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斉藤知子は本部を出た直後から、向かう場所を決めていた。

西。

それは単純な心理なのかもしれない。
地図上に示された、本部の位置は東。
死の香りのするその本部より、一歩でも遠く離れたいと考えた。
しかし、山間部はまずい。
動きづらい上に相手の動向を把握しづらい。
サバイバル等の知識などなくてもわかる、単純な事。
とにかく身を落ち着けられる場所。
なるべく本部より離れ、なるべく人目につかない場所。
そして、トイレなどの雑多な動きが可能な場所。
それを求め、西へ向かった。

まだ日は高く、若干日差しは強く感じた。
それでも額の汗を拭うことなく、進む。
ふと、クラスメイト達の顔が浮かぶ。
楽しかった日常がフラッシュバックする。
気持ちが揺さぶられ涙が込み上げてくると同時に、言い様もない不安も押し寄せる。
相対した気持ちが交錯する。
知子の困惑は、細い渦のように気持ちをかき乱していった。
足取りは心持速くなる。
不安が焦りを生み、焦りが足を前に進める。
耳をすまし、敵襲に備える。
張り詰めた緊張はさらにテンションをあげる。
走り出しはしない。
走り出してしまえば、ぎりぎりで踏みとどまっている、
たった一つの、たった一握りの冷静さも投げ出してしまいそうだった。

 



エリアF−4に差し掛かるといくらか草の背も高くなり、身を隠す事ができそうな茂みも増えていく。
少しづつ、呼吸は正常の間隔に戻ってきていた。
知子は喉の渇きと、緊張と、両足の疲労に耐えかねて足を止める。
それほど長い距離を歩いたわけでもなかったが、
ローファーで山道を早足で歩いた疲れは、ひとつ呼吸をおくとどっと押し寄せてきた。
前方に比較的小さな、木の密集した雑木林があった。
まるで木が体を寄せ合うように立つ、その雑木林は知子の理想に近いものだった。
すばやく辺りを見渡しながら、雑木林に足を踏み入れる。
息を殺し、耳を済ませても、誰かが近くにいる気配は感じられなかった。
肩に食い込むディパックと、自分の荷物を乱暴に投げ捨て、
ディパックからペットボトルを取り出すと、勢いよくふたを開ける。
パキンと、キャップを外すとラッパ飲みで喉を潤した。
約半分ほど飲み干し、やっと一息つく。
口のまわりのこぼれた水を右手の甲で拭いながら、もう一度あたりに気を配る。
気配はない。
投げ出されたバッグとディバッグの間にどさりとすわりこむと、再び涙が込み上げてきた。

「どうする?」
本部を出発してから、何万回も繰り返した自問自答を再開する。

 


どうする?

どうする?

逃げる?

どこに?

逃げれば、シヌ。

でも

逃げなくても、シヌ。

コロサレル。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。

ヤダ。


イヤダ。


がたがたと震える足を両手で抱え込む。
膝にあごをのせ、震える体を押さえ込もうとした。
やがて、体全体が細かい震えとなる。


ドウスレバイイ?

シニタクナケレバ

コロサナイト。

コロサレルマエニ。

殺サナイト。


知子の思考に、誰かを信じるという選択肢は含まれていなかった。
誰も信じられない。
それは彼女がこのプログラムに巻き込まれてしまう前から、
もっとずっと前から、
もっと幼いころから抱きつづけている、事実だった。


教室で、校庭で、通学路で、いつも微笑みつづける少女の心の奥深くでは、
恐ろしいほど冷ややかな、恐ろしいほど不安定な、


冷笑がいつもこみ上げていた。







 

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