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知子は再び震え出した膝を、押さえつけるように立ち上がる。
傍らに投げ出された、順平の脳味噌つきのナイフをひったくるように手元にたぐりよせ、
その刃先をスカートのすそで拭った。
震える指先で危なっかしくふき取ると左手に握り、
スミス&ウェスンをスカートのポケットにしまった。
すばやくディパックを担ぎ、あとずさるようにその場を離れる。
流石に2メートル以上の急傾斜を登る気にはなれなかった。
ましてや、銃声を聞きつけて誰かが待っているかもしれないという可能性もあった。
そして再び戦闘になったとしたら、知子の今の精神状態では勝機は見出せないだろう。
知子は6メートル近くはあろうかという急傾斜を、不安に追われるように下りだした。
時折バランスを崩しながら、先ほど下った要領で砂埃を上げながら、知子は急斜面を下り終えた。
着地と同時にすばやくあたりを警戒し、適当な茂みの陰に身を潜める。
人の気配は感じなかったが、不安は消えなかった。
脳裏に焼きついた”花火”の映像が、意に反してプレイバックされる。
首を振り、それを追い払うように歯を食いしばる。
あれほど強く感じていた覚悟は、瞬間的に消えてしまった。
それでも、彼女に残された道はひとつしかなかった。
それを確認するように、知子は順平の死体の方向を見上げた。
心臓が縮み上がった。
ひとつの影が月明かりに照らされている。
おそらくは男子。
順平か?
という、ありもしない仮設は一瞬にして消えうせる。
影は髪をかきあげながら、一度空を仰ぐ。
そして、ディパックを物色しているのか身をかがめ、ごそごそと動いていた。
順平以外の誰か。
銃声を聞きつけてきたのか、偶然なのかはわからなかったが、
冷静にディパックやあたりを探索するということは恐らくは”やる気”と知子は判断した。
そして、”まずい”と感じた。
しかし、動いてしまうことも危険だと感じていた。
物音を立ててしまえば気づかれてしまう。
傾斜がきついとはいえ、男子ならば簡単に追ってこれるであろう。
頭上で聞こえる足音を聞きながら、冷静さを保ち、逃げ出すチャンスを待った。
まず、相手の武器が何かを知りたかった。
飛び道具でなければこのまま逃げ出せば、逃げ切れる可能性は高い。
しかし、銃などであった場合、遮る物が少ないこの場所では危険すぎた。
夜とはいえ、月のあかりは不自然に辺りを明るく照らしていた。
影が動く度に、知子のいる茂みにパラパラと砂やら石やらが落ちる。
緊張はとっくにピークに達し、ぴりぴりと知子の心臓を締め上げていた。
しかし、時間が一秒、一秒と過ぎていくと、知子の冷静さは少しずつ戻ってくる。
やがて、きっかけを掴んだように思考が回転をあげ、回りだした。
相手が誰であるか確かめることが必要だと感じた。
ゆっくりと振り返る。
影はまだ何かを物色しているのか、ごそごそと動いていた。
髪がゆれるのが見えた。
そしてその髪が脱色された物である事がわかった。
知子の記憶から3−3で脱色をしているもの名前がリストアップされていく。
月明かりに照らされたその髪の色が金色に近いものとわかれば、
そのリストからいくつもの名前が落ちていく。
さらには、長さ。
再びリストから名前が消され、残ったものは3名。
丸木一裕
森和彦
加藤忠正
斜面の下から確認できる容姿で、絞り込めるのはそこまでだった。
すばやく3人のファイルを記憶から抜き取る。
丸木一裕
いつも、ふわふわとした印象を回りに与え、
どちらかというとお調子者の部類に入るが、
時折みせる圧倒的な存在感や、
以外なほど身軽な運動神経が彼を異質なものに演出する。
奇人。
森和彦
不良っぽい、言動や行動。
ケンカは負けなし。
運動神経でいえばクラスでも群を抜いて高い。
女好き。
加藤忠正
自称、ロックスター。
サイケデリックという言葉が彼のためにあるのだと、
船岡直子が言っていたがまさにそのとおり。
いつも、何か怪しい薬でもやっているような雰囲気が立ち込めている。
妖艶な雰囲気と不細工な顔が異様に気持ちの悪い男。
奇人。
誰がやる気でもおかしくはない。
そう、知子は判断した。
知子はすぐさま飛び出せるだけの準備を整える。
ナイフを右手に握りなおし、スミス&ウェスンを左手に握る。
ディパックは右肩から斜めがけにし、スミス&ウェスンを握る左手で抑えようと考え、添える。
再び目を上げ、観察。
やがて影がゆっくりと立ち上がる。
「――オォ〜、イェ〜・・・。」
確かにそう聞こえた。
クラスの奇人、ミスターサイケデリックが何かに驚いたとき、喜んでいるときに発する声だ。
知子は背筋が凍りつくのを感じた。
その、言葉には妖しい笑みが含められていた。
まるで笑いを押し殺すように。
”やる気”を通り越し、相手が興奮していることを察する。
もちろん、根拠など何もない動物的カン。
知子は走り出した。
気づかれてしまう事より、その場に留まる事の恐怖に耐え切れなかった。
死の恐怖とはまた違う、異端の者への恐怖。
[残り34人]
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