた。
しばらくお互いの近況を話し、里奈=野崎が「これからは、医療の分野にも力を入れて行こうと考えています」と、国会での活動の話をすると、杉本医師は少し考えた後、里奈=野崎の目を見ながら、「先生にお話ししておかなければならない事があります・・・・・」
古瀬さんにも話していないことですが・・・と、里奈と野崎に行った脳移植手術についての話を始めた。

里奈と野崎に行った脳移植手術は、まだ動物実験の段階のものだった。
もちろんヒトに対して行っても、『手術は成功する自信があった』し、現実に里奈と野崎の移植手術は成功した。
「しかし・・・・・」
杉本医師は少し躊躇いながら、
「ヒトでの移植手術は初めてなので、どのような副作用が起きるのかは、想像がつかないのです・・・・・例えば・・・」
杉本は深呼吸をして、
「動物実験では、移植した脳が移植相手と同化してしまう事例がありました」
「同化・・・・・?」
「はい、同化です・・・つまり・・?」
杉本医師は、里奈=野崎の目をしっかりと見つめた。
「『野崎先生の脳』から先生が消えて、脳細胞も里奈さんの体と一体になる・・・・・」
そういう事が起きる可能性があるということです・・・杉本医師は、静かに言った。
部屋は、静寂に包まれた。
やがて杉本の前に座る里奈=野崎は、その顔に微笑みを浮かべた。
「わかりました、ありがとうございます」
お礼を言うと、
「この件は、古瀬君には秘密にして下さい」
微笑みながら話す里奈=野崎に、杉本医師は、
「・・・・・はい、わかりました」
少し躊躇いながら答えた。
「ありがとうございました。それでは、これで失礼します」

何故、『自分でなくなるかもしれない』可能性を聞かされて、微笑んでいられるのだろうか?・・・柔らかな微笑みを浮かべながら部屋を出ていく里奈の後ろ姿を、杉本医師は複雑な想いで見送っていた。





里奈は、窓ガラスを見ている。

そこには今の『自分の姿』・・・・・26歳の女性の顔が映っている。
『彼女』は、杉本医師の説明を思い出していた。
野崎の脳細胞が、この里奈の肉体に同化すると、自分の・・・野崎の『こころ』は消え去ってしまうのだろうか?
自分のこころが消え去れば本当の『高瀬 里奈』が、この肉体に戻って来るのだろうか?

『それならば・・・・・』

わたしは喜んで、この体から去る・・・・・里奈、帰ってくる来るんだ。
そして、この体で君の未来を・・・・・。

里奈が見つめる窓ガラスに映る女性は、美しい微笑みを浮かべながら、里奈を見つめていた。





列車のスピードが落ち始めた。

乗務員室では、女性車掌が右手にマイクを持ち車内アナウンスを始めた。
アナウンスを終えると、窓を開けて顔を覗かせた。

『トランスライナー』が、駅に入線していく。

駅のホームには、サラリーマンやOL、学生達が乗車位置に整然と並んでいる。
駅員が到着する列車の窓から顔をだしている女性車掌に軽く手を挙げて挨拶をした。
女性車掌は敬礼を返した。
列車のスピードが落ちて停車をした。
女性車掌は停止位置を確認すると、ドアのスイッチを押した。

『トランスライナー』のドアが開と、新たな乗客達が乗車を始めた。






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第3話(後編)
  おわり







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