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広志は、ばっと向きなおし身構える。
由布子は、いわゆる鳩が豆鉄砲を食らったような顔で広志を見つめた。
広志は若干後ずさり、投げ出したボウガンをさりげなく手繰り寄せた。
汗が噴出しているのを気付かせないように、軽く息をつく。
あまりにもわかりやすい広志の仕草で、由布子の表情は曇った。
――信用、されてない。
予想はしていた事だった。
2年と少し、ほとんど誰ともコミュニケーションをとらなかった。
そして、この”プログラム”。
最も信用というものからかけ離れた存在であることは理解していた。
誰かと遭遇すれば、間違いなく殺されてしまう事も覚悟していた。
味方はゼロ。
斉藤知子に銃を突きつけられた時点で、死は確定していた。
そこに現われたクラスメイト。
柳原広志は自分を救ってくれた。
自らの危険を省みず。
嬉しいというよりも、驚きに近かった。
自分の命が少しだけ、少しだけだが惜しく感じられた。
しかし、それも幻想のように消えていく。
現実が由布子を引き戻す。
信用されていたわけじゃない。
広志は、死を見たくなかっただけだと、直感的に感じる。
不自然な距離。
あいまいな表情。
空気が張り詰めていく。
少しだけ期待したモノが醜悪な形に変わっていくのを、
由布子はただ黙って受け止めるしかなかった。
不意に涙がこぼれた。
思い出す感情。
そして、その感情が今も尚、変わることなく由布子の胸の
一番大切な部分に隠されていた事に気付く。
一度閉じてしまった感情は、それでも色褪せることなく息づいていた。
由布子の頬を伝う涙を見つめ、広志は硬直した。
”傷つけた”
理屈ではなくそう、感じた。
「あ・・・いや、違うんだ。その―――」
広志は取り繕うように言葉を漏らす。
――何が違うんだ?一体、何が違うんだ?
再び沈黙が訪れる。
重い空気と、やるせない気持ち。
由布子から殺気とよべるものは何も感じなかった。
涙をすっと拭うと、また、いつものように表情を隠す。
クラスで孤立していた由布子の顔に。
広志の思考は完全に、ぐちゃぐちゃに、混ざり合った。
何をすべきか、何を言うべきか、まともな判断は何一つ出来そうになかった。
そして、ソレを認識することも出来ていなかった。
「谷津・・・。」
広志は由布子の名を呼ぶ。
由布子は顔こそ向けなかったが、呼ばれたことに反応する。
「おまえ・・・どうするつもりだった?」
いきなり核心に触れる。
回りくどい駆け引きなど出来そうもなかった。
また、不用意な言葉で傷つけてしまうのは避けたかった。
由布子はその質問にすぐに答えようとはしなかった。
膝を顎の下に引き寄せ、その上に顔を乗せる。
広志は質問の答えを待つ。
「・・・どうするつもりって?」
しばらく沈黙が続いた後、由布子は逆に尋ねる。
―何をどうするつもりなのか?
「だから、プログラムに選ばれたから・・・その・・・――」
「やる気かどうかって・・・事?」
「・・・そう。」
由布子はまた、口をつぐむ。
広志はその雰囲気だけで、由布子にやる気がないことを悟る。
どちらかというと、あきらめに近いものを由布子は抱いている。
その理由はきっと、クラスで孤立していたという事実だろう。
質問が宙ぶらりんになる。
広志はまた、新しい疑問――いや、ずっと感じてた疑問を投げてみようと考える。
”どうして孤立したのか?”
聞きづらい質問であり、傷を――
そういうものがあればだが、再びえぐってしまう可能性もある。
しかし、非常事態という緊張感に任せて”聞いてみたい”という衝動は抑えきれなかった。
「どうして――どうして、誰とも仲良くしないんだ?」
由布子が孤立するようになった理由も、原因もわからない。
小学生の、ちょうど由布子の様子がおかしくなったころから由布子を知っている広志にもそれはわからなかった。
気が付けば――普通に明るかった、むしろ男子に人気のあった由布子の姿は教室から消えてしまった。
まるで180度人が変わってしまうかのように、無口な、近寄りがたい少女となった。
「どうして?――」
由布子はすぐに答えようとはしなかった。
なにかに戸惑い、困惑しながら、慎重に言葉を選んでいるのだろうか?
顎を膝に乗せた姿勢のまま、ぴくりとも動かなかった。
広志は辛抱強く、答えを待った。
何も、言わずに。
不器用に手繰り寄せたボウガンは、とっくに地面に投げ捨てた。
もう、敵意ややる気が由布子の中にあるとは思えなかった。
広志は警戒を解き、仲間として由布子に接することに決めた。
あたりの静けさが無気味だったが、人の気配や危険の香りはしなかった。
沈黙のまま数十分が経ち、それでも由布子の口は重く閉ざされたままだった。
広志は答えをあきらめ、由布子に提案する。
「慶が首輪をはずせるかもしれない。」
由布子は例によって何も言わなかったが、顔だけを広志に向ける。
「慶、井上慶と、高野裕也と、大塚圭介と、俺の4人で行動してた。
慶の親父さん、電気関係の職人さんなんだよ。首輪の構造さえわかれば外せるかもしれない。
必要な工具はある。だけど、電気がない。」
広志は今までの事の経緯を簡単にかいつまみ、説明した。
由布子は何も言わなかったが、真剣にその話を聞いた。
「――て、訳で俺達はG−4に向かう途中だったんだ。」
由布子は頷く。
「少し危険だけど、慶たちの後を追おうと思ってる。ついてくるか?」
広志はなるべく、やさしい声で話した。
本当は緊張で声を張り上げていしまいたくなるような状況だったが、あくまでもジェントルに徹した。
「――でも、私なんかが・・・邪魔しちゃうんじゃないかな・・・?」
由布子のその自信のなさが、声にもよく表れている。
語尾がどんどん小さくなっていったが、行きたくないという意思はない。
むしろ、行動を共にする事を望んでいるように解釈できた。
「大丈夫だ。おまえだって、いきなり俺達4人を殺すつもりなんかないだろ?」
笑顔を混ぜた。
冗談っぽく言った。
「――当り前でしょ・・・?」
由布子も少しだけ控えめな笑顔を見せた。
その表情で広志は確信する。
”大丈夫。こいつはまともだ。”
「行こう。」
ゆっくりと立ち上がり、肩にディパックをぶら下げる。
ボウガンを拾い、由布子に手を差し伸べる。
由布子がその手を握る時―――もし、月明かりの光量がもう少しだけ明るければ、
広志は由布子の真っ赤な顔に気付いたかもしれない。
由布子の心臓は張り裂けそうになるほど、強く、速く鳴っていた。
[残り33人]
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