「ただいま〜っ。ごめ〜んっっ、遅くなっちゃった。今急いでご飯つく・・・・。」
「遅いぞ香〜。お前の代わりに美香ちゃんが作ってくれてるんだぞ。何処ほっつき歩いていたんだよ。」
息を切らせて走りこんできた女に男はそう言いながら、女の方を見た。
そこには呆然と立ち尽くす女の姿があった。
「香?!・・・。」
「え、あっそう、ごめんなさい。疲れているときにそんな事までさせてしまって・・・。」
「良いんですよ。私結構好きなんです、こういうこと。気分転換にもなるし・・。」
「じゃ、何か手伝いましょうか・・?」
女がそういってエプロンに手を掛けると、依頼人の女はその手を制止した。
「いいですよ、香りさんもお疲れでしょう?それに私一人のほうが良いし・・・。」
「そ、そう?じゃぁ今夜はお任せしようかな?」
「そうして下さい。コーヒーでも飲んでいて。」
「ありがとう・・。」
女は少々複雑な表情でキッチンを後にした。
「美人で知的で家庭的。まったく非の打ち所がないよな、美香ちゃんは。」
男は立ち去る女の背中にからかうように言葉を投げかけた。
「そうね、・・・。」
女はポツリとそう言うと振り返りもせず、自室に向かった。
女は自室に戻ると、ベッドの上に座り込んだ。
昼間女は教授の家を訪ね、パートナーには内緒で依頼人の女の身辺を調べていた。
疑わしき情報は得られなかった。
というよりも依頼人の女は全くの素人であり、裏の世界には関わりの無い人間であった。
同時に彼女が言うような、裏の人間との繋がりも全く見出せなかった。
「・・・いったい、どういう事なのかしら。」
女が考え込んでいると、いきなり部屋のドアが開いた。
「香。」
「ちょっと、ノックしてっていつも言ってるでしょ。」
「悪ィ。今日美香ちゃんが狙撃された。」
「え?!・・・怪我とか・・」
「それはねぇよ。俺がいたからな。お前も気をつけろよ。」
「・・・・うん。・・・あのさ、僚。彼女探している彼について何か言ってた?」
「いいや。お前何か知っているのか?」
「ううん、逆に知らないから、ちょっと気になって・・・。」
「そうか・・・。ところで香、お前昼間何処に行ってた?」
男の問いかけに女は一瞬ぎくりとしたが、平静を装い答えた。
「買い物よ、今日バーゲンだったから・・・。」
「ったく、こっちは仕事してんのに買い物かよ。いいご身分で。」
「あんたに言われたくないわよ!」
女の非難をよそに男はあくびをしながら部屋を出て行った。女はホッと息をついた。
教授にもその助手にも口止めしておいたとは言え、パートナーの洞察力と情報収集力を前にして自身の行動が見透かされるのは時間の問題だと女は思った。
「直接、当たるかな・・・。」
女はそうつぶやくとベッドの上にばったりと横たわった。
「すげぇ〜。こんなご馳走久しぶりだよ。」
依頼人の女に呼ばれテーブルにつくと男は感嘆の声を上げた。
「お口に合うと良いんですけど・・・。」
「いっっただっきま〜すっっ。」
男は勢いよくそう言うと、ガツガツとほおばり始めた。
「んん〜っすげ〜旨い!!誰かさんとは大違いっ!」
男はそう言いつつパートナーの顔色を伺った。女は箸を持ったまま一点を見つめていた。
「どうしたんですか?香さん、お口に合いませんか?」
「え?あ、ごめんなさい、ぼーっとしちゃって。いいえ、美味しいわ。」
女はそういうとあわてて箸を動かした。
「良かった〜。なんだか嬉しくっていっぱい作っちゃったんで、どんどん食べてくださいね。」
「は〜〜いっっ。」
依頼人の女の言葉に男は元気よく答えると再び馬車馬の如く食べ進めた。
「美香さん、お料理上手だけど習ってたの?」
「はい、昔ちょこっと。でもほとんど自己流になってしまったんですけど。
お料理だけではなくて色々な習い事を幼少の頃からやっていて、
お茶にお花、クラシックバレエにピアノに水泳、ほんと忙しい子供でした。」
「凄いね、ばっちり英才教育されたお嬢様ってワケだ。」
「えぇ、表向きは。でも実際はそんなにお嬢様って訳ではないんですけど、こんな感じですし・・・。」
そう言って依頼人の女は照れ笑いをした。
「ほ〜んと誰かさんとは大違いだな、香。」
「はいはい、私とはえんもゆかりもない世界ですよ。」
女はそう言って男をあしらった。
「ご馳走様〜〜あー美味しかった〜〜」
男は満足げに席を立つとダイニングを出てリビングへと向かった。
「本当にありがとう美香さん、美味しかったわ。後片付けはやるからゆっくりしていて。」
「あ、そんな良いですよ、私やりますから。」
「お願い、やらせて。こんなことまでさせて悪いわ。」
「それじゃ手伝わせて下さい。香さんが洗ったものを私が拭いていきますね。」
依頼人の女がそう言うと、女達は連れ立って食器の片付けにかかった。
女が食器を手際よく洗っていると女が不意に言葉を漏らした。
「香さん、大変ですね・・・。」
「え?何が?」
「今日冴羽さん私のガードで事務所にいらしてたんですけど、私が仕事中ずっと事務所の女の子に
声を掛けて回っていたんですよ。」
「本当?ごめんなさいね、ご迷惑かけて。やっぱり明日から私もついて行った方が良いかしら。」
「いえ!・・・大丈夫なんですけど、あんなパートナーじゃ香さん苦労が耐えないんじゃないかと思って。」
依頼人の女の言葉に女は何とも言えず、複雑な笑みを返した。
「あのスケベ根性さえなければ、ね〜。」
女はそう言って手元のお皿に視線を移した。
「香さん、よく冴羽さんに愛想尽きませんね。」
そう問いかけられた女は反射的に依頼人の女に視線を移した。
「やっぱり仕事上の関係だからですか?腕は確かですものね。でも香さんの彼妬いたりしませんか?
仕事上の関係の人とは言え、あんなスケベな人と一つ屋根の下に暮らしてちゃ・・・。」
「ん〜・・・。やきもち妬きじゃないみたいよ・・・。」
女はそう言って顔を少し赤らめたが、表情は複雑な面持ちであった。
「そうなんですか?でもやっぱり香さんには恋人がいらっしゃるんですね。いくら仕事上の関係とは言え
私が香さんの彼だったら嫌だな〜。色んなこと勘繰ってしまいそう。良く出来た人なんですね、その彼。」
やけに絡んでくる依頼人の女を前に、女は思わず依頼人の女を凝視してしまった。
「あ、ごめんなさい、ベラベラと。・・・実は私その探している彼と結婚する予定なんです。
「いいのよ、別に。本当にやさしいのね、美香さんは。気にしないで。でもホント良い奥さんになれそうね。
あ、でも家庭に入る気無いんだったわね。」
そこにビールを取りに男が現れた。
「私そんなこと言いましたっけ?結構好きですよ、こういう事。」
「え?」
女の聞き返しを他所に、依頼人の女は黙々と食器を拭いては棚にしまい始めた。
男は冷蔵庫からビールを取り出すとそのままキッチンを後にした。
「さ、片付けも終わったしお風呂に入って休んで。」
「ありがとうございます。そうしますね。」
依頼人の女はさっとエプロンを外し女に手渡すとキッチンを出て行った。
(いったい、何なのかしら・・・。)
何がしかの理由がなければ裏の世界の人間に素人が関わろうとする事はない。
それも切羽詰まった状況であればあるほど依頼をする事自体に納得がいく。
しかし、今回の依頼人にはその様子が微塵も感じられない。
女は益々懐疑的になった。
(僚に守られているとはいえ、初日にしてこうも安心しているなんて・・。
それにあのフロッピーと彼女に関する情報の無さ。ひっかかるな〜)
女は自然と培われ、磨きのかかったその勘に掛け、意を決した。
男が空き缶を手にキッチンに入ると苦悶の表情をした女がシンクに寄りかかっていた。
「どうした?香。怖い顔して。」
女の言葉に男の背筋が凍った。