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『シューヤ。今夜どうだ?』
その声の主は、増田浩二。
オフィスで秋也や徹たちと一緒に働いてる、オフィスメイトだ。
口の前でグラスを傾ける仕草をしている。
飲みに誘っている。
『あ・・・うん。でも、珍しいね。コウジが誘うなんて。』
秋也は少し戸惑いながらそう答えた。
増田浩二は陽気なオフィスの中ではおとなしい方に分類される男。
秋也とは5つ違い。
年が近いせいか、比較的秋也は浩二と一緒に仕事することが多く、彼と過ごす時間はオフィスの中ではもっとも長かった。
しかし、浩二が誰かを食事や飲みに誘うことは稀で、秋也にとっては初めてのことだった。
どうして急に?という疑問はあったが、
『いや、一度お前とはゆっくり話がしたくてな。』
という言葉を聞いて、深い意味はないものだと解釈した。
『わかった、ちょっとまってて。』
秋也はそう言うと、帰り支度を始めている典子の元へ向かった。
『聞こえてたよ?コウジと食事してくるんでしょ?』
と、典子は上着を羽織ながら秋也が切り出す前に言った。
『うん。悪いけど先にメシ食っててよ。』
秋也がすまなそうに言うと
『わかった。鍵持ってるよね?』
と微笑みながらそう言った。
『あぁ。大丈夫だよ。』
短いやり取りのあと秋也はコウジに向かって親指を立てた。
『典子。だんなを借りるよ。』
浩二がからかうようにそう言うと典子は顔を真っ赤にして、笑った。
浩二行きつけのバーに向かって、二人は歩いていた。
ニューヨークのダウンタウン。
季節は秋。
東亜に比べると若干その風は冷たく感じられた。
先に歩く浩二の背中を見つめながら、秋也は初めて浩二に会ったときのことを思い出していた。
オフィスへの初出勤の日。
オフィスの案内や、ファミリー(オフィスメイト)の紹介などを東亜語でしてくれた。
徹と比べるとその表情は豊かとは言い難く、口数も少なかった。
それでもとても親切な男だと秋也も典子も感じていたし、どこか兄貴肌のある浩二に、秋也は憧れに似た感情を抱き始めていた。
大人。
それが秋也が最初に抱く、浩二の印象だった。
5つの違いでも、15歳と20歳ではかなり違う。
考え方も、抱えている問題も。
バーはメインストリートの一本裏へ入ったところにあった。
少し古ぼけた看板が、歴史の深さを想像させた。
さほど人気がある店でもないがここのピッツアは最高だ、と簡単に紹介してくれた。
年季の入った扉を開くと暖かな空気と、ピッツアの焼ける香り、優しいJAZZの音が秋也を出迎えてくれた。
少し気難しそうなマスターに軽く挨拶しながら、浩二はすっとカウンターに腰を掛けた。
そんな仕草が、浩二が大人である証明のように秋也は感じた。
”決まってるな”と思っていた。
秋也も気恥ずかしそうな顔でマスターに挨拶する。
『おいおい。まだ子供じゃないか?コウジ』
とマスターは言う。
『堅いこと言うなよ、ジェイ。』
と返す姿をみて、秋也は更に浩二の持つ”大人の雰囲気”に憧れを増していた。
『いつものか?コウジ。』
ジェイがそう言うと浩二は軽く頷く。
『シューヤは?どうする?』
『あ、じゃぁコウジと同じモノを・・・』
それを聞いたジェイは肩をすくめ笑った。
相当強い酒なのだろう、”背伸び”は失敗したと秋也は少しだけ後悔した。
やがてジェイの手によって二つのグラスが運ばれる。
少し躊躇しながら秋也は口をつけた。
何の事はないただのオレンジジュース。
秋也は噴出した。
浩二が
『大の男が二人揃ってバーのカウンターでオレンジジュースをすするってのはクールかな?』
と笑いながらジェイに言うと、ジェイは
『お似合いだよ』
と、苦笑した。
そんな二人のジョークを聞きながら秋也は、アメリカに来たんだなと、なぜか強く感じていた。
焼きたてのピッツァを齧りながら、ちょっとしたジョークを交えた他愛もない話をした。
アメリカにきてロックが好きなだけ聞けて嬉しいか?とか、典子がいながらブロンドに目移りしたことあるか?とか。
そんな、普通の話。
店は次第に込み始め、ジェイもカウンターとホールを行ったり来たりと忙しそうに動き回っていた。
『もう、ほとんど言葉を覚えちまったんだな?』
浩二はつまみのピーナッツを手で弄びながらそう訊ねた。
『ああ、そうだね。典子ともほとんど英語で話してるよ。習慣なのかな?』
と秋也は答える。
『どうだろう、久しぶりに東亜語で話さないか?”あの国”について。』
秋也は戸惑いながらも小さく頷いた。
「俺が、この国に逃げてきた理由を話すよ。」
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