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頬へ雫が落ちる。
雨だ。
それを確かめるように和彦は空を見上げた。
ああ、雨が降っていたんだな。
と和彦は思い出す。
わずか1分ほどの短い戦い。
しかし、それは和彦にとって、綾や絵里にとって、
間違いなく、今までで最も長い1分間だったであろう。
硝煙の匂いと突然の静けさ、
そして優しい雨の匂いが後味の悪い戦いを慰めるようだった。
比呂は走る。
背中で銃声が聞こえた。
絵里の撃つワルサーと、知子の銃。
そして、一際低い和彦のショットガン。
その合間を縫うように、比呂はベレッタの引き金を引く。
一裕を牽制するためと、注意を引くため。
もちろん、一裕の目的は比呂だった。
銃など撃つ必要はなかった。
はなから絵里や和彦達には興味すらなかった。
一裕の背中の木々や土が弾丸を浴び、跳ねる。
比呂は一裕を中心に弧を描くように、岩の壁を背中に走った。
弧を描きながら少しだけ距離を詰める。
追って、自分を殺せるだけの隙を一裕に与える。
注意をひくため。
一裕はそのぐるりと回る比呂を目線だけで追い、
やがて足を踏み出す。
左手に握るガバメントを比呂にわざと見せるように構え、
比呂に同調するよう平行に走り出した。
口元がより一層歪む。
そして、その動きと表情で比呂は思考を次の段階に推し進めた。
いかに、危険の少ない行動で一裕の足をとめ、殺すかを。
比呂は一裕のガバメントに警戒しながらも、引き金を引く。
そして、狙いを定めさせぬよう、歩幅やスピードを変化させる。
一裕はベレッタからの発砲をよけるでもなく、ぴたりと比呂に張り付く。
平行に距離を保ち。
ぴたりと足を止める。
そして、一裕に正対した。
比呂の頭に明確な戦術が思いつかなかったのだ。
このまま進んでしまえば山の中に入らざるを得ない。
山中に入ってしまえば高低差が生まれる上に足場が均一でなくなる。
さらには和彦達の加勢が遅れる。
それは不利であると判断したのだ。
比呂が足を止めたことで一裕も足を止めた。
そして、虚を突くように今まで平行に保っていたお互いの距離を一直線に縮める。
比呂は一瞬だけ躊躇した。
真っ直ぐに向かってくる相手に対し、弾を当てることはたやすかった。
しかし、一瞬だけ殺す事を躊躇した。
比呂の甘さ。
一裕はその一瞬でわずか5メートルの距離まで間合いを詰める。
迷いのなか比呂は引き金を引いた。
これ以上近づかれたらまずい。
ぱぁんという乾いた音がする一瞬前、一裕は足をクロスさせ左へ飛ぶ。
弾丸はバカ正直に、真っ直ぐに、一裕が間を詰めてきた直線上を走る。
外した――
比呂は自らの体を反転させ、走る。
走りながら振り向き牽制の発砲。
照準はデタラメで当然、一裕には当たらない。
二人の距離は一裕の急接近でわずか3メートルまで縮まる。
距離を保たなければならない。
これは比呂が確実に勝つ為に不可欠な要素だ。
肩に怪我を負っている様子であっても、まともな勝負は分が悪い。
明確に比呂が有利である要素は、射撃の腕だけだった。
とにかく、距離を。
二人は至近距離のまま、山中へ入る。
そして、それが比呂を不利な状況へ導く。
体をささえる負傷した足が悲鳴をあげた。
やせがまんの通用するレベルを超え、その機能を放棄する。
とたんに詰まる距離。
一裕の左手が比呂の左肩をつかんだ。
つまかれた瞬間、ぐいと引き寄せられる。
ここで比呂は気転を利かし、左足を軸に右へ回る。
つまり掴まれた左肩とは逆の右肩を一裕へ向けた。
ベレッタを握ったままの右手で一裕の頭を裏拳で狙う。
一裕は平然と身を屈め、それをやり過ごす。
体が開いたままの比呂へ体を向け、右手で襟首を掴み、
引き寄せ、左脇腹にガバメントを突きつけた。
「比呂くん、また逢えたね――」
一裕がそう言い終わる前に、比呂は瞬時に右手でガバメントを握る一裕の左手を押し、
同時に地面を蹴り、体を一歩後ろにずらす。
銃口をうまく他所へ向けたのだ。
しかし、銃口は火を噴かない。
衝撃で体がぶれるであろうその一瞬に期待した比呂は、
仕方なしにベレッタを一裕の足めがけ、引き金に指をかける。
一裕はそれに気付き、左膝をベレッタにあて、弾く。
照準がぶれた。
ぎりぎりで引き金をひかずに比呂は体を沈める。
一裕の左足が地に付く前に、静めた体ごとぶつかる。
一裕はなすすべなくそのまま倒れ込むが、ただでは転ばない。
ぴたりと、今度は比呂の右こめかみにガバメントを突きつけた。
その感触に気付き、比呂は動きを止める。
マウントとは程遠いが、比呂が上。
一裕が下。
「さすが・・・」
一裕はそう言いながら少しだけあがった息を整えようとしていた。
比呂は動けない。
動けば自分の頭をガバメントの弾丸が突き抜けるであろうことはわかりきっていた。
急な動きにも今度は反応するであろうことも。
比呂は一裕の呼吸を見る。
ゆっくりと吐き、吸う。
ゆっくりと吐き、吸う。
ゆっくりと吐き、す――
その瞬間を逃さずに右手のベレッタを一裕の腹部に当てた。
息を吸い、吐く、そのわずかな隙を比呂は上手くつく。
一裕はぴくりとも動けなかった。
一裕の口元がにやりと歪み、その口から笑みがこぼれる。
「すっごいな。比呂くん」
比呂は答えずにその目を睨みつけた。
一裕は危険を感じているというよりはむしろ、危険を楽しんでいるように見えた。
そんな一裕の表情の理由を考えないようにして比呂は呟く。
「お前が引き金を引くのと、俺が引くの。どっちが速いと思う? 」
駆け引き。
今度は比呂から仕掛ける。
しかし、一裕は答えずにその目を見続ける。
――引っかからない――
これと同じ駆け引きをRiotのゲーム中にした事があった。
その時の相手は和彦。
和彦はこの質問を間に受け、一瞬考えを巡らせた。
そして、比呂は引き金を引いた。
その日、和彦は一日中“きたねー”とわめきちらしていた。
単純な心理ゲーム。
しかし、一裕は、“ひっかかり”はしなかった。
冷静に、その呼吸を静めることに専念していた。
30秒、二人は見詰め合った。
均衡は簡単に崩れる。
一瞬、何かが数十メートル先で動いた気がした。
比呂の注意がそれる。
一裕はその隙を見逃さずにガバメントをこめかみから比呂の右太股に当て直す。
一裕の目的は一撃で比呂を消す事ではなかった。
その動きに比呂は敏感に反応し、
左手で外へガバメントを払いながら右足をその反対へ引きつける。
ガンっ!
という派手な音が響き、比呂の真後ろの樫の木を大きくえぐった。
比呂のベレッタはガバメントを払う為に仕方なく照準を離していた。
そして、その照準を合わせなおす時間を惜しみ、一裕の左側頭部を手の甲でこずく。
その間に痛む左足を一裕の頭の先の地に付け、体を引き寄せた。
一連の動作のまま、右足で一裕の頭を踏みつけ、再び距離を離すべく走りだす。
上手くかわしてそのまま距離を10メートルほど離し、適当な位置で迎撃する、
つもりだったが足が言う事を聞いてはくれなかった。
走り出したものの、ほとんどスピードは歩いているのと変わらなかった。
左足は激痛で、満足に体重すらも支えてはくれない。
上手く抜け出したのもつかのま、あっという間に背後に一裕の気配を感じた。
このままじゃ、撃たれる。
そう思った瞬間、比呂の視界に飛び込む崖のような急斜面。
救世主のように見えた。
比呂は一度振り向き、一裕を牽制するために発砲。
一裕は足を止め、身を屈め、やり過ごす。
その間に比呂は急斜面へ走る。
そして、そのまま斜面へ身を投げた。
文字通り、そのまま。
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