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「さて、どうする? 」


「…こういうのは? 」


一裕の右膝がふわりと浮かぶ、目標は比呂の股間だ。
比呂は目線を動かさずにそのまま右手の指ごと
銃を外に向けながら体を半身にする。
一瞬はやく、比呂は一裕の膝を回避するが銃口から指が抜けてしまった。
一裕はばっと後ろへ距離をとる。
そしてポイントを比呂へあわせる。
当然、比呂はその間を詰める。
一裕が後ろへ引くスピードと同じ速度で。
一気に懐に飛び込んだ比呂は躊躇せずに右の拳で一裕の腹を突き上げ、
即座にベレッタを握る左手を弾く。
弾いた瞬間に"がん"という銃声が響く。
弾丸はむなしく地へ突き刺さる。


虚をつかれたのは一裕だった。
突然の比呂の態度の変化にうまく順応できずに
流されるように戦闘に持ち込まれてしまった。
完全に優勢だったはずの形勢はもはや、もみ合いの中に紛れてしまった。
比呂は冷静に一裕の顔面に打撃を当てる。


容赦なく。


目はきっちりとベレッタの動きを捉えてはいるが、
無理にその手から引き剥がそうとはせずに、まず一裕を圧倒することを優先する。
右フック、左ボディ。
面白いように比呂の拳は一裕を捕らえる。
打撃を当てながら右膝を一裕の股間の下に潜り込ませた。
比呂の狙いはまさにここだった。
一度視線を落とし、その位置を確認。
そしてそのまま膝を浮かせた。
一裕は見逃さなかった、比呂の視線が落ちた瞬間を。
体をのけぞらせながら、一裕は比呂の顔をめがけ唾を吐きかけた。


勢い良く。


比呂は一瞬、顔に何をかけられたのか驚き、顔を覆った。
膝の金的はその力を失い、おざなりに一裕の股間を突き上げようとする。
スピードのない膝蹴りは当たるはずも無く、
一裕は比呂の顔面をベレッタを握ったままの左拳で捉える。
のけぞる比呂。
一裕はすばやく比呂の上半身を押し込みながら右足を比呂の足の裏に差し込む。
柔道でいう大外刈り。
全体重を乗せ、比呂を押し倒した。
倒されながらも比呂は一裕の右肩を狙う。
しかし、一裕は予想していたようにその手を払いのけ、そのまま馬乗りになる。
あとはめちゃくちゃに打撃を繰り返した。
顔を覆う、比呂のその手の上から。
何度も、何度も、激しく。
井上慶を死に至らしめたのと同じ様に。
何十発か、一裕の突き下ろす拳を何の前触れもなく止まる。


「はは…僕の勝ち? 」


比呂は何も答えずにその顔を両腕で覆ったまま、動かなかった。


「勝てないよ」


一裕は短くそういうと、ベレッタの撃鉄を起こす。
痛む、右腕で顔を覆う比呂の両手に隙間を作り、銃口を額に当てた。


「ゲームセット」


比呂は唸るように身動ぎ、一裕の目を見た。
冷たさ、というよりも寂しさのようなものが浮かんでいた。
比呂は口をゆっくりと開く。


「最後に、正直に言ってやるよ」


「…さっきの質問のこと? 」


「それ以外には思いつかない」


「何? 」


「最後まで聞けよ? 」


「…いいよ」


「お前、甘えてんだよ」


「甘えてる? 何に? 」


「知るか。 生きること全部にだよ」


「…続きを聞かせてよ」


「好きとか、愛とか、恋とか。んなもんはエゴなんだよ」


「…」


「好きだから一緒にいてぇ、好きだからやりてぇ。
独り占めしてぇ。そういうもんだろうが」


「で? 」


「相手がどう思うかなんてのは二の次なんだよ」


「…つまり? 」


「お前のは愛でも何でもねー。ただのわがままだ」


「…」


比呂は顔を覆っていた両手を、投げ出すように大の字に広げた。
ひりひりと腫れた顔に細かな雨のしずくがあたり、
ひやりとした感触を心地よく感じていた。
額に銃口を押し当てられたまま、比呂は続けた。


「拒絶? なんだそれ。
そういうのはな、必死こいて好きになった相手に振られたあとに使うんだよ」


「比呂くんは好きな人いないの? 」


「いるよ」


「じゃ、その人に嫌われたら、って思わないの? 拒絶されたらって」


「んなもん考えてる暇ねー」


「絵里ちゃんでしょ? その女の子って」


「そうだよ」


「でも、付き合ってるわけじゃないんでしょ? 」


「そうだよ」


「怖がってるからじゃないの? 」


「違う」


「…」


「…」


「じゃ、何? 」


 比呂は一瞬口をつぐむ。
目線を一瞬、一裕から外す。
そして意を決したように向き直り、答える。


「て、照れ臭ぇんだよ…」


一裕は噴出した。
銃口を押し当てたまま、遠くからみればひどく不思議な光景だろう。
そして比呂もそう感じていた。
死を目前に恋の話で耳を赤く染めている自分がなんだか、おかしかった。
そしてその照れ臭さを押しやるように続ける。


「普段、散々ばかだのあほだの言ってる女にどんな顔して好きだとか言うんだ。
俺にゃ真似できねー。一生ネタにされる」


「ふっ…でもそれって僕と同じじゃない? 怖いんでしょ? 」


「違うよ。決定的に違う」


「どこが? 」


「俺は絵里に友達でいましょって言われたって、
気持ちカワラネー。変えられねー」


「…」


「いつか、他の男を好きになるかも知れなくても、
一生俺のものにならないかもしれなくても、気持ちは変わらねぇ」


「…」


「お前みてぇに、女の腐ったような考えで自分が傷つかない方法なんか探さねぇよ」


「傷つかない方法? 」


「だろ? お前はトラウマだかなんだか知らねーけど、怖いんだろ? 愛されなくなるのが。
知ってるよ。お前が小さなコロから虐待を受けてたってことは」


「…知って、るんだ」


「あぁ、知ってるよ。噂がソースだけどな。
だから、怖いんだろ? また同じように気が狂うくらいに淋しくなるのが怖いんだろ? 」


「そう、なのかも知れない」


「てめぇ、ちっと顔出せ。
ひっぱたいてやるよ。ほら、出せ」


「…」


「ふざけんなよ? なにがそうなのかも、だ。答えでてんじゃねーかよ。
それでお前はほかのやつ殺しながらそれ、確認してんだろ? 
でも否定して欲しかったんだろ? ガキなんだよ、そういうところが」


一裕は突然に拳を振り下ろす。
比呂の顔が派手に揺れた。
唇の端から血の一筋落ちる。


「へっ。 図星つかれて、逆上ね。
いいよ。 そっちのほうがガキらしくて」


 一裕が再び拳を振り上げた瞬間、比呂はそれを遮るように言う。


「ガキなんだよ。俺たちは。だったらガキらしくいこうや。
無理に"愛"だのなんだの語る必要なんかねーんだよ」


 一裕は拳をゆっくりと下げる。
その目は比呂の目を見てはいなかった。
何かに思いをめぐらせるように、宙を見つめていた。


「…比呂くん」


「んだよ」


「あの世ってあると思う? 」


「知らね。あるかどうかなんて死ななきゃわかんねーよ。
いいよ。見てくるよ。どうやって教える? 枕元たつか? 」


「あるの? ないの? どう思う? 」


「ある、可能性もある。ない、可能性もある。どっちか、だ」


 再び、沈黙。
雨音が少しだけ大きくなったように感じたのは、
沈黙のせいなのか、と比呂は思う。


――最後に、絵里にしてやれた事、それは何だろうか。


比呂はそれを考えた。


――きっと最後にあいつに与えたものは心配と、悲しみなんだろう。
しょうがない。
ベストは尽くした。
相手が悪かったとは言わない。
勝機はいくらでもあった。
欲を張ったのが間違いだ。
最後には和とやりあうつもりだったから、
あいつは一裕よりも、強い。
負けるわけにはいかなかったんだ。
でも、しょうがない。
結果がすべてだ。


ごめんな。
絵里。
俺、お前を守ってやれない。
約束、破ったの何回目だ? もう、許してくれないな。
ケーキでご機嫌とりも出来ないし。
くそっ。
キスくらいしときゃよかった。
こんなことになるなら無理やりにでも押し倒しておけばよかった。
童貞で死ぬのか。
綺麗な体のままで、ねぇ…。
あぁだせぇ。
…絵里、一度くらい…好きとか言ってたら、
お前はどんな顔、したんだろうな? ――


比呂の額に当てられた銃口がふっと浮く。
目を閉じていた比呂は、いよいよか、と最後のつもりで目を開いた。
その目に、自分のこめかみにベレッタを押し付ける一裕の姿が映る。


「か、一…裕? 」


「確率は、二分の一だよ」


「あ…」


ガァン

























雨が降っている。
梅雨の始まりを告げるような、静かな雨が。
強い日差しで温まっていた気温が、雨の雫で柔らかくなる。
アスファルトにしみこむ、夏特有の雨の匂いがした。
記憶のなかの匂いなのか、本当にその匂いがしていたのか、それはわからない。


ただ、その雨が。
その雨が、俺を包んでいた。
体中の力は抜け切っていた。
目の前には一裕の死体があった。
派手に頭が吹き飛んで、突っ伏している。
俺はただ、その光景を見つめていた。
何が起きたのか、どうして引き金を引いたのか。
わかっていた。
わかっていたけれど、動けなかった。
ただ、俺は繰り返していた。
同じ言葉を。





「…んな、あほだよ。 お前。 ……あほだよ」





 康明が比呂を発見するまでの4分間、比呂は一歩もそこを動くことが出来なかった。






 


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