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裕也にはただ、闇雲に逃げているように感じられた。
目的地はG−4。
しかし、裕也には自分達がどの方角に進んでいるかさえわからなかった。



広志の突飛な行動。
正義感と説明したところで、裕也には到底理解できなかった。
突如鳴り響く銃声。
今までで一番近くから聞こえる、少しくぐもった破裂音。
焦りが彼の思考を不鮮明にする。
まるで一枚、幕を被せたように輪郭すらもつかめない。
冷たいはずの汗が熱く感じられる。
”逃げなきゃ”
それだけが裕也の頭にこだまする。

ふっと軽くなったディーゼルエンジン式の発電機。
慶が支えている事を確認する。
何も言わなかったが、目が”イケ”と伝える。

ごくりと唾を飲み込むと、3人は同時に走り始める。
広志を見捨てる事がベストだと、3人は確信する。
そして、闇の林を20kgの発電機とともに駆けだした。



やがて、銃声からの逃亡者達は建築物を目視する。
月明かりに照らされた簡素な、バラックの屋根。
廃屋と呼んでも差し支えないだろう。
一直線に細長い、壁もないその施設は駐輪場や長い渡り廊下を思い起こさせる。

もちろん、駐輪場も、長い渡り廊下も、この富士演習場には存在しない。
この細長い簡素な施設は、今では使われていない射撃訓練場だ。
もっとも、今現在の慶達の位置からはそれは確認できない。

射撃場へ最も近づけるであろう最前の茂みに、一度、発電機を下ろし、
慶が一人で様子を見に行く。
二人は茂みで待機。
右手に握るグロックは慶の汗でグリップを湿らせている。

闇に乗じてゆっくりと動く。
ここがG−4であることはほぼ間違いない。
もし、そうでなかったとしても今のところ禁止エリアの縛りには関係がない。
問題なのはこの、地図に記された施設内に誰かいるかどうかだった。

誰か―――クラスメイトの誰か―――すなわち”敵”だ。
この状況ならば、自分と、少ない仲間以外は信用できない。
人差し指はトリガーにかかっている。
もし、
誰かが先にこの施設内にいたとして、
それが誰であれ、
慶は、
撃ち殺すつもりだった。
この演習場内に軽油がある保証はどこにもない。
それは当然なことだった。
しかし、ここ以外に軽油が存在しなければ―――

この射撃場を確実に制圧することが必要だった。


ゆっくりと近づく。
射撃場は、まるっきり”長すぎる渡り廊下”と言って差し支えないだろう。
違うのはその先に、今は古びて放って置かれた円形の的があるということと、
建造物同士を結んでいない事だけだ。
細い支柱に簡素なバラックの屋根を、細かい金属のピンで止めただけ。
建築物というには粗末過ぎた。

今はもう使われていないことは、暗い月明かりの中でもすぐに確認できた。
支柱のペンキははがれ、その下から錆が浮き出ている。
薄く張られたコンクリートの床にも、細かい砂が幾重にも層を重ねているのがわかる。
気配はない。
慶はゆっくりと射撃場に入る。
まっすぐに伸びる射撃場の床に、人の足跡は見つけられない。
その先にも人影はない。

ほっとすると同時に、目的の物への期待もそがれる。
それでも、更に探索を進める。
射撃場の長いレーンを進み、そこが射撃場であるいくつかの痕跡を見つける。
人型の木の的。
きれいに胸の部分だけが打ち抜かれている。
そしていくつかの錆びた薬莢。
更にはスコアを示す、赤茶けた紙辺。


射撃場・・・
それならば、他になにかあるはずだ。


と、慶は思う。

レーンの端までいくともうひとつ簡素な建物が目に入る。
やはり、建築物とは言い難い代物。
”小屋”という言い方が適当だろう。
壁があるぶん、射撃場のレーンよりはましではある。

ゆっくりと近づく。
ドアの前で息を潜め耳を済ませる。
気配はない。
ドアノブを見ても、誰かがここ最近このドアを開けていないことは明白だった。
指でさすれば、砂埃が取れた。
少しだけ大胆に小屋のまわりをすばやく回る。
窓はひとつだけ。
砂埃が張り付いている。
ここも、最近開けられた形跡はない事を物語っていた。

再びドアの前に移動し、ゆっくりとノブに手をかける。
ミシっという不吉な音ともに木造のドアは簡単に手前に開かれる。
カギはかかっていなかった、というよりはカギそのものの機能が磨耗しているように思えた。

気配は当然ない。
完全に無人であった。
明かりがないためか、埃臭い空気が重苦しく感じられた。
むずむずとする鼻をこすり、部屋を見渡す。
雑多なものがごちゃごちゃと積まれている。
いくつかの棚は、棚とは呼べない悲惨な姿でその役割を放棄している。
慶は、明りのない中、月明かりだけを頼りにいくつかのオイル缶をあける。
シンナーの匂い。
恐らくはペンキ、もしくはその類。
その奥には除草剤と思われる紙の袋が山積み。
その他は弾薬が入れられてたであろう、木箱の残骸と
得体の知れない、ボロ布だけだった。

予想はしていた。
しかし、少しだけ肩が落ちてしまうのは仕方のない事かもしれない。
出来れば一発目で当ててしまいたかった。
さすがにやる気の者を目で見てしまった以上、焦燥感は激しくなるばかりだ。
何をしていなくても自然に汗が吹き出てしまう。
いくらか涼しい夜の風がそれを自覚させる。

ないとわかれば長居は無用。
慶は慎重に音を立てないように、小屋を後にする。

もう一度地図を広げ、次の目的地を見出さなければ。
若干、重い溜息を吐く。

帰り道は射撃場のレーンを選ばなかった。
もし、慶のあとに誰かがこの施設を訪れたとするならば
やはり慶と同じように、レーンから進入するだろうと見越しての事だ。

細かい砂埃が乾いた土の上で気まぐれな風に弄ばれている。
まるで俺達のようだな、と自嘲的な笑みをつくる慶の目にひとつの影が飛び込む。

岩にしては形が似すぎている。
慎重に近づく。

木の陰が月明かりを遮断してしまっているおかげで、
手が触れるくらいの距離まで確証はなかった。
それは数年前から置き去りにされていたようで、
細い得体の知れない植物のツルが無数に張り巡らされている。

自動車だ。
軍用ジープであろうか、
ドアは爆発で吹き飛んだように今でも黒い煤があたりにこびりついていた。

慶はすばやく一回りし、車内に誰もいないことを確認する。
もし、中にいたとすればこのときの慶ほど無防備な者などいないだろう。
歓喜と興奮で相当に、注意力が散漫になっていた。
当然、車内およびその周辺には人影も気配もない。
もし、気配が冷静に感じられていれば、の話だが。

お決まりの安全確認をすばやく終わらせ、いよいよメインディッシュ。
右側のドアを蹴り飛ばし、キーを捜す。
なんのことはなく、キーはキーボックスに挿しっぱなしだった。
キーホルダーには”陸軍富士分隊1022”と記されている。
すばやくシートに乗り、ブレーキペダルを踏み、キーを右にひねりこむ。
セルモーターは回らない。
点火しないのではなく、セルモーター自体が沈黙している。
恐らくは電気系統、もしくはバッテリーそのものが死んでいるのだろう。
車内から出た後、今度は給油口を探す。
ガソリン。
コレだけ古く整備されてないジープからまともなガソリンを取り出せるとは思わなかったが、
必要なのはディーゼル式の発電機にサンダーを回すだけの微弱な電気を作らせる事だ。
給油口を探し当て、再び運転席へ。
シートの右側にあるレバーをくいと上げる。
パキンというちょっと嫌な音をあげ、給油口はその口を開ける。
右リアタイヤの真上。
徹底的に錆びて中はぐずぐずになっているのが、わかる。
ガソリンの匂いはしない。
蒸発したか、漏れていたか、
とにかくガソリンタンクにはガソリンは一滴も残されていないようだった。

慶は姿勢を低くし再度、ジープを周回する。
あった。
黒い四角のタンク。
予備タンクだ。
シャーシのすぐ下につるされるような形でぶら下がる予備タンクのキャップを乱暴に回す。
最初の一周こそバキバキと錆びが零れ落ちる音が響いたが、あとはスムーズに回る。
慶の胸は期待に膨らみ、踊りだしそうだった。




慶の鼻腔にガソリン特有の甘ったるいような、香りが感じられた。





[残り33人]

 

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