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一裕の掠れた声が、慶の耳に届く。
緊張があっという間に張り詰める。
握っているグロックが震えた。
理屈でも勘でもない。
そこに”殺意”があった。
ビリビリと大気を振るわせているような錯覚に陥るほど、
はっきりとした”殺意”が。
口元の笑みは歪みといったほうが正確だろう。
にぃっと不自然に引きつられている。
目は不透明な液体に浸されているように、濁っていた。
慶は正直、圧倒されていた。
握られたグロックがか細く感じた。
動物的本能なのか、単純な恐怖なのか、
優勢なはずの慶が震えていた。
「君に質問がありまース」
不意に一裕が口を開いた。
慶は一瞬遅れてその言葉を理解する。
――質問?
「慶君は何人殺したの? 」
そう言った後、一裕は自嘲気味に笑う。
一度視線を外し、右足を一歩分引く。
背中に回してあるディパックからガバメントを抜き、照準を合わせる。
慶はその仕草を目で追いながら、ぼうっとその質問を繰り返す。
――何人殺したのか?
ガバメントの銃口が慶に向けられた瞬間にその行動の意味を理解した。
一瞬戸惑い、遠慮がちに一歩右足を引く。
グロックを握る左手に滑りを感じた。
汗が噴出していた。
「何人殺したの? 」
一裕は繰り返す、答えを求めていた。
何故そんな事を聞くのか、慶はいくつか仮説を立てる。
一、仲間を探している。なんらかの脱出の方法を模索する為に。 ニ、ゲームに参加する意思がなく、同意を求めている。 三、単純に相手の技量、姿勢を確認したい。 |
どの仮説が正しいにしろ、慶には仲間を作る意思もなければ
誰をも殺さないといった確固たる意思もない。
慶は目の前の丸木一裕を撃ち殺すつもりだった。
ベストの結論は”まだ、誰も殺していない”と告げること。
油断、それが欲しかった。
「まだ――
慶がそう言いかけたところで一裕がそれを遮る。
「ダメだよ? 嘘ついちゃ」
慶はどっと吹き出る汗とともに声を漏らす。
何故慶の嘘を、いや、嘘をつこうとしているのがわかったのか。
丸木一裕の考えも、これからの行動も、予測する事すら出来そうもなかった。
牽制のために突き出したグロックの先に、微笑を浮かべたままの一裕が見えた。
しかし、その微笑は表情というには薄っぺらだった。
まるで感情が読み取れない。
自分が動揺しているのか? と慶は自問自答する。
動揺していた。
今までになく強く。
「何でもいいや」
急に一裕はその足を進める。
真っ直ぐ、慶に近づく。
慶は戸惑う。
どう行動するべきか、選択肢は少ない。
撃つか、逃げるか。
迷い、とも呼べない一瞬の躊躇の間に一裕はもう目の前に立っていた。
――呼吸が・・・うまく出来ない・・・
「そんなに怯えないでよ」
くすっと笑いながらそう言う。
しかし銃口は下ろさない。
近づいた一裕の赤いシャツの色に妙な”むら”があることに慶は気付く。
どす黒い赤。
視線をシャツに落とし凝視する。
すぐに気付く。
獣の匂いがした。
これは、紛れもなく血だ。
白いワイシャツを、この男は真っ赤に染めている。
返り血なのか、自ら血を塗りこんだのか。
それは不確かではあったけれど、間違いなく一裕は何人もの人間を殺めている。
そう確信した。
慶はそこまででやっと気付く。
異常なまでに強い殺意が、今、自分に向けられている事に。
一裕のガバメントは目の前にあった。
そして、グロックは一裕の鼻先に。
二人の手は仲良く並んでいる。
どちらかが引き金を引けばどちらかが死ぬ。
その状況で慶は引き金を引くことに躊躇する。
引き金を引く瞬間、必ず目や表情に変化が生じる。
腕にも力が入るだろう。
呼吸にも変化が出るかもしれない。
そういったあらゆる物事を、一裕に見抜かれているように感じていた。
撃とうとすれば撃たれる。
それは確信だった。
汗が額に浮かび、落ちる。
――動けない。
一裕の表情は変わらない。