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奇跡は渡米より25日目に訪れた。

ちょっとしたレストラン。
その厨房の裏口で、秋也は何度も"I want job"と繰り返す。
しかし店主なのか、料理長なのか、長い帽子を被った男は首を横に振るだけだった。
身振り手振りで、いかに自分が仕事を必要としているかを訴えた。
それでも男は"sorry"と首を横にふり、肩をすくめ、溜息をつくだけだった。
必死のアピールの甲斐もなく男はふいっと店に戻ってしまう。
”ちょっとまってくれ”と言いたかったが・・・



言葉がわからなかった。



何度味わってもこの、敗北感、脱力感だけは慣れないな。
と秋也は思う。
「ちくしょう・・・」
うつむきながらそう呟いた。





「きみ、東亜人かな?」
突然、秋也の背後で声がした。
久しぶりに聞く、典子以外が話す母国語。
懐かしさとともに、一種の不安が頭をよぎる。
あの島で感じた、胸を締め付けるような緊張。
政府か?!
政府の追っ手が、アメリカの国土に入ることはできない。
正面きって上等きっていれば、それは当然といえば当然。
共和国がアメリカを敵性国家として警戒するならば、アメリカもまた、共和国を危険因子として警戒していた。
だから、秋也たちはアメリカに逃げてきたのだ。
それでも、政府への恐怖は彼を締め付けた。
15年かけて、さらには極めつけのプログラムによって、完全に政府=恐怖の図式が秋也の体、脳、思考にしっかりと刷り込まれている。
恐らく、政府の追っ手ならば即座に射殺されてしまうだろう・・・。
万事休すってやつか?



振り向くと、そこには一人の男が立っていた。
半そでのアロハシャツを着て、サングラスをかけている。
手には大きめのスーパーマーケットの買い物袋。
呆然とその姿を見つめている秋也に一言、こう告げる。
「仕事を探してるんだろ?」




秋也がアメリカで出会う、初めての東亜人だった。




男の名は、平井徹。
秋也たちと同じ亡命者だった。
6年前にアメリカに来た。
理由は、強制労働キャンプに送られ、共和国やそのやり方に愛想が尽きたからだ。
やはり同じように何週間も仕事を探し、同じように断られつづけていた。
「なんか俺が、この国に初めて来た時を思い出したよ。そっくりだ。」
そこまでを、典子が仕事を探しているブロックにつくまでに聞かされた。
秋也はプログラムの生き残りであることを話そうと思ったが、やめておいた。
人殺しと思われるのは、やはり辛かった。
俺も同じ感じです。とだけ答えて、ただ歩いた。
徹もそれ以上のことは聞かなかった。
「ま、嫌なことがあったから飛び出したんだろ?みんなそうさ。」
徹はそれだけ言うと仕事の話をはじめた。
実は、自分も同じように東亜人の亡命者に拾われ、その人のオフィスでちょっとした書類整理の仕事をしている、いまはちょっと買い物ついでにふらふらと散歩をしていたんだ、と。
典子と合流して3人は一路、その”亡命者”のオフィスへと向かった。






数ブロック先の小さなビルの4階に、そのオフィスはあった。
こじんまりとしてはいたが、活気がある。
幾つかの机が並び、電話の音が鳴り響いている。
忙しく動き回る社員達はほとんどが東洋人。
後でわかったことだが、一人は1992年度のプログラム優勝者だった。
何人かが秋也たちに気付き、「Hey,What's Up?」と陽気に話し掛る。
秋也たちは少しだけ戸惑っていた。
徹は秋也たちにここで待つように告げ、一番奥のパーテーションで仕切られたブースに入っていく。
一人の東洋人が秋也たちの近くに来て
「始めまして。僕の名前はウォンです。」
と、自分の名前を片言(イントネーションがおかしい)の東亜語で話し始めた。
徹に東亜語を教えてもらったんだ、と彼は種明かしをするようににっこりと微笑んだ。
秋也も典子も、ホッとした。
言いようもない不安から解放されたような気分だった。
この国で、孤独の中から抜け出すためのきっかけみたいなものを感じていた。

しばらく片言の英語と、東亜語と、中国語の入り混じった会話を楽しんでいると、徹がパーテーションから顔を出し手招きする。
二人がブースに入るとそこには初老の男がデスクの前に座っていた。
じっと二人の顔をみつめ、ひそひそと徹に耳打ちをする。
徹も男に耳打ちでなにかを告げる。
ちょっとした論議をしているのだろうか。
ひとしきりその内緒話が終わると、男は立ち上がり三回手を叩いた。
そして
「さぁ、仕事だよ。」
と東亜語で言いながら、100ドル札を3枚秋也に渡した。
「まず君たちに必要なのは、身なりを整え、服を買い、辞書を買いにいくことだよ。」
男は「わかったかな?」と確認を促すように、にこりと微笑んだ。
徹も笑いながら秋也の肩を叩きこう言った。
「こういうときは、”Yes ser! boss"って言うんだよ。」
秋也と典子はこの日から仕事探しから解放された。






男―――”柏木”というのがBossの名前だ。
やはり彼も以前にプログラムで娘を失い、強制労働キャンプで息子を失った、言うなれば秋也たちや、徹と同じ共和国の被害者だった。
渡米して20年―――
死ぬほど努力して、求人広告を扱うこのオフィスを立ち上げたそうだ。
そして、秋也たちのような亡命者を優先して雇い、オフィスを盛り上げていった。
身なりも汚い、住所もない、しかも英語を喋れない東亜人。
極めつけはまだ幼い・・・。
そんな二人を雇った理由は単純。
自分の、死んでいった子供達と秋也たちが重なって見えたからだった。
柏木は、二人に住む場所を与え、仕事を与え、当面の生活費を与えた。
もちろん特別扱いはしない。
仕事に対しては恐ろしいほどに厳しかった。
それでも柏木は、社員達に慕われていた。
Bossと呼ぶ社員もいるが、Dad(父親)と呼ぶ社員の方が多いのがその証明だろう。
柏木は社員をFamilyと呼んだ。
秋也と典子は、この異国の地で新しい家族を見つけたのだ。





毎日が忙しかった。
朝からOfficeで雑用をこなし、家では辞書を片手に英語の勉強。
小さな安アパートでは、毎日片言の英語で話した。
一切、東亜語は使わなかった。
徹もOfficeでは英語しか話さなかった。
ウォンも同様。
新しく買った辞書は一ヶ月もしないうちにボロボロになっていった。





3冊目の辞書がボロボロになるころ、二人は日常会話のほとんどを英語で話せるようになっていた。
ジョークも言えるようになっていた。
少しづつ、仕事らしい仕事を回してもらうようになっていく。
典子は電話番を任されるようにもなった。
更には、市民権を取るための手続きも始めた。
柏木の提案だ。
もう二度と共和国に戻ることはできない。
ならば、この地に骨をうずめるしかない。
そうして、二人は少しづつあの国を忘れていった。
あの国で受けた屈辱や、悲しみを。
あの島で起きた惨劇と、絶望を。
あの国で得、あの国で失ったたくさんのものを。

異国の地での充実した生活。
素敵な仲間。
愛する人との生活。
少しづつ忌まわしい過去を遠ざけていった。
心の奥へ押し込んでいった・・・。



川田章吾と、船の上で交わしたあの”約束”すらも。

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