救い
姫乃は動かなかった。
しばらく早苗の傍にしゃがみ込み、じっと彼女を見ている。
早苗に向かって手を合わせることも、涙を流すこともなかった。
それがひどく、痛々しい。
「・・・・・・・・・・・・。」
無言でしばらくその様子を見ていた律だったが、
ふと建物に目をやってから視線を姫乃に落とした。
もう限界だった。
早く、此処から離れなければ。
これ以上この場所にいれば、あいつが来る。
天威理久が。
今の状態で、彼と戦うことになるのは絶対に避けたかった。
確かに武器はある。
いつでも取り出せるようにと、学生服に潜ませている銃、コルト・ガバメント45口径。
説明書は読んだ。使い方もだいたいわかる。
けれど、それを実際に上手く使いこなせるかどうかはわからない。
そして何より問題なのは、天威理久の実力が全くの謎であるということだ。
奴の武器、戦法、実力、そして目的。
せめてそれらがわかるまでは、迂闊に近付くべきではない。
「・・・・・・・・・・・・。」
二人分のバックを持ち上げ、姫乃に歩み寄る。
「姫乃、立て。・・・・もう、行く。」
短く言って、律は静かにその傍らに立った。
「・・・・・・うん。」
「泣いててもいい。無理は、するな。」
俯いたままの頭をくしゃっと軽く掻き、その細腕を引く。
促され立ち上がる姫乃はすぐにぱっと顔を上げ、律を見た。
「ううん。姫乃は・・・・・平気だよ。」
軽く首を振って儚く微笑んだ姫乃の目が潤んでいるように見えたのは、たぶん気のせいじゃない。
それでも、何もいえない。
何も、出来ない。
なぜなら、自分には術がない。いや、その術を知らない。
姫乃の心を救う言葉を、何一つ持ってはいない。
「・・・・・・・・・・・・。」
押し黙り、ぼんやりと遠くを見ている律の顔を、ふと姫乃が心配そうに覗き込んだ。
じっと見てから、首を傾げる。
「えっと・・・・・・律ちゃんは、平気?」
「俺は、別に・・・・・・・。」
「ほんとに?」
「ああ・・・・・。」
「・・・・・あのね。」
ぽつりと、いつもより少し低いトーンで姫乃が言葉を漏らした。
「何だ?」
目線を落とし姫乃を見ると、大きな瞳で自分を見上げている。
姫乃の視線が真っ直ぐに、律をとらえる。
「待っててくれて、ありがとう。一緒にいてくれて、ありがとう。」
「何だよ、いきなり・・・」
「すごく、すごく嬉しいの。
・・・・ただそれを、分かって欲しかったんだよ。」
ふわりと。
やわらかく表情を崩し、笑いかけてくる姫乃。
瞬間、ふっと心が軽くなっていく。
言いようのない心の翳りが嘘のように消えていく。
「・・・・・・・・・・・・。」
口の端を上げ、わずかに笑みをもらして、律は無言できびすを返した。
暗い森に臆すことなく足を踏み入れ、すたすたと歩き出す。
姫乃はしばらくきょとんとその場に立っていたが、
置いて行かれそうなことに気づくと、ぱたぱたと律の後を追いその隣まで駆け寄った。
半ば癖のように、律の顔を覗き見て不思議そうに首を傾げる。
「律ちゃん?」
「・・・・・・・・別に、何でもない。行くぞ。」
「あ、うんっ
早く行かなくちゃ、達哉ちゃんに追いつけないよ!」
笑顔でこくこく頷くと、姫乃は律の手を引き、足早に歩き出した。
すぐそばにある姫乃の横顔を瞳に映して、律はまたわずかに微笑んだ。
【残り33人】