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 比呂は目を覚ます。
後頭部に鈍い痛みが感じられた。
右肩にも鈍い痛み。
顔には切ったようなひりっとした痛み。
雨の音だけが静かに聞こえた。
視線の先にはどんよりとした空。


崖から飛び降りた比呂は何度か木や、岩や、
地面に頭をぶつけいつのまにか気を失っていたようだ。
今は仰向けに、大の字に転がっていた。
鼓動は嘘みたいに静かになっていた。
それはまるで夢をみていたような錯覚に陥らせた。


体・・・動くか?


比呂はゆっくりと、確かめるように右手を握り込む。
少しだけ違和感があったが問題はなかった。
体を起こす、静かに。
軋むような痛みが感じられたが、それほど深刻ではない。
痛みは体が起き上がると同時に薄れていった。


目の前には静かに佇む一裕がいた。
身構えようとした比呂は気付く。
自分のベレッタが手元にないことに。
右手で握っていたはずのベレッタは一裕の左手に握られていた。
一裕は比呂が起き上がった事に対して、笑みを浮かべていた。


「おはよ」


比呂はまだいくらかぼうっとした頭のまま、一裕の姿をまじまじと見る。
目に飛び込むのは真っ赤なシャツ。
どす黒い、赤。
むらが目立つ。
もともとその色ではなく、何か赤の液体が染み込んだものである事は
比呂の距離からならばはっきりとわかった。
比呂は良く考えずに呟く。


「血? 」


一裕は自分のシャツを一度見て、そうだよ、と答えた。
自然な沈黙が生まれる。
まるで修学旅行の朝のような、雰囲気。
一裕と比呂は同じ部屋になって、たまたま一裕が先に目を覚ます。
そして比呂がそれに続いて目を覚ますと一裕は笑顔でそれを迎える。
眠気の残る気だるい、朝の静かな時間。
そんな雰囲気。
しかし、現実は違う。
これは殺し合いで、今は昼だ。
目覚めを迎えてくれたクラスメイトは銃を握り、血に染まったシャツを着ている。


「寝てる間に・・・殺さないのは・・・どうしてだ? 」



「内緒」


ひょうひょうと一裕は答える。
手に握られたベレッタを弄びながら。
比呂は立ち上がる。
特に理由はない。
寝転がっていなければならない理由がないように。


「立っちゃダメだよ」


一裕は視線を向けずにベレッタを突き出す。
木の下のせいなのか、止んではいない雨の雫はそれほど多くは落ちてこない。
しとしとと静かな音を響かせているだけだ。
比呂はそのベレッタを見、おとなしくもとの場所に腰を下ろした。
先ほどのような緊迫感はない。
この空間を制圧しているのは一裕だが、
切迫した緊張は皆無といってよかった。
比呂はあぐらをかき、尋ねる。


「どれくらい、眠ってた? 」


「誰? 比呂くん? 」


「そう、俺。他に誰かいるか? 」


「そだね。10分も経ってないよ? 」


「おまえも飛び降りたのか? 」


「まさか。ゆっくりと崖を降りたヨ」



「・・・」


比呂の沈黙がそのまま二人の沈黙に移り変わる。
比呂はふと、和彦の顔を思い出す。
銃声は聞こえない。
決着はついていなければおかしい。
どちらが勝ったにせよ。
比呂は静かな時の流れの中で一裕を出し抜く方法に考えを巡らせ始める。


「さて、用事をすませちゃおうか? 」


一裕は切り立った岩にかけた腰を一度あげ、比呂へ向き直る。
そして、にっこりと微笑んだ。


「用事? 」


比呂はそのまま聞き返す。
いいアイディアはまだ、ない。


「質問があるんだ。僕には手に負えない難問」



「ふー・・・ん」


比呂は一裕との距離を目測で測る。
2メートル。
飛びつこうとして飛びつけない距離じゃない。


「何人かに同じ質問をしたんだけど、誰もまともに答えてくれなかった。
みんな自分の命ばっかり気にしてサ」


その一裕の言葉に含まれた苛立ち。
それを比呂は感じ取る。
同時に何人かを、一裕がその手で葬ってきた事が明らかになる。
比呂は驚かない。
当然といえば当然だと思っていた。


「比呂くんはきちんと答えてくれるかな? 」


「そうさせたければ、そのベレッタを俺に突きつければいい」


一裕はにこりと顔をほころばせた。
精一杯の嫌味のつもりだったが、一裕には効果はなかった。
比呂は小さな溜息をつく。


「この銃ってベレッタって名前なんだぁ? いい形だね」


比呂は黙ってそれを受け流す。
切り出すタイミングをわざと作り出す。
ここで雑談してる暇は、比呂にはない。


「・・・僕は、このゲームで7人。殺してる」


「・・・」


「僕の一生で数えると9人」


「・・・」


プログラム以前に、二人殺している。
その事実はあの噂を肯定していた。
母親とその恋人を、10歳の幼さで滅多刺しにした、あの噂。


「その中に僕が愛した人が二人。いる」


「一人は・・・母親か? 」


比呂は確かめる。


「そう」


「もう一人は・・・? うちのクラス・・・か? 」


「そう」


「・・・」


突然に一裕は話を切り出していた。
あまりにも突然過ぎて、酷く自然だった。
比呂はその違和感を沈黙の中で覚えた。


「でもね、僕には愛ってなんだかわからない」


「意味が・・・わからない」


「何の? 」


「お前は、今、はっきりと愛した人が二人いる、と言った」


「うん。言った」


「愛を知ってるんだろ? 」


「それを、聞きたいんだ」


謎かけのようだった。
比呂は眉間にしわを寄せる。
一裕はまた霍乱するためにわけのわからないことを言っているのだろうかと勘ぐる。
そして、崖に飛び降りてしまう前に一裕が 握っていたガバメントをどこに隠しているのか、目を凝らす。


「愛って何? 」


比呂は一裕の目を見据える。
濁りはない。
驚くほど澄んでいる。
恐らく、本気で教えを請おうとする人間の目は同じように澄んでいるのだろう。
比呂は正直に答えた。


「それが説明できるのなら、一冊本でも書いてるよ」


一裕はにっこりとした微笑でそれに答える。
そして言う。


「比呂くんのその愛想のない答え方が好きだよ。
ちょっとだけジョークが入ってる。おもしろくはないけど」


一言余計だ、と思いながら一裕との会話が弾んでいる事に気付く。
いつだったか、夕暮れの教室で同じように言葉を交わしたことを思い出した。
その時から、一裕は“千成くん”から“比呂くん”と呼ぶようになり、
比呂も“丸木”から“一裕”と呼ぶようになった。
なにか特別な会話をしたわけでもなかったけれど、
ちょっと気の利いた皮肉が一裕には受けた。


「問題は――」


一裕は一度言葉を切り、比呂の表情を伺う。
比呂の表情に変化はない。
何も考えずに一裕の言葉を待っていた。
知的好奇心なのか、怖いものみたさなのか、
比呂には判断がつかなかった。


「問題は、僕が感じていたものが愛と呼べるものなのかどうか、なんだ」


比呂はその言葉を頭のなかで繰り返す。
“問題は、僕が感じていたものが愛とよべるものなのかどうか”。
なにかのタイトルのように聞こえた。


「何を、感じた? 」


「・・・」


一裕はその口を閉ざし、一度首を振る。
そして、言う。


「拒絶に対する恐怖」


何も言えずに比呂はその言葉を頭の中で繰り返す。


拒絶。


ひどく堅苦しいその言葉には冷たい響きがある。
しかし、それは当たり前の事。
愛や恋の前に、いつだってある恐怖。
対人関係には常にそれが付きまとう。
もちろん、多かれ少なかれ、だ。


「だから、殺す。のか? 」


「そう」


「…」


「…」


「もう、一人は? 」


「このクラスの人だよ」


「女子? だよな? もちろん」


「僕にはそういう趣味はない」


「誰? 」


「…」


「言いたくなければ、言わなくてもいい」


なんだか本当に修学旅行のようだった。
友人の恋した想い人の名前を聞きだす。
どこでも見かける当たり前の少年の姿。
 二人の間を、居心地の悪い沈黙が通り過ぎる。
そして湿った風と、葉と枝をすり抜けて届く滴。
一裕はただ、黙って手の中のベレッタを眺める。
比呂も同じようにベレッタへ視線を向けていた。









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