好きで愛して抱きしめてキスして押し倒してそれからそれから





中秋の名月と言えば、月見である。
日本人にとってなじみ深いそれは、元々中国から伝えられたもので、始まりは古い。
月見として日本で定着したのは、それより後の平安時代になってから。起源は日本ではないものの、日本古来の文化と言って差し支えないだろう。
しかし、現代人のどれだけの若者が、月見を行うだろう。月に二度訪れる満月と今夜の月も変わりはなく、特に都会の空に浮かんだそれは、決して情緒のあるものではない。

ススキの穂を飾り、月見団子を供えて、中空に浮かぶ月を楽しむ。

何より、こんなゆったりとした贅沢な時間など、現代人は持つことは出来ないのかも知れない。
工藤新一も、そんな忙しい現代人の一人である。


しかし、何処の世界にもお節介者は存在するもので。
「名探偵には、今日と言う日の素晴らしさを身をもって知って貰わねば」
と、意気込み激しく門柱の上に立つ、月見とハロウィンと間違えたのか、奇体な仮装した不審者一人。

肩に担ぐ程の量のススキの穂が風に揺れる。ススキなど、特に華やかな植物ではないが、ここまで集まればある種壮観だ。
「名探偵は、今宵もお仕事。大怪盗は、これからお仕事」
どうでも良い事を口ずさみながら、未だ明かりの消えたままの工藤邸に侵入する。

今夜の仕事は、今までになく重大で決して失敗など許されない。慎重且つ綿密に事を運ばなければならないのだ。
しん、と静まりかえった邸内で、こそこそと表現するにはあまりにも大胆な動きでススキを飾っている姿は、滑稽以外の何物でもない。しかし、当の本人は真剣そのもの。



そして、家主の帰宅で本番。



今日も今日とて名探偵は、警察のみなさんの間で引っ張りだこ。あっちもこっちも顔を出して、難解な事件を託されて、ビシバシ推理して颯爽と解決する。
そして、日々評判はうなぎ登りの天井知らず。迷宮無しの名探偵。『名探偵』という言葉は、工藤新一の為にあると言っても過言ではない。むしろそうなのだ。
既にそれは万人が認めている事だから、これでいいのだ。

と言うことで、今日も今日とて名探偵は、警察の皆々さんから多大な感謝だけを受けて夜半に帰宅。
難解な事件を見事推理解決したので、今日の彼はなかなか機嫌がよろしい。
だから、一人住まいの留守中で、しっかり施錠してあったのにも関わらず、何故かその家の中に入り込んでいる招かざる客の姿を見ても、特に怒りに充ち満ちはしなかった。

もう少しで今日が昨日になる時刻。そして、今日が明日になる時刻。人工の明かりを灯す事無く、遮光性の高い厚手のカーテンだけを開けて光を取り込んだリビングに佇むは白い影。
「確か住居不法侵入は、執行猶予無しの実刑30年以上だったよな」
工藤新一の六法全書には、そう記載されているようだ。
「すると、殺人犯は300年くらいですか」
「窃盗犯は、150年以下の懲役刑にしておいてやる」
捕まったら、一生出てくるなよ。 と、そう言いながら笑う。

本当に、今宵の名探偵は機嫌が良い。不法侵入の窃盗犯も嬉しそうに微笑むと、レースのカーテンを開けた。
薄いカーテン越しでも充分明るさを保っていた室内が、更に強い光で満ちる。
「今宵は十五夜、満月ですよ」
中秋の名月が満月になるとは限らないが、今年はそうだったらしい。丁度南中に浮かぶは、まん丸輝くお月様。

「何だお前。わざわざ月見でもしに来たのか?」
呆れた声は、窓辺に活けられた大量のススキの穂を見ての事だ。手頃な花瓶が見付からなかったのか、使われていないアルミのダストボックスに放り込まれている。しかし、その姿が結構様になっているから不思議だ。

相変わらず物好きな泥棒だな、と名探偵は思った。が、しかし。

「月見?……いえ、片月見になると縁起が悪いので、今宵は特に月を愛でるつもりはありませんよ」
おやおや、珍しい。名探偵の華麗な予測をあっさり覆した泥棒に、ほんの少し目を見開いて小さく首を竦める。
「用もないのに姿を見せるなんて珍しい。それでは一体何をしに来たのかな」
「用はありますよ。……ええ、とても大事な用で、今夜を逃すとまた1年待たねばならない」
真剣な表情でそう告げる泥棒に、名探偵は首を傾げた。何だ何だ?今日という日に一体どんな重大な秘密が隠れているのだろう。
新たに生み出された謎に、名探偵は真剣な面持ちで考える。無意識の内、片手であごを支えるようにして、いつものポーズ。

「今宵は泥棒にきました」

世紀の怪盗、平成のアルセーヌ・ルパンはそう言って窓を開け放つ。
冷えた風が室内を軽く吹き抜けた。

「……」
名探偵は彼の言葉にまたしても首を竦めた。がっかりしたのだ。肩を落とすほどの落胆ではないものの、彼のやろうとしている事が何時もと同じであった事に拍子抜けしたのだ。
……そんなもの、今夜でなくても構わないではないか。

そう思ってから、ふと思い至る。

泥棒って、何を盗むのだろう。
この家はとても大きいが、金目の物は何一つ有りはしなかった。確かに彼の父親の蔵書の中には、かなり貴重な書物も紛れてはいる。しかし、実は蔵書の目録もない書籍群を選り分けて盗み出すのは大変な作業だ。それに、決して換金しやすいブツとは言えないし、いくら相手が平成のアルセーヌ・ルパン、怪盗キッドであったとしても、この名探偵の父親を敵に回してまで欲するモノがここにあるとは思えない。
実の息子が言うのも何だか、実父は大変大変恐ろしい存在なのだ。外面に惑わされてはいけない。

証拠は絶対掴みたくはないが、きっと人の一人や二人はあの世に送っている。特に彼担当の編集者の中には瀕死にまで追い込まれている者多数だろう。

名探偵は、特に彼に対して庇い立てするつもりはないが、知人が身内に害されるのを見るのはあまり楽しいものではないので、一応忠告する事にした。
「下手にこの家にあるモン盗ったら、命が無くなるかも知れねーぞ」
しかし、相手は怯まなかった。
「ご心配なく。今宵の泥棒犯は私ではありませんよ。……お月様ですから」
「……お月様?」
「別に月じゃなくても良いかな。神様でも構いませんし、まぁ特に誰と定められている訳でもないでしょうが」
「何言ってるんだ?」
傾げた首が、更に更に角度をきつくしていく。そんな名探偵の仕種に、彼は微笑ましそうに口元を形取ると、ゆっくりと近付いた。

「何はともあれ、私に罪が降りかかる事はありませんよ。……今夜はね」
益々理解不能と言った顔で首を傾げまくる名探偵に更に近付き、泥棒は腕を伸ばして彼を捕まえる。
驚く彼を無視して、その身体を自らの懐に引き込んだ。

「だって、今宵の私は月見どろぼうですから」
「……月見……どろぼう?」

その言葉の意味を瞬時に思い出せなかったのは、米花町には残っていない風習であった事もあるだろう。
地方……というより、地域によっては未だ残されている行事というか。大概に置いては、子供限定の。

「月見泥棒と言えば、所謂月見行事の一環として行われる風習で、そもそも月見は遙か昔唐の時代に伝わり、日本で盛んに行われ始めたのは平安時代。宮中行事であった所からみて、しかしながらそれは決して庶民のものではなかった。それが江戸時代になると、急速に庶民にも普及し、農作物を供えて月に感謝の意を表わすようになった。秋の収穫祭と密接に結びつき今日まで伝えられているものである。さて、肝心の月見泥棒についてだが……」

「中秋の名月の夜に何かしら盗まれてしまっても、それは全てお月様のなされた事。逆にこちらまで足を運ばれたお月様に対して、感謝し喜ばれたりもします」
突然脳内記憶ファイルから呼び出したデータを読み上げ始めた探偵を無視して、泥棒はさっさと結論を述べた。

「つまり、昔からこの夜に限って行われる泥棒については許されていたと、そういう事です」
「……」
「だから、これから私の行う事も全てお月様のなされた事として全て許される事。逆に感謝して頂きたいものですね」
盗られないと、却って縁起が悪いとも言われているのですから。

そう宣言する泥棒に、初めて探偵は嫌そうな顔を見せた。
なんとかして腕の中から抜け出そうともがくのだが、更に強い力で抱きしめる月見どろぼうは、そんな彼の態度など意に介することなく、ご機嫌な顔で言った。

「月見の歴史も月見泥棒の起源も私には全く興味ありません。興味があるのはあなただけで、私が欲しいのもあなただけ」
それは、泥棒なりの愛の告白。……キッドはそのつもりであった。

が、しかし。

「……欲しがられてもなぁ。オレは別に石じゃねーし」
彼の言葉の意味など、露ほども受け入れていない返事が返ってきた。

「宝石よりもずっとずっと、私には価値のある存在です」
重ねて断言する泥棒。……その迫力の意味も分からず、探偵は少しだけ怯んだ。

「いや、でも……価値云々の問題じゃなくてさ……そもそもペットは生き物だろ?責任を持って飼うべきもんだし」
突然話が飛んだ。……と、泥棒は思った。

「……ペット?」
「そう。それ以前に、オレはペットになるつもりはないから」
泥棒は首を傾げる。

「……いつからペットの話に?」
「え?欲しいって事は、つまりオレを飼いたいって事だろ?」
名探偵は人間で、人形などではない。だから、泥棒が自分を『物』として欲している訳ではないだろう、という所までは理解した。なら、生き物としての『欲しい』という事であろう。さすれば、それはズバリペット扱いしかない。
命あるもので、「欲しい」とか「貰う」等という表現が出来るのは動物関係だけ。……つまり、ペットだ。
泥棒は、よりにもよってこの名探偵をペットとして飼いたいと、そう言っているのではないのか。 と、探偵は考えたのだ。

彼の思考は、決して突飛ではない。……多分。
充分常識人だと思う。……おそらく。

しかし、目の前の泥棒も引けなかった。思考回路は「常識」に「非」が入るかも知れないが、彼の中では、己の思考は理にかなっていた。少なくとも、目の前の探偵よりは。


「違う違う。呼んだら尻尾振って飛んでくる犬みたいなペットなんて、私は欲しくないです。……そもそも、私はペットを飼いたいなんて思ってません。私があなたを欲しいのは……」
「欲しいのは?」

「好きだから」
「好きだから?」

「愛しているから」
「愛しているから?」

「抱きしめて」
「抱きしめて?」

「キスして」
「キスして?」

「押し倒して」
「倒して?」

「それから」
「それから?」
「それから……」
「それから?」
「…………」

「だから?」

何故か段々歯切れの悪くなる泥棒の言葉に、次第に探偵の眉間に縦皺が見え始める。
はっきりしない人間は、正直好きではない。苛々するのだ。
只でさえ、意味もなく身体を拘束されていて、好きだの愛しているだの、それこそ意味のない言葉を告げられ、だからどうだと言うのだ。

今夜はそれなりに機嫌が良かった自覚のある名探偵でも、あまりにも意味不明な構われ方をされては、いい加減我慢の限界もやって来る。
だから、名探偵は得意の足技で相手の向こう脛を蹴っ飛ばし、バランスを崩した隙をついて、先程から続いていた拘束からようやく逃れた。
それから、大きく息を吸い込むと、徐に口を開く。

「いいか、怪盗キッド。月見泥棒だか何か知らねーが、そんなもんにかこつけても、盗みは犯罪だ。他人の物を盗めば罪になるし、捕まれば罰せられる。例え、捕まらなくても罪は消えねーし……まぁ時効ってヤツもあるが、そんなものは社会を円滑にするための取り決めに過ぎない。罪は死ぬまで背負なきゃならねーし、償ったって、盗んだ事実は消えない。……お前は既に第一級の犯罪者ではあるから今更かも知れねーが、なぁキッド。これ以上罪を重ねるな。お前に残されているのが例え冷たい監獄しかなくても、これ以上他人様の物を掠め取るような真似はしない方が良い。……というか、するな」

だから、好きで愛して抱きしめてキスして押し倒してそれからそれからするのは止めておけ。 と、名探偵は幼子に言い聞かせるように曰ったのだ。

キッドは新一の言葉を黙って聞いていた。シルクハットと片眼鏡でさり気なく隠されいる為、彼の表情は窺い知れない。
……しかし新一は、何処かぴりぴりとした得体の知れない緊張感を肌に感じた。

それは、決して新一の気のせいではなかったようだ。
「新一……」
思い詰めたような声で名を呼ぶキッドに、新一もつられるように表情が強ばる。
「……な、何だ」

「新一……それでも私は新一を、好きで愛して抱きしめてキスして押し倒してそれからそれからしたい場合は、どうすれば良いのでしょう」
「どうすれば……って、おい」
あまりにもあまりな発言に、取り敢えず諦めるというのが妥当ではないだろうか。……と、些か人事の様に考えていると、キッドは固い顔を隠さず新一を見つめた。

「し、新一……!」
「何……?」
「新一、好きだ」
「はい?」
「愛してる」
「……はい??」
あまりにも真剣な表情を見せるキッドに、まさか「それがどうした」とも言えずに口ごもる。そんな相手を前にして、キッドは再びあっさりと彼の身体を拘束……抱きしめた。

好きで
愛して
抱きしめて

ここまで来たら、次は……。

「おい、……こらっ!──んんっ!!」
突然、新一は呼吸を妨害された。呼吸器官を妨害されるのは、死活問題である。例え塞いでいるのが、妙に柔らかくて暖かな感触のする……感じ様によっては、心地良さを伴うものであったとしてもだ。
いつの間にか差し込まれた舌が、新一の口の中で踊り出した。新一の舌に絡み付いて、一方的に弄られる。
吃驚して離れようとするも、気付けば新一の頭部をしっかり押さえられて身動きが取れない状態で、強い混乱状態に陥りそうになる。足元から抜けそうになるのを気力で保ち、呼吸困難になりながらも、必死に理性を保とうとする。
酸素不足で朦朧となりつつあった新一には、実の所、相手が何をしているのか正確に計り切れていない。だから、軽く足を払われて、そのまま床に押し倒された事も理解出来なかった。
突然視界が変化して、あれよあれよと思う間もなく、全身に重力が掛かった。

(重いぞ、重い)
それに苦しい。相変わらず口に張り付いたまま、呼吸を許さないキッド。柔らかく両腕を床に縫い付けられ、足の間に身体を割り込まされた恰好になってしまった姿では、なかなか抜け出すことも儘ならぬ。

ああ、どうしようどうしよう。このままではあの世行きだ。間違いない。殺される、もうダメだ────! と、覚悟を決めた時。

突然、口唇の拘束が剥がれた。それは、あまりにも突然の事だったので、新一は直ぐに口唇が解放されたという事に気付かなくて、愚かなことに暫し自分で息を止めてしまった。
もちろん、数秒後には大口開けて、ゼイゼイ言いながら酸素を取り込んだのだが。

そんな新一の態度を不思議に思ったのか、新一を殺し掛けた泥棒の方はと言うと、心配そうな表情で見つめていた。
……いや、そうではなかった。
キッドは、新一の淡く染めた目元を指先で触れて……複雑そうな声で、こう言った。

「新一って……もしかして、酔ってる?」
何か、舌に軽い苦みを感じるんだけど……。 と、覗き込んでくるキッドを無視して、新一はひとしきり深呼吸した。

そして、こう言い返す。
「……ったく。缶ビール一本くらいで酔うかよ!」

いやいや、そんな事より、新一には言いたいことがある。

「お前、オレを盗むとかほざきやがって、本当は殺したいんじゃねーか。窒息死狙うなんて、首でも絞めりゃ一発だろうに、おかしな方法で人の苦痛を引き延ばしやがって、──お前はオレをそんなにも恨んでたのか!」
ゼイゼイ言いながら、取り敢えず言いたい事だけぶちまけると、また酸素不足を補うように何度も深呼吸する。

「ペットにしたいのかと思えば、なぶり殺し。……随分物騒だな、キッド」
「……ああ、やっぱり酔っている」
がっくり肩を落とすキッド。
「これは歴とした殺人未遂だ。例え百歩譲ったとしても、暴行罪……いや傷害罪にはなる筈だ。その場合の量刑は……」
「200年くらいですか。……道理で、そんなとぼけた刑法を口にする筈だ」
些かうんざり、と言った口調で肩を落とすキッドに、新一はぐいっと上半身を起こしてまくし立てた。

「バーロー!だから、オレが缶ビール一本くらいで酔うかって、言ってんだよ!」
「はいはい。名探偵はお酒にはとても強いですもんね。その程度のアルコールでは酔いませんとも」
キッドの『愛の口づけ』を殺人未遂とはき違える程なのだから、何を言い聞かせても無理なのだろう。


「……もう、折角今晩は絶対新一と一線越えようと思っていたのに」
一線も何も、キッドは新一に対して告白したのも今夜が初めてならば、当然キスしたのも初めてで。
相手の方はと言うと、キッドに対して犯罪者で有りながらも、随分好意的に接してくれていたという程度で。

事実関係を明らかにしてしまえば、所詮この程度なのだが、キッドはめげずに今夜二人の関係を一気にステップアップしようと試みたのだ。
折角折角、こんな月の綺麗な夜に一種幻想的で風流な世界に誘って、そのまま甘い関係を成就しようと計画していたのに。

やはり、相手の都合を無視したのがいけなかったのか。
そんなキッドの恋人(予定)は、ずるずると腰を使って彼の下から這い出ると、そのままバタリと仰向けに倒れ込んだ。

良く見りゃ、最初からおかしかったのだ。
妙にご機嫌な探偵の言動の端々にそれは表れていた筈だ。……それに気付かなかったのは、キッド自身に余裕がなかったのと、彼に逢えただけで舞い上がっていた所為に違いない。
冷静な態度でいても、好きな人と一緒にいては、その心の内まで冷静では居られなかったのだ。


窓辺に近いその場所からは、綺麗な弧を描いた満月が新一の身体を照らしている。
明け放った窓から、涼しいと言うには少し冷えた風が吹き込んでくる。

新一は、ぼんやりと風を受けながら、ほっと息を吐いた。
「月見泥棒か……江古田では、ちゃんとやってるのか」
「──え?」
月を見上げながら、ぽつりと呟く新一にキッドは驚いた。……新一は、キッドの住処はおろか、本名すら知らない筈だ。
なのに。
「風習を守り伝えていくって言うのは大事なことだよ、うん。……でもな」
吃驚しながらも彼の傍にやって来たキッドが、仰向けになったままの新一を上から見下ろすように覗き込む。すると新一はうっすらと笑みを浮かべた。

「江古田ルールでは、学区外を出て月見泥棒を行う事は禁止されているはずだ」
「へ?」
「月見泥棒にはその地区地区で決まり事があってだな……。子供が夜に遠出するのも危険だし、うちの所みたいに最初からやっていない地区もあるしで、彼等が動ける範囲を学区で区切ってるんだよ。確か江古田地区はそうだった筈だ。……だから」
「だから?」
「米花地区(ここ)での泥棒は、ルールに反すると言う事だ。何より、泥棒が許されるのは子供だけだし……最初からお前はオレを盗む権利なんてなかったんだよ」
してやったり、と言った声音で言い放つ新一。相変わらず寝ころんだままだが、その恰好が楽なのか、襲われそうになったという事実に気付かないまでも、危険な男の前にしているにしては、些か無防備過ぎる恰好のまま、視線を投げつける。

そんな彼の視線にさえ、キッドの心臓はウサギのようにぴょんぴょん跳ねた。だが、彼の心情など一切お構いなし……と言うより全く気付いていない新一は、相変わらず寝ころんだまま、窓の向こうにぽかりと浮かんでいる月を見上げて、ぽつりと呟いた。

「それにしても……なんだかんだと言って、結局オレってば月見してるよなぁ。こんな綺麗なお月さん見てさ……これって、月見だよなぁ」
大振りに活けてあったススキの穂がさらりと揺れて、益々十五夜らしさを醸し出している様は、まさに月見の舞台に相応しい。

「……待てよ。だとすると、ちょっとヤバくないか……?」

一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものとされている。片方しか行わない事は、忌まれているからだ。
しかも、東都近辺では同じ場所で月見をしないと、やはり片月見とみなされてしまうらしい。

供えた団子はないものの、考えようによっては、盗まれるはずだった新一がある意味供え物だ。

新一は、ちょっと考えるように眉を寄せた。
残り物には福がある、などということわざはあるが……完全に残されてしまったものはどうなのだろう。
少なくとも月見で盗られなかった供え物は、縁起が良くないと言われているのだ。

「あれ……?もしかして、オレって縁起悪い?」
一人でぶつぶつ呟いている新一には、恐らく同じ室内に佇んでいるキッドの存在など忘れてしまっているのだろう。
先程から無視されているような気分を味わっていたキッドが、これからどうしたものかと思案していた所、
「なぁ、キッド」
唐突に声を掛けられた。

「な、何?」
もうすっかり今夜は諦めようと肩を落としまくっていたキッドは、いきなり呼ばれて、少しどきどきした。


そして彼は、月の女神の祝福を受ける。


「ペットにするんじゃなく、殺しもしないと誓うなら…………オレを盗んでも構わないぜ?」
「……へ?」
「だって、盗まれ損なうと、マジで縁起が悪くなりそうだし」
困ったように眉をひそめる新一の顔は真剣そのもの。

昔は、わざわざ盗んで貰うために軒先に置き、用意したそれらが全て無くなるのを見て、翌年の豊作祈願をすると言う。
そう考えると、手を付けられつつも結局は残されてしまった自分の立場がない。……というような気が新一にはしたのだ。
本人は未だ素面でいるつもりらしいが、やはりかなりきているらしい。

「普通盗んでいくのは食べ物でさ。オレ、別に食いモンじゃねーけど……」
「だ、大丈夫。ちゃんと食べてあげるから!」
棚からボタモチ!! 今まさに、キッドの脳裏には特大のボタモチが頭を上目掛けて落ちてきた図が浮かび上がっていた。

「お!マジか!?なら、問題ねーな」
うんうん。と、嬉しそうに頷く新一。多分全く判っていないだろうが、とてもご機嫌な笑顔だったから、キッドは内心ほんの少しだけ罪悪感を感じたものの、取り敢えずはその部分の感情に蓋をする事に躊躇しなかった。
『食べる』と言う意味の深さなど全く考えもしない新一の思考は、ある意味正常ではある。大鍋に放り込まれてぐつぐつ煮られるなんて事は無いだろうとタカを括っているだけで、正直な所、素面のようで酔っぱらっている人間ほど扱いにくく……そして扱い易いものはない。


相手の真意がどうであれ、キッドはこのボタモチを捨て置くつもりは到底無い。当然である。


気が変わる前に、さっさと食べてしまった方が良いのと判断した彼の行動は素早く、未だに寝転がったままであった新一の身体を、キッドは嬉々として抱き上げた。
そんな彼の心情など全く気付かない新一は、決して軽くはない身体を軽々と抱きかかえられるのを感じて、「流石、盗もうとしただけの事はある」と感心し、キッドの苦笑を買った。

「ゆっくりと落ち着いた所で食べても良いですか?」
「おう、ダイニングはあっちだ」
抱きかかえられたまま指を差す新一にキッドはにっこり微笑って頷いて、しかし、彼の指差した方とは逆に向かって突き進む。屋敷の奧へ。正確には、ゆっくりと身体を休める場所へ。

「好きで愛して抱きしめてキスして押し倒した所まではしたから、次はそれからそれからですね」
「……うん?……まあ、宜しく頼むわ」
相変わらずにこにことご機嫌な探偵に、こちらもまた大層機嫌の良い泥棒が微笑み返す。


こうして、誰も居なくなったリビングには、先程と変わらず照らし続ける月と大量のススキの穂だけが残されて、時折吹き込む風以外は夜が明けるまで誰も姿を見せる事は無かったのだった。








そして、肝心の二人がその後どうなったのか。









NOVEL

2004.09.28
Open secret/written by emi

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