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広志は走った。
地図を頭の中で描きながら、慶たちと向かうべき方角を見失わないように。
右手に握る、小さな手が離れてしまいそうになれば少しだけスピードを落とし、
また強く握り返されるのを感触だけで確認すればスピードを上げた。
口から漏れる荒い息。
慎重に、木の根につまづかないように走る。
混乱。
頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
どれくらいの距離を走ったか、呼吸は限界に近づいていた。
――やがて、適当な茂みを見つける。
加藤忠正と遭遇した場所から、北西へ進んだ場所。
人の気配は感じない。
追ってくる気配もない。
すばやくあたりを見回して、由布子の手を引き、茂みに足を踏み入れた。
とにかく、落ち着く事が先決だった。
腰を落ち着け、呼吸を落ち着け、気持ちを落ち着けたかった。
「怪我ないか?」
呼吸がまだ整ってないせいか、少しだけかすれた声になった。
由布子もまだ呼吸が整ってはいないせいで、
荒い息遣いのまま首だけを縦に動かす。
二人は肩を並べ、どさりと腰をおろした。
切り立った斜面に背中を向け、体の正面は逃げてきた方向に向けた。
斉藤――加藤――。
少なくともクラスメイト二人が”やる気”であることを知り、
覚悟していたとはいえ広志はショックを受けていた。
簡単すぎるじゃないか――
そう思ったが声には出さなかった。
荒い息遣いが収まり、広志は冷静になろうと努める。
強く握ったままだったボウガンを草の上におき、
肩に担いだディパックからペットボトルを取り出す。
くいっとラッパ飲みにあおりながら、由布子へ視線を投げた。
由布子はまだ、物事をうまく整理できていないように宙をぼうっと見つめていた。
額の汗の粒が、月明かりに反射していた。
視線に気づいたのか、由布子は広志の目を見る。
沈黙。
広志は何か言葉を投げかけようと思ったが、口からは何も出てこなかった。
なんと言えばいいのか?
その答えはすぐには見つけられそうもない。
「ありがと・・・。」
由布子は消え入りそうな、か細い声でそう告げた。
目線は伏せていたが、広志に向けた言葉だ。
「・・・あぁ・・・。いや、どういたしまして・・・。」
変な受け答えだと、広志は自分でもそう思っていた。
久しぶりに聞いた由布子の声は、
記憶の中にあるソレよりもずっと弱々しく響いた。
沈黙。
「・・・どうして?」
ふっと、沈黙の隙間を縫うように由布子の声が広志に届く。
「どうして・・・助けてくれたの?」
広志は言葉を捜した。
どうしてだか、自分でもうまく説明できそうもなかった。
広志の視線は闇をさまよい、気の利いたセリフを探し出そうとしたが、
すぐには見つかりそうもないとあきらめた。
「・・・放っとけなかった・・・。」
素直な言葉だった。
目の前でおきる惨劇を食い止めたかった。
助けたかった、というよりはそんな光景は見たくないと思った。
自己防衛の違った形。
エゴイズム。
結果的に一人の少女を救った今も、誇らしい気持には程遠かった。
ぐちゃぐちゃの思考のまま、広志は溜息をついた。
不自然な会話の途切れを、そのままにして、”コレカラ”の事を考えた。
当然、ひとつしか答えはない。
慶たちと再び合流する。
答えが出るとともに新たな問題点も浮かび上がる。
果たして、慶たちは”谷津由布子”を受け入れるだろうか。
その問題点が更なる疑問を呼ぶ。
――ってか、なんで俺は谷津を信用してるんだ?
当然の疑問だった。
広志は自分のエゴイズムを押し付けただけで、
由布子が”やる気”か否かを確認していない。
一瞬凍りつくような、嫌な予感が走る―――
[残り33人]
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