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「栄介。」


詰め所に戻った、大東亜専守防衛陸軍三等陸尉、秋吉栄介はその声に降り返る。


「2班、遅かったけどなんかあったか?」


声の主は、すっかり装備を解き、和やかな表情をする、千葉浩太郎三等陸尉だ。
栄介がこの軍で唯一、心を開いている、いわば親友とも言うべき存在。
今回の作戦には1班として、同じ詰め所にて待機していた。


栄介は浩太郎に挨拶代わりに右手をあげると、質問に答えた。


「何もないよ。念のため、ってとこだ。」


「そうか。」


そう、答えると浩太郎は右手の紙コップを手渡す。
ねぎらいのコーヒーだ。
まだ入れたばかりらしく、暖かな香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
栄介は受け取るか一瞬迷った後、装備を解く方を優先した。
浩太郎はそれを察知し、近くの机の上にそのコーヒーを置いた。


「おまえと、同じ作戦になるのなんか訓練以来だな。」


浩太郎はコーヒーを置いた机に浅く腰掛け、懐かしそうに言う。


「そうだな。」


無表情にそう答えながら、インカムを外すと、
張り詰めた緊張が少しずつ薄れていくのを感じた。


ライフルとホルダーにかかった拳銃を抜き、安全装置を確認した後、無造作にコーヒーの置かれる机にごとりと置く。
ヘルメットを脱ぎながら、浩太郎に再び手渡されるコーヒーを受け取る。
一口飲むと嘘みたいに気持ちが落ち着いていった。


「しばらくは待機だろ? ちょっとつきあえよ。」


浩太郎は人懐こいを笑顔を見せながら、親指で後方の碁盤を指差した。
栄介は”変わってないな”と言う意味をこめた小さな笑顔を浮かべ、頷いた。
訓練生の頃から、ことあるごとに浩太郎と碁を差したのを思い出す。
ちょっとした相談事や、愚痴、あらゆるコミュニケーションをとるときは
いつも二人は碁盤を間に挟んでいた。
おかげで、入隊したときはまったく碁を差せなかった栄介だったが、
訓練を修了するころにはいっぱしの碁を打てるようになっていた。


「ちょっと待ってろよ。銃を置いてくる。」


栄介はそういい残し、詰め所の奥に設置されている銃火器のロッカーへ向かった。


浩太郎はうきうきだった。
プログラムに抜擢された時、名簿に栄介の名前を見つけ


”また、碁を打ちながらいろんな事を話せるな。”


と、この時間を楽しみにしていたのだ。
プログラム自体、今は停滞期なのか、目立った動きはない。
しばらくは休息が取れるだろう。
もともと、プログラム警備はそれほど忙しくはない。
今回はたまたま、キレモノの生徒がいたこともあり、序盤こそばたばたしたものの、
現在は落ち着いている。


上官たちも、和やかに談笑しているところからみると順調なようだった。


「待たせたな。」


と、栄介はいいながら碁盤の置かれた机の前にイスを運んできた。


二人は久しぶりの碁を指しながら、近況を伝え合う。
栄介は、このプログラムの後、昇進試験を受ける事、
受かれば二等陸尉となり、再び訓練に入ることを話す。
いわゆる、幹部候補への登竜門だ。
そう、浩太郎に言われると


「危険な仕事はイヤなんだよ。」


と、告げる。
浩太郎は、戦車隊への編入を志願した事、
それが思ったよりもスムーズに進んでいる事を伝える。
戦車隊に入りたい、というのは訓練生の頃から良く聞かされていた。
栄介はそれを思い出すと、


「体のサイズもタンクみたいだものな。」


とからかった。
浩太郎はそのタンク級の肩を揺らし、笑った。


「弟さんは?入隊したのか?」


栄介は尋ねる。
浩太郎には1歳年下の弟がいて、彼も兵役を志願していたのだ。
空軍でパイロットになりたいらしく、よく相談の電話や手紙をよこしていた。


「あぁ、念願の空軍に入れたらしい。
パイロットかどうかは訓練の適正次第らしいけどな。」


「そりゃ、めでたいな。」


「そういえば。栄介も妹がいるんじゃなかったっけ?」


「あぁ、もうしばらく会ってないけどな。」


「いくつだっけ?」


「さぁ、俺が中学生の時に離婚してから一回も会ってないからな・・・。
生きてれば、中学3年生か高校生だろうな。」


「生きてれば・・・って、連絡はとってないのか?」


「まぁな。いろいろ複雑なんだよ。」


栄介は少しだけ、苦い表情のまま、溜息でやり過ごす。


栄介の父親は、相当に女にだらしのないタイプだった。
彼が成人するまでに3度離婚し、今は4人目の母親が家にいる。
”妹”というのは二人目の母親の連れ子だった。
一緒に暮らしたのは3年ほど。
しかし、栄介は始めての妹を良くかわいがった。
兄弟への憧れがそうさせたのだろう。
いつも一緒に遊んでいた。
しかし、二人は父親の浮気によって引き剥がされる。
悲しかったが、仕方のないことだと自分に言い聞かせていた。


母親は父親を憎悪し、一切の連絡を拒む。
おかげで栄介も妹とはまったく連絡が取れなくなっていった。


栄介が”ある”事実を知ったのは彼が高校生の頃だった。
ある事実とは・・・












二人が血の繋がった実の兄妹であるということだった。


2人目の母親は栄介を身ごもったが、結婚は拒否したという。
父親の女にだらしのないところを知り、籍はいれなかったのだ。
結果的に栄介を出産した後、二人は別れた。
栄介を置いて、母親は父親のもとを去ったのだ。


しかし、ふと、母親は戻ってきた。
妹を連れ。


栄介はその事実を知ると、困惑した。
いままで母親と信じていた人ではなく、
あの妹を連れ去るように消えた、後妻が実の母親だったとは・・・。


しかし、彼にはどうすることも出来なかった。
その事実を聞いたのは栄介が高校3年の春だった。
3人目の母親が家を出た後の居間で、父親の口からその事実を聞かされた。
父親を問いただした聞いた住所には、すでに二人はいなかった。
知るのが遅かったのだ。


軍に入った今でも時折、妹の事を気にかけていた。
妹の身を案じていた。


腹違いとはいえ、実の妹のことを心配していた。



「おまえも大変だな・・・。」


浩太郎は少しだけ困ったような顔でコーヒーをすすった。


「それほどでもないよ。」


と栄介は寂しそうに笑った。
いつか、また会えるさ。
そう信じていたのだ。




そして、その予感は的中する。
この、”会場”で――――。














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