Fairy tale 0





穏やかな日差しの降り注ぐ、ある午後の昼下がり。
花爛漫な季節。

少女は暖かな陽の下で、お茶会に飾るための花を摘んでいました。
色とりどりの花々が少女を優しく誘います。
その手に手折られ、飾られ、人々の瞳を楽しませる事を期待しながら。

少女が頬を染めたような風合いの愛らしいピンクの薔薇に手を伸ばした時です。
一匹の蝶がひらりと少女の前に現れました。
美しい青い蝶です。見たことのないその羽の美しさに少女は思わず声を上げました。

「まぁ。なんて美しい蝶でしょう」
花を手折る事も忘れ、うっとりと呟く少女に、不思議な事に何処からともなく声がしました。

『蘭ちゃん!嗚呼、私はずっと貴女を捜していたの。……お願い、私のお願いを聞いてちょうだい』












蘭は突然名前を呼ばれ、大きな瞳を更に丸くし、びっくりした顔で辺りを見回した。
しかし、彼女の近くには誰もいない。視界の中にいる生き物と言えば、美しい羽を持った青い蝶だけだ。

「……まさか……ね」
蘭は、相変わらず近くを飛んでいる蝶にほんの少しだけ疑わしげな視線を送ったが、すぐに苦笑して首を振った。

『いいえ、貴女を呼んだのは私。お願い、どうか私の話を聞いて』

切羽詰まった声がまた蘭の近くで響いた。相変わらず、青い蝶は飛び去る事なく彼女をひらひら飛んでいる。
まさか、と思いその蝶を見つめる。すると、また声が聞こえた。

その時、初めて気付いた。声は蘭の頭の中に直接響いている事に。


「信じられないけれど……私を呼んでいるのはあなたなの?」
蝶相手に真面目くさってそう訊ねると、蝶はひらりと蘭の周りを旋回した。
『そうよ。ようやく気付いてくれたのね。……私の名前は青子。貴女に大切なお願いがあって此処で待っていたの。どうか、話だけでも聞いてちょうだい』

蝶のその嘆願に蘭は戸惑いながらも頷いた。すると蝶は嬉しそうに羽を広げ、事の始まりを語り出した


青い蝶──青子は、妖精の国で由緒ある貴族の姫である。
青子の住む妖精の国では、今夜盛大な舞踏会が催される事になっていた。
舞踏会と言っても、只の舞踏会ではない。この国の王子がお妃を決めるという大事な舞踏会なのだ。もちろん、その舞踏会に青子も招待されている。王族に最も近い血を持つ青子は、王子の一番のお妃候補なのだ。

『王子とは、幼なじみなの。小さい頃からずっと一緒に王宮で過ごしてきたわ。青子にとっても、今夜の舞踏会はとても大切なものなの。もちろん準備は滞りなく進められて、青子もとっておきのドレスを用意して、今夜を楽しみにしていたの。だけど……』

青子の一番の友達である白百合の精が、突然青子の屋敷に訪れた。彼女は青子と違い身分は低く、今宵の舞踏会に招待されていない。
彼女は貴族ではなく魔法使いなのだ。魔法使いと呼ばれる彼女は、未来を見通す眼を持っていると言われていた。
白百合の精は、占いとして以外の己が見た未来を決して他の者には口外してはならないという決まりがあった。しかし、彼女はその時見た未来が青子の将来に大きな影を落とす事を知り、禁を破って知らせに来てくれたのだ。

『白百合の精によると、今夜の舞踏会は黒い影に覆われると言うの。とても不吉な事が起きると予言しているのよ』
「……まぁ。それは、一大事じゃないの!」
あまりの大事に蘭は思わず声を上げた。青子はその言葉に深く頷く。

『そうなの。……でもね、良く聞いてね、蘭ちゃん。実はこの災いを未然に防ぐ方法があるの。白百合の精はこう言ったわ。「黒い影を見る事が出来る者が存在する。それは妖精ではなく人間の女の子。今日の午後、この花園にやって来る女の子が、王子の命を救う事が出来る」と。……そして、その白百合の精の言う人間こそが、蘭ちゃん、貴女なのよ』
「わ、私!?」
突然の事に、蘭は何度も瞬きをしてみせた。

『彼女の言う事に間違いはないわ。今まで一度だって未来見を違えた事はないもの。お願い、蘭ちゃん。どうか青子の国に来て。そして、王子を守って!』
彼女の悲痛な叫びに、蘭の心はざわめいた。だが、彼女が言うほど自分にそのような力があるとも思えない。
しかし……。

「私があなたの役に立てるかどうかは分からない。でも、困っているのに見捨ててなんていられない。私で出来る事があるなら、お手伝いするわ」
そう蘭が告げると、蝶は喜びを表すかのようにふわりふわりと舞い上がった。
『ありがとう、嬉しいわ。それじゃあ、早速行きましょう』
青子がそう言うと、突然強い風が吹き上げた。周りの花が風に煽られ、可憐な花びらが空中に舞い上がる。雲一つない青い空に向かって吹き上げる風に驚いていると、いつの間にか蘭自身の身体も宙に浮き上がっていた。

その事に驚く間もなく、蘭はこの世界から姿を消した。









春の世界。
蘭がこの妖精の国に来て、最初に感じたのはこうだった。

色とりどりの花々が咲き競うかのように咲き誇り、甘い香りを一面に漂わせている。

美しい、本当に美しい国だった。

「此処が……妖精の国なのね」
うっとりと蘭が呟くと、隣に佇む少女が頷いた。

「そうよ。……ようこそ、妖精の国へ」
少女は青子だった。人間界では蝶に身をやつしていたが、此処では違う。
蘭と同じ人の姿をしていた。

黒く長い髪はたっぷりと長く、風に吹かれてさらさらと靡いている。陶器のような白面に大きな瞳、美しく通った鼻梁、愛らしい口唇は清楚な桜色で艶やか。すらりと伸びた手足も美しく、そして、その佇まいに押し込める事が出来ないくらいの利発さが滲み出ている。
美しい少女だった。

「王宮は、今夜の舞踏会の準備で大忙しなの。もちろん、蘭ちゃんも出席して下さいね」
青子はそう言うと、蘭の手を引いて王宮へと誘った。
目に見える全てが初めてのものばかりで、蘭は周囲に好奇心の視線を投げかけながら、青子に連れていかれた。


王宮は、それはもう表現出来ない程、豪奢な造りだった。
贅を尽くした凝った装飾はきらびやかで、天井も壁も目も眩まんばかりに輝いている。毛足の長い絨毯は頬ずりしてしまいたくなるほどの柔らかさで、その上を歩く蘭の足は、ふわふわと宙に浮いているようにすら感じた。
纏う空気は、かぐわしい華の香りに包まれ、蘭自身が高貴な者になったかのような錯覚さえ覚える。


案内された一室では、妖精達が今夜の舞踏会に備えて準備の真っ最中だった。
此処にいる妖精達は皆身分も高い年頃の娘達ばかり。王子の花嫁候補達である。

妖精達は、王子のダンスのお相手に選ばれることを願って、自分を磨き上げる事に余念がない。
そこには、屈託のない華やかさと、ほんの少し、女性特有の虚栄心が入り交じっていた。

「さあ、蘭ちゃんも着替えてちょうだい」
青子がそう言うと、どこからともなく二人の侍女が姿を現した。その手には美しく染め上げたモスリンのドレスを捧げ持っている。
もう一人の侍女は、金色に輝く髪飾りや首飾り。見たことのないようなアクセサリーをたくさん携えていた。
蘭も年頃の少女である。美しいドレスや飾りを見てうっとりと溜息をもらした。

蘭は人間で、もちろん妖精の国では只の客人である。お妃選びの舞踏会と言っても、人間である蘭がこの国の王子と一緒になれるはずもなく、蘭ももちろんそんなつもりはなかった。けれど、鏡に映る美しく飾り立てられた自分の姿を見て、とても満足気に微笑んでしまうのは、やはり女の性。長い髪を優雅に結い上げられ、金色の髪飾りで彩られた姿は、申し分のない美しさだった。

口唇にほんのり色の付いた紅を差される時には、立派な淑女が鏡の前で佇んでいた。
蘭は、嬉しそうな、そしてほんの少し不安に表情を変えながらも、小さく微笑んでみた。

「まぁ、とっても綺麗にお支度が整ったようね」
背後に映る貴婦人の姿に、蘭は慌てて振り返った。

淡いグラデーションのかかった青いドレスに身を包んだ青子は、輝くばかりに美しかった。
髪に挿した薔薇の花からはかぐわしい香りが漂い、彼女の身を包んでいる。
妖艶というよりも可憐で清楚な愛らしさは若々しさで輝いていた。

青子は薔薇の精なのだと蘭は気付いた。


「……綺麗」
うっとりと呟くと、青子は恥じらいながら礼を言った。他の貴婦人にはない魅力である。蘭は、きっとこの少女が王子の心を射止めるのだろうと、そう思った。



教養というもの全てが整った青子の所作は申し分のないものだった。しかし、その端々に瑞々しさが溢れている。大広間に集まった招待客の中でも彼女が一番輝いていると蘭は思った。
人の子である蘭も、周囲の注目を集めてはいたが、彼女に声を掛ける者はいない。蘭はそれが少し寂しく感じられたが、却ってゆっくりと周りを見ることが出来ると気を取り直し、広間の隅に設けられていた豪奢な金の椅子に腰掛け、周囲の動きを追っていた。


選ばれた人間の瞳には、妖精には見えないモノまで見えるという。
この王宮を覆う黒い影の正体を見破れるのは蘭だけだと青子は言った。

本当に……そんなモノの正体を暴くことが出来るのか。蘭には自信がなかった。しかし、自分が出来る全てをもって青子と、そして王子を守ってあげようと、そう心に誓った。



舞踏会は、美しい音楽と共に幕を開けた。
蘭の瞳に麗しい姿が飛び込んでくる。
「……あれが、王子様ね」
遠くからでは、はっきりとは見えないが、とても高貴な空気を漂わせているのは分かる。豪奢な衣装は他の招待客とは比べ物にはならないし、そして、彼の頭上に輝く金色の冠は、王子である何よりの証だった。


その王子は、青子の元に歩み寄り、何言か声を掛けた。彼女は輝くばかりの笑顔で応えていた。
遠くからでも分かる。……とてもお似合いの二人だ。きっと、他の者も二人を祝福するだろう。

幸せそうな二人の姿に満足した蘭は、後は滞りなく舞踏会が終わってくれれば良いとそう思った。
音楽は途切れることなく奏で続け、美しい貴婦人達も軽やかなステップを踏んで広間に鮮やかな華を咲かせる。その中でもやはり目が行くのは王子達だった。洗練された物腰で優雅に踊る二人に、何時しか皆も踊るのを止め、うっとりと魅入っている。
二人の踊りに合わせるように寄り添うように音楽が奏でられ、二人が踊り終えると、曲も余韻を残しながら演奏を終えた。



演奏が止んだ、丁度その時だった。
それを待っていたかのように、広間の入り口で衣擦れの音が聞こえた。……そして、人々はその姿の奇跡を眼にする。

一瞬、光が射し込んだような輝きを感じたのは、蘭だけではないはずだ。
もちろん、夜会であるのだから陽の光が射し込む事などありはしない。

光と思われたのは、一人の美しい妖精だった。

まだ若い妖精だが……桁外れに美しかった。まるでこの世のものとは思えない。この華やかな広間の中が一瞬にして色褪せてしまったかのような、圧倒的な美を身に纏っていた。

漆黒の見事な髪を大胆に結い上げ、白金で造られた意匠の凝った髪飾りを付けている。艶めかしく剥き出しになった首筋から肩、背中にかけて惜しげもなく肌は晒され、しかも白磁よりも白くきめの細かなそれは、しっとりと息づくあえやかさがあった。
薄い紗を幾重にも重ねたようなドレスは、髪と同じ色。しかし、決して重々しく感じられない。衣装には銀粉がまぶしてあるのか、広間の照明にきらきらと瞬いてとも美しい。

入り口に立った妖精は、ゆっくりと優雅に広間に足を踏み入れた。
さらりと身体に纏うドレスが、妖精の歩調に合わせて、華麗に波打った。

招待客は、誰一人として身動きが出来なかった。広間に居る全ての視線を受けても、その妖精は真っ直ぐに顔を上げ、怯むことなく毅然として、歩みに乱れはなかった。

呆然と佇んだままの青子は、王子の隣でまるで幻を見るかのようにぼんやりと見つめたまま動けない。
青子などでは到底及ばない程の美しい妖精は、真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくる。正確には、青子の隣に立つ王子の元に。


しん、と水を打った静けさの中、動きを見せたのは王子だった。
こちらに向かって歩いて来る美しい妖精に心を奪われたように、一歩足を踏み出す。

心地よく奏でる衣擦れの音と共に、妖精は王子の前で立ち止まった。
吸い込まれそうな程の深い色を湛えた蒼い瞳が、王子を映している。薔薇色に彩られた艶やかな口唇は、ゆったりと微笑していた。

今まで見たこともない。これ程までに美を具現した者が存在する事こそが奇跡のようなその姿。

王子が一目で心を奪われたのは、誰の目にも明らかだった。……隣に立ち尽くす青子でさえも。


先に手を差し出したの王子だった。ダンスのお相手を、と。

王子の誘いに、妖精はほんの少し躊躇したように身じろぎした。それから、誰もが魅了する程の華やかな微笑を王子に贈った。
妖精が白く美しい手を王子の掌に重ねようとした。

しかし、それまで黙って見つめていた蘭が、突然叫んだのだ。


「ダメよ!その手を取ってはダメ!その人は妖精じゃない。悪魔よ!!」
あまりの美しさに目を奪われ過ぎて、見過ごす所だった。
王宮を覆おうとしていた黒い影。その影が王子の傍に佇む美しい妖精から発されている事に、遅蒔きながら蘭は気付いたのだ。

蘭の叫びに王子は我に返ると、腰に履いていた長剣を引き抜いた。瞬時にその剣先を美しい妖精の前に突き出す。
妖精は驚愕の顔で王子を見つめた。しかしその表情は一瞬の内に消え失せ、次に王子が目にしたのは、奇妙に口角を歪めた嫣然とした微笑だった。

「まさか、妖精の舞踏会に人間が紛れ込んでいようとはな」
美女から発せられたそれは、低く艶のある声だった。

悪魔と呼ばれた者は、王子の剣など気にも留めずに相手を睨め付けると、霧の中から現れた長い杖でそれを払った。
甲高い音を立てて、美しく磨かれた床の上に剣が跳ねた。
それから人間である蘭を見つめ、そして王子の隣の青子に視線を移す。

「やってくれる。……流石に王子に一番近しい者だけのことはある。お前が人間などこの国に入れなければ………オレが王子を虜に出来たものを」
忌々しげに吐き捨てるその態度には、先程まで感じていた女性らしさは微塵も感じられなかった。

「──だ、黙りなさい、この悪魔!正体を悟られたのなら、さっさと消え失せれば良い!」
震えながらも毅然と言い放ったのは青子だった。その声に加勢するかのように、彼等の近くに走り寄ってきた蘭は、床に投げ出されたままの剣を取り上げて、黒い悪魔の身を貫いた。

咄嗟の事に交わす事が出来なかった悪魔は、その剣の切っ先に掛かると、一瞬にして霧と化し散った。
残ったのは、黒髪に飾っていた白金の髪飾りだけだった。かしゃん、と磨き込まれた床の上に虚しく響き渡った。




「蘭ちゃん!どうも、ありがとう。貴女のお陰でこの国は守られたわ」

無我夢中で悪魔を退散させた後、呆然としている蘭に、青子はそう言って抱きついた。そして、未だ彼女の手の中にある剣を、王子はそっと外させて彼も礼を述べた。

「ありがとう。……君が居なかったら……あのまま虜になる所だった」
静かに言う王子に蘭は首を振った。
「お礼なら、青子ちゃんに言ってあげて。……彼女に請われなければ、私は此処に来なかったもの」
はにかむ蘭に王子は小さく頷いた。

「あら、そんな……。青子は、快斗が幸せでさえいられればと、それだけを思っていただけよ」
恥じらう青子に蘭は微笑んだ。
青子は、恐らく蘭が想像しているよりも深く強くこの王子の事が好きなのだ。そして、その気持ちをこうして王子も知る事になるだろう。


二人の幸せな将来を想像して、蘭はふんわりと幸せな気持ちになった。


一連の出来事に静まり返っていた王宮も、再び活気を取り戻す。晴れやかな音楽が奏でられ、王子と妖精の国を救った蘭を口々に湛えた。そして、近い将来一緒になるであろう王子と青子に、祝福の言葉を贈った。


王宮は、妖精の国は、幸せな空気に満ち溢れた。














最も晴れがましくて、目も眩むような幸せに包まれている中。

王子が、床にうち捨てられたままの白金の髪飾りを拾い上げた所を見た者は、誰一人として居なかった。






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2003.11.05
Open secret/written by emi

この話に限って、ある童話の設定をそこはかとなく流用しています。
でも、何の話かは覚えていない(汗)

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