発砲 ― 中 ―
あなたは神を信じますか。
突然そう聞かれて、それでもはっきりと「はい」と答える人間が、3−4には二人いる。
そのうちの一人、望月早苗(女子16番)。洗礼名イザベラ。
彼女は、厳粛なキリスト教信者だった。
大東亜共和国において、キリスト教を信仰しているというのは、表立って否定されることではなかったが、決して広く認められているものでもなかった。
神を唯一絶対の存在とし、それに愛される人間全てを尊ぶ、という教えから始まる考え方が、
この国の法を否定するのに十分な要素を多々持っていたのがその理由だろう。
それゆえに、早苗がキリスト教徒であることを知っている人間は少なかった。
例えば、結城姫乃(女子19番)とか、西村百合(女子12番)あたりの親しい友人くらいで、クラスのほとんどの人間は、このことを知らない。
それでも、早苗の信仰心はとても深いもので、建前とか、義務とかのために入信したわけではないのは確かだ。
早苗は、キリスト教の考え方が好きだった。
その全てが正しいとは思わないが、信じるに足りる教えだと思っている。
だからこそ、彼女は毎週のミサに通うことを欠かさなかったし、毎回食事の前には黙祷をしていた。
そういえば、姫乃も、よく一緒にお祈りをしてくれてたわ
早苗は、ふと、親愛する第一の友・結城姫乃がぎゅっと固く瞳を閉じ、一心に祈りを捧げる姿をを思い出し、廊下で一人笑みをこぼした。
彼女が、この状況下で微笑むことが出来たのは、彼女の中に確かに存在する『神』が、深い闇にかすかな光を照らしてくれたおかげといえる。
信じるべき存在とは、時に、なんと心強いものとなるだろうか。
あの恐ろしいゲームの説明の後、暗く沈んだ檻のような部屋を出て、殺し合いを強要される戦場に向かっている今でさえ、早苗の心は他の皆よりずっと穏やかであった。
特に、なつかしく愛しい日々を思う彼女の心は、嵐の後の、あるいは前の、静かな海のように、安らかなものに包まれていた。
勿論、ふとした拍子に、祈るような体制で握っていた両手が震え出すこともあったが。
それでも、今まで培ってきた信仰心は、驚くほどに強靭な柱となって、彼女を支えていたのだ。
少なくとも、今は。
自分が人を殺せないことはわかっていた。
私はとても弱い。それに、神さまに、何より私自身が大切に思っている友達を、殺せるわけないわ
そして、殺せないのなら、死ぬしかないであろうことも。
殺せないなら、やっぱり誰かに殺されてしまうの?何も、できないままに?
確かに、死ぬのはやはり恐かった。不安が完璧に消えることもなかった。
でも、彼女は信じた。半ば、盲目的に。
精一杯生きて、そして死んだのなら、自分の魂は天に昇ることができる、と。
そうすると、少しだけ、救われた気がした。
また一歩、踏み出すことが出来た。
逃げてはいけない。頑張って前に進もう、と。
早苗はいつのまにか、少し早めの歩調で歩いていた。
気が付くと、薄暗い廊下の向こうに、ガラスのドアがある。
外も中とあまり変わらない明るさらしく(加えて、早苗の視力はメガネをしている今も1,0に届かないほどだった)、ドアの先はほとんど見えない。
彼女は一瞬ドアの向こうへ進むのを躊躇した。
再び、波のように襲ってきた、恐怖。
他の生徒に比べれば、それはわずかなものだったけれど。
まだ、全てを受け入れることが出来ていない自分に少し悲しくなるけれど。
それでも、やっぱり、必要だ。
視界が悪い、未知の空間に進むには、ほんの少しの勇気と。
それと、きっかけ、が。
早苗はちょっと考えて、渡されたデイバックを開けて、中身を見ることにした。
ゆっくりと、その封を開ける。
たぶん、この中にある。自分の心に、もっとずっと強さをくれるものが。
ううん・・・・・でも、だめ!私は絶対、そんなもの使わないって決めたじゃない!
思って、早苗は開けかけたバックのチャックを閉めた。
それから、落ち着こうと胸に手を当て、目を閉じた。
落ち着け、落ち着くのよ、早苗
しかし、トクントクンと心臓が、これから先、いつ消えるか分からない命を刻むたび、次第に彼女は追い詰められていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり、恐い。
一度恐怖が胸を支配すると、それから逃げることは難しかった。早苗でさえも。
悪いことばかりが頭に浮かぶようになってきて、しかもそれはどんどん悪化していく。
前に、進めない。手が、痙攣したように震えだした。
・・・・・・・・・・・このままじゃ、どうしようもないわ。ドアの向こうに行く間だけ、その間だけ、持っていよう
悩んだ末、早苗はそう決めて、ふう、と一回深呼吸すると、ジャッと勢い良くデイバックを開いた。
ゴソゴソと、中身をさぐる。
水、食料と思われるパン、磁針、それから......
あった!
あの、中世を思わせる軍服を着た(早苗にとって、それが一番印象的だった。)美しい教官、綾小路が言ったとおりのものが、その中には入っていた。
武器だ。
しかも、これは、たぶん、アタリの。
そう。出てきたのは、銃だった。
銃器に詳しくない早苗には種類まではわからなかったが、正式名称で言うと、グロック19 9mm。
9mmパラベラム弾使用、装弾数15。
早苗が想像していたより小さめで、片手で握れるそれは、お守りにするには十分すぎるもの。
早苗は、あらかじめ装填されていた弾を抜き、ぎゅっとそれを右手で握った。
神さま、ごめんなさい。
こんなもの持ってて、いいはずないけど・・・・・今だけ。今だけ、許してください。
と、自分に言い聞かせるように懺悔をした後、ゆっくりとど建物の出口をくぐり、その前に広がる林に入ろうとした。
その瞬間。
ヒュッと、早苗の左手あたりに鋭い風が通り抜けた。
同時に、痺れるような痛みが、彼女を襲う。
バッと無意識に自分の左手を見ると、何か銀色のモノが刺さっていた。
すっと腕からのびているそれは、まるで――――――――
十字架のような。
そう、銀色に鈍く輝く十字架が降ってきたのだ、早苗の腕に。
それじゃあ、これは天罰なの?自分の心に負けて、銃なんかに頼ろうとした、私への?
早苗の頭に最初に浮かんだのは、これが罰なのかもしれないということ。
信じきることができなかった、自分への。
ずっと心で悔いながらも、それを手にとってしまった自分への。
そうして、次に聞いた流れるような麗しい旋律を、一瞬、彼女は信じてやまない神の声のように感じたのだった。
「へえ、驚いたな。まだ、生きているんだ。まあ、どうでもいいけど。
・・・・・・こんばんは、望月さん。
矢は・・・・・左腕、か。ふふ、まさか僕が外すなんて、思わなかったよ」
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