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虫の声と、二人分の足音だけが広志の耳に届いていた。
慶はただ月明かりに照らされるコンパスと小さく折った地図を交互に睨みつけ、ゆっくりとすすむ。
何も話さなかった。
いま、言葉を出してしまえばそれが全て裕也への非難へ繋がるような気がした。
ネガティブな方向に少しづつ気持ちが傾いていく。
希望を目の前に取り上げられ、上手く事が進まない苛立ちが広志の胸をざわつかせていた。
格納庫を出て30分。
二人は言葉を交わさずに歩いた。
慶が先に進み、広志がその後を追う。
慶はゆっくりと周囲を確かめながら時折足をとめ、耳をすまし、辺りを警戒した。
収穫はいくつもの銃声と、いくつかの悲鳴だった。
広志は胃にこみ上げるむかつきを感じていた。
恐怖や苛立ちや困惑がはっきりとした形ではなく、まるで立ち込める煙のようにもやもやと淀んでいた。
それはどれが困惑で、どれが恐怖なのか判断する事はできなほどいい加減に混ざり合っていた。
結局、格納庫をぐるりと囲む8個のエリアに建物らしきものを見つけることは出来なかった。
もちろんざっと見渡したところ、だ。
体勢を整えていない状態で、しかも思いつきで飛び出したことを慶は若干後悔していた。
”もう少し準備するべきだった”
慶は自分がいくらか浮き足だっていることを認識した。
”一度戻ったほうがいい”
そう、判断した。
「広志、一度もどろう。」
慶は出発から40分ほど経ったころ、ふいにそう広志に言った。
突然の提案に広志はすぐに答える事が出来なかった。
頭が上手く働かない。
何度かの銃声で完全に萎縮し、いくつかの悲鳴で完全に絶望していた。
慶達に逢う前の、まとまりのない考えや迷いが再び広志を支配していた。
「もしかしたら、島村や・・・大塚がサインを理解して来てるかもしれないし、準備というか、体勢を整えた方がいい。」
慶は簡潔にそう提案した。
「あ・・・あぁ、そうだな・・・。」
うわのそらといった感じで広志は答える。
頭の中には、エース島村祐二と補欠の大塚圭介の顔が浮かんでいた。
島村・・・あいつは頼りになる。
土壇場でもあいつは常に冷静に事を運べるタイプだ・・・。
大塚・・・。多少、心配だな。
俺はあまりあいつが好きじゃない・・・。
広志は圭介のどこか言い訳がましいところや、悲劇の主人公気取りでいつも責任を何かにこすりつけてるのが気に入らなかった。
もっともそれを誰かに話したことや、それで圭介に対しておかしな態度を取っていたわけでもなかったが、正直いってあまり関わりあいになりたくはなかった。無意識に一線を引いていた。
いまの裕也と同じように。
「聞いてるか?」
思考があちこちに飛んでしまっている広志に、確認を促すように慶は再び問いかける。
「・・・わり。ちょっと混乱してる。」
慶は小さく溜息をつき
「頼むよ・・・主将・・・。」
と言った。
「一旦、戻るんだよな?おっけー。戻ろう。」
「あぁ。」
二人は今来た道をはずれ、格納庫へ向かった。
時刻はもうすぐ11時を過ぎようとしていた。
広志のこんがらがった思考はとくに回復も見せずに、いまだ迷走している。
一度納得し、覚悟を決めたものの外に出て身を危険に晒せていればそんな小さな覚悟は簡単に首をもたげてしまった。
その事を自覚している点でまだ、致命的ではないというのがたった一つの救いだった。
慶は相変わらず冷静だった。
いや、冷静であるかのように見えていた。
しかし、いつもよりも口数は少なく若干表情も硬い。
もっとも、この状況でいつものように振舞っている方が不気味だが。
慶は裕也の事を考えていた。
軽油を探しにいくまえに交わしたやりとりで、裕也があまり信用できないであろう事は確認済みだった。
もし、ぎりぎりの選択―――裕也が人質にとられたり・・・そんな時、慶は裕也を助けるべきではないと結論を出していた。
あいつのために命を投げ出すのは・・・嫌だ。
冷静なはずだった慶の気持ちにも、疑心が浮かび上がり始めていた。
助かりたくなどない、殺し合いをしたくないだけだ。
そう自分に言い聞かせていたものの、気持ちの奥ではうっすらと疑心が産声を上げていた。
しかし、自覚するにはその産声はまだ小さすぎた。
暗闇に格納庫の巨大な扉が少しづつ浮かび上がってきた。
広志はその悠然と構える鉄の塊に再び呑まれていた。
どこか威圧的で愛想がなさすぎる鉄の扉は、入るものを拒むように見下ろす。
要塞。
というものを連想させるほど、その扉は重く立ち塞がっている。
慶はそんな広志の気持ちにはまるで気付かずに、すこし歩くペースを上げた。
慶にとっては格納庫は、戻るべき場所であった。
このゲームのなかでこの”戻るべき場所”があるということがどれだけ気持ちに作用するのか、慶は気付いてはいなかったが、それが慶の冷静さを保っている一つの要因だった。
あの扉をあければ、無愛想なだだっ広い空間が出迎えてくれる。
そう信じて、ドアノブをまわす。
だだっ広い空間は、慶を出迎えてくれた。
大塚圭介の構えるグロック19の銃口とともに。
[残り34人]
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