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震える手で頭を抱え込み。
苦痛に顔をゆがめる。
直子はそんな一裕の様子を呆然と見つめていた。
目の前で起きていることを理解することができなかった。
記憶が、一裕が幼いころに閉じ込めた忌まわしい記憶が、顔を覗かせていた。
一裕は母親を刺殺した凶行の直後一時的な記憶喪失を起こし、12歳になるまで精神科に通っていた。
医師の懸命な努力は実らず、一裕の脳にはいくつかの記憶の欠落が残った。


母親の記憶。
虐待の記憶。
7歳のころの記憶。
そしてその欠落は、彼の歪んだ人格を生み出していた。
血を見ると興奮した。
母親という言葉が嫌いだった。
誰かを信じたことなんてなかった。
誰かを愛したことなんてなかった。


「どうか・・・したの・・・?」


直子は腫れ物にでも触れるように一裕に問い掛けた。
一裕を養ってくれている、新しい母親と同じように。


―― いつも、怯えた目で僕を見る。
いつも、僕と距離をおく。
いつも僕の目を見ない。


その直子の問いかけは一裕の神経を逆撫でた。


――なんだよ・・・。
きみもそうか・・・。
君も同じか・・・。


一裕の脳にいくつかの映像が浮かぶ。


赤。
鮮やかな、赤。
動物の臭い。
血の香り。
小鳥のさえずり。
カーテンの隙間からこぼれる日の光。
見開かれた目。
静寂。
立ち尽くす僕。
右手には包丁。
真っ赤に染まった包丁。


「・・・お・・・かあ・・・さん・・・?」


「え?」


直子を聞き返した。
さっきから明らかに一裕の様子はおかしい。
酷く気分が悪いように見えた。


この殺し合いゲームの中、体の心配をすることにどれだけの意味があるのか直子にもよくわからなかったが、
目の前の一裕はなにか恐ろしいほどに儚く見えた。


―― この人を救ってあげられるなら・・・。
自分にできることの何かでその苦しみを和らげてあげられるのなら・・・。


直子がはじめて感じた母性だった。


「大丈夫?」


・・・。


返事はない。
しかし、呼吸の乱れは幾分おさまったように見えた。
一裕は直子の顔を見た。
一裕の目は恐怖に震えている。


―― 何かに怯えている。


そう、直子は思った。
ゆっくりと両手を上げて一裕の肩に乗せる。
一裕の目は不思議そうに見開く。
直子はゆっくりと一裕を抱き寄せた。
なぜか・・・そうしたかった。


一裕の弱さを、男の弱さをはじめてみた。
その儚さは直子がこれまで見たすべてのものを超える美しさがあった。


――この美しさを守りたい


と思った。


たった5分かそこらの会話の中で、直子はこれまでにないほどの濃厚な時間を過ごした。
一秒一秒に意味のある時間。
これまでに誰かと同じ時間を共有して、こんな不思議な感覚を感じたことはなかった。
何年もの間、一裕をずっと見つづけてきたような、不思議な感覚。


――もしかかして・・・誰かを好きになるって・・・こういう感じなのかな・・・?
だとしたら、今までくだらないと思っていた恋とか愛とかって・・・
思ったよりも・・・素敵なことなのかも・・・。


直子もまた、ただの中学3年生だった。


不思議なこの男の、一裕の一種、儚い存在をいとおしく思った。
守りたいと思った。


直子に限られた時間は短い。
このプログラムに巻き込まれた時点で生きつづけることは難しいと感じた。
ならば、美しいものを見たい。
美しいものと一緒にいたい。
そう考えていた。
だから、この人といたい。
一裕と最後のときまで時間を共有したい。
同じものをみて。同じものを感じたい。
そう感じ始めていた。


それは紛れもない、直子の初恋だった。


一裕はその直子の行動に驚いていた。


――どうして・・・優しくしてくれるの・・・?
僕はもう、二人のクラスメイトを殺しているんだよ?
僕のこと怖くないの?
僕のこと怖いと思わないの?
みんな僕のこと・・・怖いと思ってるよ?
お父さんだって・・・。
新しいお母さんだって・・・。
先生だって・・・。
クラスのみんなだって・・・。
それでも僕を受け入れてくれるの?
僕は・・・人殺しだよ?


一裕は淋しかった。
誰にも愛されていなかった。
父親は一裕を捨て、母親は一裕を呪った。
大人たちも・・・周りの人間も・・・一裕の存在を否定していた。


愛に飢えていた。


一裕もただの中学三年生だった。
ぬくもりが欲しかった。
ただ・・・それだけだった。


「丸木君・・・」


直子の吐息が一裕の耳のそばに聞こえる。
直子の両腕は一裕をしっかりと受け止めていた。


「なんでだか・・・うまくいえないけど・・・。」


時間が止まったように一裕は感じた。
直子の優しさを期待していた。


「もうちょっと・・・このままでいてもいい?」


一裕は・・・なんて答えていいかわからなかった。
答え方を知らなかった。
優しさに対する免疫がなかった。


「・・・。」


答えられなかった。


一緒にいて欲しかった。
このまま包まれていたかった。
ただ、それを言葉にして伝えることができなかった。


「僕・・・怖いんだ。」


「え?」


「・・・僕、誰かを失うのが怖いんだ。」


「・・・。」


「大切なものは・・・ね・・・みんな僕が壊してきちゃったんだ・・・」


「壊・・・す?」


「大好きな・・・おもちゃも・・・」


「・・・。」


「大好きな絵本も・・・」


「・・・。」


「いつか・・・なくなっちゃうのが怖いから・・・僕は壊しちゃうんだ・・・。」


「・・・。」


「いつも・・・そうしてきたんだ・・・。」


「・・・。」


「僕の・・・おかあさん・・・も・・・壊したんだ・・・。」


直子の胸に嫌な響きがあった。
噂は本当だった。
誰かから聞いた話。
小学生のころ聞いた話。
丸木一裕は母親を殺して今も精神科に通っている。
小学3年生のとき転校してくるまえは、児童福祉センターにいた。


あいつは狂ってる。


くだらない噂だと思っていた。
一裕の奇行がそういう噂に尾ひれをつけているのだと思っていた。


「・・・壊した・・・?」


「おかあさんは・・・僕を・・・僕に・・・優しくしてくれなかったから・・・」


「・・・殺した・・・の?」


一裕は直子の両手を振り払った。
そして直子の目を見た。
確認したかった。
本当のことを言っても、直子が受け入れてくれるのかを試した。


直子は一裕と目を合わせた瞬間ふっと視線を宙に逃がした。
戸惑いを見透かされるような気がした。


「・・・君も・・・みんなと同じなんだね・・・?」


内ポケットに手を入れガバメントを抜く。


直子は決して一裕のことを拒否した訳ではなかった。
ただ、驚いた。
そして、自分も大切なものになれば壊されてしまうと感じた。
はじめて、直子は生きたいと思った。
一秒でも長く、この人と一緒にいるために生きたいと思った。
そして、死を恐怖した。


たとえ、母親を殺したとしても受け入れようと思った。
たとえ、クラスメイトを殺しているとしても受け入れようと思った。
ただ、この人のそばにいて、ただ、同じ時間を過ごしていたかった。
いつか、必ずくる人生のタイムリミットまで。
デスゲームのタイムリミットまで。


一裕はガバメントの照準をあわせる。


――君もみんなとおなじなんだね?
僕を否定するんだね?
なら、壊しちゃおう。
嫌われたくないから。
僕を少しでも大切に思ってくれるなら・・・
僕を大切に思ってくれているうちに。


 壊しちゃおう・・・。


直子はガバメントの銃口を見つめ、震えた。
せっかく見つけた、はじめて見つけた大切な人に、今殺されようとしている。


―― いっしょにいたいのに・・・。


「違うの! ただ驚いただけなの!
あなたを拒絶したわけじゃないの! 怖がってるわけじゃないの!
お願い!・・・信じて・・・」


直子のその言葉は一裕の胸には届かなかった。
一裕の目に見える直子の怯えた目が、あの日の母親とダブって見えた。


直子は、死んでしまうことによって一裕と過ごす時間が奪われることに恐怖した。


一裕は、自分を受け入れて欲しい人が,自分を拒絶することに恐怖した。


二人の想いはすれ違った。

































2001年6月13日午前4:52。
大東亜専守防衛陸軍富士演習場に二発の銃声が響いた。
二人の短すぎる恋は永遠になった。





[残り28人]




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