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秋也が部屋に戻ったのは、午後10:30を少し過ぎた頃。
ドアを開けると夕食の後片付けを終えた典子が出迎えてくれた。
『あれ?早かったね?』
『そうかな?』
『トール達と遊びに行くときはもっと遅くなってるのにね。』
『うん・・・。』
典子は秋也が少し沈んでいることに気付いた。
どこか、緊迫したような表情が典子の胸をざわつかせる。
秋也は上着を脱ぎソファに倒れこむようにもたれた。
ふぅっと一息つくと、心配そうに様子をうかがう典子の顔が見えた。
聞くべきかどうかを思案しているいつもの表情だ。
髪を耳の上にかきあげながらじぃっと秋也の目を見つめていた。
”かきあげられる程、伸びたんだな・・・髪”そう思いながら。
秋也はかすれるような声で呟いた。
『髪・・・伸びたね・・・?』
典子は居心地が悪そうな曖昧な微笑をつくり
『うん。』
と答えた。
しばしの沈黙。
時計の針が、カチッカチッと時を刻んでいた。
通りを車が勢いよく通り過ぎていく。
その後に続いて、パトカーのフォォォンというけたたましいサイレンが駆け抜けていった。
典子は意を決したように、秋也の隣に腰をかけた。
ソファがぎしりときしむ。
秋也の顔を覗き込みながら
『・・・何か・・・言われたの?』
と訊ねた。
秋也は一度典子の顔を見、再び宙を見つめた。
『・・・東亜語で話したよ。』
そう、短く告げた秋也の顔が険しさを増した。
否応なく記憶は掻き毟られていく。
典子の目の前に鮮明な映像がフラッシュバックした。
思い出したくはない過去、忘れてはいけない過去。
あの、背中をつたう嫌なにおいのする汗を感じながら典子は秋也の言葉を待った。
秋也も意を決し、ぽつりぽつりと話しはじめた。
秋也は、典子に浩二の話を聞かせながら、何故二人にではなく自分にだけ告げたのかを考えた。
この話の内容からすれば二人に同時に聞かせた方が効率がいい。
理屈ではそうだった。
それでも、浩二は秋也にだけ聞かせた。
あまり多くを語らない浩二が誘い、聞かせた話が、思いつきで話し始めたことでないことは明らかだった。
一つ、一つ、言葉を選びゆっくりとかみ締めるように話してくれた。
何か特別な意味が隠されていたのだろうか。
答えは出なかった。
ただ、愚痴として語られたものでしかなかったのかもしれない。
川田章吾が語ってくれたように。
気が付くと話は終わっていた。
典子はうつむき、押し黙っていた。
手に握られたメモを見つめたまま。
秋也は、どうするべきかの答えをまだ用意してなかった。
典子もすぐに用意することが出来ないようだった。
小さな幸せが壊れてしまうことに、二人は躊躇していた。
例えそれが偽りの幸せだったとしても・・・。
答えが出ないまま、二人は眠りについた。
翌朝、二人揃ってオフィスにつくとウォンや、徹に冷やかされた。
『赤い目をして二人で夜更かしかい?』
と。
典子は必死に真っ赤な目と顔で否定した。
徹はそれを見ると大喜びで冷やかしつづけていた。
浩二は何食わぬ顔でデスクに座り、秋也たちに気付くとすっと手を上げ挨拶した。
就業後、オフィスメイト達が、一日通して元気のなかった秋也と典子に、一言二言声をかけながらオフィスを後にしていった。
秋也はただ押し黙り、適当に頷き、即席の笑顔を作りつづけた。
浩二はというと、オフィスを出て行くときでも何も言わなかった。
ただ、肩をぽんっと叩くだけだった。
じっとオフィスのパソコンのモニターを睨みつける秋也を、典子は少し離れたところから見つめていた。
正直、典子もどうするべきか答えを用意することが出来なかった。
ただ、あの”約束”だけが典子をとがめつづけていた。
きっと、”俺のために復讐してくれと”言われていれば答えは簡単に出ていたのかもしれない。
”復讐なんか考えないでなりたいものになれ”という言葉が、中途半端な優しさになり、典子の判断を鈍らせていた。
”約束”を強引に押し付けたのは秋也だった。
それでも章吾の優しさに甘えるように、秋也は決断を先送りにしていた。
歯がゆかった。
臆病な自分が。
どれくらいの時間がたったのだろうか、辺りはしんと静まり返っていた。
典子はすっと、意を決し秋也に近づいた。
その気配に気付きながら、秋也はデスクの上のマグカップを手にとり、すっかり冷め切ってしまったコーヒーを一口飲んだ。
典子はそっと、後ろから秋也を抱きしめた。
秋也は驚き、危うくカップを落としそうになった。
典子の吐息が秋也の首にかかる。
そして、典子は小さな声でこう言った。
東亜語で。
「・・・あたしは、ずっと秋也についていくよ?今までもそうしてきたし、きっとこれからもそうする。だから、無理しなくてもいいんだよ?」
秋也は典子のその言葉を聞き、いままで気付かずに・・・いや、気付こうとせずに押し込めていた感情に気付いた。
もう既に秋也は、一人の女性として典子を愛していた。
いや、すでにあの惨劇の中、あの島で秋也は典子を愛し始めていた。
親友の大切な人を愛してしまった自分を、見てみぬフリをしていただけだっただけなのかもしれない。
典子を慰めるためにした何度かの口付けも、「慰める」なんてのはただの言い訳だったと、秋也は確信した。
「慶時は・・・」
秋也はぽつりとその名を告げた。
「え?」
「ほら、あの島で・・・典子の事を好きな奴を知ってるって言ったろ?」
「うん・・・。」
「それ、慶時なんだ・・・。俺の親友だった、いや、今でも親友の。」
「・・・うん。」
「俺・・・ずっとあいつに遠慮してた。典子を抱きしめる時もずっとあいつの事、気にしてた。」
「・・・。」
「でも・・・。」
「・・・。」
「でも、俺・・・典子のこと、愛してる。」
「・・・。」
「ずっと典子のこと守っていくって決めた。あの時、あの島で。親友の好きな人を代わりに守るって。」
「・・・。」
「だから、俺、どうしていいかわかんないよ・・・。」
「・・・。」
静まり返ったオフィスに静寂が訪れる。
二人の想いが二人の心を駆け巡っていた。
「・・・。バカ。」
「・・・え?」
「わたし、いつ、守って欲しいなんて言ったの?」
「・・・。」
「あたし、秋也に守って欲しいって言った事ある?」
「・・・。」
「あたし、秋也についていくって決めたの。あの時、あの教室で。」
「・・・。」
「たとえ、死んでしまったとしても、ずっと秋也のそばにいたいって思ったの。」
「・・・。」
「秋也が、わたしを愛していなくても、そばにいるだけでよかったの・・・。」
「・・・。」
秋也はそんな典子の言葉を聞きながら、心の中で語りかけた。
親友に。
”慶時・・・俺、おまえの大切な人・・・奪ってもいいか?・・・おまえが好きだったコ、俺のものにしていいか?”
と。
もちろん、答えは返ってこなかった。
静寂だけが二人を包んでいた。
「典子・・・。・・・俺、あの国をぶち壊したい。ついてきてくれるか?」
「ついていくって決めたよ。わたし、あの国で。二度目だね?聞くの。」
「うん。そうだったね・・・。」
秋也はキーボードを叩き始めた。
モニターに浮かび上がる文字。
”Riot”
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